80.蛇足話:紫条院パパのお迎え①
昨夜の豪雨とはうってかわって晴れ渡った空の下で、アスファルトのあちこちに溜った水たまりが太陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
とても夏らしくて清々しい光景なのだが――今はそんな風流な気分でいられる状況でもなかった。
「久しぶりだな小僧……! お前本当に不埒な真似はしてないだろうなオラアアアアアん!?」
「……お久しぶりです時宗さん。なんかもう予想通り過ぎる台詞ですね……」
俺の家の前の路上で、俺は久しぶりに紫条院時宗社長と相対していた。
紫条院さんと一緒の朝を迎えて幸せな気分を味わった後――俺と紫条院さんと香奈子で簡単な朝食を食べた。ちなみに母さんは仕事があるので朝早くドタバタ出て行ったようだ。
そして紫条院さんの携帯に母親の秋子さんから『今から迎えの車がそっちにいくわ~』と連絡があり、ほどなくして家の前に高級車が駐まったので紫条院さんと見送りの香奈子を伴って家の外に出てみれば――
そこには時宗さんが腕を組んで仁王立ちしており、初っぱなからキレ気味の挨拶をかましてきたという次第である。
「お、お父様!? どうしてここに!?」
「おお、春華ぁ……! 迎えが遅くなってすまん! さぞ大変だっただろう!」
「いえ、全然大変じゃなかったですけど……会社はどうしたんですか?」
まるで数ヶ月ぶりに会うような様子の時宗さんに対し、紫条院さんは目を丸くしていた。どうやら時宗さんが直々に迎えに来るとは聞いていなかったらしい。
「ははは、そんなことを気にする必要はないぞ春華。お前の入学式や運動会やらのイベントを見逃さないために、会社は私がいなくても困らない仕組みをとっくの昔に構築済みだ。そもそも社長やら特定の誰かがちょっと抜けた程度で回らなくなる会社なんて不健全だしな」
今までも特に隠していなかったが、やはり時宗さんの中での重要度は娘>>会社らしい。とはいえ、そのせいで仕事に支障をきたさないようにしているのはさすがと言うべきか。
「どうも新浜様。お久しぶりです」
ふと声が聞こえた方へ目を向けると、車の運転席に座っている40代ほどのスーツ姿の男性がぺこりと頭を下げてくる。
あの人は……確か紫条院さんの家に招かれた時も運転手をしていた……。
「どうも、お久しぶりです夏季崎さん」
「おお、私の名前を覚えてくれていたのですね」
まあ、名前と顔の記憶は社会人の初歩にして最重要事項ですからね。
キレやすい人とか名前を一回呼び間違えただけで一生へそ曲げるし。
「あの時はお世話になりましたしね。それと……俺に『様』なんて要らないですよ。紫条院さんの友達ってだけなんですから」
「いえいえ、春華お嬢様の友達というだけで私にとってはお客様ですよ。それに……とても親密な間柄ならなおのことです」
「親密じゃなああああああああああい!」
ニヤリと口の端を広げて言う夏季崎さんに、時宗さんが声を大にして叫ぶ。
「彼と春華はあくまでギリギリ友達ってくらいの関係だ……! 妙なことを言うんじゃない!」
「え? いいえ、違いますよお父様」
「な、何……?」
「夏季崎さんの言うとおり、新浜君はとっても親しい友達です。今まで生きてきた中で最高に仲が良い間柄なんです!」
「ごはぁっ……!」
にぱーっとした天使全開の笑顔で言ってのける紫条院さんに俺は顔を赤らめ、時宗さんは臓腑を抉られたような苦悶の声を上げた。
……色んな意味で天然って強い……。
「ぐぅ……おい……小僧……なんだか春華がいつにも増してテンションが高いが……本当に何かあったわけじゃないだろうな……?」
ダメージを引きずりつつ俺に接近した時宗さんが、小声でボソボソと聞いてくる。
声音は一見静かだがドスが効いており、有無を言わせぬ迫力で俺の胃をキリキリと圧迫してくる。
「娘を豪雨の中で家に泊めてくれたことは感謝しているし、後で君の親御さんがいる時に正式にお礼に来るつもりだが……これだけは聞いておかねばなあ?」
「それは……その……」
ほわんほわんと思い出すのは、紫条院さんと過ごした一日だった。
仮にその内容を正直に言うのであれば――
『いやー、実は風呂上がりの春華さんに遭遇してしまって、下着姿をバッチリ見ちゃって実に眼福でした! それと夕飯の時は妹の策略で娘さんに“あーん”して貰って……気恥ずかしかったですけど空気がめっちゃ甘かったです! あ、あと、昨晩は同じソファで同衾して、お互い抱き枕みたいに寄り添って寝てさっき朝チュンしたんですよ! ほんともう最高でした♪』
(こ、殺される……!)
俺に不埒な思惑なんてなかったが、結果だけ見れば死刑と言われても仕方のない事実が並んでいる。ええい、ここはひとまず――
「いえ、そう言われても本当に何もないですよ。まあ強いて言えば夕食を作るのを手伝って貰ったりしましたけど」
胸中の動揺を出さずに、真実を交えた嘘をサラリと言う。
嘘がバレるのは声や表情にボロが出た時だが、俺は社畜時代にすぐキレる上司の機嫌を取ったり、クライアントの無茶振りを回避したりするためにその辺はごく自然に振る舞えるように鍛えられている。そうおいそれとは見抜けまい……!
「……嘘だな」
「え……っ!?」
「声から上手く動揺や緊張を消しているが……僅かに固さが出ているぞ。海千山千の相手と商談をしてきた私の目は誤魔化せん……!」
くそっ、これだから腹の探り合いに長けた有能経営者は!
前世で相手にしていたウチの会社のバカ上司やアホ社長なら絶対騙せたのに!
「さあ吐け! 何があった!?」
「いや、その……」
困った……いや、どれもこれも俺の意図したことじゃないのだが、とても親馬鹿な父親に聞かせられる内容じゃない……。
と、俺が冷や汗をかいていると――
「あのー、春華ちゃんのお父さんなんですか?」
横から聞き慣れた声が響く。
見れば、妹の香奈子がいつの間に俺と時宗さんのごく近くに立っており、にっこりと微笑んでいた。




