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リーシェンと秘密のお出かけ


 翌日。曇り空が広がる早朝は、まだ夜のように暗かった。

 リーシェンを抱えたディアンは、自室の窓から塀に飛び移った。塀の上から、宮殿の周りに配備された見張り番の位置と人数を確認し、死角を狙って脱出する。

 宮殿の三階くらいの高さだったのに、地面に吸い取られるかのように、着地の音がしなくて驚いた。

 ディアンはリーシェンに仕える前、かなり腕の立つ殺し屋だった。そのため己の気配を殺すのが巧みで、ディアンは普段からひとつひとつの所作に音を立てない。リーシェンはディアンの足音ひとつさえ聞いたことがなかった。


「ぷはっ」


 目に映る宮殿が小石ほどの小ささになったころ、リーシェンはやっと呼吸をした。


「お坊ちゃま、息を止めておられたのですか」

「うん。無断で出かけるのってスリルがあるよね」


 ディアンの異様な静かさが、見張り番に見つかってはいけないという緊張感に拍車をかけ、つい呼吸を忘れていたのだ。

 宮殿内部の人間はリーシェンの存在を隠したがっているため、リーシェンは外出を禁止されている。皇帝が許可した場合に限り許されるのだが、今まで正攻法で外出しようとして叶ったことはないので、今では外出禁止令を無視している。ようはバレなければいいのだ。

 皇帝は外交のためしばらく宮殿を留守にしている上に、皇都は今日から三日間雨の予報だ。

 悪魔の子であるリーシェンが住まう離宮には真面目に仕事をする使用人はおらず、起床、着替え、食事、入浴などリーシェンの世話の一切はディアンが行っているので、三日間くらいならリーシェンの不在に気づく者はいないだろう。晴れの日は決まって宮殿の庭で時間を過ごすのだが、雨の日であれば部屋にこもっていても怪しまれないはずだ。


「坊ちゃま、そろそろご自分で歩かれますか」

「んー、やだって言ったら魔の森まで抱っこで連れてってくれるの」

「もちろんでございますよ」


 屈託のない笑顔で即答され、リーシェンは「冗談だから」と苦笑する。

 リーシェンはディアンの腕から下ろされると、ポケットに忍ばせていた地図を取り出した。

 魔の森の障壁をかいくぐって街に出る魔獣がいるため、魔の森があるマーレン領は武術に長けているパラビン伯爵家の管轄としている。皇都からマーレン領までは馬車で一週間くらいかかるのだが、雨が降るともっと時間がかかるだろう。他の移動手段が必要だ。

 リーシェンはざっと経路を確認すると、地図をポケットにしまった。

 まだ眠っている街の外れにある小さな広場に着くと、辺りに人がいないか見回す。


「ディアン、近くに人の気配はある?」

「ございませんよ」

「わかった」


 返事をすると同時に、自分の足元に魔術陣を浮かび上げる。

 頭の中で大きな鷲を思い描き、魔術式を構築していく。

 獲物を狙う獰猛の目。鋭い嘴。鋭利な爪。強い風を起こす翼。自在に動く尾。

 図鑑で見た写真の記憶を頼りに、ひとつひとつの部位を丁寧に創造していく。

 やがてリーシェンの前に、ディアンよりもずっと大きな鷲が姿を現した。

 これは魔術で創造した偽物のグリフォンだ。グリフォンを模した魔力の塊のようなもので、生命は宿っていない。

 グリフォンが完成すると、魔術陣をほどいた。


「この子に魔の森まで連れてってもらうよ。休みなしで行けば半日くらいで着くと思う」

「実に聡明な魔術でございますね」


 ディアンはグリフォンの背に届かないリーシェンを抱き上げて、やはり音を立てずにグリフォンに跨った。

 目撃されるといけないので、自分たちに透明化の魔術を施しておく。


「じゃあ行くよ。ちょっと操縦に自信ないけど、許してね」


 グリフォンの飛行速度も、魔の森までの経路も、全てリーシェンの魔力による匙加減だ。

 魔術を使うのは久しぶりなので、上手くコントロールできるか自信がない。

 リーシェンには秘密がある。

 それが、魔術を扱うことができるということだ。

 魔術の国と呼ばれるグラーヴァ皇国では魔力の高い者が優遇される。しかし自分は「悪魔の子」だ。皇帝はリーシェンを何の力も持たない落ちこぼれ悪魔だと思っているからこそ、リーシェンの存在を無視するだけに留めてくれているが、「悪魔の子」が魔力を有していると知られてしまえば、皇帝が黙っているわけがない。確実に第八皇子ではいられなくなるだろう。

 しかしリーシェンには皇宮に残らなければいけない理由がある。

 殺されるわけにも、廃嫡されるわけにもいかない。

 宮殿には魔力探知機が作動しているので、リーシェンは宮殿の敷地内で魔術を扱うことができないのだ。

 日没が近づいてきたころ、やっとマーレン領に到着した。

 ディアンが先にグリフォンから下りて、まだ小さなリーシェンを抱き上げてくれる。

 リーシェンは黒髪を見られないように深くフードを被ると、グリフォンを模した創造魔術と自分たちに施していた透明化を解除した。

 街を歩いていると、移動販売している商人が多いことに気づいた。そのほとんどが対魔獣用の護身アイテムや魔獣避けアイテムを売っていた。

 魔力の多い魔獣は稀に魔の森の障壁を突破して人里に下りてくることがある。しかしそれは数年に一度あるかないかのできごとで、万一のときは領主に認められた傭兵が対処することになっているはずだ。

 移動販売は一般市民を対象とした商売だ。なのに多くの商人が魔獣対策アイテムを売り出しているのは不自然だ。

 どうやらディアンも同じことを考えていたらしく、眉間の皺が深くなっている。

 リーシェンは適当に荷台を引く商人に聞き込みをした。


「ねえ、最近よく魔獣が出るの?」


 直球の質問に、商人の男は言いづらそうに視線を彷徨わせる。


「実際に魔獣を見た人がいるってわけではないんだけどな。夜が深くなると魔獣の鳴き声が聞こえるって話だぞ」

「鳴き声だけ?」

「ああ。領主さまが調査に動いてくださってるんだが、難航してるみたいだな」


 魔獣の鳴き声が聞こえるのであれば測定器を使えば範囲や方角は絞られるはずだ。それでも尚、特定に至っていないということは魔術が絡んでいるのだろう。

 パラビン伯爵家の武力や調査力は優秀だと聞くが、唯一、魔術師の層だけが薄い。有用な魔術師のほとんどは皇宮勤めか魔塔の研究者の道を選ぶため、どこかの家門専属の魔術師となる者は高い魔力を有していないことが多いのだ。


「教えてくれてありがとう。はい、これ」


 リーシェンが情報料としてチップを渡してやると、男は目をきらきらと輝かせて、そそくさとコインを懐にしまった。

 魔獣が大声で鳴くのは威嚇しているか、仲間を招集するときだけだ。恐らく魔の森で何者かに無理やり捕獲されたのだろう。待っている家族がいるかもしれない。

 リーシェンは腕を組んで、うーんと逡巡し、とりあえず当初の予定どおり魔の森に行ってみることにした。

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