10.ラブレターとマウント返し
「ねえ、新浜……私あんたのことが好きなんだ。私たち付き合おうよ」
坂井にそう告白され、俺の頭は混乱の極地にいた。
(ど、どういうことだ? あの手紙はイタズラじゃなかったのか?)
てっきりそう思っていたし、俺が呼び出しの場所であるここを通りがかったのは偶然なんだが、実際に坂井はいて俺を好きだと言う。
まさか、本当にマジで坂井は俺のことを……?
(……いや、ねーわ)
一瞬童貞思考が頭をよぎったが理性はそれを即座に却下した。
(坂井とはマジで喋ったことないし……表情になんの緊張もない。本当に俺に好意を持っているとは思えない)
しかしこの状況はさっぱりわからない。
(まさか……強制告白の罰ゲームか? 坂井はイジメられてて好きでもない奴に告白してくるように命令されてる?)
けど、坂井の女子グループはクラスでよく目にするが別にイジメがあったようには思えないし、罰ゲームにしては表情になんの苦しみもない。
なら一体……? 正直わけがわからん。
「ふっ……くくっ……」
「ん?」
「あはははははっ! こいつマジにとってやがんの!」
「おう見てた見てた! マジウケるぅー!」
「なぁーんにも知らずにマヌケ面さらしちゃってさぁ!」
突然坂井が笑いだしたかと思ったら、校舎の影から男子と女子が何人か出てきてゲラゲラと笑い出す。
「私があんたに告白? そんなわけないだろっての!」
(……あ、なるほど! これって『嘘告白』か! 漫画とかでたまに見る奴!)
やっと意味不明だった状況に得心がいき、俺は心の中でポンと手を打った。
冴えない男子に女子が嘘の告白をして、照れたり喜んだりする反応を隠れて見ていた奴が楽しむというアレだ。
(こんなアホみたいなイタズラをリアルにやる奴がいるとは流石に予想できなかったな……高校生のヒマさを見くびってたな)
「いやー、ケッサクだった! 坂井に告白されて顔真っ赤だったもんな!」
いや、図書室に行く途中にいきなり坂井から告白されて意味不明すぎて混乱していただけなんだが……。
「オイオイ、坂井も笑い出すのはえーよ! こいつがどんな顔で告白に返事するのか見たかったのにさ!」
「あはははっ、ごめんごめん! こいつが真剣に返事を悩んでるのを見たら噴き出しちゃってさ!」
いや、坂井がイジメで罰ゲームを強いられているのでは? と心配していたのと、状況の意味不明さに目を瞬かせていただけで、告白の返事とか思考の埒外だったんだが。
「いやー、しかしマジでウケたな。いい見世物だったぜ新浜ぁ!」
「ははっ! 告白が嘘でよっぽどショックだったみてえだな!」
(さっきから俺一言も喋ってないんだけど、なんでこんなに盛り上がれるんだこいつら)
こいつらの脳内において、俺は告白に心臓を高鳴らせて有頂天になり、そして今はそれが嘘と知って呆然としているのだろうがそんな事実は全くない。
「おい新浜……なんでお前がハメられたかわかるか?」
「え、いや……そもそも誰だよお前?」
「はぁ!? 坂井と俺は同じクラスだろうが! しらばっくれるな!」
そう言われたら確かにクラスメイトだった気がする。
ええと……たしか、つち……つち……土山だっけ?
坂井が入ってる男女でカラオケやゲーセンに行って街遊びするグループの中に確かいたような気がするが正直印象が薄い。
「元々は俺の発案なんだぜ。最近チョーシ乗ってるお前で遊ぼうってね」
土山が何故か得意げに言う。
それにしてもまた『チョーシ乗ってる』か!
マジで便利な言葉だなそれ!
「最近お前マジで生意気なんだよ。隅っこでウジウジやってりゃいいのにあちこちにお友達を作ったり急にガリ勉したり……勘違いしやがって」
「それで私が告白役を頼まれたってワケ。私もあんたみたいにチョーシ乗ってる奴はムカつくし」
(ああ……なるほど、道理で印象が薄いと思ったらこいつら二軍か。だから俺みたいな三軍が目立って怖くなったと)
彼らは有力なグループに属してはいるが、そこの中心を占めているのは一軍とよばれる有力な生徒だ。
そして二軍である彼らは腰巾着や取り巻きというポジションに収まり、ひたすらに一軍をヨイショする立場となる。
そんな扱いでも自分が有力なグループに所属しているという事実は特権階級意識を芽生えさせ、自分より『下』を見下して安心を得るようになる。
そんな中で、三軍である俺が目立ったことで彼らは恐怖したんだろう。
自分達より『下』の人間の立場が上昇することもあると認めたら、もう安心して『下』を見下せなくなる。
だからこいつらは自分達の安息のために、俺をハメて嘲笑して、マウントを取ることを思いついたのだ。
「大体さあ、私みたいにチョーかわいい女があんたみたいなの相手にすると思ったの?」
「まあ、そう言ってやるなよ。普段から女子と遊んでイイ思いしてる俺らと違って女の影もない可哀想な奴なんだよこいつは」
「ま、暗いオタクだからな。一生彼女もできねえで寂しく死んでいくタイプの奴だよ。俺らみたいなイケてる人間とは違――」
「あ、新浜君! ここにいたんですね!」
不意にほんわかとした明るい声が聞こえ、俺の脳内は瞬時に幸せで満たされた。
「紫条院さん……?」
中庭に現れて俺の側にグイグイと寄ってくる美少女は、間違いなく紫条院さんだった。
「もう! なかなか図書室にこないから探してたんですよ! 新浜君がいないと楽しくないんですから遅れないでください!」
「あ、うん、悪かったよ」
「この前一緒に帰った時に話したブレイダーズの新刊の感想もいっぱい語りたいんですよ! 新浜君と話す時間は一分一秒でも惜しいんです!」
何故か妙に怒ってる紫条院さんだが、そのプリプリした顔も可愛いなぁと見惚れてしまう。
「え……し、紫条院さん……? どうして新浜と……?」
「一緒に帰ったって……」
学園一の美少女の突然の乱入に、先ほどまで俺を見下しまくっていた奴らの顔が揃って呆然と固まる。
「あれ? ええと、同じクラスの坂井さんに土山君に……他は別のクラスの人みたいですけどどうしたんですか?」
「え……あ……いや……」
「その……えっと……」
水を向けられた土山や他の男子生徒は、もごもごと言葉にならない。紫条院さんの美貌がいきなり目の前に現れてまともに喋れないらしい。
「? 何でもないのなら新浜君とこれから予定があるので私たちはもう行きますね。これから二人っきりで楽しい時間を過ごさないとならないのです!」
「ふ、二人っきり……!?」
「楽しい時間って……え……?」
ド天然の紫条院さんが誤解を招きまくる言葉を連発するが、もちろん俺たちは今から図書室で図書委員の仕事をしつつ紫条院さんの好きなライトノベルの雑談で盛り上がるだけだ。
とは言え普通はこれから放課後デートに熱を上げるようにしか聞こえないため、俺を馬鹿にしていた連中はショックのあまり魂が抜けたような顔のまま硬直していた。
「ま、そういうワケだ。それじゃ俺はもう行くぞ」
もうこいつらと話す意味はないし、紫条院さんと一緒にいる時間は地球より価値が高いのだからグズグズしてられない。
「ありえない……どうしてよ……」
去ろうとする俺の背中に、偽告白をしてきた坂井の声が届く。
まるで呪いのような声音だった。
「あんた『下』でしょ……どうしてそんな『上』の子と……! 何で大人しく地べたにいないの! あんたたち底辺は私たちイケてる人間の顔色を窺ってビクビクしてればいいのに!」
紫条院さんの登場によりマウント返しされたことが相当に悔しいのか、本音をかなりストレートにぶちまけてきた。
(学校内のランクなんてものを気にしすぎて振り回されてるな……大人の目からすれば可哀想だ)
学生時代の上下関係なんて本当は人生において一切意味がない。
けど、学校にいる間はそれが世の中の全てみたいに思い込んでしまうんだよな。
「……そんなに自分の位置をキープするのはストレスなのか? 下を見て優越感に浸らないとやっていけないレベルで」
「……っ!」
やはり図星だったのか、坂井が苦虫を潰したような表情で黙る。
「上とか下とか……そんなもの気にしすぎるから疲れ果てて苦しいんじゃないのか? お前が言う『下』の奴らはシンプルに気の合う友達とだけつるんで結構楽しくやってるぞ」
「………………」
坂井はうつむいて何も言い返さなかった。
そして俺ももうそれ以上は何も言わなかった。
俺たちの言う上下の概念がわからず不思議そうな顔をしている紫条院さんを伴い、俺はその場を離れた。
「その……結局坂井さんたちは結局新浜君に何の用だったんですか?」
図書室に向かう途中、紫条院さんは当然の疑問を聞いてきた。
「ああ、いや実は坂井からラブレターを貰ったんだ」
「え……」
俺がそう言うと、何故か紫条院さんの顔から表情が消える。
「ああ、といってもイタズラだよ。嘘の告白で舞い上がる俺を見て馬鹿にするっていう主旨だったみたいだ」
「な……なんですかそれ!? そんなの人間としてやってはいけないことです! 冗談じゃすみません!」
そこでしっかりと正しい怒りを示せるのが紫条院さんのいいところだ。
俺が大好きな少女はとても心が清い。
「ああ、でも紫条院さんが来てくれたから大人しくなったよ」
「え……どうして私が?」
「それはまあ……真ん中では及びもつかない上の上だからかな」
「???」
やはりスクールカースト制度には疎いようで、紫条院さんは首を傾げる。
「それで、大丈夫なんですか? 私なんて誰かに詰め寄られたら怖くて一日は胸が苦しいですけど……」
「ああ、『お前は女っ気ない日陰者だけど俺たちは頻繁に男子女子で遊びに行くほどイケてるから違うぜー』みたいなことを言われたけど平気だよ」
「え? ええと……その言い方からすると……男子と女子で一緒に遊びに行くと偉いんですか?」
「いや、別にそれで偉いってわけじゃないけど……実際周囲から羨ましがられるし評価は上がるだろうな」
俺の説明に紫条院さんは「そうなんですか……!」とやや驚いた様子で呟く。
どうやら今までモテることがステータスだという概念がなかったらしい。
「あ! なら良い案がありますよ! 異性と遊びに行った経験があれば新浜君が軽んじられなくなって絡まれなくなるのなら、私と一緒にどこか行くというのはどうですか? これでも私は一応女子ですし!」
「ははは、ありがとう。そうできたら嬉しいな」
「そうですか……なら期待してますよ」
(……え?)
軽い冗談だと捉えていた俺に、紫条院さんのささやきが届く。
ふと見れば、彼女の綺麗な瞳が俺を上目遣いで見ていた。
「その時は、素敵なところに連れて行ってくださいね?」
いつもより大人びた様子の紫条院さんが静かに告げた言葉に、俺は赤面したまま固まった。
え、これは……紫条院さん、どこまで本気で……
「――さて! それじゃ図書委員の仕事をさっさとやってしまいましょう! その後はラノベ談義に付き合ってもらいますから!」
俺がドギマギしていると、紫条院さんはいつもの子どもっぽい笑顔でそう言い、図書室へとどんどん歩きはじめた。
(かなわないなぁ……)
天真爛漫かと思えばこうやって予想もつかないことを言ってドキッとさせてもくる。触れ合うほどに魅力が解放されていく。
学園内のカーストランクなんて馬鹿げたものだけど、俺の中で最高ランクの女の子は疑いようもなく紫条院さんだ。
ああもう……そんな期待を持たせる台詞を言っちゃうと、俺みたいな童貞は勘違いするんだからな?




