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124.春華のレベルアップ①

 私こと紫条院春華は、今日も今日とてアルバイトだった。

 

 木々が徐々に紅葉していく様に、突発的に始めたこのアルバイトを始めて相当の日数が経った事を知る。


(ふふ、決して楽ではないですけど、やっぱりやりがいはありますね)


 そう思えるのは、店長の三島さんや同僚アルバイトの皆さんがとてもよくしてくれるのもあるけど……やはり心一郞君の存在が大きかった。


(仕事なのに不謹慎かもしれませんけど……やっぱり心一郞君と一緒に仕事をしてると楽しいですね。あの本は売れ行きがいいとか、フラッペが大人気でキッチンにいる時は作るのが大変とか……そういうのを共有できるの、とてもいいです)


 ホールで机の片付けや返し忘れの本を戻したりする作業を行いながら、私は先日にオープンテラスで心一郞君と一緒にお昼休憩をとった事を思い出していた。


 最近は風見原さんや筆橋さんとお茶をする機会も増えたけど……心一郞君と一緒にカフェで過ごすのはまた違った喜びがある。


 夢中で小説を読んでいる時のように、心が弾んで時間がとても早く過ぎていく。

 あの感覚は、他の友達や家族と過ごす事では得られないのがとても不思議だった。


 本当に、どうして心一郞君はあんなにも特別なのだろう?


(それにしても……ふふ、心一郞君はいずれお父様の会社に就職する事を目標にして、大学もこの街の近くを考えているんですね)


 それは私にとってとても嬉しいニュースだった。

 私自身も今現在進路をとても迷っているところだけど、そうするとやはり地元に大きく心が傾いてしまう。


(友達の付き合いで進路を決めるなんていけない事ですけど……もし同じ大学とかに行けたりしたら……)


 集めたゴミをホールのゴミ箱に捨てながら、私はぼんやり想像する。

 

(一緒に講義を受けたり食堂でごはんを食べたり……免許を取ったらウチにたくさんある車を借りてどこかに行くのもいいですね。いつもお父様が美味しそうに飲んでいるお酒にもチャレンジしてみたいところです)


 そういった子どもから脱した大人の準備期間たるキャンパスライフに、心一郞君がいる。


 そう考えるだけでとてもうきうきしてしまう。

 今はお仕事中なのだから、だらしのない顔をしていないでシャンとしていないといけない――そう思いつつも、口元がほころぶのが止められなかった。


 そんな時に――


「ちょっとそこのあなた! さっさと来なさい!」


「え? は、はい!」


 私に突然声をかけてきたのは、近くのテーブルに座る七十代ほどの高齢女性だった。立ち振る舞いはとてもキビキビしているけれど、その表情はとても苛立って見える。


「どうもこうもないわよ! 『ハリィのアカデミー』シリーズの最新刊の発売日は昨日だったのに店頭にないじゃない!」


 女性が言っているのは『ハリィのアカデミー』とはイギリス発のファンタジー小説で、不遇な環境で生きていた少年が御伽噺のような世界の魔法学校に入学するストーリーだ。


 子どもから大人まで幅広い年齢層から支持があり、世界中でとてつもない大ヒットを遂げてベストセラーにまで至っている。

 どうやらこのお婆さんもファンのようだけど――


「も、申し訳ありませんお客様……このシリーズは本当に大人気で発売と同時に書籍は全部売り切れてしまったんです。全国で同じような状況のため、次の入荷は全くの未定でして……」


「はあ!? 何よそれ! そんなに待てないわよ! 明日までにさっさと仕入れておきなさい!」


「え、ええ!? そ、それは……申し訳ないですけどできないんです……」


「何ができないよ! そんなにお客を待たせるなんて本屋の怠慢だわ! いくら人気でも一冊くらいどっかから手に入るでしょ!」


 叩きつけるように言葉を重ねられ、私の全身に冷や汗が浮かぶ。

 このシリーズの新刊は常識外れの人気を誇っており、在庫が一切ないのは本当の事だ。電話での問い合わせも多いけど、完全に入荷未定なのだからどうしようもない。


「だいたいこの店は普段から対応が悪いのよ! 店員は無愛想だし、古い本は置いてないし、値段だって高いわ! この間だって――」


 突きつけられた要求について何もできないまま、女性はさらなる不平不満を口にする。不満や鬱憤に火が点いてしまったようで、クレームの奔流が止まらない。


(ど、どうすれば……)


 高圧的に文句を並び立てる女性に、私は固まってしまっていた。

 この人を納得させてこの場を納める手段が、全く思いつかない。


(だ、誰かに助けを……)


 脳裏にすぐ思い描いたのは、店長の三島さんや他の同僚達じゃなくて心一郞君の顔だった。彼は何だってできて、こういうトラブルには特に強い。


 そう期待して心一郞君が今担当しているレジへと振り返ると――

 

(あ……!?)


 自分のクレーム対応で気付けていなかったけど、驚くべき事に、レジの方でも何らかのトラブルが起きているようだった。


 状況はよくわからないけれど、何故か二十人ほどの大学生らしきお客さん達がレジ前にたむろっており、対応している心一郞君の苦慮している様子から何か難しい要求を受けている事が察せられる。

 

 そして、あまりにも大勢の人が集まっているためレジ周辺の機能が停滞しており他のスタッフもその穴を埋めるべくフォローに回っている。


(こ、これじゃ誰にも助けを求められません……!)


 孤立無援な状況を悟った私は取るべき対応が見当たらずにただ頬に冷や汗を流すばかりだった。




 ブックカフェ楽日のレジ付近で、俺こと新浜心一郞はクソ面倒くさい事態に自分の心が虚無になりつつあるのを感じていた。


「なあ、何とかしてくれよ! この辺りってあんま広い喫茶店とかないんだよ!」


「……申し訳ありませんお客様。当店で今から二十名分の席をご用意するのは難しいので、ファミリーレストランなどに行かれるのはどうでしょうか?」


「だから近くにそういう店がないんだよ! 俺達全員歩きだからもうここしかねーんだってば!」


(ンな事こっちの知った事か……!)


 総勢二十名の大学生たちを前に俺は胸中で激しくツッコミを入れた。


 突如としてぞろぞろと入店してきたこいつらは近所の大学のアウトドアサークルであるらしかった。


 今日はメンバー全員が登校していたので講義後に飲みに行こうという流れになったものの、まだ夕方には早いのでこの店で時間を潰すべく押しかけてきたらしい。


 だが当然ながら二十名分の席なんて即座に用意できる訳もなく、丁重にお断りしているだが――よっぽど頭がユルい奴らなのか揃いも揃って『えーっ!? いやいや、なんとかしてくれって!』『いーじゃんかよちょっとくらい!』などと意味不明な事を言ってくるのだ。


「席ぐらいさあ、テーブルとイス置けばパパッと作れんじゃん。いいからさっさと入れてくれって!」


「いえ、そういう訳にも……」


(二十名分もの席なんて増設するスペースがある訳ないだろ……! こいつら本当に大学生か!? 偏差値いくつのトコだよ!?)


 さっきからこの調子で全然引き下がってくれず、俺としても辟易していた。

 なにせ人数が人数であり、レジ前にたむろっているだけでかなり業務の邪魔だった。


 今日はただでさえスタッフが少ないのに、俺がこの対応にかかりきりとなってしまっているため、他のスタッフがその穴埋めをしてくれている有様だ。


(まったく、どう言えば納得してくれるんだこいつら……んっ!?)


 そこで俺の目にふと留まったのは、ホールで危機に陥っている春華の姿だった。

 高齢の女性客に捕まっており、極めて居丈高な様子で何事かをまくし立てられていた。


 どう考えてもクレーマーの類いであり、春華はとても苦手な高圧的な存在相手に困り果てていた。


(春華……! くそ、今すぐ駆けつけてフォローを……)


 春華至上主義の俺は反射的に彼女の元へダッシュしかけたが、今俺の目の前に横たわるバカ大学生達の問題を思い出してすんでの所で踏みとどまる。


「なあおい聞いてんのか? 客の言うことなんだからさっさと何とかしてくれってばさ! 俺らいつまでボーッと立ってりゃいいんだよ!」


(うるせえよクソ馬鹿ども……! いいからさっさと帰れ! お前らのせいで春華のフォローに行けないだろうが!)


 俺はひきつったスマイルを浮かべつつ、春華への救援を阻む迷惑軍団へ胸中で盛大に毒づいた。

【読者の皆様へ】


 陰リベの四巻以降について活動報告「陰リベ4巻以降について【吉報及び謝辞】」に記載しましたのでご覧ください。

(活動報告の記事の場所はこのページ最下部左側の「作者マイページ」orこのページ最上部の作者名「慶野由志」>「活動報告」です)

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― 新着の感想 ―
[一言] くれーまーこわい
[良い点] 続刊おめでとうございます! [一言] こういう場合の対応って、一旦席を確認して参りますで見に行って、やはりないことをお伝えするのが大変ですよねぇ。 探したけどないですよ〜の誠意を伝えるため…
[一言] 新品の書籍と中古の書籍では業種が違うので、古物商許可を取得した上で法務局に業種追加の届け出をしないと古本は本屋さんでは扱えないのですよ。何も知らないで文句言うだけの人は気楽でいいですよね。 …
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