4.第一の試練・密室の馬車
捕まってしまった。敗北の鐘がガンガンと腹立たしい程頭の中で鳴っている。せめて馬車を捕まえていれば、そもそもあんなでかいトランクを使わず郵送でもなんでも使っていれば、迷信程度とはいえ魔術対策をしていればと後悔は絶えない。
まあどんなに考えたところで後悔先に立たず、現在進行形で私は両隣をサブキャラに挟まれ正面にヒーローを配置された最悪のフォーメーションに加え、とてもモブが乗れそうにないご立派な馬車に揺られているのだった。
いくら私と言えども、この配置から逃げ出すなんてことは難しい。奇跡に奇跡が重なって万一馬車から飛び出せても、なんと常識外れの魔導師が馬車の上に寝転がっているので、また捕まえられておしまいだ。
逃げ道がないことを嘆く私と同じように、御者のモブが安全運転を心掛けながらも己が無力さを嘆いている。仕事に真面目なのはとても良いことだから、MNCでの思い詰めて自殺しそうな激重発言は控えてほしい。メンヘラ女子も真っ青だよこんなの。
しかし、今は逃げようがなくても希望の光が完全に潰えたわけではない。
確かに私はヒーローに捕まってしまったが、まだ私には名前が付いたり外見が変化したり、ともかくモブではなくなってしまうという兆し、わかりやすく言えばまモブ卒業システム」というやつが働いていないのだ。
もしも本当にこの世界が先程の失恋からの新たな恋というシナリオであるなら、私はモブのまま次の世界へ行くことが出来る。残念ながらモブには世界のシナリオがどうなっているのかわからないので、あくまで希望論に留まってしまうのだが。世界にはいつも思うけど、ちゃんとシナリオをモブにも渡してほしいものだ。常にアドリブを要求されるところはこの仕事の数少ないマイナスポイントである。
ぐるぐると頭の中でなんとかポジティブ思考に持っていけたところで、ヒーローがあろうことか身を乗り出し、こちらの顔を覗き込んでいるのに気付いた。鼻と鼻がもうすぐくっつきそうなんですが何なのこのパーソナルスペースの狭さ。ここまで近付かれるまで気付かない私も私だが。
「……聞いているかい?」
あ、聞いていませんでした。だがそんな小生意気な発言は頭の中でしかしない。直感的なものなのだが、ヒーローの前で声を出したら終わりな気がしている。それこそモブを卒業してしまいそうなそんな予感だ。100年を超えるモブ経験で培った勘がそう言っているので大人しく従う。
本来こういうので声を出さないという行動は個性として捉えられてしまうため、標準モブとしてはNG行動なのだが致し方ない。今はヒーローに巻き込まれたモブという立ち位置だが、そこに自分の過失が加わってモブ卒業、なんてそれこそ弁解も何もあったものではないのだから。
答えようとしない私を先程の距離そのままに見つめていたヒーローは僅かに首をかしげる。さらりと流れる金髪のまあ美しいこと。おそらく王道王子様キャラのテンプレートとも言える青い瞳も、これまたテンプレ通りアクアマリンやサファイヤあたりに例えられるくらいキラキラと輝いて美しいのだろうが、何せこの距離なので直視できるわけもなく、私は微妙に視線をそらしている。
「もしかして喋れないのか?」
おっと好都合な勘違い。折角なのでそれを利用しない手はないと、申し訳なさそうな表情を装ってコクリと頷く。もちろんMNCで「私はこれから喋れない設定で通すからヨロシク」と周知行動も忘れない。次の世界に行くまで声を出せないのかと思うと大変しんどいものだが、心穏やかな未来を思えばこれくらい我慢出来るというものだ。
喋れない、と勘違いしてくれたのはヒーローだけではなく、両隣のサブキャラも同じようだった。左隣の筋肉隆々と評すべき短髪の青年は眉を落とし、右隣の髪を綺麗に整えている青年は思い切りその綺麗な顔をしかめている。
「マジか。うーん、こりゃ手強い相手だな」
「……言葉の話せぬ王妃など前代未聞ですよ」
右隣のサブキャラの気が早過ぎて困る。誰が王妃になると言ったんだ。絶対お断りするぞ私は、と思いながら右隣の青年を凝視すると、むっと声を上げ、ヒーローがイケメンにしか許されないようなスネ方をする。
「うるさいぞユリシス。公の場で失言する可能性がないからいいじゃないか」
ヒーローはヒーローでポジティブシンキング過ぎないか。それでもって私が王妃になること前提で話を進めないでほしい。誰も了承してないんですけどと声をあげたい。しかし声を上げられないよう制限をかけたのは他ならぬ私なので、ここも不服そうな顔を堪えながら黙り込むしかないのだ。
ようやく身体を背もたれに戻したヒーローは、にっこりと漫画なら花トーンとキラキラトーンがこれでもかと貼られていそうな笑顔を浮かべた。
「まあ、まずは自己紹介といこう。俺はクラリエール王国の第一王子、アオイ・クラリエール。君の右隣のが俺の補佐官のユリシスで、左隣のが親衛隊長のナイジェル。それと今馬車の上で寝転がってるのが宮廷魔導師のアーレイだ」
ヒーローが紹介した者は全員見事に顔が整っている。もしかするとこの世界、乙女ゲーム系かもしれない。とすると厄介だ。モブにとって一番ドタバタするのが、他ならぬ攻略対象が多い乙女ゲームやギャルゲーなのだから。
少女漫画ならヒーローとヒロインが1人ずつで、当て馬がいたとしてもまあくっつけるのは容易い。しかし乙女ゲームだとヒロインは1人なのにヒーローポジションが5人とかザラにいる上に隠し攻略対象もいる。前にも言ったが世界からシナリオを提示されない我々としては、プレイヤー以上に命をかけて推理しなければならないわけなので、隠すな、超迷惑と思っている。
おそらくはメインヒーローがこのアオイ王子で、ユリシスとナイジェル、アーレイはサブヒーローと言ったところか。最近王子じゃなくてその側近とかとの恋愛も主流らしい。こういう人たち勘がいいからめんどくさいんだよなあと思いつつ、王子のアホ毛を眺めていると、王子から頭の痛い話題が飛び出した。
「君の名前を教えてくれないか?」
まあ名前を言われたら言い返すのが基本の挨拶ですよねー、とは思うのだが私はモブだ。名前なんてあってないようなものというか、自分の意思で名前を言う機会も使う機会もない。先程のように形だけでも署名が必要な場合は、アンとかメアリーとかマリアとか、適当に毎回違う名前を書いているのだ。なので私はこの世界における自分の名前を知らない。かといって、モブ判別番号の『A02』と名乗れるわけもなく、黙り込む。
私に当たりの強い補佐官のユリシスは、眉間にさらにしわを寄せて厳しい口調で問い詰める。
「何をしているのです。聞こえていないわけではないでしょう。もしや、名前を言えぬ理由でもあるのですか?」
「まあそう凄むなって」
左隣の親衛隊長ナイジェルがなだめてくれるが、確かにユリシスの言う通りだ。私に後ろめたいことがあるわけではないのだが、名前を言うことはできないのは間違いない。下手に名前のあるキャラに自分の名前を伝えれば、世界の強制力で私の存在が確定する。間違いなくモブではなくなるだろう。それでは私としてもストーリー上も問題がある。かといって話せない上に記憶喪失なんて設定はモブには盛り過ぎて逆にモブ卒業させられる気もする。はじめての展開にどう対処するのが最善策なのか、なかなか導き出せそうにない。
反応のない私を特に不敬だと気を損ねた様子もなく、王子は細くて長い指を顎に当て、うーんと悩み出す。見れば見るほどテンプレヒーローの如き行動がよく似合う男だ。そんな男がどうしてテンプレヒロインではなく、ただのしがないモブなんぞに目をかけてしまっているのか本当に謎である。
「しかし名前がないと不便だな……それじゃあ仮に、アニ、と呼ぼうか?」
その名前に表情が大きく崩れそうになるのをどうにか抑え込む。
ヒーローは偶然にしては不自然な程、私のニックネームを仮名として出してきた。もしかしてこの王子、元モブとか言い出さないだろうな。いやしかしこんなザ・ヒーローみたいな素養を持つモブなんか記憶にない。本当に偶然で当ててきたとでも言うのだろうか。ともすればあまりにも厄介すぎる。
「どうした? 仮の名前が気に入らないか?」
ナイジェルが粗暴そうな外見に見合わずこちらを気遣うような目を向ける。気に入らない訳ではなく単に驚いているのだが、それを伝えたところで藪蛇なのは間違いないので、首を横に降る。
ヒーローはホッと息を吐き、「それではこれからお前はアニだ。よろしくなアニ」とこれまた漫画で1ページ丸々使いそうな満面の笑みを向けてきた。
まあ、あくまで仮名でつけられたのは私のニックネームだ。正式名称である『A02』ではないから、おそらくまだ私はモブでいられるだろう。危機を一つなんとか脱したことに内心ほっとしつつ、王子の言葉に頷いて見せた。
整備された道をこれまた良い馬車が進む。見慣れた景色が徐々にあまり近寄らないようにしていた王城付近に変わってきた。この世界では踏み入れるつもりのなかった王城に、まさかその主人となる男の迎えで立ち入ることになるとは思ってもみなかった。たとえ期間限定とはいえど、ヒーローと近付き過ぎればモブとしての我が身が危険なことには変わりなく、この先も気を抜けない戦いとなるだろう。
……やっぱり、もうすこし身軽にしておけばよかったなあ。
「そろそろつくか。落ち着いたら2人きりで話をしよう、アニ」
王子がにっと悪戯顔で笑う。なんだ、最近のトレンドはこういう笑い方なのか、と先程の魔導師とよく似た笑顔に内心辟易する。というか2人きりとか勘弁してくれ。せめてモブのいる空間に、あ、いややっぱなし。自分が顔のいい男に口説かれている場面なんぞ、後輩たちに見られたくはない。私にとっては最大級の羞恥プレイだ。
私の頭を悩ます元凶たるヒーローはそんなことつゆ知らず、今度は楽しそうに笑っている。
「部屋は用意してるんだ。気に入ってもらえれば嬉しいな」
用意が周到過ぎて怖い。早いところヒロインとエンカウントしてもらわないと変に外堀埋められそうだ。
アニと名前を呼ばれたこと、既視感を覚える笑顔を浮かべる人間がやたらいることに終始頭を痛めながら、私の身体は変わらず馬車に揺られていた。