36.待ち合わせにVIP車が来た
紫条院家の邸宅はやや郊外にあり、以前紫条院さんを送って歩いた時はなかなか距離があった。
今回は『新浜君はお客様なんですから当然迎えに行きます!』とのことなので、俺は待ち合わせの場所に向かって歩いているのだが……。
(しかし……休日に紫条院さんと待ち合わせってだけでも非現実的なのに、行く場所は紫条院家のお屋敷とか……今更ながら信じられない状況だな……)
今世において紫条院さんと深く接するほどに、彼女の天然さを思い知る。
普通ならどれだけお世話になったとしても、彼氏でもない同級生の男子を家に招こうなんて考えになるわけがないのだ。
(ああ、くそドキドキする……俺の中身ってメンタルは30歳の強さがあるけど感情の揺れ幅とかのハートの面は肉体年齢相応の16歳仕様だもんな。喜びと緊張で胸の中のざわめきがすごい)
意中の女の子から『勉強会のお礼をしたいので家に招待させてください!』と誘って貰えた喜びは踊り出したいほどに俺のテンションを高めているが、同時にセレブな紫条院家の敷居を跨ぐことは非常に緊張しているのだ。
(いやいや、余計なことは考えずにともかく今日という日を楽しもう。紫条院さんだって俺を楽しませるために招待してくれた訳だし)
そんなことを考えながら歩いていたら、もう目的の場所へ到着してしまった。
まだ約束の15分前(社畜時代に染みついた15分前行動だ)だからまだ紫条院さんは来てないだろうが――
「おはようございます新浜君!」
「え……紫条院さん!?」
声のした方へ振り返ると、そこには見慣れた少女の見慣れない姿があった。
(うわ……! し、白の長袖ワンピースにストローハット……!)
胸元にフリルをあしらったその衣装と帽子の組み合わせは清純さと美しさを際立たせ、まさに『お嬢様』という雰囲気を醸し出している。
吹き抜ける風によって長い黒髪がサラサラとたなびく。
清廉かつ透明感を感じさせるその美しさはあまりにも鮮烈で、俺の心は一瞬で魅了される。
「ふふ、まだ15分前なのに早いですね。今日は私のお願いで来てもらってありがとうございます!」
休日に街の中で私服姿の紫条院さんに会う――その新鮮な体験に密かに感動している最中、彼女はいつもの純真な笑顔を浮かべる。
ああ、これだけで今日は良い日だ。
本来学校へ行く日でないと会えないはずの紫条院さんと、こうして顔を合わせて言葉を交わすことができるなんて。
「家に呼んでもらってご馳走してもらうなんて、俺の方こそお礼を言いたいくらいだよ。あー……その、それと……」
「?」
言い淀んで頬をかく俺を、紫条院さんが不思議そうに見つめる。
ここは妹の香奈子から『絶対に言ってよ! 恥ずかしくて言えないとかマジありえないから!』とまで言われてるし……頑張って口にしなきゃ……!
「そ、その服……すごく似合ってる。すごく清らかで……綺麗だと思う……」
「……!」
顔を真っ赤にしながら、俺の偽りのない本心を口にする。
い、言えた……! めちゃくちゃ恥ずかしいけど言えた!
「ふふ……そう言って貰えると嬉しいです。ちゃんと選んだ甲斐があります」
紫条院さんがはにかみながら、胸に手を当てて穏やかな笑みを浮かべる。
よ、良かった……妹の戦術指南による『私服姿は絶対褒める』は天然の紫条院さんにも有効のようだ。
「ついこのままここでお喋りしていたくなりますけど……そろそろ家にお連れしますね。さあ乗ってください」
「え……乗るって……うわ、ロールスロイス……!」
紫条院さんが指さした先には、名前を知らないものはいないレベルの超高級車が駐まっていた。
紫条院家レベルのお金持ちが使う車としては相応しいが、社畜出身の俺がまさかこんなVIP御用達なものに乗る日が来ようとは……。
「そ、それじゃあ失礼して……お邪魔します……」
緊張しないで楽しもうと決めたばかりだが、映画でしか見たことのないセレブな車内インテリアの中に入っていくのはすごく場違いな気がしてビビる。
これ本当に俺が土足で乗り込んでいいのだろうか……。
「初めまして新浜様。私は運転手の夏季崎と申します」
「ああ、こちらこそ初めまして。私は真黒株式会……じゃなくて!」
40代ほどのがっしりした体格の運転手さんから挨拶され、つい社畜の条件反射でありもしない名刺を探して懐をまさぐってしまった。
ああもう、何やってんだ……。
「す、すいません。ちょっと緊張して妙なことを言いました。改めまして……紫条院さんのクラスメイトの新浜心一郞と申します。本日はよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。いやあ、春華お嬢様の『お友達』は男の子だろうと奥様にこっそり耳打ちされた時は驚きましたが……まるで社会人みたいに礼儀正しい方ですね」
「いえいえ、挨拶して頂いたから、こちらからも挨拶をさせて頂いただけで……ん? 『男の子だろうと』『こっそり耳打ち』……?」
何か今妙に気になることが聞こえたような……。
「ははは、そこのところは忘れてください」
え、いや、ちょっと待ってください。
なんか社畜としての危機回避センサーがそこをスルーしてはならないと反応しているんですけど……。
「それじゃ行きましょう! 夏季崎さんお願いします!」
「はい、お嬢様」
俺が生じた疑問を運転手さんに聞く前に、紫条院さんの声によって紫条院家へ向かってエンジンの唸りを上げた。




