剣と盾
「オレが剣でお前が盾だ」
ヴェロンが説明する。そして滉の脇の下から腕を回して担ぎ上げる。
「なっ、何をする気だ!?」
「お前を盾にしながらキュクロプスと戦う」
ヴェロンはあっさりとそんなことを言う。滉自身は攻撃能力を持たないからキュクロプスに無視されるとどうにもできないが、ヴェロンならキュクロプスに決定打を加えることができる。滉はなるほどと思ったが、問題が一つあった。
「俺を抱えながら戦えるのかよ、ヴェロンさん!」
「お前のほうがオレに組みついてくれたほうが動きやすそうだが、咄嗟に盾にするとなると、オレがお前を持っていたほうがミスは起こりにくそうだな」
「じ、じゃあ……」
「野郎を抱えながら戦うなんてむさ苦しくて仕方ない」
「それは言うなよ」
ヴェロンは滉を抱え持ったまま突撃した。それに呼応してリッド、ミレイ、トルタの三名も突撃を開始する。
それを迎え撃つのは英雄職の少年とキュクロプス、更に無数の魔物ども。英雄職と魔物の相手はあの三名がしてくれるだろう。しかしある程度の妨害は覚悟しなければならない。
少年はヴェロンに抱えられた滉を見て笑った後、すっと表情を引き締めた。
「なるほど。剣と盾か。そういう完全な分業は最近の流行りじゃないけど、決まるとなかなか強力だよね。だけどその盾は」
少年の鞭が襲いかかる。軌道自在のその鞭は驚くほど伸びてくる。何体かの魔物を巻き添えで弾き殺しながら迫る。ヴェロンは機敏に避けた。滉を持っていてもその機動力は些かも衰えなかった。しかしあれに触れたら死ぬと分かっているだけに、滉は生きた心地がしなかった
「――その盾は英雄職の攻撃には無力だ。英雄職の攻撃は単属性じゃないからね。完全耐性は成立しない」
そうだ。英雄職の攻撃にかすりでもしたら死ぬ。ヴェロンがそれを理解してくれていて良かった。いや、そもそも属性について教えてくれたのはヴェロンだったか。滉はヴェロンの動きを信頼しつつもいつ自分が盾にされるかとひやひやしていた。頭では大丈夫だと分かっていても恐怖というのはどうしようもない。
「朝妻! いくぞ!」
雑魚の魔物をトルタが一閃し片付けてくれている。キュクロプスまでの道筋はある。リッドとミレイが英雄職の少年に突っ込み攻撃を妨害している。地上ではツバキが転職の作業を行ってくれている。これだけ協力してくれている人がいるのに、結局滉の能力を生かせられませんでしたとなれば、今後が不安だ。ここで決めなければならない。とは言っても、滉にできるのは祈ることだけなのだが。
ヴェロンがキュクロプスと対峙する。既に単眼の修復は完了し、視界を得られるようになっていた。斬られたはずの腕も徐々に回復し始めていて、腕の骨のようなものが断面から生えていた。
「ちまちま削るのは効果が薄いな。急所を穿つ」
ヴェロンが呟く。
「そして急所へのガードを外させるには完全耐性をぶつけるのが最も手っ取り早い。朝妻、準備はいいな」
「心の準備はいいよ。いつでもやってくれ」
「死んでも文句は言うな」
「ヴェロンさんには危ないところを助けてもらったからな。今更だよ。それに死んでしまった後じゃ文句は言えないだろ」
「屁理屈抜かすならぶん投げるぞ」
ヴェロンは果敢に走る。キュクロプスの動きが鈍くなった。滉は無視すべきだがヴェロンは無視できない。迷いがあるのか。すかさず英雄職の少年が命令する。
「雑魚を撒きながら退け! そいつらの相手は僕がする」
キュクロプスは素直に応じ、背を向けて逃げ始めた。少年が鞭の音を高らかに鳴らしながらリッドを弾き飛ばした。そしてミレイの追撃を躱してヴェロンの前に進み出る。
「一般戦闘職が、英雄職に勝てるはずないのにね!」
鞭が眼前に迫る。しかしヴェロンは回避しようとしなかった。滉は瞼を閉じてヴェロンにしがみ付いた。
「しがみ付くな。動きにくくなるだろうが」
少年の鞭はヴェロンの眼前で軌道を変えた。滉が瞼を開けるとそこにはトルタのピンと伸びた背中があった。鞭の根本に双剣を合わせて競り合いになっている。二人の膂力が拮抗していて両者とも地面に根を生やしたように動けなくなる。
「若造が……。英雄職を持て余しているねぇ……!」
「お婆さん。無茶しないほうがいいよ?」
トルタが英雄職を引きつけている間にヴェロンがその脇を通り過ぎた。全力で逃げるキュクロプスを追う。
「もっと魔物は馬鹿なもんだろ。可愛げがない。さっさと向かってこい。オレが食い潰してやる」
魔物に可愛げなんてあってたまるか。滉は思ったがヴェロンの集中は冴え渡っていた。雑魚の魔物が脇から攻撃を仕掛けても速度を落とすことなく突き進む。いちいち彼の発言に文句を言っている場合ではない。
「ヴェロンさん、突っ込み過ぎると孤立するぞ!」
「行くしかない」
多くの魔物を後方に見る。退却するのにも苦労しそうなほど敵陣深く斬り込んでしまった。キュクロプスを倒して敵陣を大きく崩さないと生還は難しそうだった。
脇からレベル3の鎧の巨人が突っ込んでくる。滉は身構えた。
「ヴェロンさん!」
「使うぞ、盾を!」
ヴェロンが滉の首根っこを掴んで振り回した。衣服が首に引っ掛かり息が詰まる。鎧の巨人の拳に上手く当てることに成功し、ツバキの転職も敵に接触する寸前に完了した。鎧の巨人の岩の装甲が砕け、後方に吹き飛んだ。滉には何の衝撃もない。
ヴェロンの剛腕で引き戻され、引き摺られるようにキュクロプスに迫る。ヴェロンはハハハと笑った。
「なかなか便利な盾だな。防具として優秀だ。これから流行るんじゃないか、転職による完全耐性の切り替え……」
「お気に召したようで良かったけど首が締まってるからもうちょっと……!」
「我慢しろ」
ヴェロンは滉を抱え持ったまま突撃する。キュクロプスは観念したように反転しヴェロンを睨みつけた。もう逃げ場がないのだろう。雑魚の魔物がキュクロプスの足元から大量に湧いてきて行く手を遮った。既にリッドやミレイはかなり離れた位置にいる。トルタも英雄職にかかりきりで動けそうにない。
トルタはそれを見て取り、叫んだ。
「今だよ!」
突如天井から四人の戦士が降ってきた。いずれもトルタと同じく黒い外套を羽織っている。ダンジョン管理局の常駐戦力……。今までトルタの命令でこの階層のどこかに潜伏していたようだ。彼らが魔物を蹴散らしヴェロンの道を切り開いた。
「まずいな」
英雄職の少年はぼやく。
「まずい……。キュクロプスはここ一帯の“主”であり“要石”……。キュクロプスを始点として魔物の統率を行っている以上、あいつを失うと魔物の制御が利かなくなる……。連携できない魔物なんてザコ以外の何者でもない」
英雄職の少年はトルタを押し切った。体勢を崩したトルタに背を向けてヴェロンと滉のほうに突進する。
「甘いんじゃないのかい!」
その大きな隙を見逃さないトルタではなかった。双剣を持って斬りかかる。背中にまともに斬撃を浴びた少年だったが、英雄職の優れた属性耐性が威力をほとんど殺す。怪我は負ったが致命傷からは程遠かった。トルタは渾身の一撃がその程度の威力しかなかったことに舌打ちした。
「これだから英雄職というのは……!」
少年がヴェロンのほうへ鞭を繰り出す。いよいよキュクロプスに飛びかかろうとしていたヴェロンは気勢を削がれた。地面を転がって鞭の攻撃を躱す。それに引きずられている滉は全身を強く打った。眩暈がしたが文句を言っている場合ではない。
少年は鞭を振るいヴェロンを執拗に狙う。こうなると滉は純粋の足手纏いでしかない。英雄職との戦いでは完全に役立たずである。
「ヴェロンさん!」
「キュクロプスを見張ってろ。両方いっぺんにこられるとさすがのオレもやられる」
見張れと言われても、滉はヴェロンに縋りついて離れないようにするしかないのだ。
少年はにやりと笑う。
「もたもたしていると厄介な人たちが僕の邪魔をする。とりあえず頭数を減らそうか。そうすれば形勢はこっちが有利になると思うんだよね」
四人の黒外套の戦士が英雄職にも対応しようと身構える。だが少年は完全にヴェロンだけに照準を合わせていた。ヴェロンは鞭を躱すことに集中しているが間近で繰り出される鞭の夢幻のような軌道は見切ることが難しかった。地面を抉り土埃が舞いヴェロンの視界を一瞬だけ遮る。渦巻く空気を纏いながら鞭が真っ直ぐ伸びヴェロンの足に打擲した。肉が弾ける音がしてヴェロンは苦悶の声を上げた。血が迸り彼は地面に伏した。滉は投げ出されて少し離れた場所まで飛ばされた。頭を強く打ち目の前を火花が散る。
「ヴェロンさん!」
ミレイが魔物の軍勢を掻き分けて加勢しようとしている。英雄職の追撃からぎりぎり間に合うか……。滉の眼にはそう見えたがしかし、既にヴェロンの間近にキュクロプスが迫っていた。拳を振り上げて地面に寝そべるヴェロンに叩きつけようとモーションに入っている。
「させるか!」
滉は右手を翳しながら突進した。ヴェロンとキュクロプスの間に飛び込むようにしてヴェロンの盾となった。キュクロプスは攻撃を止めることができずに滉に一撃を見舞った。
滉の服がまた変わっていた――赤い漆のような光沢をもつ鎧を纏っている。邪魔になると思ったのか武器は送られてこなかった。
突撃したのでキュクロプスの攻撃を浴びた後も勢いが死なずに地面に叩きつけられた。ハッとして顔を持ち上げるとキュクロプスの腕に閃光が走っていた。拳の先端から罅割れが広がるように衝撃が伝わっていく。キュクロプスは絶叫した。
「ああもう馬鹿!」
少年が頭を抱えた。キュクロプスは悲鳴を上げ続ける。滉に攻撃を喰らわせた腕が血を噴き出しながら破砕されていく。それだけにはとどまらずに胴体にも衝撃が伝わり巨人はもんどりうった。
「鎧の巨人は防御に重きを置いた魔物だった……。だから完全耐性で攻撃を反射されても致命傷にはならなかったが、こいつの場合は違うようだな」
ヴェロンが呟いた。
彼の呟きが終わると同時にキュクロプスの心臓の位置が奇妙に隆起した。そしてその部位が派手に爆発する。まさか完全耐性を一度ぶつけただけでキュクロプスが死ぬとは思っていなかった滉はぞっとした。キュクロプスの攻撃力の高さ、そしてそれを完全に遮断する転職戦闘の威力、その両方に寒気がする。
「やられたか……。まさかあのタイミングで“盾”になるなんて」
少年は感心したように滉を見ている。
「思ったより面白い戦法だね、それ。お兄さんの勇気も大したものだし」
褒めているのか? 少年は近くにいた数人の戦士を牽制した後、大きく後退した。
「逃がしません!」
ミレイが突撃するが簡単にいなされた。そんなミレイに周囲の魔物が襲いかかる。
「あなたの英雄職は同時にレベルの高い魔物を数体操るのがせいいっぱいとみました。ただし軸となる“主”の魔物を制御下に置くことで大量の魔物を率いることができるようになるようですね。“主”は簡単には変更できないのでもう退くしかないといったところですか」
「……ふうん。お姉さん、なかなか頭がいいね。顔もいいし、体術もできるし、よく完璧って言われない?」
「一度だけ、完璧過ぎるのが唯一の欠点と言われたことがあります。自分では分かりませんが。ただ、個人的にはもうちょっと背が低かったほうが、可愛げがあって良かったかなと思いますが、それはさておき」
ミレイが槍を構えた。
「あなたはここで殺します。今後もカロナス家の敵となるのなら、あまりにも危険過ぎる」
「それはそれは。正しい判断だと思う。けど、不可能な目標を口にして空しくないのかな」
「逃げ場はありません」
「逃げ場がない? 前言撤回。お姉さんは完璧からは程遠いね。節穴だ。それに胸も小さいし声も可愛くないしよく見たら耳が変な形してるし、全然完璧じゃない」
少年の足元に突如として金属製の門扉のようなものが出現した。ミレイが目を見開く。
「これは帰還路……、帰還魔法の準備を!?」
「まさか僕が死ぬことも厭わずダンジョンの最奥に陣取っていたとでも? 残念だったね、殉死なんて流行らないよ」
帰還魔法が発現し少年は扉に飛び込んだ。ミレイが追いかけたがすぐに扉は閉じた。槍の穂先を閉じた扉に突きつけたが既にそこには地面があるのみだった。扉はあっという間に消滅してしまったのだ。
「……帰還路の脱出口はこの近くにあるはず……!」
ミレイは自身の耳に触れた。変な耳と言われたことを気にしたのかと一瞬思ったが、そこにある通信機に触れただけのようだった。
「ゴルさん、地上に帰還魔法の脱出口がないか調べてください! 今回の首謀者が逃げました」
《ダンジョンは……、我々の英雄職は無事なのか?》
「ぎりぎり最悪の展開は回避できましたが、ダンジョンの穢れが酷いです。戦力を注ぎ込む必要がありますね」
通信を終えたミレイは近くの魔物を一掃しながらヴェロンに近づいた。負傷したヴェロンは剣を杖に立ち上がったところだった。
「朝妻さん、ヴェロンさん、撤退してください。もうあなたたちは役割を果たしました。本当にご苦労さまです」
「や、やったのか……。俺が」
滉が言うとミレイはにっこりと笑んだ。
「ええ。見事でした。一瞬でも迷っていたらヴェロンさんは死に、キュクロプスは倒せませんでした。朝妻さんのお手柄ですね」
「でも、俺は突っ込んだだけだ。それに自分は死なないって分かってたし……」
「それを言うなら、私は大抵の魔物より自分が強いと分かっていますし、ダンジョン探索は散歩みたいなものです。でもあなたは違う。職業適性の低さゆえに、あらゆる行動には勇気を必要とする」
ミレイはしみじみと言う。
「これは嫌味でも何でもなく……。私はあなたに敬意を表しますよ、朝妻滉さん。でもダンジョン攻略はほどほどにしたほうがいいと私は思います。他人の助力がなければまともに戦えないというのは致命的です。今回は我々がいたので効果的にその能力を生かせましたが」
「……やっぱりそうなのかな」
「もしその能力を生かしたいのなら、一介の冒険者としてではなく、大勢力に所属することをお勧めします。大物を殺し得るあなたの戦法を高く評価してくれる人もきっといるでしょう」
ミレイはそう言って魔物の駆除に戻った。ヴェロンはよろめきながら滉の肩に掴んだ。
「いくぞ、朝妻。地上だ。肩貸せ」
「あ、ああ……。分かった」
黒外套の戦士の一人が護衛についてくれた。足を負傷したヴェロンを抱えて滉は地上に帰還した。ダヴィナ霊園での戦いはほとんど終了した。あとは魔物の残党を狩り尽くすだけ。もう犠牲者が出ることもないだろう。
今回の戦いは上手くいった。しかし優れた戦士が何人も協力してくれたから決定的な一撃をキュクロプスに与えられたが、ツバキと二人だけで挑んでいたらここまでやれなかった。それは分かっている。
ただ職業を切り替えるだけでは戦えない。ツバキはそれに気付いているだろうか? 仲間が必要だ。それもほとんど戦闘力のない滉をカバーしながら戦うことができる相当な猛者が。滉は隣で脂汗を浮かべているヴェロンを見た。ヴェロンなら実力に不足はない。彼が仲間になってくれるのなら、これほど心強いことはないが、果たして……。




