48.球技大会の記憶
公園の空に天高く舞い上がったソフトボールが、重力に引かれて落下する。
今度こそ、今度こそ落とすまいと俺は走る。
落下予想地点まで全力でダッシュする。
走って、走って――ボールの落下に合わせて右手に付けているグローブを必死に突き出す。
だが――
「あ……っ!」
ソフトボールは伸ばした手から逃れ、地面にバウンドする。
まるで、必死に動く俺をあざ笑うかのように。
「またか……くそ、こんなんじゃ本番は……」
その無残な結果を眺めて、俺は悔しさがこもった声をもらした。
ちくしょうが……ドちくしょうがっ!
「くそぉ……! 球技大会なんて大っ嫌いだ……!」
ジャージ姿である俺の怒りと悲哀に満ちた声が、休日の公園に響く。
そもそも、どうして俺が休みの日にこんなところでソフトボールの練習なんかをするハメになったのか――
その原因は三日前に俺がふと蘇らせてしまった、忌まわしい記憶にあった。
その日の昼休み、クラスの一角で俺は紫条院さんと他愛もないことを話していた。
「それでですね、風見原さんが『紫条院さんはたけのこチョコが好きですよね? きのこチョコなんて邪悪な派閥じゃないですよね?』って真剣な顔で聞いてきたんです。そしたら何故かそれを聞いていた周囲のクラスメイトも妙にそわそわと反応していて……」
「あー……うん、反応した奴らの気持ちはわかる。それで、紫条院さんは何て答えたんだ?」
ちなみにきのこチョコとたけのこチョコとは、長年どっちが好きかで大論争を繰り広げているロングセラーのお菓子だ。
リアルでもネットでも『きのこは食べやすいけど、たけのこは手が汚れる』『たけのこはきのこにはないクッキー生地が美味しい』と絶えずに戦争が起きているため、うっかりどっちが好きかなどは口にし難い。
「はい、それが……『チョコならパンダのマーチが好きですっ!』て答えたら何故かみんな優しい顔になって、風見原さんからは『くだらない争いに巻き込もうとしてすいません……そのままのピュアな紫条院さんでいてください』って頭を下げられてしまいました……」
「うん……俺も風見原さんとまったく同じ気持ちだ。紫条院さんはそういう純粋な気持ちを忘れないでほしい」
「??」
思わずほっこり顔になってしまった俺に、紫条院さんが疑問符を浮かべる。
ああ、俺の好きな人は今日も可愛いなあ。
「それにしても……そろそろ一学期も終わりだな」
「ええ、早いものですよね」
そう、俺が今世で二度目の青春を開始してから、本当にあっという間だった。
そしてその短い時間に俺と紫条院さんは大分お近づきになれたのだが、先日の紫条院家訪問を経てからはさらに気安くなれたように感じる。
「もうすぐ夏休みだよな。その前に今進んでる球技大会を終わらせないといけないけど……」
球技大会とは、クラス対抗のイベントでありウチの学校だとソフトバレー、ソフトボール、バスケの三種で学年別リーグを競い、最も勝ち数が多かったクラスが優勝となる。
体育祭などと比べてクラスみんなで戦うという面が強く、ウチのクラスは運動部が多いこともありここまで最も勝ち点を上げている。
「今ウチのクラスが勝っていますもんね! このまま優勝できたら嬉しいです!」
文化祭でもそうだったが、紫条院さんはこういうみんなで団結するイベントが好きなようで、やや興奮した様子で言う。
「ああ、文化祭でクラスの結束が強くなったせいか、紫条院さんだけじゃなくて他の奴らも結構燃えてたしな」
「ええ! 最終日のソフトボールは新浜君も出るんですよね。ケガしないようにお互い頑張りましょう!」
「ああ、そうだな。俺の試合はその日の最後に――……っ!?」
その時、俺の脳裏に突如フラッシュバックする光景があった。
俺に向かって落下するソフトボール。
無我夢中で突き出すグローブ。
無慈悲にグランドをバウンドするボール。
熱い声援を送っていたクラスメイトたちが静まりかえる様――
「あ……ああああああああああああっ!?」
思い出した……!
いや、今気付いたと言うべきか……。
(球技大会って年に複数回あるけど……季節的に間違いない……! 今やってる球技大会ってあの時の奴だ……!)
「え? え? ど、どうしたんですか新浜君!?」
「あ、ああ、いやごめん、ちょっと思い出したことがあって……」
目を白黒させている紫条院さんにとりあえず取り繕うが、俺の頭はあの時の記憶でいっぱいだった。
俺のせいで優勝を逃し、クラスの興奮に水をぶっかけたあの時の――
「その……紫条院さん」
「はい?」
「紫条院さんが参加しているのはソフトバレーだけど、球技大会最終日の午前中には終わるよな? ということは……やっぱり最後のソフトボールは見に来るんだよな……」
「ええ、もちろんです! 新浜君のことを応援させてもらいますね!」
「そ、そうか……うん、ありがとう……」
屈託のないピュアそのものの笑顔に、俺は極めて苦い面持ちで言葉を返した。
そのいつも俺に多幸感しか与えない笑みが、今だけは俺の苦悩を限りなく加速させる。
このままいけば――俺は失態を晒す。
他ならぬ、俺の大好きな女の子の前でだ。
公園の芝生の上に座りこみ、俺は晴れ渡った空を見上げる。
「くそ……流石に一朝一夕では上手くならないか……」
本来こんな練習をする気はなかった。
球技大会は前世同様に俺の中で特に重要なイベントというわけではなく、自分の出来る範囲でクラスに貢献できればそれでいい――そう思っていた。
「けどあんなことを思い出してしまうとなあ……」
俺が思い出した前世の記憶とは、次のようなものだった。
球技大会最終日――俺たちのクラスと相手のクラスは最高の勝ち点同士であり、決勝戦とも言える勝負となった。
そしてその最後の種目こそ俺が参加しているソフトボールであり、今世と同じくポジションはライトだった。
最終日の最終種目にして決勝戦。
そんなカードに人が集まらないわけはなく、俺たちは大勢の観客の視線に晒されながら試合を進めた。
そして――ウチのクラスが1点リードして迎えた最終回。
ランナー2,3塁だがツーアウトであり、まさに最後の打席だった。
(だんだん詳細に思い出してきたけど……あの時は盛り上がっていたよなあ。『あとひとり! あとひとり!』『しまっていけよー!』ってクラスからの声援も凄くて……紫条院さんも『もう少しです! がんばってくださーいっ!』って声を出してくれていたっけ……)
そして、その最後の打球はよりにもよって俺の頭上へと舞い上がった。
平凡なライトフライ――それを見て相手のチームは目を覆い、俺たちのクラスの多くは『よっしゃ!』と快哉を叫んだ。
だがライトを守っていたのは、球技が大の苦手なこの俺だったのだ。
それまでの試合はライト方向にボールが滅多に飛んでこなかったのでなんとかなっていたが、最後の最後に飛来してきたのだ。
焦りに焦りながらも必死にグローブを突き出してみたが――ボールは捕まることなく地面に落ち、ウチは逆転負けを喫した。
相手のチームは『やりぃ!』『もうけもうけ!』と大喜びであり、勝ちを確信して沸き立っていたウチのクラスは一瞬で静まりかえってしまった。
あの時は……皆の視線が耐えられずにしばらく目を閉じたままでいたので、応援していた紫条院さんがどんな顔をしていたかはわからない。
けれど、彼女の興奮が冷めてしまったのは間違いないだろう。
(まあ、たかが球技大会だし前世だってその後別に周囲から責められたわけじゃない……そもそも今世においても同じ状況になるとは限らないけど……)
紫条院さんにしたって、ボールを落としたくらいで俺への好感度が変わるなんて思っていない。だが――
「好きな子の前で無様を晒すなんて二度とごめんだ……! 絶対に上手くなってやるからなっ!」
それだけは、俺の中で絶対に確かな感情だった。
男のくだらない見栄かもしれないが、紫条院さんの前ではできる限り格好付けたい……!
「せめてフライやゴロをしっかり捕れるくらいにはなっておかないと……!」
気合いを新たに、俺は立ち上がってボールを空高く放り投げた。
とにかくキャッチだ。
ボールをしっかりグローブで捕まえる感覚さえ掴めば……!
(そこだ……!)
タイミングを合わせて、グローブを広げてボールが通る動線を遮る。
ただそれだけで、自動的にボールはグローブに収まるはずで――
ぽてんっ、ころころころ……
「………………………………」
俺は今世で青春をやり直してから……様々な問題をクリアしてきた。
カツアゲヤンキーをメンタルの強さで撃退し、文化祭では会社で培ったスキルでプレゼンテーションも運営も成功させたし、期末テストは努力と紫条院さんへの想いパワーで学年一位をゲットできた。
先日に至っては、あの紫条院時宗社長の面接をギリギリとはいえクリアした。
だがこればっかりは……学生時代からダメダメだったスポーツは……運動神経だけはいかんともし難い……!
と、胸中で嘆いたその時――
「あれ、新浜君? 何してるのこんなところで?」
「え……筆橋さん……!?」
突如背後から聞こえた声に振り返ると、クラスメイトのショートカット少女・筆橋舞がスポーツTシャツとハーフパンツを着てそこに立っていた。




