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83.あの頃に夢想した理想の夏を②

 紫条院さんと電話するのは初めてじゃない。

 けれど、コール音がプルルル……と鳴り、好きな子が電話に出るまでの短い時間は、いつも意識が強ばるような緊張とほんのりとした甘い期待がある。


 そして――


『はい、もしもし! 新浜君ですか!?』


「あ、ああ、俺だよ。いきなり電話してごめんな」


 思ったより全然早く紫条院さんは電話に出た。

 しばしば銀次に恋愛脳と揶揄される俺だが、そう言われるのも仕方ない。

 この涼やかな声が耳朶に触れるだけで、こんなにも幸せな気持ちになれるのだから。


『いえ、私は全然大丈夫ですけど……今日はどうしたんです? あ、もしかしてこの間私がお詫びとして提案した“私に何でも命令できる権利”の使い道を考えてくれたとかですか?』


「違うよっ!? というかそんな恐ろしいものを受け取った覚えはないって!」


 すごく朗らかな声でそんな戦争が起こるワードを口にしないでくれ……!

 なんか肩叩き券みたいなノリで言ってるけど完全に核爆弾だからなそれ!?


「ええと、なんで電話してきたかって言うとだな……その、実はちょっと俺から誘いたいことがあって……」


『?』


 エアコンは効いているのに、俺は緊張で汗をダラダラ流していた。

 なにせ、本来女の子を海に誘うなんて行為はリア充の中のリア充にしか許されない禁忌である。陰キャ人生を歩んできた俺にはあまりにも似合わない。


 けれど――どんなにキャラに合っていなくても、どれだけ心臓が口から飛び出そうでも、自分の願いはまず口にしないと何も始まらない。


「その……実は今、みんなで海に遊びに行くことを計画してるんだけど、一口乗ってくれないかな?」


『え……』


「筆橋さんや風見原さんも誘ってさ。あ、あと男が俺一人なのもちょっと辛いから銀次も連れてくつもりだけど」


 言葉が詰まらないように事前に作文していた内容を一気に言い切る。

 こんな心臓バクバクな台詞を呼吸するように言えるチャラ男たちはどういうメンタル構造しているんだ。ノリが水素より軽いのか?


「ま、まあ、忙しいのなら別に無理しなくても――」


『行きますっ!! いつにします!? どこにします!? ああ、水着なんて学校用のしかないから買ってこないと……!』


「えっ!? そ、その、本当に!?」


『本当にって……まさか嘘だったんですか!?』


「い、いや、100%本気だけど……」


『ああ、良かったです! ぬか喜びだったら泣いてしまうところでした!』


 紫条院さんが好みそうなシチュエーションをチョイスしたつもりではあったが、ここまでの反応は予想外だ。

 メールアドレスを教えて欲しいと言った時も熱烈に喜んでくれたけど、今回はあの時よりもさらにハイテンションである。


「その、そこまで喜んでくれるなんて思ってなくて、今かなりびっくりしてる……」


 俺と紫条院さんは確かに仲良くなった。しかし今回は学校の行事や図書委員会、お礼や緊急避難などの口実が一切ない純然たる友達としての遊びの誘いだ。

 しかも行き先は海となれば、敬遠されることも覚悟していたんだが……。


『喜ぶに決まっているじゃないですか! 海ですよ海! 新浜君やみんなで海に行けるなんて夢のようです!』


 まるで遊園地行きを親に約束してもらった子どものように、紫条院さんの声は

屈託のない喜びに満ちていた。


『だって私……今まで友達と夏らしいことをしてこなかったんです』


 自分に対して苦笑するように、紫条院さんが言った。


『子どものころからずっとそうです。家族や家政婦さんたちと花火したり旅行したりすることはありましたし、それは勿論楽しかったのですけど……何と言うか、身内のしみじみとした夏であって、友達と一緒にやるキラキラした夏じゃないんです』


「ああ、うん、それはよくわかる」


 家族と過ごす時間と、同年代と過ごす時間は別物だ。

 特に後者は格別に輝いて見えるからこそ、賛美を込めて青春と呼ばれる。


『特に夏に友達と一緒にキャンプとか海に行くとか、小さい時からお話の定番なのに現実では全然体験することができなくて……とても憧れていたんです!』


 弾む声を聞いて、電話の向こうの彼女が笑顔を浮かべてくれているのがよくわかった。今がスマホ時代なら、手軽に利用できるテレビ電話でその可愛い顔が見れたのにと少しだけ残念に思う。


『だから……誘ってくれてありがとうございます! 私なんてそういうことに憧れるばかりで自分から周りに提案する勇気がなかったので、声をかけてもらえて凄く嬉しいです!』


「紫条院さん……」


 女の子を遊びに誘ったのは生まれて初めて(前世含む)だが、ここまで素直に喜んでくれると俺も胸がいっぱいになる。まだ海に行ってもいないのに感無量だ。


(前世の俺は紫条院さんを勝手にリア充だと思い込んでいたんだよな……お金持ちですごくモテて友達もいっぱいいて、好きなだけ青春を満喫できているに違いないって……)


 けど、彼女と心の距離が近づくにつれ、それまで知らなかった色んな面が見えてくる。彼女が俺と同じように同年代との夏に憧れ続けていたことも、俺なんかでもやり方次第では一緒に海に行ける未来が存在することも……前世の俺はまるで知らなかった


「本当に……勇気を出して良かったな……」


『え?』


「ああ、いやこっちのことだよ。それじゃ他のみんなへも打診してみるよ。時間や場所についてはまた計画して相談させてくれ」


『はい! 計画にも加わってみたいので、どんどん相談してください! それじゃまた!』


 その言葉を受けて、十数分の通話を終了させる。


 折りたたみ式のガラケーをテーブルに置いてふと居間を眺めるが、当然ながら俺の周囲の光景に変化なんてない。

 窓の外には先ほどと変わらない夏の情景が広がっており、エアコンは相変わらず送風口から冷風をせっせと部屋に振りまいている。


 そう、目に見える世界に一切の変化はない。

 だが――俺の内面という小さな宇宙では革命が起きていた。


「いやっったああああああああああああああああああああ! 海だ! 紫条院さんと海だぜいやっほおおおおおおおおおおおお!」


 電話中はかろうじて保っていた冷静さをかなぐり捨てて、俺はガッツポーズとともに叫んだ。というかこれが落ち着いていられるわけがない。好きな人と海とか俺の中では完全にラブコメ漫画限定の事象であり、半ばフィクションに近いものだったのだ。


 だが、それが決心から一本の電話だけで実現した。

 この結果はもちろん今世での積み重ねあってのものだが、前世と同じように拒絶と失敗にビビって『待ち』に徹していたら決して得られなかった攻めの姿勢の戦果でもある。

 

「まあ、みんなで行くんだからそうそう紫条院さんと接近するイベントとかは起きないだろうけど、今回はともかく一緒に海辺で過ごせればそれでいいや! ふうううう! 最高の気分だあああああ!」


 浮かれきった俺は大声で独り言を言いながら、小学生のように喜びの舞を延々と踊り、完全に馬鹿になっていた。


 ……そして、その奇行はいつの間にか居間の入り口に立っていた香奈子が「暑さで脳みそが湯豆腐になったの兄貴……?」と冷ややかな目を向けていることに気付くまで続いたのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 頭のいい新浜くんのIQが一気に20ほど低下しましたねw
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