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ユユ

 地下墓地は暗い。狩人に就いている滉は暗視能力によって視界がクリアだが、恐らく別の前衛職に就いているであろうヴェロンは視界が確保できていない。周囲は闇に覆われており、微かな光さえ確認できない。



「ヴェロンさん、あんた、闇の中で移動できるのか」



 滉の質問にヴェロンは笑む。彼はよどみない足取りでダンジョン内を突き進んでいるところであった。



「少しは見える。俺の就いている“剣士”は、一般的な“剣士”職にカスタマイズを施してある。暗視能力はダンジョン探索に必須だからな」


「カスタマイズなんてできるのか」


「普通はする。転職屋が扱っているプレーンな戦闘職をそのまま使っている冒険者なんてほとんどいないだろうな。そもそも、転職自由と言ったって、そう頻繁にやるものじゃない。それぞれの職業には癖があるし、完璧に使いこなすのにはそれなりの時間と労力が要る」


「そ、そうだよなあ……、普通に考えたら。俺、魔物と遭遇してから転職するって言われたけど、異常だよな、これ」


「ダヴィナ霊園の現状と同程度には異常だな」



 しかし、とヴェロンは滉に鋭い視線を向ける。



「お前の持ち主である転職屋の女……。ジャンクとはいえ、奴隷を買うのは相当な財力がないと無理だ。あのみすぼらしい恰好からして、あの女にとって一世一代の買い物だったことは間違いないだろうな」


「だから?」


「お前が活躍してくれないと、あの女は非常に困ったことになる。運命共同体と言ってもいいかもしれない。お前の死は、あの女自身にとっても死に近しい意味を持つ」


「……で?」


「オレやお前にとっては異常としか思えないことでも、あの女にとっては違う、ということだ。オレはあの女のことをろくに知らんが、お前から見てどうなんだ。下策を弄するような阿呆か?」


「いや。優しくて、ちょっと抜けてるところもあるっぽいけど、バカには見えないな……。まあ、昨日会ったばかりだけど」


「オレもあの女とは昨日会った仲なわけだが……。あまり参考にならないな。まあいい。オレの考えでは、あの女は朝妻の活かし方を知っている。あの女を信頼して戦ってみるのも面白いと思う」


「言われなくても、ツバキさんは命の恩人なわけだし、彼女を信じて戦うよ」


「どうだかな」



 ヴェロンは言う。嫌味な言い方だ。滉は少々苛立ちを覚えながらも、確かにツバキを信じて良いものか迷い始めたところだったので言い返せなかった。実際に戦ってみて、上手く魔物と渡り合うことができれば、心の底から彼女を信じることができるのだが。


 二人はあれこれ話をしながら地下墓所4階を徘徊した。ヴェロンは普段からダヴィナ霊園で清掃業務に励んでいたので、構造を完璧に把握しているようだった。迷う様子なく突き進んでいく。ときどき魔物と遭遇しても、顔色を一切変えずにぶった斬っていく。頼もしいことこの上なかった。



「そろそろ階段だな。階段に辿り着きさえすれば地上まで一気に退却できる」


「おっ、本当!? いやあ、良かった良かった。特にピンチらしいピンチもなかったな」


「気を緩めるのが早い。死ぬぞ。用心深くなれ。特にお前は魔物の攻撃を一度でも喰らったら死ぬ。掠っただけでも致命傷だ」


「そんなに魔物の攻撃で凄いのか? なんかさっき見たときは、そんなに凶悪な攻撃をしてくるようには感じられなかったんだが」


「見た目以上の破壊力を持っている。一撃喰らってみれば分かるが、そのときお前は既に死んでいるから、確かめようがないな」


「ふうん……」



 滉は恐ろしく思う一方、先ほど至近距離で遭遇した岩小鬼ゴブリンとやらの姿を思い出していた。体格的にはさほど脅威には感じられなかったが、あれもレベル3。滉では太刀打ちできないほどの敵らしい。言葉だけではどれほどの脅威なのか理解しにくかった。



「よし、ここの曲がり角を行けば階段だ。ただし階段前は通路が入り組んでいるから注意しろ。不意打ちを食らったが最後、お前は死ぬんだからな」


「何度も注意してくれてありがとう。大丈夫、ヴェロンさんを盾にして進むから」



 半ば冗談だったのだがヴェロンは頷いた。



「それがいいだろう。せっかく恩を売ってやったのに、こんなところで死なれては困る」



 ヴェロンは真面目な顔をしてそのまま進んでいった。滉は慌ててそれについて行った。曲がり角を曲がると、確かにそこには人二人が並んで登れるほどの幅の階段があった。通路を挟んで上り階段と下り階段が設置されており、周囲には魔物の気配がない。進むなら今だろう。


 しかしヴェロンの歩みが遅くなった。上り階段の一段目に足をかけた後、慌てて足を下ろす。



「ヴェロンさん、どうした」


「魔物がいる。食事中だな」


「え?」



 滉はそこで思わず上り階段を覗き込んだ。狩人の暗視能力は抜群だった。おそらくヴェロンが見た光景より鮮明だっただろう。滉はこのときの自分の行動を死ぬほど後悔した。亜人型の魔物が階段の踊り場のあたりで何かをガリガリと咀嚼しているのが見えた。


 正直言うと、魔物が食べているモノはただのいびつな塊にしか見えなかった。グロテスクというより、ただ同胞の死というものを目の当たりにしたショックのほうが大きかった。


 滉は腰が引けた。慌てて後ずさり、額のあたりを拳でガンと叩いて、頭から今の映像を追い出そうとする。



「ま、魔物って人間を食うのか!?」


「食べる奴もいれば食べない奴もいる。ただ、亜人型の魔物は人間と食の傾向が似通っているから、食べる奴が大半だろうな」


「そんな……」


「食事を終えるのを待とう。さすがのオレも、間近に人間のバラバラ死体を見るのは勇気が要る」



 滉の足が震えていた。こんなに近くで殺人が行われている。もうすぐ安全な場所に辿り着けると油断していただけにショックが強かった。



「し、死人が出ているんだな……」


「当たり前だろう」


「分かってたけど、分かってたけど……。くそっ、攻略済みダンジョンは安全だって聞いていたのに」


「絶対安全というわけじゃない。比較的安全だというだけだ。こんな異常事態でなくとも、毎年マヌケが何人か攻略済みダンジョンで死んでいる」



 ヴェロンは抜身のままの剣を構え、ゆっくりと階段を上り始めた。



「さて、食事を終えたようだ。胃の内容物をぶちまけないように注意しながら、斬り殺してやるか」


 ヴェロンが階段を上っていくのを、滉はただ眺めていた。そのとき指輪からツバキの声が漏れた。



《滉さん、ヴェロンさんから離れないでください。彼の傍が一番安全です》


「ツバキさん……、いや、俺はあんまり人間の死体とか見たくないんだよ」


《気分が悪いのは分かります。けれど、安全を考えるなら彼の傍に……》


「分かったよ! けどツバキさん、どうして俺に属性のこととか教えてくれなかったんだ」


《え?》


「たぶん、ツバキさんは、遭遇した魔物の属性を考えて、その都度相性の良い職業を俺に就けさせるつもりだったんだろ? でもそれって、ツバキさんがミスったら属性防御がうまく機能しないで俺があっさり死ぬ可能性もあるよな?」


《……おっしゃる通り。そうですね》


「やっぱり、さっきからずっと思ってたけど、ぶっつけ本番じゃなくてもっと練習とかすべきだったんじゃないか。せめて属性の概念とか教えてくれても良かったじゃないか」


《それは……。理由があります》


「説明しなかった理由? 何かあるのか」


《はい。転職のたびに費用がかかること……。そして属性の説明をしてしまうのは時期尚早かと思っていました》


「どうして」


《遠隔転職自体、上手くいくかは分かりませんでした。転職にどれだけの時間がかかるかも分かりません。実用に足るのかどうか、自信がなかったんです》


「実用に足るのかどうか分からなかった? だからこそ事前に練習しておくべきだったんじゃないのか」



 滉は自分の口調に苛立ちが混じるのを感じた。ダンジョンに異変が生じたのはツバキのせいではないのに、どこか彼女に責任をなすりつけてしまいたいという気持ちがあったのかもしれない。


 滉はそんな自分の気持ちに気付き、深呼吸した。ツバキから返答がなかったので、ゆっくりとした口調で改めて言う。



「……ごめん、ツバキさんに救われた命なのに、文句を言って」


《いえ。……滉さんのおっしゃる通りだと思います。ぬか喜びさせることになるのではないか……、と考え過ぎていたようです。正直に言って、もし転職に数秒かかったり、遠隔転職が上手くいかなかったら、滉さんがこの世界で生き抜くのはかなりハードだと分かっていました。それが、私、怖かったのかもしれません》


「……そうか」


《でも、理論通り、滉さんは職業適性FFFFの特長を活かせられると分かりました。安心してください、私が滉さんを死なせません!》



 ツバキの声は力強い。滉はほっと一息ついた。



「ありがとう、ツバキさん。俺、やっぱりあんたを信じてみたい」


《はい。期待に応えられるように全力を尽くします! それに、期待しているのは私も一緒です。よろしくお願いします、滉さん!》



 滉は、相手の顔も見えないのに力強く頷いた。そして階段上にいるヴェロンを追う。既にヴェロンは魔物を殺害し、その死体を脇にのけていた。


 ヴェロンは滉が上がってくるのを待っていたようだった。



「どうした、死にたいのか、朝妻。オレから離れるなよ」


「ごめんごめん。魔物は倒したんだな?」


「ああ、だが」



 ヴェロンが足元を見る。滉は彼の視線につられて足元を見た。そこには何かがあった。


 一瞬、人間の遺体かと思って身構えた。魔物が食い残した残骸かと思ったがそうではなかった。それは生きた人間の躰だった。全身肌色をしている……。つまりは全裸だった。そしてそれは若い女性だった。



「い、生きているのか?」


「ああ。気絶しているだけだ。魔物に襲われて頭を強く打ったのか……。大猟だったのが功を奏したな」


「と、言うと?」


「魔物が一度に二人の獲物を捕らえたので、順番に食い殺すことにしたんだろう。つまり、最初に食べ始めたのがそこの肉塊で、次に食べようと考えていたのがこのユユだったってわけだ」


「ユユ?」


「二ヶ月前からここで活動していた女だよ。一応顔見知りだ」



 ヴェロンがつまらなそうに言う。滉は全裸の女性を前にどうすべきか分からなかった。



「あのー、ツバキさん、何か着せてやれるものないかな。こっちに送ることってできない?」


《はい。今、送りますね》



 次の瞬間、滉は手に女性用の衣服一式を持っていた。下着らしきものもある。何をどうしたらこんなことができるのか。これも魔法の為せる業か。


 しかし意外なことにヴェロンも驚いていた。



「ツバキとかいう女、転職屋なのだろう? 装備品だけを転送するのは装備屋の仕事だ」


「ツバキさんは優秀なんだってことで納得できないか? それより、これ、ユユさんに着せるの? 俺たちが?」


「服なんかどうでもいい。全裸のまま連れて行けばいいんだ。今の内に拝んでおけ。どうせ地上まではすぐ……」



 しかしここでヴェロンが硬直した。上り階段を見て絶句しているようだった。


 滉はヴェロンの視線を追い、自分も上り階段を見た。ヴェロンより夜目が利くので一瞬で状況を理解した。


 階段が崩落している。巨大な岩が階段を押し潰し、砕け散った石段に大きく亀裂が走っている。滉はあまりの驚きに服を落としてしまった。



「な、なんだよこれ……。階段が塞がれている!?」



 滉の叫びにツバキの声が応じる。



《そうか……。地上に脱出できた人が極端に少ないので不審に思っていたのですが、階段が塞がれているんですね》


「どうすればいい、ツバキさん!」


《そこは非常に危険です。階段が塞がれていること自体より、階段を塞ぐだけの知恵を持った敵がダンジョン内にいるという事実がまずい……》


「ええと、つまり」


《階段から離れたほうがいいです。そこは敵の注意が最も向く場所ですから》



 ツバキの声はヴェロンにも聞こえていたらしく、彼は深く頷いた。



「さすがにオレも遊んでばかりはいられなくなったな。転職屋の言う通りにしよう。ここから立ち去るのが吉だな」


「ユユさんは……」


「お前が背負え。戦いながら女を引き摺るのはさすがに億劫だ」


「わ、分かった。ていうかその前に服を着せるのを手伝ってくれ。さすがに全裸の女性を長時間背負うってのは色々とまずい」


「仕方ないな。しかし、どうしてこいつ全裸なんだ。魔物が気絶した人間の服を脱がせることなんてないと思うが……、まさかな」


「それはユユさんが起きてから聞けばいいだろ。早く早く!」


「分かった、分かった。そんじゃ足を持ってくれ。下着履かせるから」



 こうして野郎二人はいささか乱暴な手つきで服を着させた。本当は外套一つ着させてさっさと移動したかったのだが、せっかく衣服一式が揃っていたので素早く着させた。


 間近で見るユユは、20歳前後、栗色の髪をして、相当な美形だった。鼻筋通った美人といった感じだが体つきはふっくらとしていて、背丈もあるので体重はそこそこあった。どうしても目がいってしまうので言及すると、胸は大きいほうだった。


 あまりじろじろ見ることなく、むしろ魔物への緊張が強かったので、さほど照れることなく作業を完遂した。ただし、いよいよ彼女を背負って移動し始めると、彼女の躰のカタチを否が応でも意識せざるを得ず、いまいち移動に集中できなかった。



「ん、んん……」



 ユユが声を漏らした。起きるか、と思って強く揺さぶってみたが、彼女は滉の首に強く抱きついて振り落とされまいとした。



「ん、んー、あとちょっとだけ寝させて……」



 ユユは暢気にそんなことを言っていた。そして寝息を立てる。気絶じゃなくて睡眠なのか、これは? ヴェロンはハハハと笑った。



「分かった、どうしてこいつが全裸だったのか。やはりそうか」


「え、どうして?」


「酒乱なんだよ、こいつ。酔うとすぐ服を脱ぐんだ。きっと一晩でレベル3を仕留められなかったことに機嫌を悪くして、即席の砦の中で酒を飲み始めたんだな」


「は?」


「で、この異常事態にも気付かずに爆睡を続けた。同僚がユユを案じて運び出してくれたが、階段は岩に塞がれており、魔物に追い詰められ、同僚は戦死。“二番目の食糧”だったユユは無傷のままオレたちに助け出されたってわけだ」


「そんな……」



 じゃあ、さっき見た人間の死体は、だらしないユユを助けようとして魔物と遭遇し殺されてしまった、ユユの仲間だったってことか? そしてユユ自身は自分が助けられたことも知らずに暢気に寝入っている……。


 突然怒りの感情が湧いてきて、滉はユユを乱暴に地面に落とした。尻餅をついたユユは、眠っていたのだから当然だが、躰を支えることもできずに倒れてそのまま床に後頭部をぶつけた。それを見て滉はさすがに乱暴過ぎたかと少し反省した。



「いったぁ! うわ、頭がガンガンする……。二日酔い……?」



 それもあるかもしれないが、たぶん、今頭をぶつけたのが原因だろう。ヴェロンが失笑し、そして笑みを隠すように背を向けてしまった。


 ユユが寝ぼけ眼で滉を見上げた。



「あなた誰? 見ない顔だねー……、あ、でも、どこかで見たような。どこだろう……、てか、この服なに? どうして私こんな服着てるの。ダサっ」



 緊張感の欠片もないユユを見て、きっとこんな感じでも本来の攻略済みダンジョンなら危険というわけでもないのだろうなと思った。滉はユユに手を差し伸べた。



「俺は朝妻滉。ユユさん、異常事態だ。一緒に来てくれ」



 ユユは首を傾げた。そして小さく、この服、前後ろ逆じゃないの、などと文句を垂れていた。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



ユユの職業適性



前衛F(0.02%)

中衛D(39%)

後衛C(58%)

支援E(3%)







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