101.紫条院さんに避けられた
二学期最初の日は、快晴で始まった。
まだまだ蒸し暑い気温の中で、久々に顔を見るクラスメイト達は誰もが休み明けのダルさを抱えながら登校してきたようだった。
だが、やはり若さのパワーと言うべきか、小一時間も経てば誰もがいつものペースを取り戻しており、久々に会う友達と談笑する姿が教室のあちこちで見られるようになった。
(前世の俺とか夏休みが終わるのが苦痛すぎて、『家にいるより教室で友達と一緒の方が楽しいよな!』とか言ってた陽キャ達の台詞が欠片も理解できなかったな……)
だが今では、俺もその気持ちが少なからずわかる。
周囲に怯える必要がなくなった今ならば、この教室の喧噪も中々に心地良い。
「た、頼む! 宿題写させてくれ!」やら「ねーねー、部活仲間とのキャンプどうだったー?」やらの言葉が耳に届くたびに、何故か口元がほころんでしまう。
「その……一昨日は悪かったな新浜……」
「ん?」
ふと声の方に視線を向けると、銀次、風見原、筆橋の三人がバツの悪そうな顔で俺の前に並んでいた。
なんだかえらく神妙な様子だが……。
「ご、ごめんね新浜君……正直記憶が朧気なんだけど、酔ってフラフラだった私達を新浜君とあの運転手さんが面倒見てくれたのはうっすら憶えてて……」
「今となっては我々三人の誰が間違ってお酒を買ってしまったのか不明なんですが……なんかもう、相当に迷惑をかけたみたいですね……」
根が真面目な三人は、間違って酒を飲んで周囲に世話をかけた事に落ち込んでいるようだった。まあ、確かになかなか大変ではあったが……。
「ま、気にするなって。別に暴れた訳でもないし、どうせバーベキューも終わりかけだったしな」
俺が笑って流すと、三人は安堵の息を吐いて表情を和らげた。
どうやら俺に対して迷惑をかけたと思っており、そこをかなり気に病んでいたらしい。
「ふう、そう言ってくれるのなら少し罪悪感が薄らぎます。その、ところで……我々のあの時の記憶って凄くフワフワしていて殆ど憶えていないんですけど……もしかして何か恥ずかしい事とか言っていませんでしたか……?」
いつもマイペースな風見原も、自分が何をしたか不明な状態では落ち着かないらしく、おずおずと問いかけてきた。
まあ、自分が何を言ったか憶えてないのは怖いよな。
「まあ一人一人言っておくと……とりあえず銀次は気にしなくていいぞ。ちょっと泣き上戸だったくらいで、言ってる事はあんまり変わらなかったし」
「そ、そうか……そりゃ良かったんだが、平凡すぎて後で話すネタにならないのはちょっと残念な気もするな……」
まあ酔って出てくるのはその人間の抑圧や本音だし、お前みたいな特殊な趣味もない真っ当なオタクじゃヤバい言葉も出てこないさ。
「風見原さんは……ふふ、あんなに俺に感謝してくれていたなんてな」
「え、ちょ、私ってば何を言ったんですか!? その優しい顔は何なんです!?」
いいんだ風見原。お前はいつも仏頂面で言動もドライな毒舌系OLみたいだが、友達を大切にしているのはガチだって俺は知っているからな。
「それで最後に筆橋さんは…………うん、女の子の名誉の為に黙っておく」
「え、えええええ!? ちょ、何それ!? どういうことなの!?」
その反応も最もだが、こればかりは仕方ない。
何せあの時の筆橋は、普段のスポーツ健康美少女とは一線を画すエロ親父スタイルだったのだ。
『あのたゆんたゆんに実ったマスクメロンとか丸々としたピーチとか堪能しちゃったぁ……?』
『あのダイナマイトなボディも勿論だけどさぁ、鎖骨の下にあるホクロがもうとってもエッチでねぇ……ぐえっへっへっへ……』
……などと言いつつハァハァと息を荒くして酒に飲まれまくっていたあの姿を自覚させるのは、少々酷だ。
このフレッシュなスポーツ少女が意外とムッツリさんだという事実は、しばらく俺の記憶だけに封印しておいた方が平和だろう。
「まあ、ちょっとだけ別の顔が出てきただけだから気にするな筆橋さん。あ、でも酒が飲めるようになったら自分の限界をちゃんと自覚するんだぞ? 大学のサークルとかで酔っ払ってやらかしたら後々まで響くだろうからな」
「そこまで言って気にするなって無理でしょっ!?」
筆橋が俺に食いつくようにして叫ぶが、俺は視線を外してスルーした。
強く希望するのなら教えてあげてもいいのだが、いくらなんでもこんなクラスのド真ん中で口にはできない。
「ん? お、紫条院さんが来たみたいだぞ」
銀次の声にその場の雰囲気がリセットされ、俺と女子二人は揃って教室に現れた美少女に視線を向ける。
(ああ……やっぱり制服姿も可愛いな)
その長く艶やかな黒髪や可愛すぎる容姿を見ると、あんな可憐な少女と海で身を寄せ合ったという事実が嘘のように感じてしまう。
酔いが回って寝てしまった後の事が心配だったのだが、昨日は俺も香奈子と話した後は前日の疲労がたたって夜まで寝てしまい、メールを送るタイミングを逸してしまっていたのだ。
「おはよう紫条院さん。もう体調は何ともないのか?」
俺は紫条院さんの席に歩み寄り、一昨日ぶりに会う少女へ挨拶する。
こうやって気軽に声をかけられるメンタルこそ俺の人生二週目最大の武器であり、今世において紫条院さんと積み上げてきた繋がりの賜物だった。
そう、思っていたのだが――
「……っ!」
(え……!?)
いつもなら朗らかに挨拶を返してくれる紫条院さんは、俺の顔を見るなり勢いよく顔を背ける。
声が聞こえなかったとか、別の誰かに呼ばれたとかではない。
俺の声と姿に反応して、顔を見たくないという様子で俺を視界から外したのだ。
「あ……え……? し、紫条院さん……?」
「……ちょ、ちょっとお手洗いに行ってきます!」
俺に一切顔を見せずに、紫条院さんは逃げるようにして教室を後にする。
そして、残された俺は呆然とそれを見送り、紫条院さんに声をかけたその瞬間のポーズのままで地蔵のように固まっていた。
(俺から顔を背けて……逃げた……? 俺の顔を見るのも嫌で、目の前にいるのも耐えられなかった……?)
予想だにしない対応に、俺は自分の足元が突如消滅して奈落に落ちていくような感覚に襲われる。
全身の血が北極の海のように凍てついていき、ガラスのハートに無数のヒビが入っていくのがわかった。
そしてたちまちの内に俺の生気は枯れ果て――必然として教室の床に崩れ落ちていた。
「へ? うわあああ!? なんか新浜が死んでるぞ!」
「ちょ、え、どうしたの!? 夏バテの酷いやつ!?」
「うわ、やべーぞ! ゾンビみたいな顔色になってる! つか呼吸も浅いぞ!?」
「あーもう! 春華の態度も謎ですけど、本当に新浜君ってメンタルが強いのか弱いのかわからないですね!」
そんなクラスメイト達が慌てふためく声が聞こえたが、致死ダメージを食らって倒れている俺の心に何も響かなかった。
紫条院さんに嫌われた。
死にたい。




