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三流冒険者の宿

 ウェンスローの街はガイナス大陸北部の召喚産業の中枢を担う召喚都市であり、異世界からの人材、情報、物産等々の流通の出発点となっている。そのため、人の出入りが激しく、様々な地方への交通の便が充実している。


 この世界――フェリーグにおいては、陸上での移動は車を使う。車と言っても燃焼機関を用いることはなく、魔導機関と呼ばれる特殊な機構を用いて車輪を動かす。形状はただの箱に車輪を付けただけのものであり、どちらが前だか後ろだか分かりはしない。


 滉はツバキにしっきりなしに質問し、この世界の地理だとか情勢だとか仕組みだとかを理解しようと努めていたが、全てを覚えられるわけではなかった。それに、ツバキはフェリーグ生まれではあるが、何でもかんでも知っているわけではない。日本生まれの滉が日本社会のあらゆることに精通しているわけではないのと全く同じように、ツバキにも知識の限界があるわけだ。


 乗り合いの大きな幌付き車に乗って、攻略済みダンジョン“ダヴィナ霊園”に向かった。ダヴィナ霊園は3200年前のダヴィナ戦役において一騎当千の活躍を見せたログ公の御霊を鎮める為に造られた霊園とのこと。滉は3200年前の歴史にはさすがに興味を持てなかったので深くは聞かなかったが、そのログ公の能力が乗り移った“英雄職”の性能には興味があった。



「“ログの聖騎士”という名前の英雄職を、西の有力豪族カロナス家が手に入れたのは、20年ほど前のことらしいです」



 ほとんど揺れのない乗り合い車の中で、ツバキが言う。



「治癒能力を持った戦士のような職業で、自らと愛馬の傷を癒しながら敵陣を突き進むことが可能だそうです。ただでさえ普通の戦闘職とは別格の性能を誇るのに、孤立した状況でもタフに戦えるので、かなりの“当たり”とされていますね」


「当たり、ね……。英雄職の中にも当たりハズレがあるのかな」


「英雄職が普通の戦闘職と比べて遥かに高性能なのは間違いありませんが、そうですね、英雄職同士を比較した場合、優劣というのは確かに存在するようです。過去の偉人たちの間にも“格”というものがあるということですかね」



 確かに、日本においても、そういったことはあったかもしれない。たとえば一口で戦国武将と言っても、織田信長や上杉謙信といった名前は歴史に興味がない人でも聞いたことくらいはあるはず。逆に、歴史に名を残した傑物には間違いないが、松永久秀だの大谷吉継だのといった名前は、誰でも知っている名前とは言い難い。もっとマイナーな武将となれば無数である。



「その英雄職にも、職業適性は関わってくるんだろ? 仮に俺が英雄職に就いても弱いままなんだろうなあ」


「そうですね……、普通、英雄職に就く人間は適性S、最低でも適性Aです。一つの英雄職につき10人くらいしか就けませんから厳選に厳選を重ねるんですね」



 車の中であれこれ話をした。同乗していた人間は他に3人ほどいたが、夜も深まりつつあったので、疲れて眠りこけているようだった。車は運転している人間もいないのに勝手に進んでいく。ほとんど揺れないし、加減速もないので、あまり動いている感じがしなかった。幌を捲って外を見ると、すいすいと地面を滑るように車が進んでいるのが分かる。外が暗いのではっきりとは分からないが、相当な速度のようだ。


 やがて車は目的地に到着した。そこは荒廃した村のようだった。車から乗客が全員降りると、車はひとりでにどこかへ走り去っていった。



「運賃とか払わなくていいのか」


「あれは公共サービスですから、無料で利用できます。攻略済みダンジョンの管理は、攻略した人間ではなく、国家のダンジョン管理局の仕事です。冒険者を募って、湧いた魔物を狩ってもらっているので、いちいち運賃は取らないようになっていますね」


「路線によっては運賃が必要なところもあるのかな」


「おっしゃる通りです。さあ、今晩は近くの宿に泊まりましょう」



 滉とツバキ、それから同乗していた客たちは、村の中に入っていった。ダンジョンを本格的に攻略していた頃の名残だろうか、宿ばかりではなく、鍛冶仕事をする為の施設であったり、空の酒瓶が散乱した店なども見受けられた。


 宿は村の奥にあった。一軒だけ明かりが灯っている。窓からは人が慌ただしく動く影が確認できた。



「なんかどたばたしてるなー……」



 滉が呟くと、ツバキは怪訝そうにした。



「妙ですね。こんな時間に」


「そうなのか?」



 滉はいつもの様子が分からないので首を傾げるしかない。滉がその宿の扉に手をかけようとすると、勢い良く扉が開いた。もし外開きのドアだったら思い切り顔面を打っていたところだ。



「どいて!」



 栗色の髪の女性が滉を押し退けるようにして宿から飛び出していった。女性としてはかなりの長身で、滉よりも僅かに背が高かった。よろめきながら滉が道を開けると、目線で謝意を示しつつ、その女性は走り去っていった。暗闇の中に瞬く間に溶けていく。



「なんだ?」


「あちらはダンジョンの方向ですね。でも、ダンジョンの清掃業務は夜明けから日没までと規則で決まっているはずです。と、なると……」



 滉たちが唖然としていると、宿から続々と人間が飛び出してきた。中には角が生えていたり、羽が生えていたり、様々なカタチの人間が混じっていたが、きっと全員異世界から召喚された人間なのだろう。少々カタチが変わっていてもおかしなことではない。


 彼らは武装していた。そして先ほど女性が走り去った方向へと駆けていく。



「いったい、何があったんですか」



 ツバキが気弱そうな青年を捕まえて尋ねると、青年は早口でまくしたてた。



「レベル3の魔物が出現したんです。先ほど認定が下りましてね。討伐者には500の報酬らしいですよ!」


「馬鹿野郎。ライバル増やしてんじゃねえよ。適当に嘘教えればいいだろうがよ!」



 そんな青年に誰かが罵声を浴びせかける。青年は慌てて走り去っていった。


 ツバキは顎に手を当てて考え込んでいた。滉はもぬけの殻となった宿の中を覗き込み、まだ暖気が残っている部屋の汗臭さに辟易した。



「うーむ、眠るのには少々狭過ぎるような……。他にも家屋がたくさんあるわけだし、そっちで眠ったほうが良い気がするな」


「他の家屋は魔物避けの魔法がかかっていませんから、眠るのは危険ですね。この世界ではときどき魔物が湧くので、魔物避けは必須です。……それはともかく」



 ツバキはダンジョンがあると思われる方向を遠くに眺めた。



「あの慌てようだと、レベル3の魔物が“認定”されたのはついさっきのことらしいですね。狙い目ですが……」


「レベル3って、強いのか?」



 魔物の強さをレベルで表すということをすんなり受け入れつつ、滉は訊ねた。



「いえ。未攻略のダンジョンにおいては、ざらに遭遇するレベルです。油断ならないのは確かですが、まあ、恐れるような相手ではありません。攻略済みのダンジョンに出没するのは稀ですね……」



 ツバキはぽりぽりと頬を掻いて思案しているようだった。



「……さっきから何を考えているんだ? 俺たちは行かなくてもいいのか」


「今、ダンジョンに向かうのは得策ではないですね。今晩は素直に休むことにしましょう」


「でも、カネを稼ぐチャンスでは……」


「たぶん、今晩中に決着はつきませんよ。理由は中でお話します」



 ツバキが中へと促すので、滉は宿の中には入った。滉たちと一緒にこの村にやってきた客たちも慌ててダンジョンに向かったようで、宿の中は滉とツバキだけだった。


 否、部屋の奥に壁に寄りかかって俯く男が一人だけいた。滉たちが入ってきたことで一瞬だけ顔を上げたが、すぐにまた俯く。ぼさぼさの黒髪に、無精髭、色黒の肌には黒い刺青を入れている。簡素な皮鎧を近くの壁に架けているが、よく使い込まれているのか、不思議なつやがあった。


 滉は散乱していた毛布やらを掻き集めて自分の寝床を作った。ベッドなんて気の利いたものはなく、雑魚寝をしなくてはならないようだった。


 ツバキは荷物を壁に寄せ、それを枕に毛布にくるまった。宿の天井にはランプがあったが、よく見るとランプの中には光の妖精が欠伸をしながらこちらを見ていた。



「ねえ~、就業時間過ぎてるんだけど。明かり消していい?」


「え、あ、良いと思うけど」


「まったく。妖精商の旦那が聞いたら目を剥くよ。いきなり叩き起こして、時間外労働を強いるなんて。妖精遣いが荒いんだから」



 ランプの光が消えた。宿の中は暗闇に包まれた。滉はツバキがいると思われる方向に声をかける。



「――妖精って結局、何なんだ? 労働時間とか言ってるけれど」


「実態としては、転職の自由がもたらした社会的弊害を埋める存在と言えると思います。形式的には、神の権能を体現する“使い”ですね」


「えーとつまり」


「誰でも簡単に転職でき、カネを稼ぐことができるようになると、当然、不人気職というものが出て来ます。公共の福祉の為に必要不可欠だけれども、誰もやりたがらないような仕事が。ある程度は政府がカバーしてくれますが、それでも追い付かないような仕事を妖精が代替してくれます。あるいは“資源”や“設備”としての側面もありますね」


「うーむ、よく分からないな」


「まあ、一言で言えば、便利屋ですよ。生活する上でのサポート役」


「それなら分かる」


「そうでしょう、そうでしょう」



 ツバキがふわあと欠伸をした。滉は彼女が寝てしまう気がして慌てて質問する。



「そうだ、ダンジョンについてだけど……。本当に俺たちは行かなくてもいいのか。レベル3の魔物を討伐するとカネになるんだろう」


「心配せずとも、そう簡単に魔物を倒せませんよ。いえ、レベル3の魔物程度なら大した敵ではありませんが、きっと今頃、ダンジョン内部は魔物でごった返しています」


「……と、言うと?」


「攻略済みダンジョンでカネを稼ぐ方法は二つ。清掃業務と、脅威が認定された指定魔物の討伐です」


「えーと、清掃業務っていうのは……」


「ダンジョン内に湧く矮小な魔物を倒すことですね。確か日当20だったかな。従事している人数にもよりますが、ダンジョン管理局がとり付けた装置がダンジョン内部を監視し、仕事ぶりをチェックしています。仕事を確認すると管理局からこちらの口座にカネを振り込んでくれるという仕組みです」


「ほう」


「大した仕事ではありません。ちょちょいと魔物を蹴散らすだけで終わりますから子供でもできます。ただ、そういう雑魚だけではなく、たまに多少歯応えのある魔物が湧くことがあるのです」


「ふうん、それが今回のレベル3の魔物か」


「はい。ただ、レベルが3だろうと4だろうと5だろうと、出現した時点で討伐してもカネにはなりません。管理局がその魔物を危険だと判断し、賞金をかけないと、討伐しても通常清掃業務と区別されないのです」



 滉はぽんと手を打った。



「なるほどな。つまり、レベル3の魔物が出現したら、冒険者たちはすぐに討伐するのではなく、一旦帰還して管理局に連絡する。そして管理局がその魔物を危険だと“認定”して賞金をかけると、本格的に討伐に向かう」


「はい、その通りです。ただし、認定には最速で三日ほどかかります。その間にダンジョンの清掃が滞りますし、レベルの高い魔物が他の魔物を引き寄せるので、ダンジョン内の魔物が一時的に多くなる傾向にあります。一晩でそれらの雑魚を蹴散らし、レベル3の魔物を倒すのは、よほど強い冒険者でない限り無理でしょう」


「ふーん」



 滉は既に寝そべっていた。枕の上に自分の腕を重ね枕を高くして、ツバキがいるであろうほうを向く。



「でも、それって、ダンジョンが再び穢されて、未攻略状態に戻る危険もあるんじゃないか。本当はレベル3の魔物が出現した時点で討伐してもらったほうが効率良いはず」


「私もそう思いますけど、そういう決まりになっています。偽証の可能性があるらしいです」


「偽証?」


「未攻略ダンジョンで狩ったレベル3の魔物の亡骸を、攻略済みダンジョンで討伐したモノだと言って管理局に持っていったらどうなります。もし、常に攻略済みダンジョンのレベル3の魔物に賞金をかけていたら、あっという間に予算がすっからかんです」


「あー、じゃあ、攻略済みダンジョンに職員を常駐させて監視を――」


「買収される可能性がありますよね。監視員の権限が強くなり過ぎるのは得策ではないという判断です。買収を防止するには常駐する人数を増やして一定期間ごとに人員を入れ替えるのが普通ですが、それだと費用がかかり過ぎる。そんなことをするくらいなら冒険者に清掃業務をしてもらうのではなく、管理局自らが戦力を保持して事に当たったほうが安上がりです」


「あー、うん」



 やはりこちらの世界に来たばかりの門外漢が気楽に口出しするようなことではなかった。こういう体制になっているのは、それなりの理由があるのだ。



「まあ、その辺はいいか。大体事情は分かったけど……、夜が明けたら俺たちもそのレベル3の魔物を倒しに行くんだよな」


「はい。でも、無理に倒しに行く必要はないですよ。通常の清掃業務だけでも十分過ぎるくらいお金が手に入りますから」


「分かった。無理はしない。というかしたくない。じゃ、そろそろ寝ようか」


「はい。おやすみなさい」



 がさごそと音がする。ツバキも眠りに入る準備をしているようだ。滉はそのまま瞼を閉じてさっさと就寝しようとした。こちらの世界に来て、初めて苦痛のない夜だった。ダンジョンに放り込まれ、無数の傷を負い、熱に浮かされ、あるいは不衛生な檻に押し込められ、安らかに眠ることさえできない日々が続いていた。


 滉は自分がタフな男だとは思っていなかったが、考えてみれば結構な苦難を耐え忍んできている。もう一度この苦難を乗り越えろと言われても尻込みしてしまうだろう、それほど厳しい日々だった。自分で自分を褒めても良さそうなくらいだった。



「――おい」



 暗闇の中で男の声が響く。半分寝かかっていたのでびくりとした。



「はい!?」


「そこの女。ここで眠るつもりか?」



 どうやら壁に寄りかかって座り込んでいた男がツバキに話しかけてきているようだった。ツバキがむにゃむにゃ言いながら起き上がる気配がする。



「なんですかー? もう寝てましたよ」


「男と女は別の部屋だ。地下にもう一つ部屋がある」


「えっ」


「お前も異世界人だろうが、フェリーグにおいては女に“恥じらい”というものを求める。逞しいのは結構だが、男と同じ部屋で眠るのは避けたほうがいい」


「はっ? ああ、いえ、私はこちらの世界の生まれで」



 ツバキはそそくさと荷物をまとめ、地下へと降りていった。何度もよろめいていたので心配になったが、女子部屋まで付いて行くのはやめておいたほうがいいだろう。


 滉は突然声をかけてきた男に視線を向けた。暗闇に目が慣れていたので、ぼんやりと男が壁に寄りかかっているのが見える。



「嫌味な言い方だな、あんた」


「気を悪くしたのなら謝る」


「俺に謝られても」


「それはそうだ」



 滉は男と会話しようかどうか悩んだが、やめておいた。こんな暗闇の中では相手の表情が確認できない。見ず知らずの人間と会話するのに適した環境とは言えないだろう。滉は瞼を閉じ、眠りの世界が速やかに自分を引き込むのを感じた。








◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


魔物の危険度を示す等級(7段階)



レベル1

分類されるものの中で最も矮小で危険度の少ない魔物。通常の動植物との差異はダンジョン内の穢れを増幅させるか否か。



レベル2

人間を殺傷する危険性が高い魔物の中で、通常の戦闘職単騎で問題なく対応できるもの。



レベル3

人間を殺傷する危険性が高い魔物の中で、討伐に注意が必要となるもの。チームでの討伐が推奨される。



レベル4

戦闘職単騎での討伐が困難な魔物。チームでの討伐は前提として、入念な討伐計画を練ることが推奨される。



レベル5

英雄職での討伐が推奨される魔物。ダンジョンにおける“主”のほとんどがこのレベルに分類される。通常の戦闘職だけで討伐するのは極めて困難。



レベル6

英雄職を中心とした大部隊での討伐が推奨される魔物。遭遇することは極めて稀。



レベル7

討伐が不可能であると判断された魔物。過去に数例あるが、いずれも討伐に至らず、数多の聖人・偉人の犠牲によって地中深く封印するに至る。




※通常の冒険者が相手するのはレベル3まで。戦闘に熟達した一部の冒険者がレベル4まで対応する。レベル5以上の魔物と対峙するのは、よほどの命知らずか、英雄職を使いこなす一騎当千の猛者どもである。









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