七. すれ違い(1)
近畿大会が終わって、何日か経ったある日。
「モミの木からアイスダンスの貸し切りのお誘いが来たわ」
姫島先生からそんなニュースを聞いた。
「こちらの希望を言えば、開催日も調整してくださるそうだけれど、どうする? こんな大会の迫った時期ではなくて、もう少し余裕のある時期に参加させていただきましょうか?」
他の人と滑ることで勉強になることも多かった僕は、行ってみるのもいいんじゃないかと思った。
それにもし、セッションに飛鳥井さんが来ていたら。
僕と組んでみたいと言ってくれた飛鳥井さんと、ぜひ一度滑ってみたい。
メアリーとつかんだと思った感覚を、陽向さん以外となら再現することができるのか確かめてみたかった。
「あの……」
口を開こうとした時、僕の言葉を遮るように陽向さんがきっぱりと言った。
「セッションなんて、パターンダンスを楽しむために行くような所ですよね。今は自分たちのプログラムを磨かなくてはならない時期ですもの、そんな所に行っている暇はないと思います。ね?」
陽向さんはじっと僕の目を見た。
続きを言うことなどできなかった。僕には、二人が勝利に繋がる道筋を知っているように見えた。
アメリカにいた時は、少しは自分の考えを言えるようになっていたのに。二人の揃っているこの場所では、どうもだめなのだ。
それからすぐの日曜日の朝のことだった。
練習を始めて数時間経った時、少し前までが嘘のように人が増えてきた。
「ねえ制覇君、一緒にお昼食べに行かない? グループで遊びに来た人たちで混んでるみたいだから、少し時間を潰せば空いてくるんじゃないかと思うの」
陽向さんにそう誘われて、僕は靴を脱ぎにリンクサイドに上がった。他の奴らも次々リンクサイドに上がってきた。
「天宮も、昼行く?」
上本に尋ねられる。こういう待ち時間が発生した時には、リンクのメンバーで、近くのファーストフードに行くのがいつものパターンだ。
靴を脱いでリンクの改札に立っていると、次々とみんなが集まってきた。上本が、変な目で僕を見ながら近寄ってくる。
「お前、こういうところで踊んなよ。恥ずかしーなー」
「げ? 俺、今踊ってた?」
自分でも気がつかないうちに手足を動かしていたことには驚いたけれど、こんなことは別に恥ずかしいことじゃない。普通のことだ。僕を馬鹿にした上本だって、ふとした瞬間にジャンプの練習をしているのを僕は知っている。
「ぼちぼち行こうか」
何人か集まったところで、いつもの場所へとみんなで歩き始めた。
店に入ると、僕は近くにいた仲間と同じテーブルに座った。上本と、もう一人、中学生の女の子だった。
「みんないっつもこのお店使ってますけど、この近くにパンの食べ放題のお店あるんですよ。知ってます?」
時間を潰すためにみんなこの店を使っているけど、財布やカロリーを思うと僕としてはあまりありがたくなかった。と言ってもパンの食べ放題も、そう違いはないような気はするけれど。
「どこそれ? 今度教えてよ」
上本は興味ありげに聞いていた。
少し経つと、二陣三陣も店に入ってきた。きょうちゃん先輩が奥のテーブルに着こうと、トレーを手にこちらへと近づいてくる。間際まで来た時、きょうちゃん先輩はぎょっとした顔で僕を見た。
「シンデレラ!? どうしてあなた、ここにいるの!?」
一瞬、なぜそんなに驚かれているのかわからなかった。でもすぐ慌ててまわりを見回す。
陽向さんがいない。
「ひな、あなたとプログラムの話がしたいからって、リンクに残ってたけど!?」
僕は急いで席を立った。
「あとは二人で食べといて!」
陽向さんは、みんなとではなく僕と二人で昼を食べに行こうと言っていたのだ。多分。きっと。
――気づかなかった!
僕は全速力でリンクまで走った。リンクに戻ると、改札の向こうの壁に背を持たせかけて立っている陽向さんが見えた。練習着ではなく、可愛らしい服装に着替えていた。そんな彼女がこちらに顔を向けた。僕と目がばっちり合った。
いつもだったらすぐに笑って僕に手を振ってくれるところなのに、この日の陽向さんは、無反応だった。僕が目の前に到着するまで、彼女は身動きもしなかった。
「ごめんなさい!」
そうかけ寄る僕に、
「どこに行っていたの?」
と陽向さんは首を傾げた。
「みんなといつもの店に……」
「みんなと……?」
陽向さんはどういうこと? といいたげな声でそう言った。
「私がお昼に誘ったのは覚えてた?」
「もちろん! でも、みんなと行くものとばかり思い込んでて」
「じゃあどうしてみんなと一緒に、私を連れていってくれなかったの?」
「陽向さんがいないことに気がつかなかったんです」
とにかく謝らなくてはと、ありのままのことを言った。
でも次の瞬間、僕は言葉を失ってしまった。
「私がいないことに気がつかなかったの?」
そうだ。どうして気がつかなかったんだろう。いつも隣にいる人がいなかったのに。
「信じられない……」
僕は何も言うことができなかった。陽向さんもただ僕の前に立ちつくしていた。
陽向さんが怒っているだろうことはある程度は予想していたけれど、勘違いを謝ればすむものだとばかり思っていた。なのにどうしてこんなに気まずいことになってしまっているんだろう。
しばらく考えて、「ほんとにごめんなさい。あの、今からどこかに……」と思い切って言った。
「もういいわよ。みんなと食べてきたんでしょう?」
「でも、プログラムについて何か話があるんですよね……?」
陽向さんは首を横に振った。
「別に、今でなくても構わないと思うの。私、どこかで食べてくるから、リンクが空いてきたらまた練習しましょ」
陽向さんは、無理したような笑顔でそう言った。
そして、どこかへ行ってしまった。
「今度のアイスダンスの貸し切り、来る?」
数日後。果歩からそんなメッセージが届いた。
「ちょっと無理そう。わざわざこっちの先生に情報回してくれたんだったらありがとう」
「日程、合わなかった?」
「大会前だから、セッションに行くのは無理ってことになって」
「セッションって何?」
「説明が難しいから、そのうち説明するよ」
果歩と長々とやり取りしている気分ではなかった。
あのあと戻ってきた陽向さんは、もう気にしてないと笑顔で言った。
それなのに僕たちの滑りはあれ以降、まとまりのないものになっていた。
「そうだ。理子さんにはもう言ってあるけど、バイトもしばらく行かないから」
「何かあったの?」
「大会の前だから忙しいんだよ」
これが本当に試合前という理由だけだったら、どれだけ忙しくても、こんなに苦しくはなかったんだけど。
「忙しくても、モミの木には絶対来た方がいいと思うけどなー。モミの木は制覇のこと絶賛応援中なんだから(はーと)」
多分どんなメッセージが書かれていても、その時の僕には内容を理解できる余裕なんてなかったと思う。僕が分かるのは、果歩はいつも僕をリンクで待ってくれているということだけで。
「ごめん。ちょっと今は……これまで以上に真剣にやらなくちゃと思ってて……」




