90.海の家で小休止
時間は午前を過ぎ、さんざん海で遊んだ俺達は海の家で昼食をとることになったのだが、その際の紫条院さんの高揚ぶりは予想以上のものだった。
「海の家! 本物の海の家ですか! 生まれて初めて見ました……!」
店の前に立った段階から、紫条院さんはまるで憧れの文化遺産と邂逅したかのように目をキラキラさせ、ちゃぶ台のようなテーブルを囲んで畳に腰を下ろすというスタイルを目の当たりにすると、その興奮はさらに高まった。
「わー! わー! 本当に漫画と同じで畳に座るんですね! それにこの味のある扇風機がぶーんって回っていてザワザワと賑やかなこの雰囲気……ああもう、最高ですっ!」
子どものようにはしゃぐ天使な少女の微笑ましさに、俺達は揃って顔を和ませた。 こんなにも喜びを見せてくれる紫条院さんの純粋さを見ていると、誰しも小さな妹か娘を遊びに連れてきたみたいな保護者の気分になってしまうのだ。
「春華ってあの美人さであの無邪気っぷりが反則なんだよね……。私が親だったら絶対溺愛しちゃってるだろうなぁ」
筆橋が紫条院さんの天真爛漫さを見てしみじみと言った。
それを聞いて俺が思い出すのは、やはり娘を超溺愛している時宗さんの事だった。
(考えてみりゃ、あの可愛さで小さい頃から『やきそば、とってもおいしいです!』とか『おとうさま、だいすき!』とか言ってたんだろうな。そりゃあの人があんなにも親バカになるのも無理はないかもなぁ)
そんな事をぼんやりと考えていると、注文した料理は早々に運ばれてきた。
テーブルに並ぶのは、焼きトウモロコシ、タコ焼き、イカ焼き、焼きそばという定番ながら永遠に最高のラインナップであり、焦げた醤油やソースの香りが腹ぺこになった俺達の胃袋をこの上なく刺激する。
「わぁ……! 私の好きなモノばかりです! お腹ペコペコの時にこれはちょっとたまりません!」
「はは、そういや紫条院さんはこういうお祭りメニューが好物だったよな。文化祭の時も美味しそうに食べたし」
「ふぅーん……友達の私でもそれは知らなかったなぁ。流石に新浜君は春華の事をよく知ってるよね」
「う……」
筆橋がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言い、俺は熱を帯びた自分の顔を皆から隠すようにそっぽを向いた。
どうやら男をからかう時に小悪魔的な顔になるのはウチの妹だけではなく、女の子共通の事らしい。
「それにしても春華……そんなに食べて体重的に大丈夫なんですか? あとでダイエットが大変では?」
ハイテンションのままに海の家フードをどんどん制覇していく紫条院さんの健啖ぶりに、風見原が軽く尋ねる。
「あ、はい。私って沢山食べてもあんまり太らないんです。だからダイエットとかはあんまりやったことがなくて……」
「は……はぁぁぁ!? どれだけチートな身体しているんです!? 栄養が全部胸に行くとかそういうシステムなんですか!?」
「ちょ、えええええ!? 何もしなくてそのボディ!? 私なんて部活で走りまくってようやく燃焼させてるのに!? ず、ずるいー!」
「え、ええと……その、ご、ごめんなさい……?」
思わず羨望の叫びを上げてしまう風見原と筆橋に、紫条院さんは困り顔で謎の謝罪をした。
まあ、この二人に限らず世の女性からすれば、何もせずにあの完全なるプロポーションを保てているのはズルいと言いたくなるのもわかる。
(…………っていかん。つい紫条院さんの水着姿を思い出していた)
お昼ご飯中である今は流石に水着姿のままではなく、この場の全員がパーカーを羽織っている。しかし先ほどまで目の当たりにしていた天使の艶やかな水着姿は、何度となく俺の瞼へとフラッシュバックしてくるのだ。
(あーもう、静まれ俺の煩悩! 社畜だった頃はいつも忙しさでフラフラしてたから年齢の割に異性への興味が薄まっていたけど……逆に思春期真っ盛りのこの身体だと男の子成分が強すぎなんだよ!)
勝手に熱くなる頭の熱を誤魔化すように、俺は焼きトウモロコシをかじって冷たいコーラを喉に流し込んだ。カラカラに渇いていた喉に炭酸がパチパチと弾けて、色ボケ気味の頭が幾分かしゃっきりする。
「……って、うお!? ど、どうした銀次!? なに泣いてんだ!?」
ふと隣を見ると、俺の最も親しい友人はワイワイと騒ぐ女子三人を眺めたまま尊い何かを見たかのように静かに涙を流していたのだ。
「ああ、悪い……なんか、こんなふうに海で遊んで女子たちと昼飯食べて……アニメみたいなリア充空間に自分がいる事が、信じられなくて嬉しくて……なんか目元が潤んできちまった。胸がいっぱいすぎて、このソース濃いめの焼きソバの味すらわからねえ……」
「そ、そこまでか……」
卒業式の日にはらはらと泣いている女子のようなテンションになっている銀次は、まさに感無量と言った様子だった。
さっきは女子にイジられて頭のネジが吹っ飛んでいたのに、もはや今にも『我が一生に一片の悔いなし』とでも言って往生しそうな雰囲気である。
「だからってさめざめと泣くなよ……まあ、気持ちはめっちゃわかるけど」
実際、この海水浴を企画した俺ですら、この青春アニメみたいな状況に至った自分が信じられない。
俺は大人だった前世の経験を持ち越している。だからこそ、勉強みたいに努力がモノを言うことや人を動かす事には多少のアドバンテージがあったが、交友関係はそうはいかない。
生涯童貞で終わった俺には友達を作るスキルも、女の子にモテるスキルも持ち合わせいなかったのだ。
(だから紫条院さんにはガムシャラにお近づき作戦を実行し続けていたけど……それが交友関係を広げる事にもなるなんてな)
それについては俺の行動の結果ではあるが、紫条院さんを含めたこの場にいる四人が俺を受け入れる器を持っていてくれたのが大きい。
何せ、周囲から見れば俺はある日突然別人のように性格が変わり、気色悪いと言われても仕方がないほどに行動的になったのだ。
そんな俺の訳のわからない変化と猪突猛進とも言える青春リベンジ活動を、この場の皆は肯定的に受け止めてくれた。俺という人間の三十年で培ったモノを認めてくれたのだ。
前世の勤務先がクソ人間の坩堝だった分、今の自分がどれだけ周囲の人間に恵まれているかを本当に痛感する。
「お前とか、一番気味悪く思っただろうに俺の変化を最初っから笑い飛ばしてくれたしなあ……マジ感謝だわ」
「はぁ? なんかえらく唐突だけど、友達が明るくなって何が困るんだよ? まあ、そんなことより……お前、あんまりドカ食いして昼寝とかするなよ? お前にゃ午後もしっかりと起きていてもらわないといけないんだからな」
「へ? 何だそれ?」
なおもジャレ合っている女子たちの声が木霊する中で、銀次はよくわからない事を言い出した。
起きてなきゃいけないって……どういうことだ?
「いやまあ、俺も風見原さんも筆橋さんも、お前の事を応援してるってことだよ」
「???」
何かよくわからない含みを持たせて、銀次は意味深な事を言う
その言葉の意味を計りかねて、俺は思わず首をかしげた。
【作者より】
更新がかなり久しぶりになってしまい、大変申し訳ありません。
正直書籍化作業というものを舐めていました……。
お詫びや今後の予定については活動報告に記事を掲載しましたのでご覧ください。
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