86.模範的な童貞反応
太陽がさんさんと輝く下で、海水浴場はとても盛況だった。
熱された砂浜の上には所狭しとビーチパラソルやデッキチェアが広がっており、元気よく駆け回る子どもやノリが軽くなった大学生などで溢れている。
青い海は見渡す限りどこまでも広がっており、打ち寄せる波となって浜辺に白い飛沫と泡を作っては消えていく。
「おお……海だ……パソコンの壁紙でも癒やし系動画でもないリアルの海だ……」
この海水浴場へ至る道中はあっという間だった。
夏季崎さんの運転する8人乗りのワゴン車は非常に広々として快適であり、道中は皆で色んな話をした。
筆橋が『え!? みんな夏休みの宿題はほぼ終わってるの!?』と裏切られたみたいな顔になったり、紫条院さんが『すぐ胸がキツくなるので学校の水着も毎年のように買い直しなんですよー』とポロリと言ってその場の全員の顔が赤くなったりと常に話しっぱなしであり、途中での買い物も含めてとても和やかな雰囲気のまま現地入りを果たしたのだ。
「なあ……新浜」
「ん? なんだよ銀次」
トランクス型の海パンに着替えた俺たちは今、確保した地点にパラソルとレジャーシートを設置するという任務を終え、揃って仁王立ちしていた。
ちなみに夏季崎さんは『私は皆様の邪魔にならないように浜辺の隅でゆっくりしていますので、助けがいる時は携帯に連絡してください』とのことだ。
女子達は更衣室でお着替え中であり、俺たちはそれを待つという人生でも極めてレアな至福の時間を味わっている最中だ。
「今更ながら本当に俺が来ても良かったのか……? そりゃあお前繋がりであの女子三人とも多少は喋るようになったけど、なんかこう、邪魔だったりしないか?」
「は? なんだよお前、呼ばれたくなかったのか?」
「んなわけないだろ!? 女の子と海に行くなんて激レアイベントに誘って貰えるなんて、嬉しいを通り越して感動でガチ泣きしたっての!」
文字通り涙を流して喜んだらしいがその気持ちは痛切にわかる。
今俺たちが立っている場所は、全国の十代男子が焦がれ、しかしその99.99%が到達できなかった黄金の地平なのだ。
「ならいいだろ。なんか自分が場違いみたいに言ってるけど、女子達はお前が来ることを快諾してくれたし、お前って“アレ”のおかげで教室での存在感が上がってクラスの皆からも結構愛されているんだぞ? まあ……ちょっと歪んだ方向でだけど」
「は? アレ? 愛され? なんだそれ、わけがわから――」
「二人ともお待たせー! 陣地を確保してくれてありがとねー!」
「お待たせしました。ふう、予想どおり女性更衣室は激混みでしたね」
背後から聞こえた女子の声に振り返ると、そこには普段とは全く違う筆橋と風見原がいた。
(おお……やっぱりこの二人って相当レベル高いな……)
筆橋はセパレートタイプで肩紐が首の前でクロスした水着であり、ネイビーとイエローのスポーティなデザインだった。やはり普段から陸上に打ち込んでいるだけあり、そのスレンダーな身体はとても美しい曲線を描いてる。
普段より大きく晒した肌と、いつも通りの快活な笑顔のギャップがとても魅力的だ。
メガネを外している風見原はビキニタイプの水着で、やや大人っぽいグリーンの水着が普段は着痩せしているとおぼしき胸部を彩っている。いつも言動がフリーダムな割に男子の前で肌を晒すのは若干恥ずかしいのか、顔にはやや照れがある。
「二人とも似合ってるな。うん、凄くいい」
同級生の水着姿にごく素直な感想を告げるが、どうやらそれは二人にとって満足いくリアクションではなかったらしい。
「む……褒めてくれるのは嬉しいんだけど、新浜君ちょーっと反応が淡泊すぎない? 花の女子高生が水着姿を見せてるんだよ?」
いや、心から綺麗だと思うし男子高校生らしく女の子の素肌を眩しく思っているのだが……つい最近に紫条院さんと一緒のソファで一夜を明かすというとてつもないドキドキを経験をしてしまったせいで、二人が望んでいるような激烈な反応が返せないのだ。
「ええ、もっと初々しい反応を見せてくれないとちょっと凹みますよ。山平君を見習ってください」
「ん? 銀次がどう……おわっ!?」
ふと隣に目を向けると、銀次の奴は大変なことになっていた。
水着姿の女子二人に目を奪われており、顔が気の毒なほどに真っ赤である。
どうやら水着の可愛い女子に『おまたせー♪』されるこの妄想的シチュエーションの破壊力に耐えられなかったようで、完全に脳みそが沸騰している。
「これが正しいピュアボーイの反応というものですよ。こっちも見せるつもりで水着を選んでいるんですから、ちょっとは照れてみせるのが男子の作法では?」
「そうそう、これくらい真っ赤になってくれたら女の子としての面目も保たれるってものだし! ふふ、それにしても山平君ってばピュアすぎ!」
言って、筆橋は赤面して固まっている銀次の肩を無造作にバンバンと叩く。
「ひょわあああああああああああ!?」
水着の女子に接触したことで、銀次は弾けるように吹っ飛んで砂浜をゴロゴロと転がった。もはや完全に童貞の限界を超えており、ちょっと触れただけで羞恥で心と身体が弾け飛んでしまう状態だ。
「おお……実に良い反応ですね。では私も……えいっと」
ぶっ倒れた銀次の側に屈みこんだ風見原は、ただでさえいっぱいいっぱいな童貞少年のうなじにツーっと指を這わせた。
「ほぎょおおおおおおおお!?」
すると銀次はトノサマバッタみたいに飛び跳ねて、またも砂浜に転がった。
あまりにも刺激が強すぎたようで、手足が若干痙攣している。
「あはははは! いやー、最初見た時は驚いたけど相変わらず山平君のリアクション面白すぎ! なんかもう吹っ飛び方が驚いた猫みたい!」
「なんかこう……イケないことだとわかってはいるんですが、ここまで慌ててくれると女子としての自尊心が満たされると同時に嗜虐心が加速しますね……」
「おいこら! 二人して銀次をイジメんな!」
童貞男子で遊ぶ女子二人から銀次をかばうようにして助け起こすが、奴の顔は依然として茹でダコのように真っ赤だった。
これこそが、俺がさっき口にしていた“アレ”だ。
(まあ、俺もこいつがここまでとは今世まで知らなかったけど……)
前世では俺たちの周囲に女っ気なんてなかったが、今世では俺が女子ともそこそこ話すようになり、その繋がりで銀次も女子と接する機会が増えた。
それで明らかになったのだが……銀次の異性への免疫のなさは相当なものだったのだ。
女子に話しかけられるだけなら顔を赤らめつつもなんとかなるのだが、ちょっと肩や手が触れるだけで童貞力が爆発し、羞恥のあまり吹っ飛んだりその場でぶっ倒れたりするのだ。
その様が演技抜きで本当に童貞マインドがオーバーフローしているのだと悟ったクラスの面々は、大っぴらに笑ったら悪いと爆笑を噛み殺しつつも密かに大ウケしており、今ではたまの“接触事故”によって七転八倒する銀次をピュアすぎる天然記念物として面白がりつつも微笑ましく見守っている状態だ。
「おい、大丈夫か銀次! 生きてるか!?」
「あ、あぁぁぁ……に、新浜……俺、もう死んでもいい……」
「アホ! ちょっと女子にイジられたくらいで満足して逝こうとするな!」
前世の俺もちょっと女子の手が触れただけで幸せな気分になっていたから偉そうなことは言えないが、いくらなんでも満足度の上限が低すぎだろ!?
「なんかこう……わかるんだ……俺は高校卒業後も全然モテないで……女の子と海に行けたこの日を人生の絶頂として何度も思い出すんだろうなって……」
「クソ生々しくて悲しすぎることを言うな馬鹿野郎!」
30歳で死ぬまでに何度も『高校時代に紫条院さんとちょっと話したことが人生の最盛期だったな』とか考えていた俺にその台詞は刺さりすぎなんだよぉ!
そして、そんな俺たちが馬鹿な寸劇を繰り広げていると――
女子達がぽつりと呟いた。
「それにしても春華遅いねー? 先にトイレを済ませて着替え始めが遅くなったから先に行っててくださいって言ってたけど」
「確かにちょっと遅いですね。更衣室はここからすぐそこですし、迷子になってるとも思えないですけど」
その話を聞き、俺は反射的に更衣室の方向に目を向けた。
まだ午前中ということもあり、大勢の海水浴客でごった返しておりかなり混沌としている。
だが俺の無意識が紫条院さんの姿を求めていたのか、自分でも驚くほど自然と彼女の小さな影を捉え――
「……っ!! すまん、ちょっと迎えに行ってくる!」
「え? ちょ、ちょっと新浜君!?」
突然血相を変えた俺に筆橋が驚いた声を出したが、それに構わず俺は浜辺を全力でダッシュした。




