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小さなおじき

作者: 青葉めぶき

 三年生になる前の春休み、近所の公園ではちょうど桜の花がきれいに咲いている頃でした。同じクラスのミキちゃんと、まだ地面に落ちたばかりの柔らかい花びらを集めていると、緑色の小さなボールがこちらに転がってきました。顔を上げると、私と同じくらいの歳の男の子がこちらに駆けてきます。

 これまで見たことのない子でしたが、ボールを拾って渡してあげると、その男の子は大きく腰を折るようにおじぎをして戻って行きました。少し離れたところでは、その子のお父さんらしい人が立っていて、男の子が戻ると二人でキャッチボールを始めていました。

 さっきの大きなおじぎのことが少し気になり様子を眺めていると、その子とお父さんは時々手と腕を動かして、何かの合図を送っていました。

 しばらく眺めてから、「手話だ!」と気づきました。それから、男の子の耳に小さな機械がついているのも見えました。さっき大きなおじぎをした理由が分かった気がしました。


 家に帰ってから、お母さんに公園で出会った男の子のことを話したあとに、聞いてみました。

「ねえ、手話って難しいの?」

「うーん、お母さんもよく知らないなあ…。ちょっと調べてみようか」

 そう言って、お母さんはスマートフォンで、『手話であいさつ』という動画を見つけてくれました。そこでは、ゆっくりとした動きで「おはよう」や「こんにちは」の手話のやり方が紹介されていました。両手を向かい合わせて人差し指を「ちょこん」と曲げるしぐさは、まるで二人の人がおじぎをしている姿のようです。

 「これなら覚えられそう」と思って、私はしばらくあいさつの練習をしてみました。

 

 そのうちに、公園での男の子のことを思い出して、「耳が聞こえないって、どんな感じがするのだろう?」と、気になってきました。

 テレビをつければ音が出ますし、CDをかければ音楽が流れます。外に出れば車や電車の走る音が聞こえるでしょうし、歩きながら話をしている人たちの声や鳥の鳴き声も聞こえるはずです。

 そう思うと、音のない世界はとても不思議なもののように感じました。


 次の日、お母さんと一緒にお買い物に行った時に、ためしに両方の耳を手のひらでふさいでみました。まわりの音は「ボワン」とくぐもって聞こえ、プールで水の中にもぐった時のような気持ちになりました。

 そんなふうに音は少し聞こえにくくなりましたが、代わりにまわりのものがいつもよりはっきり見えてきました。道ばたの赤や黄色の花の色や、晴れた空の青い色がとても鮮やかに目に飛びこんできます。街はいつもと変わらないはずなのに、どこか別の世界に来たような不思議な感じがしました。


 それから三日たった日の午後、公園に行ってみると、またあの男の子を見かけました。その子もこちらに気づいて、今度は小さく、ぺこりと頭を下げてくれました。

 少しドキドキしながら、私は覚えたての手話で「こんにちは」のあいさつをしてみました。すると、男の子の顔がパッと明るくなり、同じように両手の指を折ってあいさつを返してくれました。

 うれしい気持ちになったのですが、ほかの手話が分からないので、最初のあいさつのほかは何も話せませんでした。花の色のこととか、街がいつもと違って見えたこととか、話したいことはたくさんあるのに…。私はもどかしい気持ちになりました。


 春休みが終わり、新学期が始まりました。新しいクラスは、あまり話したことのない子が多くて少し不安になりました。

 「また仲良くなれる子がいたらいいな…」と思いながら席に座っていると、先生に連れられてひとりの男の子が入ってきました。

 「あ!」と、私は思わず声を出してしまいました。公園で出会った、あの男の子だったのです。男の子も私の声に気づき、こちらを見て嬉しそうな顔になりました。

 先生は、春休みの間にその子が引っ越してきて、この小学校に転校することになったと説明してくれました。

 これから少しずつでも手話を覚えて、たくさんおしゃべりができたらいいなと思いながら、私は机の下で「こんにちは」と小さく指を動かしました。

とある童話賞に初めて応募した作品です。

選考からは漏れてしまいましたが、お話を書く試みになり、とても良い経験になりました。

お読みいただき、ありがとうございました。

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