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バレムト地方

 翌朝、ウェンスローの宿を出発した滉とツバキは、一文無しのとき食事をタダで振る舞ってくれた飲食店に立ち寄り、軽食を摂るついでにツケを払った。主人は滉たちの金払いの良さに驚いた様子だったが、滉の顔を見て合点がいったようだった。



「この二日ですっかりこの世界に馴染んだと見える。良かった良かった」



 飲食店の主人はどこまでも親切な人で、滉とツバキは何度も礼を言った。そしてその後すぐにウェンスローの街を出立した。


 ウェンスローの街はガイナス大陸北部に位置する召喚都市であり物流の拠点でもある。大陸全土のいかなる方向へもスムーズに移動することができ、これから滉たちが向かうダンジョンの選択肢は結構あった。


 その中でツバキが選んだのは大陸西部の肥沃な大地を誇る穀倉地帯バレムト地方方面だった。バレムトは豊かな土地で、至る所に集落があり、そこに住まう誰もが平穏な暮らしを営んでいた。しかしその豊かさゆえに過去に幾度も紛争の火種となり激烈な死闘の舞台となった。職業システムが確立し生産性が劇的に向上、慢性的な過剰供給状態が続くと、列強諸国の争いは単純な武力衝突ではなくダンジョン攻略及び高性能な職業の開発競争へとシフトしていったが、バレムトの畑を耕していると誰かさんのしゃれこうべを掘り当てることが頻々にあり、緑生い茂るこの大地がかつて兵士の屍に埋め尽くされていたその名残を見ることができる。


 そういう経緯があり、バレムト地方には英雄たちの霊廟が多くある。すなわちダンジョンも多くある。バレムトは過去においても現代においても、諸国家にとって“豊かな土地”であることは変わらず、ダンジョン近傍の都市には常に諸国家の攻略チームが睨みを利かせている。


 縄張り、と言うほどでもないが、それぞれのダンジョンには攻略を主導で進めている勢力が別々にある。それらは大陸全土の諸国家から送り込まれてきた精鋭チームだ。バレムト地方を所有しているのはガロー連合と呼ばれる国家連合だが、各ダンジョンには徴税官を派遣してダンジョン攻略税なるものを徴収してそれを商売にしている。各ダンジョンを仕切っているのは実際にそのダンジョンを攻略している者たちと言って良く、ガロー連合から横やりが入ることはほとんどない。


 バレムトのダンジョン管理局は汚職と賄賂が飛び交う不健全な態勢だが、その事実を誰もが知っており、誰かが汚職を告発されて牢獄に入るというのなら、それは誰かに贈る賄賂の額の桁を間違ったということに他ならず、管理局内では様々な国から派遣されてきた外国人が重要なポストを巡って静かな闘争が繰り広げられている。


 ウェンスローのダンジョン管理局情報部の長、ライアルは、紹介状を滉たちに授けてくれた。その宛先の一つはバレムトダンジョン管理局長ゴーアスだった。ゴーアスは汚職と賄賂で成り立つこの穢れた世界の頂点に座していながら、そういった権謀術数とは無縁の人間だった。権力がありながらもそれを行使せず、ただ事態の行く末を見守るだけのいわば“お飾り”の局長であったため、政敵から見逃してもらっているのだった。潔癖な人物ではあったが力がある人間とは言えない。


 そういった事実を、滉はツバキとの旅の間に聞かされていた。バレムトに至るまでの数日間で、滉はすっかりバレムト地方のことについて詳しくなっていたつもりだったが、実際に見たかの地は彼の想像を超えていた。


 草原、低木林、湖畔、小山、様々な地形に様々な人々が暮らしていたがそのいずれもが緑豊かで、果実が生い茂り、獣たちが生き生きと過ごしていた。街道をひた走る車の荷台から滉が見たのは自然が織りなす美しき世界であり、およそ汚職だとか賄賂だとかそういった言葉とは無縁の場所に思えた。


 バレムトダンジョン管理局の長ゴーアスは、そういう意味では、いかにもバレムトの人間らしい人物だった。恰幅が良く、朗らかで、常に笑みを絶やさず、口髭を蓄えている。血色が良く、柔和な表情は相対する人間をほっと安堵させる。


 滉とツバキは紹介状を持ってバレムトダンジョン管理局本部があるドレル=バレムトという街を訪れていた。本部の施設内に入り紹介状を見せると、受付の人間は滉たちを蔑むような目で見た。あんな形だけのトップに面会しても何にもならない、なんて無知な人なんだろう、とでも言いたげだった。



「よくぞ遠路遥々。ご苦労だった」



 応接間に入り着席すると、ゴーアスはしきりに菓子を勧めてきた。滉とツバキは恐縮しつつも、用意された菓子や飲み物を口にした。どれも目玉が飛び出るほどの美味だった。そもそもこのフェリーグの料理はどれもこれも美味だった。少なくとも滉は食べ物が原因でホームシックに罹ることはなさそうだと思った。菓子をついつい大目に頬張り、ゴーアスが見ていることに遅れて気付いた。



「あ――ごめんなさい、がっついてしまって」


「いいんだ。美味しそうに食べてくれるから気持ちが良い。それで、ライアルの紹介で来たんだって? 紹介状を見せてくれるかね」



 ツバキが鞄から封筒を取り出した。



「こちらです」


「ふむ」



 ゴーアスは眼鏡を出してそれをかけると、封筒を慎重な手つきで受け取り、紹介状を抜き出した。



「確かにこれはライアルからの紹介状か……。珍しいこともあるものだ」


「珍しい、ですか」


「あの男が特定の冒険者に肩入れするなんてことはあまりない。よほど気に入ったのだろう」



 滉は紹介状の中身を見ていなかった。どのように滉とツバキが紹介されているのか少々気になった。



「あの、中身に何と書かれているのかお伺いしても?」


「知らないのかね。朝妻滉という冒険者と、ツバキという転職屋の二人を、バレムトダンジョン管理局管轄下のダンジョンにて自由に活動させてもらいたいという内容だよ」


「俺の職業適性については……?」


「職業適性? ふむ……、確かに何か書いてあるな」



 ゴーアスはそこで椅子を引き、驚いた様子で滉を見た。まじまじと見る。穴が開くほど見る。そして突然噴き出した。



「職業適性FFFF……。これは本当かね?」


「はい。本当です」


「なるほどなるほど! さっきまで私は不安だった。私ごときの力で、きみたちに便宜をはかれるかどうか、とね。だが杞憂だったようだな」


「と、言うと?」


「職業適性FFFFなら、それぞれのダンジョンを牛耳っている連中も、きみたちを警戒しないだろう。きみが職業適性FFFFであることを証明しさえすれば、それで事実上バレムトのダンジョン攻略は自由に行えることになる」



 滉はそれが果たして良いことなのか悪いことなのか分からなかった。つまりあまりにも雑魚過ぎるから警戒するまでもないということだ。滉は複雑な心境だったがツバキは嬉しそうだった。



「ありがとうございます。それでは……」


「ああ。だが、本当に朝妻滉の職業適性がFFFFかどうか、検査をさせてくれ。ないとは思うが、偽証だった場合、問題が起きかねない」


「それはもちろん」



 検査というのは一瞬で終わった。応接間に現れた職員が懐中電灯のような機器を翳して終わり。結果はやはり滉の職業適性はFFFFであり、あらゆる戦闘職の能力を引き出すことはできないとのことだった。


 ゴーアスは興味深げだった。



「紹介状には書かれていなかったが、どうやってダンジョン攻略するつもりなのかね?」



 滉は答えようとしたが、ツバキはそっと制止した。



「答えかねます……、この国でそれを明かせば、周囲に警戒されてしまいますから」



 ゴーアスは深く頷いた。



「それもそうだな。済まなかった。誰にも言わないほうがいいだろう」



 滉とツバキはこうして、ゴーアス局長直筆のダンジョン攻略許可証と、職業適性FFFFの証明書を手に入れ、ダンジョン管理局から出た。ここまでは順調で、二人は都市ドレル=バレムトの大通りに面する喫茶店で昼食を摂りながら今後について話をした。



「で、バレムトにはたくさんダンジョンがあるんだろ。どこに向かうんだ」



 滉の質問にツバキは指を立てて説明する。



「朱禽の塔……、と呼ばれるダンジョンがあります」


「朱禽の塔? 塔か……、結構高い塔なのか、それ」


「確か高さ200メートル前後だったかと。バレムト各地で起こった戦役の英雄を祀った巨大な塔で、有翼系の魔物が多数出現、現在ダーム家と呼ばれる勢力が攻略中です」


「ダーム家……。そこが仕切ってるのかな」


「そういうことになりますね。ただ、各地から集まってきた傭兵を積極的に登用して、攻略の貢献度に応じて金銭をばら撒いているという話です。私たちが攻略参加することは比較的容易でしょう。また、ダーム家の後ろ盾にはガイナス大陸南部に位置するケイオン王国がついているとのことです。ケイオン王国は三つの英雄職を所有する軍事大国で、もしかするとダーム家の中にもその英雄職を使いこなす人がいるかもしれません」



 滉は幾つか現れた固有名詞を頭の中に刻み込みつつ、



「やっぱりダンジョン攻略には英雄職が多く使われるものなのか」


「そうですね。そうなります。ただ、英雄職に求められる役割はダンジョン攻略以外にも多々ありますから、一度に大量にというのは難しいでしょう」



 ツバキは注文した飲み物をちびちびと飲みながら説明を続ける。



「朱禽の塔の攻略は、既に8割がた完了しているという噂です。ダーム家は傭兵の雇用量を増やして、追い込みをかけている節があるので、このチャンスに私たちも乗っかりましょう」


「……でも、俺たちがダンジョン攻略したとして、英雄職の所有権は誰のものになるんだ?」


「所有権は攻略した人間のものですよ」


「でも、俺たちが英雄職をかっさらったら、朱禽の塔を攻略するのにカネや労力や時間をかけたダーム家が可哀想じゃないか?」


「確かにそうですね」



 ツバキは深く頷いた。



「可哀想ですし、理不尽です。ですから、各勢力は払いたくもない賄賂を各方面に渡って、それぞれのダンジョンでの影響力を強めているわけです。すなわちそのダンジョンに出入りする冒険者に、仮にダンジョン攻略を果たしたとしても所有権は我々に譲渡することといった契約を結ばせるわけです。報酬金は払うが英雄職は渡せないってことですね」


「じゃあ、俺たちも英雄職を手にすることはできないってことじゃないか」


「普通なら。ですが、職業適性FFFFなら例外が認められるかもしれない。そうは思いませんか」



 ツバキはずる賢く笑む。滉は腕を組んで考え込んだ。



「……それって狡くないか」


「狡いですが、今の時代、カネもコネもない人間はこういう手段でしかダンジョンで戦えないわけです。それに、別に相手を騙すわけではないのです。契約を交わさずにダンジョンに潜り込むというだけであって、契約を反故にするというわけではないのですから」



 そう語るツバキは真剣な表情になり、そしてふっと肩の力を抜いた。



「――まあダンジョンを攻略できたら、の話ですけどね。相当に運が絡むと思いますが、やってみせましょう、滉さん!」


「あ、ああ、頑張るけどさ……」


「今回は予習ばっちりです! 朱禽の塔に出現する魔物は全てで17種! その全ての対応策は構築済み! ダヴィナ霊園のときは魔物の亜種が登場して混乱してしまいましたが、今回は大丈夫です」


「だといいけどな……」



 不測の事態が起こったとき、ツバキは結構狼狽することが多かった。滉は今回もそうならないことを祈りつつ、まだ見ぬ朱禽の塔なるダンジョンの外観を想像していた。








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