100.海から一夜明けて
「うわっ春華ちゃんの水着エロっ! 何この清純派なのに溢れ出るエロス!?」
新浜家の居間で、妹の香奈子は俺のガラケーに写った紫条院さんの水着姿写真を見て度肝を抜かれたように叫んだ。
ちなみにこの水着写真は風見原がちゃっかりガラケーで撮影していたものであり、『春華のグラビアみたいになっちゃいましたが、とりあえずお納めください』というメッセージと共にバーベキュー前に送ってきたものである。
スマホ時代に慣れた俺から見たらちょっと解像度が残念なのは悲しいが、それでも清楚可憐な黒髪ロング美少女の肢体が醸し出す色気と愛らしさは半端ではなく、妹でなくてもその破壊力には目を瞠るだろう。
(楽しかったな海……まあ、後始末は色々と大変だったけど……)
クーラーが効いた室内で麦茶を口に含みつつ、俺は昨日の事を思い出す。
あの砂浜での紫条院さんとの追いかけっこの後――俺はやむを得ず眠りに落ちた少女をおんぶして皆のところまで戻った。
それはまさしく試練だった。
なにせ、背中にフルフルした柔らかい果実が当たる感触や、紫条院さんの寝息が首筋に当たるような状況で、眠れる美少女を起こさないようにゆっくりと歩みを進めなければならなかったのだ。
しかも、紫条院さんは寝苦しさのせいか時折、『あ……ん……』とか『はぁ……ん……』とかもの凄く悩ましい声を漏らすので、今にも爆発しそうな煩悩を抱えて歩くのは神がかった精神力を要した。
(しかも戻ってみると銀次達三人も酔いが回って寝てるし……夏季崎さんがいてくれなきゃ詰んでたな)
素面であるが故に最後の片付けの任を背負う事になった俺は、気のいいマッチョ運転手さんと共にバーベキューセットなどの後始末をして、酔って寝落ちした四人を車に乗せて帰路についたのだ。
ちなみに飲酒の件については、『子どもさんをお預かりしておきながら目が届かず申し訳ありません!』と紫条院さんの家から謝罪があったようだが、どの家庭もそれが非行などではなく子ども達のうっかりミスだと理解し、単なる笑い話として終わらせてくれたようだった。
そして、海行きから翌日の昼である現在、この妹は『ほら兄貴ぃ! 海に行った時の報告を聞かせてよ! 早く早くー!』と推し漫画の最新刊を待ちわびていた読者のように俺に話をせがんできたのだ。
そんなわけで今、当日の写真を交えて起った事をかいつまんで説明したところなのだが――
「……私の兄貴が海で一通りのエロハプニングを網羅して帰ってきた件について」
「ネット小説のタイトルみたいに言うなぁ!」
新浜家の居間で、最近ツインテールからポニーテールに転向した香奈子の呆れと感嘆が入り交じった一言に俺はツッコミを入れた。
なんだそのベタだけどエロ挿絵さえしっかりしてれば一定の人気を博してしまいそうなヤツ!
「だってそうとしか言い様のない役得なシチュの嵐じゃん! まあでも……ふふ、春華ちゃんとベタベタするたびに真っ赤になってる童貞兄貴の姿が目に浮かぶなー」
「ぐ……」
俺の現地での狼狽ぶりを想像して、香奈子はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。そして、その想像は完全に正しいのだから俺としては一言も反論できない。
「それにしても、聞いていた通り兄貴の友達はみんな協力的みたいだね。大勢で遊びに行くとなるとそこが結構重要だけど、私の想像した通りで本当によかったよー」
「へ? 重要って……何がだ?」
俺が不思議に思って尋ねると、香奈子は『仕方ないなーこの童貞兄貴は』と言わんばかりのヤレヤレ顔で解説を始める。
「まず、友達グループで行く海やらお祭りやらは男子と女子の仲が進展するチャンスなのはわかるでしょ? 『みんなで来た』っていう大義名分があれば、気恥ずかしさが減るもんだからね」
まあ、それはそうだろうと思う。
男女混合のグループでの遊ぶのは、そういった想いの隠れ蓑になる。
「下手に無理して二人っきりで行ってガチガチに緊張するより、カップル成立の確率が上がるんだなーこれが。けどね、そのためには一緒に行く周囲の友達の人柄が重要なんだよ」
「そ、そうなのか……?」
いつの間に始まってしまった香奈子先生の恋愛授業に、元オッサンの俺は座して聞き入るしかない。
「そうそう、全員一緒の集団行動に縛り付けたがる子や、雰囲気のいい二人を必要以上に囃し立てたりする子とかがいるとそれだけでちょっとねー。逆に言葉少なめで盛り下がるような面子だと、これまた場が冷えて仲の進展どころじゃないし」
まるで合コンサークルで男女関係を極めまくった大学生のように、実感を込めて香奈子は語る。毎度思うがこいつは本当に中学生か?
「その点、兄貴の友達はみんな兄貴の事を応援してくれているみたいだし、思った通りずいぶんサポートして貰ったみたいじゃん?」
「ああ……いい奴らだよ本当に……」
確かに、今回は何気にあの三人がいてくれて良かったと思える事が多々あった。
まあ、その借りはあの酔っ払い事件の後始末である程度返したと思いたいが……。
「ふふ、兄貴から話を聞いて、そんなに周囲がしっかりしてるのなら私の出る幕はないかなーって海までついていくのはやめたけど……やっぱり正解だったね」
「え……!? お、お前、ついてくるつもりがあったのか!?」
「ま、あんまりノリが悪そうな雰囲気だったら盛り上げ役をやってあげようかなとは思ってたよ。ただまあ……そうすると兄貴も春華ちゃんも私につい構っちゃうだろうから、本当に最後の手段だったけど」
私も海で春華ちゃんに会ったらずっとべったりしたくなるしねー、などと言いつつ、香奈子は笑う。
どうやら兄の友達の中に突撃しても周囲とすぐ仲良くなれる自信があるようで、
場合によってはついて行ったというのは割と本気の事だったらしい。
しかし、それにしても――
「……ありがとな、香奈子」
「ふぇ?」
俺が胸に溢れた感謝を伝えると、妹は目を丸くした。
ツインテールなこいつも可愛かったが、最近デフォルトになりつつあるポニーテール姿も愛らしい顔によく似合っている。
「お前、本当に俺の恋愛を応援してくれているんだな。いざとなれば海にまでついてきて俺のサポートをする気だったなんて……そんなにも俺の事を想ってくれていてありがとう」
「え、えと……ふ、ふん! 自惚れないでよ兄貴! そりゃあ兄貴の恋愛は超応援してるけど、どっちかと言えば春華ちゃんが私のお姉ちゃんになってもらいたいからで……ちょ、ちょっとぉ!? 無許可で頭撫でないでよ!?」
年相応の照れた顔を見せる可愛い妹の頭に触れ、その艶やかな髪を俺はゆっくりと撫でた。
前世において俺が最も傷つけてしまったかもしれない妹。未来において俺に対して失望を重ねたであろう家族が、こんなにも俺の事を気にかけてくれている。
その事実に愛しいという気持ちが止まらずに、俺は妹の頭を飽きずに撫でた。
そして、香奈子も文句は言うもののまんざらではないようで、やや顔を赤くしながらも俺のナデナデをしばらくの間受け入れていた。
「ううー……最近兄貴がどんどん女の子慣れしていってるのを感じる……。というか、兄貴の覚醒って根暗から明るいキャラに変身したって言うより……どっちかと言うと中身だけ一気に大人になってパパっぽくなってる……?」
兄のナデナデに屈したのが悔しいのか、香奈子がぶつぶつと言う。
そして、その分析が妙に核心に近いのがなんとも凄い。いつか俺がタイムリープしてきたんだとバラしてもこの妹はあっさり信じるかも知れん。
「ま、それはともかく、海での戦果は大漁で良かったじゃん兄貴! しっかりと物理的にベタベタしたし……とうとう念願の名前呼びも達成したのはデカいって! 香奈子ちゃんの恋愛心理学的に、それはとうとう友達の殻が破れ始めたって事だよ! 羽化して羽ばたく日は超近い!」
「うーん……確かに良かったんだが、名前呼びの辺りの紫条院さんは相当に酔っ払っていたし、多分記憶にないと思うぞ」
「えっ……お酒ってマジでそんなに記憶飛ぶものなの? あれって漫画とかの大げさな表現とかじゃないの?」
流石の香奈子も年齢的に酒のヤバさは知らなかったようで、目を丸くして驚く。
そうだぞ妹よ。特にお前は可愛いんだから、将来お酒を飲むときはきっちり注意しろよ。
「ああ、飛ぶときは本当に記憶が飛ぶ。酔っ払って目が覚めたら居酒屋から自分の家にワープしたようにしか感じなくてビビる……なんてことも別にフィクションじゃないんだ。……まあ、あくまで聞いた話だけどな」
普通ならよほど深酒しないとそこまではいかないが……あの時は走ってかなり酔いが回っていたし、夢の中で喋っているような紫条院さんの様子からして、記憶は連続していないだろう。
「まあ、正直忘れていた方が紫条院さんにとっては平和かもな……。考えても見ろ。例えばお前が酔っ払って俺に頬ずりしたり抱きついたり、『お兄ちゃん大好き♪』とか言いまくった恥ずかしい記憶が残っていたら身悶えするだろ?」
「ちょ、例え酔っ払っても私はそんな事言わないからっ!? ……まあ、でも……もし頭がパーになってそんな事になった記憶が残ってたら、控えめに言って今すぐ死にたくなる……」
「だろ? まあ俺も残念に思う気持ちはあるけど、本人が七転八倒するような記憶が残ってるのも可哀想だしな」
「そっか、もし憶えていたんなら……兄貴に抱きついてぎゅーっとしたり、はしゃいだり落ち込んだりの忙しないテンションで浜辺をダッシュしたり、兄貴への不満をぶちまけたり、耳元で『心一郞君♪』って囁いたりした記憶が全部ある訳なんだよね……」
「ははは、まあ、あの呂律の回っていない理性の蕩け具合なら、ほぼ間違いなく記憶は吹っ飛んでるって。あんな事を全部憶えていたらいくら天真爛漫な紫条院さんでもベッドの上でジタバタコースだしな!」
数々の酔っ払いを見てきた俺の見立てでは、銀次達三人は断片的に記憶があるくらいで、紫条院さんの酔い具合だとあの時の記憶はまるっと消えているだろう。
あのアルコールがもたらしたハプニングは、俺だけが憶えていればいい。
「うーん、でも本当にそうかなぁ……? 案外しっかり覚えていたりして……」
想い人の心の平穏を確信して笑う俺に、香奈子が腕を組んでボソリと疑問を呈した。
【読者の皆様へ】
『陰リベ』1巻が2月1日発売です!
電子書籍版も予約販売を開始しております。
なお、内容はかなりの加筆及び一部の設定変更を行っており、WEB版の丸写しではなく『リメイク版』と呼べる形になっております。
発売1~2週間の売れ行きで2巻が出るか決まるのですが、新型コロナウイルス感染拡大の時期ともろかぶりしてしまい、厳しい事になるかもです……(泣)
ダイレクトマーケティングになりますが、どうかよろしくお願いします……!