転職戦闘
結局、リッドからキュクロプスの情報を引き出すことはできなかった。しかし彼はキュクロプスの情報をカロナス家のデータベースに送信済みで、それをミレイが自由に閲覧することができた。滉が知らない間にミレイとツバキの間でやり取りがあったらしく、滉は満を持してキュクロプスと対峙することができた。
敵は英雄職の少年。そしてレベル4のキュクロプスと、多数の魔物ども。既にミレイとリッドは交戦状態に入っている。英雄職が持っている鞭は、一見するとただの革製の鞭にしか見えなかったが、その一撃が容易く人体を切断することは先ほどの死体を見れば一目瞭然であった。
「地上ではゴルさんが本部に連絡を入れてくれていると思います。他のダンジョンに出撃中の部隊を引き上げてくれているはずです」
ミレイが鞭を避けながら言う。
「仮にここで撤退しても、カロナス家の仲間が死ぬなんてことはなくなったわけです。とはいえ、ここが未攻略状態に戻ると、カロナス家の没落の可能性が高まるわけですが」
魔物の群れが一斉に飛びかかってくる。ヴェロンが剣を振り回して魔物を追い散らそうとするが、魔物は自分の命が惜しくない様子で突っ込んでくる。滉は必死にヴェロンについて走り、彼が守ってくれることに期待しつつ、キュクロプスの動向を観察し続けていた。キュクロプスは巨大な一つ目に傷を負っていたが眼は見えているらしい。もしかすると時が経つにつれて修復しているのかもしれない。
英雄職の少年が鞭を振るうたび、それに呼応するように魔物が波状攻撃を仕掛けてくる。リッドとミレイは難なくそれらを躱しているが、少年に近付くことがなかなかできない。魔物一体一体は大したことがないのに、連携されると一気に攻め込むことができない。地下七階は他の階層と比べて狭く、機動力で攪乱することも難しそうだった。
「親玉を潰すのは難しそうだな。キュクロプスを仕留めれば魔物の統率も多少は崩れるかもしれない」
ヴェロンは言う。
「これが普通の案件なら、ここの“主”であるキュクロプスを倒せばここは正常化に向かうはずだが、あんな英雄職がいるとなると、どうなるか分からないな」
「でもレベルが高いほど“穢れ”を大量にばら撒くんだろ? あいつを倒せば状況が良くなるのは間違いない」
「そうだな。準備は良いか、朝妻。ミスするんじゃないぞ」
「俺は突っ込むだけだ。ツバキさんを信じて」
ヴェロンが雑魚を二人斬り飛ばした後、滉の腰の辺りを掴んで抱え上げて思い切り強く投げた。ヴェロンの人間とは思えない怪力で滉は空中に躍った。その投擲は正確で、キュクロプス目がけて滉は凄まじい速度で突っ込んだ。
キュクロプスは完全に滉を目視していた。単眼の巨人はしかし、滉の接近に気付かなかったかのように無視した。滉が自分が武器を使うつもりがなかったのでそのままキュクロプスに体当たりするような形になった。そして当然のことだが、キュクロプスはびくともせず、滉は弾き飛ばされて地面に投げ出された。
キュクロプスは足元に転がった滉に全く興味を示さない。ヴェロンに狙いを定めている。
滉は唖然としていた。こいつ、自分を敵と見做していない。自分を脅威に思っていないからか? いや、そうじゃない。滉が転職戦闘を駆使して戦うことを理解し、手を出さないことが最善の策だと気付いているのだ。
滉はちらりと英雄職の少年のほうを見た。鞭を巧みに使い、リッドとミレイを翻弄している彼は、滉を一瞥すると微笑んだ。
やはりそうだ。キュクロプスは滉に攻撃してこない。滉の相手をしてくれるのは無数にひしめく雑魚たち……。滉は背後に迫るレベル2の亜人型の魔物の気配を感じ取った。
「ま、まずい……!」
滉は咄嗟に、キュクロプスの足に縋りついた。キュクロプスが自分に攻撃してこないならこいつを盾にするしかない。魔物が滉に突っ込むが、結果的にキュクロプスに纏わりつく恰好になり、それをキュクロプスが嫌がって追い払った。そして鬱陶しそうに滉を見る。今にも滉を攻撃したがっているように見える。
「そこのお兄さんに攻撃しないようにね、キュクロプス」
少年が軽やかな声音で言う。
「わざわざ相手の策にはまってやることはないんだよ。馬鹿馬鹿しい戦法だけど、強力なサポートがつけば大物喰いの可能性を秘めている。僕が殺せれば手っ取り早いんだけど……」
少年が放った鞭は滉を狙っていた。しかしその軌道を、ミレイの槍の一撃が逸らす。槍を引きざま魔物を何体か引き裂いたミレイはくすくす笑っている。
「まさか私とリッドさんを相手にして、他の人を攻撃できるなんて思ってませんね?」
少年は肩を竦めた。
「嫌だなあ……、でもまあ、時間を稼げればこっちのものだよ。ぐだぐだでも時間が経てばダンジョンは取り返しのつかない状況まで穢れてくれる」
少年とミレイ、リッドは再び激しい戦いに戻った。毎秒ごとに魔物が斬り飛ばされるが全く数が減っているようには見えない。時間の猶予はどれくらいあるのか。早くキュクロプスを仕留めなければまずい。
「朝妻!」
ヴェロンが叫びながら近づこうとしているが、キュクロプスの何本もある腕が彼を寄せ付けない。どころか巨人の攻撃を避けるだけでもかなり辛そうだった。他の魔物の攻撃もいなさなければならない。ヴェロンは近づくどころかどんどん後退していった。
キュクロプスの足元でうろちょろしている滉を、他の魔物は手を出せないでいる。あまり近づき過ぎるとキュクロプスに踏み潰されるか払われてしまうからだ。そういう意味ではヴェロンがいなくとも、安全ではある。だがこのまま時間が過ぎては、状況は良くならない。
滉は焦っていた。でも自分にはどうすることもできない。相手が攻撃してくれないことには始まらない。こんな初歩的なことに気付かないまま敵に挑んだことが馬鹿らしく思えてくる。
「いったい、どうなってるのかねえ」
声が降ってきた。ふと滉が見ると、天井にぶらさがっている人間がいた。まるでコウモリのように脚を天井に引っ掛けて逆さづりになっている。まさしく練兵長のトルタであった。
「あっ……!」
「どうしてそこの少年がキュクロプスに攻撃されないのか、分からない。さっきから考えていたんだけど……、ちょっと正解を教えてくれないかい?」
トルタの言葉に滉は簡潔に答えた。
「転職して完全耐性を敵の攻撃に合わせるんです。そうすれば相手にダメージがある。でもこの戦法を読まれていて……」
「ふむ。なるほど。遠隔転職……。でも、転職するのには時間がかかるのでは?」
「一瞬で終わります。俺はFFFFなので……」
トルタの眉が持ち上がった。いや、逆さ吊りになっているので、滉から見れば眉が下がったように見えたのだが。
「ほう! FFFF……。確かに、職業適性が低いほど転職にかかる時間は短縮される傾向にあるとは聞いたことがあるね。それじゃあ、まあ」
トルタが天井から離れた。自由落下の間に体勢を整え、双剣を腰から引き抜いた。キュクロプスの近くに着地すると同時に周囲の魔物を一閃、五体ほどが一瞬にして絶命した。
「朝妻とかいったね。それじゃあ頼んだよ」
「えっ……!?」
トルタがキュクロプスに向かって突撃する。巨人は当然それに気付いて腕を振り回す。全身をしならせダイナミックに攻撃するさまは、傍から見ていてなかなか迫力があった。トルタは風に舞う葉のようにすいすいと巨人の攻撃を躱していく。
躱すだけで、攻撃する様子はない。滉はしばらくキュクロプスの足元でじっとしていたが、トルタの視線が滉を捉えた。
滉ははっとした。まさかトルタに向けられた攻撃に、上手く合わせろと言っているのか? 自分から攻撃に当たりに行けと……。
滉は一瞬戸惑ったがすぐに決意した。
「ツバキさん! 準備はいいか!」
《はい! キュクロプスが持っている五種類の単属性攻撃……、その全てに対応可能です!》
「任せたからな! 死んだつもりで行ってくる!」
滉はキュクロプスの足元から抜け出した。雑魚の魔物どもが襲いかかってくるが、トルタの双剣から斬撃の衝撃波のようなものが飛び出し、それらを粉々にした。老婆は満足げに頷く。
「大した胆力だ。さあて、完全耐性の威力を眼に焼き付けるとしようかね」
トルタが双剣の内の一振りを投げつけた。キュクロプスはそれを難なく弾いたが、もう一振りが既に巨人の眼に迫っていた。
単眼の巨人の巨大な瞳が傷つけられ、暴れ出した。眼を押さえて、腕を振り回す。
「ほうら、こっちだ!」
トルタが声を上げ、仁王立ちになる。もはや回避するつもりはないようだった。もし滉の完全耐性が不発ならあの人も死んでしまうだろうに。
「大した胆力は、そっちだろ……!」
滉はトルタの前に飛び出した。それと全く同時に、キュクロプスの拳が迫る。瞬間、滉の服が変化した。青い羽織のような服になり、腰には刀が出現する。どんな職業かは知らないが、どこか和風だった。
キュクロプスの拳を滉は正面から受け止めようとした。しかし実際にキュクロプスの拳が滉を襲うことはなかった。
キュクロプスの腕が一本、宙に浮く。滉は間近にそれを見た。巨大な腕が肘から先を切断され大量の血を撒き散らしながら地面に落ちた。
「やれやれ」
英雄職の少年が鞭をしならせつつ言う。
「こんなに阿呆だったとは。亜人型とはいえ、やっぱり魔物は阿呆ばかりだね……」
あの少年が、キュクロプスの攻撃が滉に届く前に巨人の腕を斬り飛ばしたのか。リッドとミレイが攻め込んでいるがそれを少年はのらりくらりと躱している。
「完全耐性の防御が決まってしまうと、恐らくキュクロプスは死にはしないだろうけど、戦闘不能に陥るだろう。それを避けるには切断するしかなかったんだ。だから恨まないでよ、キュクロプス」
キュクロプスは咆哮をあげていた。痛みに悶えると同時に自らを奮い立たせている。そして滉を無視してトルタとヴェロンに苛烈な攻撃を仕掛けた。
滉は再びキュクロプスの足元に逃れようとしたが、無数の魔物が立ち塞がり近づけなかった。結局、トルタとヴェロン共々後退するしかない。
トルタが舌打ちする。
「リッド! ミレイ! 後退だ。これ以上は無謀だよ!」
リッドとミレイは頷き、敵を牽制しながら速やかに後退した。敵も深追いはしてこなかった。
「転職戦闘は不発でしたか」
ミレイは呻く。滉は苦々しく頷いた。
「ごめん……、惜しいところまではいったんだけど」
「あれは敵が一枚上手だったね。仕方ない」
トルタがあっけらかんと言う。リッドは魔物と交戦しながら振り向いた。
「どうする? 魔物と連携されると、あの英雄職に傷一つ付けられる気がしない。かと言ってあのキュクロプスも守りが堅い」
トルタは顎に手をやり、ふうむと唸った。
「ちょっとばかし乱暴だが……。やってみる価値はあるかもねえ」
ミレイが興味深げにトルタを見やった。
「何か策が? 練兵長」
「策と言えるほどのもんじゃないけどね。働いてもらおうか、朝妻滉」
滉は目を丸くした。
「俺が? 俺は何をすればいい」
「何も」
トルタは思わせぶりにそう答え、滉の首根っこをむんずと掴み、ヴェロンに差し出した。滉にはわけが分からなかったが、ヴェロンは察したようだった。というより、彼は前々から勘付いていたようだった。
「オレにそれをやれと、婆さん」
「あんたがこの子と一番長い付き合いなんだろ? 信頼関係が大事だからねえ」
「物は言い様だな。オレとこいつはまだ知り合って一日も経っていないぞ」
しかしヴェロンは笑っていた。楽しそうなことが始まる、とでも言いたげな顔だ。しかしヴェロンにとって楽しそうなことは、たぶん、滉にとってはあまりよろしくないことなのだろう、彼とは短い付き合いだが、それくらいは分かる。分かってしまう。滉はぎこちなく笑い返すしかなかった。




