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87.海辺の天使


 人混みの中を朝の出勤ラッシュで培ったすり抜け術で駆け抜けた先に、紫条院さんはいた。


 すでに水着に着替えたようだが、大きな麦わら帽子を被って白いパーカーの前を閉じており、その下がどうなっているのかは全く見えない。


 しかし上半身こそガードが固いが、露わになっている白い足や彼女自身の美貌によって周囲の男性の視線を奪ってしまっているのは一目瞭然であり……その魅力に近づく悪い虫もまた出現していた。


「あの、本当に結構ですから……いきなり知らない人から物を貰うなんてできません!」


「まあまあ、そう言わずにさ」


 紫条院さんはタオルや日焼け止めが入ったスポーツバックを肩から提げており、俺達に合流しようと更衣室から出てきたばかりのようだったが、その表情は明らかに困っていた。


 そしてその原因が、彼女の目の前にいる見知らぬ大学生らしき3人の海パン男たちにあるのは明らかだった。

 

「あ……っ! 新浜君! 迎えに来てくれたんですか!?」


「あれ、お友達かな?」


 砂の上を猛進していた俺が急ブレーキをかけて文字通りその場に滑りこむと、弱り顔だった紫条院さんは顔をぱぁっと輝かせた。


「ああ、遅いから迎えに来たんだ。何かあったのか?」


「ええと、それが……」


「ああ、いや、大したことじゃないんだよ」


 俺が割って入ると、その大学生っぽい男Aは勝手に口を開いた。

 

 そいつも他の二人も見た目は髪も染めていないし、爽やかなスポーツマンみたいな容姿で態度も決して威圧的ではない。


 だが、おそらくその全てが相手の警戒心を緩めるための擬態だ。俺が現れた時に一瞬忌々しそうな顔になったのは見逃してないぞナンパ男ども。


「ちょっとこの子にぶつかって転ばせかけちゃったんだよね。お詫びに買いすぎて余ってたジュースを渡そうとしたんだけど、どうも遠慮して受け取ってくれなくてさぁ」


(は? ぶつかった程度でお詫びにジュース……? ああ、いや、そうか)


 なるほど、これは『見返り』の手口か。

 確かにアレはナンパにも応用できるテクニックだな。


「いえ、結構です。それじゃ俺たち友達を待たせてるんで」


 拒絶を突きつけて、その場から物理的に退却する。

 最もシンプルかつ最善の手法を採って紫条院さんの手を引き踵を返すが――


「いやいや、ちょっと待ってくれないか? それじゃ俺たちの気が済まないからさ!」

 

 俺たち進路を塞ぐようにナンパ男Cが立ちはだかる。

 よく見ればナンパ男たちが紫条院さんに向ける視線はかなり熱を帯びている。

 非現実なレベルの美少女を見つけて相当舞い上がってるようだった。


 チッ、なら――


「いやー、そうですか! そこまで言うなら受け取らないわけにはいきませんね! 友達がいっぱい待ってるんでみんなで飲ませてもらいますよ!」


 俺はニコニコと営業スマイルを浮かべながら、ナンパ男Bの手からビニール袋をさっと奪うようにして受け取る。


 さっきまで険しい顔をしていた俺の豹変ぶりにナンパ男たちは虚を突かれた様子で固まったので、そこでさらにまくし立てる。


「あはは、彼女ちょっと怖がっているんですよ! 実はさっきナンパしている人を見ちゃってですね! 男の人が女の子にちょっとしたプレゼントを渡して、相手が『悪いなぁ』と思う心につけこんで『どこから来たの?』とか『昼メシ一緒に食おうよ』とかズケズケ言い出す奴らだったんです!」


「…………っ」


 自分達の手口を赤裸々にバラされてナンパ男たちの顔が引きつる。


 これは営業でも割と使われる手法であり、俺は勝手に『見返り』と呼んでいる。

 ちょっと高めの試供品やお菓子などを渡すと、相手は少なからず『借り』を感じてその後のアンケートや商品紹介などの話を拒みにくくなるという心理を突いた初歩的なテクだ。


 こいつらはチャラ男スタイルで『ヘイ彼女ぉ! 俺たちと遊ばなーい?』と古式ゆかしいナンパ戦術で挑んでも成功率が低いと踏んで、下心が薄そうな外面と搦め手を使っているのだろう。


(そもそもちょっとぶつかったくらいでお詫びとか言い出すのが強引すぎるっての。無理矢理にでも接点を持ちたいのが見え見えだ)


 なるほど、俺が今受け取ったビニール袋には500mlサイズのペットボトルジュースが3本入っている。ギリギリ受け取れるけど、『ちょっと悪いな』と思ってしまう量だ。


「そういうことがあったんで、ついついお兄さんたちを警戒しちゃったんですよ! 皆さんは純粋にお詫びとしてジュースをくれようとしたのにすみませんね! 俺も友達のみんなも喉が渇いていたのでめっちゃ嬉しいです!」


「あ、ああ……」


 俺の大げさなくらいの笑顔と大声にナンパ男どもは呻くことしかできない。

 ま、どのみちこの衆人環視の中じゃ下手な真似はできないだろうが。


「それじゃ俺らはこれで! さあ行こうぜ紫条院さん!」


「あ、は、はい!」


 そう一方的に告げて、俺は紫条院さんを伴ってその場を離れる。

 手の内を看破されて勢いを削がれたナンパ男たちも、今度は邪魔してこなかった。




 砂浜を早足で少し歩くと、人混みに紛れてすぐにナンパ男たちは見えなくなった。

 ここまで距離を取ればもう大丈夫だろう。


「ふう、大丈夫か紫条院さ――」


 言いかけて気付く。

 俺の指が紫条院さんのしなやかな指にガッチリと絡んでおり、あの場から立ち去る時から今まで、ずっとこの白魚みたいな手を引いていたことを。


「わわっ……! ご、ごめん!」


「あ……」


 俺が慌てて手を放すと、紫条院さんは親の手が離れた時の子どもような、なんとも名残惜しそうな声を出した。


 これは……ナンパされかかった直後なので、俺の手なんかでも多少は心の安定剤になっていたのか?


「あの、その……ありがとうございました新浜君」


 パーカー姿の紫条院さんがおずおずと言った。


「いきなりジュースをあげるなんて言われて意味がわからずに困っていたんですけど……あれってその、ナ、ナンパだったんですね……生まれて初めて体験しました……」


 さしもの天然少女もあの行為の意味はわかっているようで、その顔には微かな怯えと動揺が見て取れた。


 一般的にナンパという言葉にそこまで剣呑な響きはないが、実際に十代の女の子が見知らぬ男たちから話しかけられたら恐怖を覚えるのは当たり前だ。


「その……ごめん! 海に連れてきた張本人としてああいう浮かれた馬鹿をもっと警戒しておくべきだった!」


 俺は深く頭を下げて謝った。

 あいつらはなんとか撃退できたが、そもそも紫条院さんにああいう輩を接触させないように気を配るべきだったのだ。


「え、え!? な、何も謝ることなんてないですよ! 新浜君は助けてくれたじゃないですか!」


「いや、夏の海なんてナンパの坩堝なのに、そこに紫条院さんみたいなとてつもなく可愛い女の子が足を踏み入れたらああなるのは当然だ。短い時間でも一人にすべきじゃなかった」


「~~~~っ!? も、もう、新浜君! そ、そんなふうにさらりと可愛いとか言わないでください! お世辞でも恥ずかしいです!」


 いやお世辞じゃなくて100%本気なんだが……。

 実際、さっきのナンパ騒ぎの最中も周囲の男性たちは紫条院さんに視線を奪われていたしな。


「その、でも……本当にありがとうございます」


 紫条院さんが俺に一歩身を近づけて言う。


「男の人が三人もいて、どういうつもりかもわからなくてすごく怖くて……そこに新浜君が駆けつけてくれて、本当に嬉しかったです。ふふ、まるで家族が駆けつけてくれたみたいにほっとしました」


「ぶっ……!?」


 心から安堵した様子で紫条院さんが笑顔を浮かべ、その瞳に溢れる信頼が俺の胸に深く染みる。


 だがそれはそれとして、家族という最高クラスの親密度を示す単語に俺はむせた。

 俺は何度この少女の天然台詞に心をかき乱されてしまうんだろう?


「でも流石新浜君ですね……。年上の男の人が3人もいたのに、言葉だけであんなに大人しくさせてしまうなんて凄いです」


「いや、大したことないって。漫画やラノベの主人公みたいに格好良くない地味極まるやり方だったしな」


 少年漫画の熱血主人公ならナンパ男どもを一喝して撃退するのだろうが、社会人経験のある俺は『馬鹿が逆ギレすると何をするかわからない』という意識が染みついているので、ああいう穏便に済ませる方向に頭が働いてしまう。


 俺一人ならともかく、ナンパ男どもがキレて紫条院さんにあれ以上の恐怖を与えてしまうのは絶対に避けたかったしな。


「あはは、そう言えば、ライトノベルだとヒロインが海でよく男性に声をかけられてますね!」


「そうそう、鉄板だよな! それで大抵主人公がやってきて、こう言うんだよな」


 実際、今日の紫条院さんのようにヒロインクラスの可愛い女の子がビーチにいたら、高確率でナンパに遭うのは必然だ。そして、それを解決する主人公ワードはもはや定番である。


「『そいつは俺の彼女だ! 手を出すな!』ってな! あはは……は?」


 キメ顔でその台詞を口にしたのは、話の流れを汲んだ冗談だった。

 単にラノベあるあるで紫条院さんに笑ってもらいたかっただけだ。


 だが――俺のその台詞を聞いた紫条院さんは、予想外にもみるみる顔を紅潮させていく。笑うどころか言葉を失った様子で、大きく見開いた目で俺を見ていた。


 そして……そんな少女の様子を見ていると、俺も顔全体が熱くなっていくのがわかった。おそらく今、俺達は揃って顔を赤くしているのだろう。


「………………」


「………………」


 形成された独特の雰囲気に、気まずいような、気恥ずかしいような妙な沈黙が降りる。い、いかん……とにかくこの空気を破らないと……。


「ええと、その……それにしても紫条院さんがパーカー姿で良かったよ! これで水着姿が露わになっていたら、魅力が倍増してナンパ男がもっと大勢押しかけてきただろうし!」


「……そう、ですか?」


 わざと陽気な口調で言う俺に、紫条院さんがポツリと応えてくれる。

 よし、このまま空気を元に戻そう……!


「ああ、そりゃそうだろ! 俺だって紫条院さんが水着になったらどれだけ可愛いか想像つかないしな!」


「……その、でしたら……」


 俺が偽りない本音を言うと、何故か紫条院さんは肩に提げていたスポーツバッグを砂の上へと下ろした。


「私の水着姿を……一番初めに見てくれますか……?」


 被っていた麦わら帽子を脱ぐと、紫条院さんの豊かな黒髪が翻って陽光の下で露わになる。まだ彼女の頬は紅潮したままで、その声は切なげだった。


 紫条院さんの手がパーカーのファスナーに伸びる。

 そしてそれを、恥ずかしさに耐えるようにしてゆっくりと下ろしていく。


 その行為に本来何らやましい要素は含まれていない。

 水着の上にパーカーを着るのも、それを海を目前にして脱ぐのも自然な行為だ。


 けれど、秘されたものが恥じらいと共に少しずつ露わになっていくのは、紫条院さんの意思で俺だけに開示されていく様は……あまりにも扇情的に感じてしまう。


 そして――とうとう身体から離れたパーカーが砂上のスポーツバッグの上にそっと置かれる。視線を遮るものは、もう何もなかった。


「その……どうでしょうか……?」


 俺の目の前には、海辺の天使が降臨していた。


 紫条院さんの水着は上下が分かれたビキニタイプで、本人の清楚さと夏の清々しさを感じさせるホワイトとブルーのチェック柄だった。


 白いフリルが付いたトップスは、そのとても豊満な胸の全部を覆っているとはいえず谷間が見えており、いつもは服の下で封じられている絶大な戦闘力が解放されている。


 ボトムスにも腰の両サイドに可愛いフリルがあしらわれており、露わになっている白くてしなやかな足や、無防備なおへそがとてつもなく眩しい。


「――――――――」


 思考が停止する。

 男としての許容量が飽和して、心の震えに瞳に涙すら滲む。


 目を奪われるとか釘付けとか、そんなレベルではない。

 あまりにも美しすぎて、心が捕らえられている。

 これで彼女の背に白い翼があれば、ああ、やっぱり本物の天使だったのだと俺はすんなりと信じただろう。


「その……新浜君……?」


 そして、言葉を失った俺を紫条院さんが不安そうに見ていた。

 こんなにも可憐で誰もが見惚れる美貌を持っているのに、少女はまるで小動物のように身を縮めて、上目遣いでこちらに目を向けている。


 そんな様が、そういう純真な心が――その容姿以上にとても愛しい。


「あ、う、んんっ……ええと……」


 本当はこのままずっと紫条院さんに見惚れていたかったが、奪われた視線と心を超人的な意思力で自分の身体に戻す。彼女を、これ以上待たせてはならない。


「その……女の子が綺麗すぎて涙が出るなんて、生まれて初めて知ったよ」


「えっ……」


「可愛すぎて何て言ったらいいかわからないけど……その水着、すごく似合っていて、本当に魅力的だと思う」


「――――っ!」


 心を占める感動が激情のままにエンジンとして稼働し、恥も照れも超越した言葉が俺の口から突いて出る。

 

 貧弱な語彙力から出た言葉だったが、紫条院さんは嬉しくてたまらないと言うような弾けんばかりの笑顔を見せてくれた。


「ありがとうございます……! 新浜君にそう言って貰えて、本当に……本当に嬉しいです!」


 綺麗すぎる水着姿と綺麗すぎる笑顔が一体となり、海辺に華となって咲く。


 ああ、やっぱり――俺が好きになった子は世界で一番可愛い。

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― 新着の感想 ―
[一言] 甘々すぎて糖尿病になるわ
[一言] ばくはつしろ!
[一言] 来週健康診断なのにこれぜったい糖が出るで(´・ω・)
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