君となら地獄でも。
君となら地獄に堕とされても構わない。
僕はそのくらいに妻を慕っている。
僕には勿体ないほど良くできた妻で、僕は何故、彼女が僕を選んでくれたのだろう、と時折不思議にも思うし、恐縮もするのだ。
ある、質の悪い風邪に見舞われ寝込んでいたときのこと。
熱に浮かされ、眠るとも醒めるともつかない、夢と現の狭間に、ふっと、このまま死んだらどうしよう、などと考えた。
僕は、あまり怖くなかった。ただ漠然と、死後の世界とやらを想像する。
僕は、きっと、地獄に堕ちる。そんな予感があった。
自分で自分を悪人とは思っていない。けれども、善人と云うほど良い人間でもない。
だから、悪人の更生の為に地獄があるのではなく、善人を報いる為に、極楽浄土やら天国やらがあるのだと考える。
そこに昇れなければ、逝くのは地獄しかないのだろう。
次に、妻のことを考えた。妻は、僕がいなくても生きていけるだろうと思った。淋しがるとは想像できなかった。淋しがってくれるほど、妻も僕を好いていてくれていればいい、とは思うが。
女は強いとよく云う。けれども、彼女は人間として強かであった。のみならず根の善良な人間であった。
だからたいそう人に好かれる。信頼を、厚情を、敬意を、どこからでも集められる人だ。
僕の、どこから湧いたのか不思議なほどの愛情は、妻には惜しみなく捧げられた。そうするのが自然と思われるほどに。
そしてそれらは願ってもない形で報いるのが、妻の善いところでもあり、恐ろしいところでもある。
信頼には誠意を、厚情には礼を、敬意には真心を、愛情には愛情を⋯⋯そうやって返すことを当然のこととして、遺憾無く行う。
お釈迦様が、蜘蛛の命を奪わずにいた盗人を、慈悲の為に導こうとした先が極楽浄土で、他でいうところの天国ならば、妻が逝くべきはやはりそれなのである。
無論、決めるのは僕ではないから、最期の審判を行う者の酌量においては、地獄逝きとなるのやもしれない。
妻となら地獄でもいい。いつか生まれ変わるそのときまで、共に苦しみ抜いたっていい。
けれどもやはり、妻は地獄に置くのは僕の良心が許せない。
だったら僕は、極楽浄土なり天国なりの、地獄を見下ろす場所にて、妻の頭上に糸を垂らそう。蜘蛛の糸でもなんでも、妻が手に取り次第、誰かがよじ登る前に引き揚げてみせる。
僕の行いの為に、君まで地獄を這うようなことがあってはならない。だから僕はなんとしてでも、神の御心に適い、天に昇らなければならない。
今の、熱に朦朧とする頭でさえ、そう思うのだ。
この決心を、誰が覆せようか。
まるで今から死に至るがごとく強固な意志だが、実際は、医師の処方した風邪薬の為に、数日あれば快癒する見込みの風邪である。
ひとまず、治ったら妻に恩返しをしよう。ひとりで満足に歩けもしなかった僕を病院へ担ぎこみ、世話を焼いてくれた妻に。
2021/01/20
生まれ変わるならポケモンの世界がいいです。