128.いつしかこの距離が自然に
俺と春華は揃って帰路についていた。
秋の過ごしやすい気温のせいか、暮れる夕日に彩られた街並みはとても穏やかな雰囲気で、とても心地良い。
そしてそんな澄み切った空気の中で、俺達はいつもの通り雑談しながら並び歩いている。
「なので、三島さんは偉くなるのを渋っていたそうで、お父様が店長就任を直接お願いしに行ったらしいです。業務負担は考えるから、今しばらくは頼らせてくれって」
「なるほど……そりゃ店長を引き受けないなんて言えないわな」
今話題に上っているのは、バイト先でお世話になっている三島さんが正式に店長を任命された時の裏話だ。
一社員に社長が直々にお願いするなんて、何よりも強制力のある命令である。
それだけ時宗さんがあの店を重要視しているという事でもあるが、なるべく気軽なモブ社員でいたい三島さんには悲鳴ものだろう。
「世間的には大出世なんだけどなぁ……」
「スタッフ全員で祝福した時ももの凄く複雑な顔をしていましたね……」
有能であるが故に楽ができない愛すべき店長の表情を思いだし、俺達は揃って苦笑いを浮かべた。
まあ、頑張れ三島さん。
どう考えてもこれからどんどん出世と責任が積み上がっていくと思うが、デキる女が実はお酒大好きな怠けたい気質とか多分モテるぞ。
「ま、まあ私もアルバイトはもう少し続けるつもりですし、頑張って三島さんの力になります! いえ、本当に微力もいいところですけど……」
「いやいや、春華は相当に慣れてきたなって思うよ。特にお客から文句を言われたりしてもかなり対応できるようになったのは本当に凄いと思う」
これは意中の少女を褒めたいがためではなく、本心からの言葉だった。
怒りに駆られたお客は感情が迸りすぎて多くの場合モンスターと化しており、その対応は大人でも心を抉られるような辛さがある。
だからこそ、この間のクレーマーを言葉だけで落ち着かせた件は本当に凄いと思う。少なくとも前世の陰キャな高校生だった俺にはとても無理だろう。
「そ、そうですか? ま、まあ確かに自分でも最初の方に比べれば慣れてきたかもとは思っていましたが……心一郎君にそう言ってもらえると嬉しいです!」
春華ははにかむように微笑む。
珍しく、自分を少しだけ誇るように。
「けど本当に……心一郎君を追いかけてアルバイトを始めてよかったです」
深い感情をこめた様子で、春華はそんな事を呟いた。
「本物の職場で働いてみて、ほんの少しですけど自信が付きました。私でもまともな大人になれる。少なくとも話にならない程にダメな存在じゃないんだって……そう思えるようになったんです」
「…………」
大人に交じって得た経験はやはり多大なものだったらしく、春華の言葉は安堵と喜びが滲んでいた。
だが俺は……そのなんでもない言葉に思うところがあった。
(やっぱり……そうなんだろうな)
春華と半年ほど一緒にいてわかった事がある。
彼女は無垢だが決して心の弱い少女ではない。とても真面目で学習能力も高く、経験さえ積めば強いストレスとの付き合い方も覚えていける人間なのだ。
そんな彼女が未来において廃人と化すまでに頑張り続けてしまった理由――それを俺は薄々と気付いていた。
(まあ、もうそんな事は特に重要じゃなくなったけどな……)
たった半年の事だけど、俺のおせっかいの影響からか春華は大きく変わった。
もう彼女は簡単に悪意に飲み込まれないための下地ができつつあるし、ここからあの未来に行き着く可能性はかなり低いと言えるだろう。
「? どうしたんです心一郎君? なんだか難しい顔をしていますけど……」
「ああ、いや、なんでもないさ」
不思議そうに俺の顔を見上げる春華に、俺は笑ってそう返した。
未来の事は常に考えなくてはならないが、こうして二人で一緒に帰っている時まで頭に浮かべるべきじゃない。
「と、そうだ。バイトと言えばこの間は給料日だったよな。春華は何に使うか決めていたりするのか?」
バイトを始めた動機は労働体験だと言っていたので、最初から欲しいものがあった訳じゃないようだったが……。
「ふふ、とりあえずライトノベルの購入費に充てる事にしました! 自分のお金なら例え百冊買ってもお父様から怒られませんしね!」
「前も言ったけど多過ぎだろ!? またラノベ禁止令の危機が来るぞ!?」
前世でも春華がラノベを読んでいるのは知っていたが、そこまでハマっているという事実は今世で初めて知った事だ。
前世で春華と初めてまともに話した時、まだ根暗だった俺がラノベが色々とラノベをオススメしたのが遠因なのかもしれんが……。
「で、でも読みたいのがいっぱいあるんです! こうして一緒に帰るたびに心一郎君からオススメを教えてもらう事も多いですし!」
大人買い宣言が恥ずかしかったのか、春華が若干顔を赤くしながら言う。
だがまあ確かに……タイムリープしてから今まで、共通の話題が嬉しくて、確かにオススメした本は多かったかもしれない。
そう、本当に、
一緒に帰るたびに――
「しかし……こうして春華と一緒に帰る機会も増えたよな」
ふと胸に抱いた想いを、俺はそのまま口に出した。
思えば、最初に春華と一緒に下校した時はドキドキだった。
なにせ、オッサンになっても俺の記憶で輝き続けた青春の宝石たる少女なのだ。
言葉を交すだけで分不相応な気さえして、緊張と刺激的な甘さに胸が高鳴りっぱなしだった。
けれど今は――
(あの時ほどに心が乱れていたりしない……でもそれは決して想いが薄まった訳じゃなくて、むしろ――)
「ええ、そうですね。本当に……心一郎君とこんなにも気安くなれるなんて、春になったばかりの頃は想像していませんでした」
俺の言葉を受けて、春華が記憶を振り返るように言った。
「あの頃に比べて私もあまり緊張しなくなりましたけど……それはきっと私達のパーソナルスペースが近しくなったからですね」
「パーソナルスペース……ああ、人同士の距離感か」
「はい、以前に何かの本で読んだんですけど……人間は他人に近寄って欲しくないバリアーみたいな距離を持っていて、親しくなるっていうのはお互いのバリアーに少しずつ踏み込めるようになっていく事なんだとか」
言われて、俺はふと気付いた。
俺の顔を見上げる春華と俺との距離は肩を並べると表現できる程に近い。半年前と比べて、俺達の間に存在する距離は信じられない程に短くなっている。
お互いにそうしようと決めた訳でもないのに、いつの頃からかこうなっていたのだ。
「私達はずっと一緒にいました。だからこそお互いのパーソナルスペースはとても近くなって、いつの間にかそれが自然な状態になっているんだなって最近思います。実際、心一郎君のそばはとても落ち着くんです」
「……っ!」
ごく近しい距離で、とてもナチュラルに春華は言葉を紡ぐ。
一緒にいるのが当たり前である家族にそうするように、気負いなく自然に微笑んで見せる。
(その無自覚男殺し攻撃はそろそろ自重してくれ! 俺達の距離は確かに近くなったけど、その反則攻撃にまで慣れる訳がないだろ!?)
春華が言う通り俺達の心の距離はごく近くなった。
だが、いくら一緒にいる事が自然になってきたと言っても、不意打ちで見舞われる天然台詞は依然として男心を大いに慌てさせるのだった。




