55.たまにはスポ根も悪くない
勝利に歓喜する声がグラウンドに降り注ぐ中、倒れた身体を起こした俺は自分の右手の中にあるボールをぼんやりと見つめていた。
「勝った……俺が捕って、勝ったんだよ……な?」
プレイ中は無我夢中だったが、こうして熱血から覚めると自分の手の中にあるボールも、見学者たちの沸き立つ声も今イチ現実感がない。
「ナイスだ新浜あああああああああ!」
「よくやったイメチェン野郎!」
「ほぼホームランだったのによく捕ったなおい!」
「はっはっはー! あの盛り上がりで勝てると気分いいぜー!」
気付くとチームメイトたちが俺の近くに集まっており、誰も彼も純粋に勝利を喜ぶ子どものような笑顔で俺を賞賛してくれていた。
(……みんなが俺を褒めてくれている……運動クソ雑魚の俺を、スポーツのことでよくやったって……)
文化祭の打ち上げの時のように、皆の言葉を呆けたまま全身に浴びる。
野球漫画でしか知らない勝利後の功労者を称えるシーンの真ん中に、自分がいることが信じられなかった。
「あ、ありがとう……でも俺なんてたまたま最後のボールを捕っただけだぞ。そもそも実を言えばこの試合で俺が野手として仕事したのこれが初だし」
「ははっ、細かいことはいいんだって! 最後のホームランやファインプレーで試合を決めた奴が目立つのは仕方ないし!」
言ったのは、全試合を通して間違いなく俺の100倍は働いていたピッチャーの塚本だった。
「というか俺的にもマジで助かった! 最後に打たれた時はめっちゃ血の気が引いたんだが、お前が捕って帳消しにしてくれた時はつい『偉いぞ新浜ぁぁぁ!』って叫ぶくらい感謝したぞ! いやもう本当にありがとう……!」
心底ホッとした様子で塚本が感謝を口にする。
どうやら勝利目前のピッチャーのプレッシャーは半端なかったらしく、俺のキャッチで冷えた肝が救われたらしい。
「ああ、いい仕事したぜ! 球技大会なんて本来タルいけど、ここまで女子にキャーキャー言って貰えるんなら勝ちしかあり得ねえしな!」
「捕り方が根性に溢れていてちょっと笑ったけど、ナイスキャッチだガリ勉男!」
「みんな……」
勝利の熱気に酔っているのもあるだろうが、どいつもこいつも素直に俺の挙げた小さな手柄を祝福してくれていた。
前世ではここまでノリのいい奴らじゃなかったような気がするが……文化祭を経てこうなったというのなら、これも俺が紫条院さんの好感度を上げるためにあれこれ頑張ってきたことの思わぬ副次的効果なのだろう。
このチームで勝てて、こいつらと一緒に喜びあえるのは中々良い気分ではあった。
「よし……そう言われたらなんか俺もはしゃいでいい気になってきたぞ! さっきまで勝った実感がなくてボケーッとしてたけど俺も叫ぶ!」
「おう、やれやれ!」
「おせーよ! もうみんなとっくにその場で叫んだわ!」
皆の軽口を聞きながら、大きく息を吸う。
そう今は――素直に喜びをシャウトで表そう。
「よっしゃああああああああああああああっ! 勝ったぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
チームメイトたちに囲まれる中、ガッツポーズをとった俺の勝利の雄叫びがグランドに木霊した。
「ふう……水が超美味い……」
俺は運動場の端にある水飲み場で、乾ききった喉を潤していた。
さっき終わったばかりの試合から身体の熱気はまだ引いていない。
「……みんな喜んでくれていたな」
さっきの勝利に沸き立ったチームメイトたちを思い出す。
前世では、球技大会や他のスポーツに関係するイベントには暗い思い出しかなかったが……ああも盛り上がってくれると努力の甲斐もある。
「苦手なことでも頑張ってみるもんだな……」
「そうそう! 努力は割と裏切らないものだよ! 特に筋肉とか!」
「おわ!? 筆橋さん!?」
唐突に背後から声をかけてきたのは、今回俺を最もサポートしてくれた筆橋舞だった。
「試合を見てたけど、本当によくやったよ新浜君! 感動した!」
コーチ冥利に尽きると言わんばかりに、筆橋は機嫌よく続ける。
「平凡なフライすら捕れなかったあの新浜君が最後の最後であんな難しい球を……本当に最高の根性だったよ……! ほんの少し前までよちよち歩きだったヒナがいきなり空を飛んだみたいで私はもう胸がいっぱいになって……ううっ……!」
「ガチで涙ぐむなよ!? あとそのうっすらと失礼な褒め方クセなのか!?」
よちよち歩きのヒナなのは否定しようがないけどさぁ!
「まあでも、筆橋さんにはガチで感謝してる……正直あのスパルタ……もといガッツリとした特訓がなかったら捕れてなかっただろうし」
「そう言って貰えたらコーチした甲斐があったよ! あ、運動に興味を持ったのなら陸上部入る?」
「すまん、それはノーサンキューで」
さりげない勧誘をかわすと、筆橋は「ちぇー」と残念がる。
悪いな筆橋。今回の件で運動への苦手意識は以前より減ったけど、俺に運動センスが皆無なことも改めて思い知ったんだ。
「でも本当にいいもの見せてもらったよ! 運動に苦手意識を持っている新浜君があそこまで気合いに溢れたプレーをするんだもん! すごいね恋愛力って……! 紫条院さんが新浜君の名前つきで声援を送った瞬間から動きも気合いも全然違ったし!」
「え……? いや、確かに気合いは入ったけど動きに違いなんて出ていたのか?」
「うん! なんかもうゼンマイ人形に強力モーターを入れたみたいに力が溢れまくっていたよ! 無意識だろうけど口から『ふぉおおおおおおおお!』とか漏れてたし!」
「マジかよ!? うわぁ、めっちゃ恥ずかしぃぃぃ!」
全く無自覚だったが端からみるとそんなアホみたいな姿だったとは……。
「でも……正直紫条院さんが羨ましいかな。みんな誰かが好きっていうのはあっても、そこまで気持ちが大きい人って滅多にいないと思うし」
「そう……かな」
「うん、そうだよー! そんでもってその想いは絶対に届く! コーチとして保証するから!」
そう断言する筆橋の笑顔はスポーツ少女らしい快活さに満ちており、心が勇気づけられる。しかし、本当にいい奴だなこいつ……。
「おっと! それじゃ来たみたいだしお邪魔虫はクールに去るよ! それじゃあまたねー!」
突然そう言い残すと、筆橋はさっさとその場から去って行った。
ん? やけに忙しないな――ってあれ?
入れ替わるように向こうから駆けてくるのは――
「新浜くーーんっ! やっと見つけましたーーっ!」
「え……!? 紫条院さん!?」
俺が意中の人を見間違えるはずがない。
だがそれでも自分の認識を疑ってしまったのは、紫条院さんが普段よりもさらに目がキラキラでアッパーな状態になっていたからだ。
そして――驚きに固まる俺の手を、すべすべして柔らかいものが包んだ。
「ふぉわ……!?」
俺の目と鼻の先まで接近した紫条院さんが、俺の両手を自分の両手で包みこむように握っている――脳がその事実を認識するのに若干のタイムラグが生じた。
「すごいです! あんな最後の場面であんなにドラマチックに勝つなんて! 見ていて最高に興奮しました……!」
俺の手を握ったまま、紫条院さんはブンブンと腕を上下に振る。
両手で感じる天使の手の平の感触が絹のようでとても官能的だが、その勢いに頭がついていかない。
「し、紫条院さん………!? 嬉しいけどこのブンブンは何なんだ!?」
「え? ソフトボールでの健闘を称える儀式なんですよね? 筆橋さんから『新浜君にやってあげたら喜ぶよ!』って聞いたんですけど……」
真っ赤な嘘を教えたのはお前か筆橋ぃぃ!
でも俺が喜ぶのは本当だから許す! よくやった!
「とにかくすごかったです! すごくてもうすごいです!」
いかん、紫条院さんの語彙が期末テストの時よりさらに減少している。
その興奮具合は某虎球団が優勝した時の大阪市民のようだ。
「最後の時なんて、身体中が熱くなって思わずその場で飛び上がって喜んじゃいました! グローブで捕れなかったのに諦めずに素手で掴みに行ったんだって思ったらすごく胸が熱くなってもう……! その後新浜君のところにチームのみんなが祝福しにいったのもすっごくジーンってきました!」
過去最大級にテンションMAXな紫条院さんから、俺の努力の成果を心から祝福してくれているのが伝わってくる。
団結と青春イベント好きの紫条院さんらしく、試合は相当楽しんでくれたようだ。
「でも良かったです! 勝ててみんなで喜べたのもそうなんですけど……新浜君がとても楽しそうな顔をしていて」
ひとしきり俺に感動を伝え終えた紫条院さんが、ふと俺の顔を見てそんなことを言い出した。
「え……? 楽しそう?」
「はい! 新浜君は球技大会はそこまで気が乗っていない感じでしたけど……。でも今日は不安や緊張も混ざっていましたけど、ずっと楽しそうでした」
言われてみれば……試合が始まってから緊張はしつつも、前世のように失敗を恐れて胃が痛くなったり、こんな試合は一刻も早く終われと念じたりはしていなかった。
「そうだな……実は俺って運動センスが壊滅的だから球技大会はやや苦手なんだ。でも、相手チームが打ったら悲鳴を上げたり、味方がいいプレーをしたら歓声を上げたりして……確かに楽しかったかもしれない」
それを支えてくれたのは筆橋の特訓のおかげだ。
けれど、そもそも俺が頑張ろうと思った理由は。
この試合に対する強烈なモチベーションを与えてくれたのは――
「今日は応援ありがとうな紫条院さん。最後の時、俺に直接声援を送ってくれたのは凄く嬉しくて……とんでもなくやる気が出た。おかげで一番大事なところで一番頑張れたよ」
「あ……はい、あの時は夢中になってつい叫んでしまったんですけど、ちゃんと届いていたんですね……。いくら試合に熱中していたからってちょっとはしたないくらいの大声を出してしまったので、恥ずかしいんですけど……」
少しだけ頬を染めて、もじもじしながら紫条院さんが言う。
「必死に走っている新浜君を見たら……叫ばずにはいられなかったんです」
恥じらいの赤みを頬に残したまま、紫条院さんは微笑んだ。
彼女の澄み切った清流のような心を表すその言葉と笑顔は、あまりにも可愛らしくて心が洗われる。またしても彼女に惚れてしまう。
この疲れが吹っ飛ぶような紫条院さんの表情を見れただけでも……運動音痴の呪縛に挑んだ今回の辛さも完全に報われる。
「さて、それじゃみんなが待っていますし、教室に戻りましょう! 先生がジュースをおごってくれるらしいですよ!」
「ああ、行くか。全員揃わないと乾杯もできないだろうしな」
心地よい疲労を感じながら、俺は紫条院さんと揃って歩き出した。
その最中でふと思い返すと、今回の自分がまるでスポーツ漫画のテンプレをなぞっていることに気付く。
練習を始めた理由は好きな子のためで、その想いがあったからガチな特訓をやり抜いて、無意識レベルの苦手を克服してチームと協力して戦い、最後は根性によってギリギリ勝利を拾う。
その道筋を最初から最後まで味わってみた者の感想からすると――
(ああ、そうだな……)
前世では苦手どころか敵ですらあったスポ根も――まあ、たまには悪くない。




