【番外編】その後のお話-社長、紫条院心一郎-
俺の名前は紫条院心一郎。
若い頃に日本有数の名家である紫条院家の婿養子に入りし、その伝統と重責がある姓を背負った身である。
ド庶民である俺が現代貴族とも言える一族に加わることは、最初はひどく緊張したものだが――人間とは慣れるもので、今では新浜という姓こそが遠く感じてしまう。
(しかし、俺が春華と結婚して早十六年か……幸せなことばかりで、時の流れがとにかく速かったな)
オフィスのだだっぴろい個室で、スーツに身を包んだ俺は過ぎ去った時を懐かしむ。
あの煌びやかな結婚式から始まり、新婚旅行や新居での共同生活。
千秋楽書店でのやりがいのある仕事に、最愛の娘の誕生。
どんどん成長していく娘と愛しい妻に囲まれて過ごす日々――
(それにしても……プライベートはともかく、社会人としての未来は予想外すぎたな。なんで俺、こんなクソ広い個室で五十万円くらいする椅子に座ってるんだ?)
「もう、社長! 一体いつまでボーッとしているんですか!」
書類決裁の煩わしさについ意識が仕事から離れてしまっていた俺に、叱責の声が飛んだ。
「とと、すみません三島さん。ちょっとボーッとしてました」
目の前にいる、メガネをかけたキャリアウーマン――実年齢より十は若く見える二児の母――である三島さんに俺は頭を下げた。
ちなみに彼女は結婚して久我という姓に変わっているが、旦那さんもまたこの千秋楽書店の社員であるため、色々な混乱をさけるために職場では三島という旧姓を使っている。
「まあ、それはいいですけど……社長、もういい加減その敬語やめてくれませんか? いくら私が元上司でも、今は逆転してるんですからケジメが必要だと思うんですけど」
困り顔でそう告げる三島さんは俺の高校時代のバイト先の上司であり、俺が千秋楽書店に入社してからも上司部下の関係だった。
それから年月が経ち、俺は時宗さんから社長の座を受け継ぎ、三島さんも幹部として大出世を果たし、俺を大きく助けてくれる立場となったのだ。
「どうしても昔のクセが抜けないので、二人しかいない時くらい勘弁してください。ただでさえこんな大会社の社長なんて身に余ることをやってるんですから、俺にも気安く叱ってくれる社員が必要なんですって」
「まあ、そこまで言うのでしたらこのノリを続けますけど……本当に社長は尊大さがないですね。もっと偉ぶったっていいと思いますよ?」
「無茶言わないでくださいよ。俺なんて社長の座をポンと譲られただけの凡人です。経営の天才である前社長の時宗さんと比べたら、間違っても偉ぶるなんてできませんよ」
俺なんて単なる無能な二代目でしかなく、本来ならこんな大会社の社長業なんて務まる器じゃない。時宗さんにどうしてもと頼まれなければ、決して引き受けることはなかっただろう。
……まあ、社長にはある程度ナメられない態度が必要なことは理解しているので、他の社員や外部の人の前では精一杯厳めしい顔をしているが。
「いやいやいや、一体何を言ってるんですか。前社長から全部聞いてますけど、入社した当時から予言者みたいに世間の流行り廃りや株価をピタリと当てて我が社の生まれ変わりを導いたらしいじゃないですか」
いやうん、それって俺の才覚なんかじゃなくて単なるズルなんですよ。
実は俺ってタイムリーパーなので、前世の享年までの知識があっただけなんです。
「社長になってからも関連会社の倒産だの電気代の高騰だのの影響を目ざとく回避して、今年なんかここ十年で最高の収益だったんですよ? 普通はここまでやればふんぞり返ってもいいと思いますけど」
「いや、それも俺の手柄じゃないですよ。時宗さんが育ててくれていた優秀すぎる部下たちや、新たに外部に作った経営顧問団の成果です。俺みたいな凡人は、他人の手を借りるしかありませんからね」
俺が千秋楽書店の社長を継いで以来目指しているのは、誰が社長になっても効果的な経営が可能な仕組みの構築だ。この会社は経営の天才である時宗さんの才覚に頼って成長してきたが、天才はいつまでも会社にいない。
なので、俺が後を継ぐと同時に社長が有能じゃなくても会社の経営ができるようなチーム作りを行ってきたのだ。
まあもちろん、そうまでしても会社の経営に盤石はない。
俺も社長として難しい舵取りを何度も求められたが……そのたびに凄まじいプレッシャーに胃が潰されそうになり、先達たる時宗さんの偉大さを思い知ったものだ。
「本当に謙虚ですねぇ……まあ、元々社長はただ春華さんと結婚したかっただけであって、紫条院の一族に入るのが目的じゃなかったのは知ってますけど。あ、ちなみに一部の社員から『恋ドラ社長』とか呼ばれてるの知ってました?」
「はぁ!? いや初耳なんですけど!?」
なんだそのあだ名!? 社長イジメか!?
「ほら、社長のご学友の方が原作の恋ドラ、『お嬢様に惚れた日陰男子、気合いの力で全てのハードルを飛び越える』がブレイクしたじゃないですか。あの内容ってほぼほぼ社長と奥様の話そのままってことが社員にバレちゃってですね」
ちょおおおおおおおおおお!? あいつの原作ドラマが原因かよ!?
というか、誰だよそんなことを吹聴したのは?
「ちなみにその話は、前社長の奥様が会社に遊びにきた時に凄く楽しそうに語っていかれました。いやぁ、あの方は孫がいる年齢には見えませんよね」
お義母さぁぁぁん!? 何してくれてるんですかもおおおおお!
「はは、おかげで社員からの好感度はうなぎ登りなんですからいいじゃないですか。特に女子社員からの人気は超アップしてましたよ」
「そりゃ社員に恨まれるよりは全然いいですけど……うう、恥ずかしい……」
若い頃はまだしも、この歳になってから恋に突っ走った青春時代を掘り起こされるのは恥ずかしいとしかいいようがない。
くそ、なんだか最近、どの社員も俺を微笑ましい目で見ていると思ったら……。
「はは、いいじゃない。それが君のカラーなんだから」
話している内に意識が少しだけ遡ったのか、かつての上司部下の間柄だった時の気安さそのもので、三島さんが笑みを浮かべる。
「会社の経営者としては前社長みたいにガンガンいくタイプが頼もしいかもしれないけど、君はそうやって、社員に慕われて支えてもらうやり方でいいんじゃない?」
十代のころからお世話になった恩義ある女性は、この不出来な後輩を先輩や盟友として励ましてくれていた。
こういう気配りができるところが、多くの部下から慕われる理由だろう。
「会社の福利厚生を超ホワイトにして、有能な人材と忠誠心をゲットしていく戦略とか、私は悪くないと思いますけど? 貴方は貴方のやり方で会社を守っていけばいいんです」
「……ありがとうございます」
まるで生徒を導くような恩人の発破に、俺は心からの感謝を口にする。
こうやって俺を支えてくれる千秋楽書店のみんなを路頭に迷わせるのは嫌すぎるので、俺は今後も無い知恵を絞ってこの会社を全力で支えていこうと誓いを新たにする。
「ホワイトと言えば……この間発生したパワハラ問題で、社長ってばまた自ら事情聴取して、部下へ何度も暴言を吐いたと認めた管理職を激詰めしてましたよね? 社員からすれば頼もしい限りですけど……あの気合いの入りぶりは、何かトラウマでもあるんですか?」
「……ノーコメントで」
俺と妻の前世はパワハラによって殺されたも同然に終了したので、何回生まれ変わっても許せないんです――とは言えずに、俺はすっとぼけた。
【読者の皆様へ】
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陰リベは6巻でストーリーは完結しており、7巻はこれまでの特典SSと書き下ろし短編を加えた短編集となっています。「大学生の二人」「紫条院家の最終試練」はこの巻にしか収録されていないエピソードになりますので、どうか皆様お布施と思って購入して頂ければ幸いです!
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