ダヴィナ霊園
夜明けと同時に目が覚めた。外はまだ薄暗かったが、ランプに封入されている光の妖精が働き始め、突然部屋が明るく照らされたからだ。瞼をうっすら開けると、部屋には誰もいなかった。昨晩会話した黒い刺青の男もいなかった。ダンジョンに向かったのだろうか。
滉は躰を起こし、毛布を払いのけ、ふわあと欠伸をした。昨晩はどこにあるのか分からなかった地下への階段が、入口近くの壁際にあるのを確認する。階下から音がして、のそりのそりとツバキが上がってくるところだった。
「あ、ツバキさん、おはよう」
「おはようございますぅ……。ふわぁ~あ……」
「眠そうだな。朝弱い感じ?」
「そうでもないんですけど。昨晩、何度も目が覚めちゃって。なんだかここの地下、寒いんですよ」
いつもは人がたくさんいるから暖かいのかなあ、などとツバキがぶつぶつ言っている。滉は窓際に立ち、外の様子を確認した。昨晩は村の様子を詳しく見ることができなかったが、朝の光にうっすらと照らされた村の風景は、まさしく廃墟然としていた。打ち捨てられた村といった感じだ。
「……ダンジョンに向かった人たちは、まだ帰ってきていないみたいだけど」
「まだレベル3を討伐できていないんですね。狙い通りです」
「今から俺たちも行くんだよな?」
ツバキは頷いた。
「はい。戦い方を覚えてもらいます。怪我をすることはないとは思いますけど、レベル3が出没中なので、まあ一応覚悟はしておいてください」
「覚悟ね……。分かった」
「身支度を整えたら早速行きましょう」
「いや、あの、ツバキさん? 俺に武器とかないわけ。どうやって戦うの」
ツバキはぽんと自分の頭を叩いた。
「そうでしたね。うっかりしていました。ではこれをどうぞ」
ツバキが差し出したのは武器の類ではなかった。指輪。金の輪に赤い模様が走った小さな指輪だった。
「これは?」
「指輪です」
それは見りゃ分かる。
「その指輪を着けていると、転職が可能になります」
「転職……? そんな気軽にできるもんなのか」
「転職屋の手続きが必要ですが、わりと簡単にできますよ」
「転職屋ね……。このダンジョンにもいるのか?」
ツバキはきょとんとした。
「ああ、まだ言ってませんでしたっけ? 私、転職屋なんです」
「えっ。初耳だな」
「そうでしたか。一応、一年間養成校に通い、免許を取得した、れっきとした転職屋です。ダンジョン攻略に転職は必須ですから、食いっぱぐれることはないと思ったんですが」
「へえ」
滉は指輪を受け取り、右手の人差し指に嵌めた。しかしあまりにぶかぶかだったので、改めて親指に嵌める。サイズ的にはぴったりだったが、少し痒く感じる。しばらく着けていれば慣れるだろうか。
「……で、この指輪でどう戦うの」
「戦闘職に転職すれば、自然と武器や防具が装着されます。戦士なら剣と鎧と盾、狩人なら弓矢と罠一式、魔道士なら杖とローブと魔法の知識……、といった具合です」
「俺も魔道士に転職したらいきなり魔法を使えるようになるのか」
「ええ。まあ、戦闘に関する魔法だけですけどね。きちんと勉強すれば、色々と操れるようになるので、職業システムの恩恵で魔法の学習が必要なくなっても、長い歳月をかけて勉強する人はいます。初歩的な戦闘魔法を習得した上で戦士になり、魔法と剣を使いこなして戦うなんてこともできます」
「ふうん……、でも、それって新しい職業になりそうだよな。剣と魔法を使いこなす“魔法戦士”という職業が確立すれば、勉強しなくても剣と魔法を同時に扱える」
「おっしゃる通りです。ただ、一つの職業を確立するのには、半端な力では足りません。開拓者には傑出した才能と努力が必要なのです。ちょっとした思いつき程度では職業として成立することは難しいでしょう」
職業システムが人々に知識や技術を即応的に与えたとしても、個人の努力を否定するものではない。いやむしろ、必要最低限の能力を“職業”が付与してくれるぶん、他者との差別化を図るには創意工夫や努力が重要になってくるのだろうか。
いやもっと重要になるのは職業適性だろう……。滉には職業適性が全くない。職業の能力を全く引き出すことができない。これは他者と比較して大きなハンデになる。ツバキは滉のことをそれなりに高く買っているようだが、その自信の根拠を知りたかった。まだ彼女はそのことについて説明してくれていない。
ツバキは荷物を纏め、にこりと笑んだ。
「じゃあ、行きましょうか、滉さん。大丈夫、私も一緒に潜りますから」
「まあ、そんなに心配はしていないんだけどさ。俺って本当に役立てるのか疑問なんだよ」
「大丈夫です。滉さんには無限の可能性がありますから!」
無邪気に言うツバキを信じたいのだが、これから魔物と戦うというのに、戦い方が分からないというのは結構危険なのではないだろうか。滉は自分の親指に嵌めた指輪を眺めた。こんなものが戦闘で役立つのか。どんな職業に就こうとも弱いままなのではないか。滉は少々疑問に思いながらその宿を出た。ツバキが隣にいるのでさほど怖くはなかったが足取り軽やかとは言えなかった。
身支度を整えている間にすっかり外は明るくなっていた。荒廃した村の中を進んでいくと表面の塗料が剥がれかけている立て看板が目に付いた。「ダヴィナ霊園はこちら」と赤文字で書かれている。
滉とツバキが砂利道を進んでいくとそれは現れた。黒い鉄柵で覆われた敷地。そこがダヴィナ霊園だった。霊園という言葉が示す通り、そこはごく普通の墓地にしか見えなかった。ここがダンジョンと言われても、不審な点は見当たらない。
滉はフェリーグに召喚されてすぐ、最低限の武器を持たされてダンジョンに向かわされたが、あそこは赤い雲が空低く垂れ込める荒野だった。あそこもダンジョンという語感から得られるイメージとはかけ離れた場所だったが、少なくとも魔物が出没してもおかしくない禍々しさが満ち満ちている場所だった。
しかしここダヴィナ霊園は、静謐な墓地といった印象で、魔物が出現すると言われても俄かには信じがたい。墓地だけあって不気味な雰囲気はあるものの、さほど危険を感じられない場所だった。
「ここが攻略される前は」
ツバキが柵に備え付けられている出入り口を潜り抜けながら言う。
「死霊や悪魔が跋扈し、多くの冒険者の命を奪い去ったらしいです。外観ももっと物騒な感じだったとか……。攻略され、“穢れ”が丹念に除去されてからはこんな感じで心落ち着ける外観になりましたけどね」
「穢れ?」
「魔物が纏っている、禍々しいオーラというか、汚れというか、そのようなものです。偉人の墓がダンジョン化するのはこの穢れが原因だと言われています」
「ほう……」
「穢れが更なる魔物を呼び寄せ、より多くの穢れを溜め込んでいく。だからこそ、攻略が終わったダンジョンにおいても定期的に清掃する必要があるわけです。特に穢れを纏った魔物を長時間放置することは非常に危険です。まあ、一年くらいは放置してもダンジョン化には至らないらしいですけど」
「ふうん。もし何年も放置したら、再びそこはダンジョン化して、そこで手に入れた英雄職も使えなくなるわけか」
「ですね。まあ、攻略済みダンジョンの管理は国がやってくれますから、その辺の心配はいりませんけど」
ツバキと滉はいよいよダヴィナ霊園に入った。とは言っても静謐な空間が広がっており、墓石や慰霊樹が整然と並ぶ場所だった。魔物の気配はほとんどしない。
「魔物いないじゃん」
「いませんね。可能性としては三つ」
「三つ?」
「一つ。そもそもダンジョン内に魔物が湧かなかった。穢れが少ない環境だと、しばらく放置しても魔物が湧かない場合があります。ただ、今回はレベル3の魔物が出現している状態なので、考えにくいですね。強大な魔物ほどより多くの穢れを纏っているものですから」
「ふむ」
「二つ。昨晩ダンジョンに向かった冒険者たちが粗方倒してしまった。でも、その場合は死体が散乱するはずですし、その痕跡がないので、これも可能性としては低いですね」
「ほう、となると」
「三つ。レベル1、レベル2の魔物が、レベル3の魔物をとりあえずの“主”と認めて、ダンジョン最奥にて陣を張っている」
「陣? 隊形でも組んで冒険者を迎え討つってことか? 魔物が?」
「魔物には知性がない場合が大半ですが、本能的に取るべき行動を理解していることがあります。特にレベル3の魔物が音頭を取れば、それに従うこともあるでしょう」
ツバキは懐から地図を取り出した。
「これによると、ダヴィナ霊園には七層にも渡る地下墓所があります。その最も奥まったところに、ログ公の墓があるそうです。そこは最も“力”に溢れた場所でもありますから、魔物にとっても居心地の良い場所のはずです」
「そういうもんなの?」
「はい。魔物は偉人の霊力を吸って己の糧とします。この状態で何年も放置すれば、“主”はより上のレベルへと成長するでしょうね」
「ふうん……、厄介だな。やっぱり攻略済みダンジョンであっても、ある程度戦力を置いておかないと危険なんだな」
二人は地上の墓所を歩いて行った。地下へと続く階段は複数あり、地図を見る限り構造はシンプルで、迷う要素はない。地下七階まで降りるのにさほど時間はかからないだろう。
地下への階段に差し掛かる。光の灯ったランプが吊るされており、照明は十分だった。滉はランプの中を覗き込んだ。中には妖精が入っているはずなのだが、何の気配もなかった。
「あれ。妖精はいないの」
「全てのランプに妖精がいるわけではないですよ。ランプで言えば、魔力封入式と、妖精式、それから電燈式なんてのもあります。比較的安全な場所なら、妖精式が最も安価で半永久的にもちますから利用されますが、魔物は妖精を喰いますからね。ダンジョン内で使われることはありません」
「なるほど」
二人は階段を降りていった。まだ魔物と遭遇していない。緊張感はあったが、どこか楽観的な部分もあった。このまま何事もなく最奥までいき、レベル3の魔物を倒した冒険者たちが祝杯をあげているのを目撃することになるのではないか。そんな思いがあった。
しかしそんな願望は抱くべきではなかった。地下へ地下へと階段を降りていき、地下五階に差し掛かったところだった。
ツバキが鼻を押さえる。そして階段の踊り場で壁に背をつけて硬直してしまった。滉は顔を顰める彼女を不審に思い、
「どうしたの、ツバキさん」
「うぐっ……。こ、滉さん、何も臭わないんですか? 凄い臭いですよ……!」
「臭い? どんな臭い?」
「何かが腐っているような……、うえっぷ」
滉は鼻をクンクンさせて匂いを探ったが、何も感じられなかった。若干の黴臭さ、それから水垢から出るような湿った空気の匂いを嗅ぎ取ったくらいだった。
「うーん、俺、鼻は悪くないんだが」
「これは“穢れ”の臭いです。どうやら先発組はまだまだ魔物を退治し切れていないようですね……」
ツバキが頬をぱんぱんと叩いて、階段を上り始めた。
「えっ。戻るの」
「五階に魔物の気配が濃厚なので、普通に考えれば四階か三階あたりに拠点を作っているはずです。未攻略ダンジョンにおいてはどこから魔物が飛び出してくるのか分からないので休息所なんて作れませんが、攻略済みダンジョンなら比較的安全な場所に陣を張れます」
「ふうん」
「とりあえずは情報を収集しましょう。誰かに会って話を聞かないと……」
ツバキに従い、地下四階の墓所を探索した。人の気配を感じられず、石造りの回廊に埋め込まれた墓石などを眺めながら移動した。滉は三階に移動すべきか、あるいは冒険者たちはとっくに撤退したのではないかと疑い始めていたが、四階の回廊を突き進んでいくと、やがてランプの光が集中して灯っている場所を見つけた。
即席の木造家屋が石造りの回廊の中にでんと佇んでいた。丸太を組み合わせて回廊に根を生やすように建築されたそれは、小規模な砦のように見えた。入口には見張りなのか、二人の男が立って周囲を警戒している。
「あれは……?」
「誰かの要塞魔法でしょう」
「要塞魔法?」
「大規模な収納魔法です。地上で建築した要塞を持ち運び、出し入れすることで、好きな場所に拠点を張れるのです」
日本でもワンタッチでテントを張れるような便利道具があるが、それの強化版といったところだろうか。とんでもなく便利な魔法があるのだなと感心したが、砦自体はあまり頑丈そうには見えなかった。本当に即席の寝床といった感じなのだろう。
「もしもし、進捗具合はどうですか」
ツバキが見張りの男たちに話しかける。男たちは肩を竦め、互いに視線を交わした。
「ちっ、下の連中がもたもたやってるから新手が来ちまったぞ」
「五階でてこずってるようじゃあ、七階まで辿り着くのに何日かかるんだ。後発組がわんさかやってくるぞ」
「年に数度の稼ぎどきなのによ。あーあ」
見張りの二人は不満そうで、ツバキの質問に答えようとしなかった。それでもツバキは満足げだった。滉に小声で話しかける。
「思ったより手こずっているようですね。ここなら滉さんの戦闘練習にも最適でしょう」
「そうなのか?」
「五階に充満する穢れの臭い。あれは魔物が存在する何よりの証左です。ちょっと濃度が高過ぎるのが気になりますが、階段付近で戦えば、いつでも退却できます。なので安全に練習することができると思います」
「ツバキさん、臭いにやられてたみたいだけど、大丈夫なのか」
「嗅覚の感覚を鈍らせれば平気です」
「そういう魔法があるのか?」
「はい。ただ、穢れの臭いにいち早く気付けるように、普段は通常の状態にしておくのが常套です。穢れの臭いに気付いたら嗅覚鈍化。今からやり方を教えます」
別に何の臭いも感じなかったので、教えて貰わなくても平気だが、
「魔法? 俺も使えるのか」
「簡単な魔法ですから。職業の力を借りずともできるはずです」
ツバキが魔法の詠唱文句を教えてくれる。滉はそれを覚えつつ、砦を出入りする無気力な冒険者たちを眺めていた。ダンジョン内部だというのに、随分と油断しているように見える。日常的にダンジョン内にいる彼らのこと、慣れているのだろうが、魔物が充満しつつあるこの場においてその油断は命取りにならないものか、滉は不安に感じていた。




