練兵長のトルタ
地上は騒がしくなっていた。
ダンジョンに異変が生じて一時間以上が経過し、近隣の街やダンジョンから続々と冒険者が集まっていた。多くは野次馬根性を隠そうともしない暇人だったが、中には役に立ちたいと考えている者もいて、ダヴィナ霊園の敷地内に入り、出没する魔物を倒してくれていた。ただし地下墓所に立ち入るような命知らずはおらず、地上の安全は確保されたものの、依然未攻略状態に戻る危険性は軽減されないままだった。
滉とツバキはその騒ぎの中心にいた。多くの人間から事情を聞かれ、何か役立てることはないかと質問された。指揮を執るはずのカロナス家のゴルは、通信機らしきものを相手に誰かとの会話に夢中になっているようだった。あまり頼りにならない。
滉とツバキは地下墓所内がどうなっているのか説明した。ほとんどの冒険者が、レベル3の魔物が当然のように出没すると聞いて尻込みした。一体や二体ならともかく、無限にわらわらと湧いてくるとなると、命はない。そんなことは分かり切っていた。
結局、多くの人間が集まっているにも関わらず、地下墓所内に何ら干渉することができずに時間だけが経っていった。滉としては、地下墓所内に挑んだミレイやリッドたちに期待するしかない。もし彼らが敗れ去るようなことになれば、ここにいる有象無象たちだけではとても対処できない。
「ほらほら、どいたどいた!」
霊園の入口付近で老いた女性の声が響いた。それを聞いてはっと顔を持ち上げたのは、カロナス家のゴルだった。黒髪を振り乱して駆ける。
「やっと来たか。こっちだ!」
ゴルの言葉に反応したのは、10人からなる黒衣の集団だった。構成員は老若男女で統一感は皆無だが、いずれも黒い外套を羽織っていることだけは共通していた。その先頭を行くのは顔に皺が深く刻まれた老婆だった。ただし矍鑠としていて動きはきびきびしている。白髪の中に幾筋か混じる金髪が陽の光に輝いている。
老婆はゴルを前にして舌打ちした。
「ゴルか。カロナス家の幹部ともあろうものが、わざわざ」
「早急に対応してくれ。これは管理局の仕事だろう!」
ゴルは怒鳴った。老婆は肩を竦め、背後に控える九人の部下に目線を送る。
「仕事はきっちりこなす。しかし聞いた話だと、前例のない荒れ方をしているそうだね。実際にダンジョンに入る前に情報を整理しておきたいんだが、構わないね?」
「そんな、悠長な」
「部下を無為に死なせるわけにはいかない。ゴル、話を聞かせてくれるかい。別に詳しく話せるのなら、あんたじゃなくてもいいけれど」
ゴルがちらりと滉とツバキのほうを見た。老婆もそれにつられて滉のほうを見る。滉はその瞬間、老婆の瞳を正面から見てしまった。
老婆の瞳には白目がほとんどなかった。ほとんど黒一色。たるんだ瞼がその瞳を見にくくしているがその異様な双眸は迫力があった。
老婆はつかつかと歩み寄ってくる。
「私はダンジョン管理局に委託されて常駐部隊の練兵長をやっているトルタという者だ。たまたまウェンスロー支部に派遣されててね、一人でも戦力は多いほうがいいというもんで、老骨に鞭打って参上したわけだよ」
「はあ……。あ、俺は朝妻滉です。あの、この地下墓所の中のことを話せばいいんですね?」
「うむ」
滉はざっと何があったのか話をした。トルタは神妙な顔つきでそれを聞いていたが、やがて納得したように頷いた。
「なるほど……。大体分かった。これは人為的に起こされた、事件だね」
「やはり、そうなんですね」
「まだあまり騒ぎにはなっていないが、何件か似たような事例が報告されているもんでね。いずれもダンジョンの未攻略化は防げたが、ここは結構まずい状況だね……」
「犯人がどんな奴か、分かるんですか」
「大体は。けれどそれをお前さんに話すことはできないね。一方的に話を聞かせてもらったのに申し訳ないとは思うが、こっちにも事情がある」
トルタと話をしている間もゴルは苛々と辺りを歩き回っている。トルタは部下九名を見渡し、よく通る声で命じた。
「魔物のほとんどは亜人型だ。対応可能な装備を整えた者から突入し、まずは浅層を制圧せよ。日頃の鍛錬の成果を見せるときだよ」
トルタの号令に部下たちが頷いたときだった。地下へと繋がる階段から轟音が鳴り響いた。
ぎょっとした一同を前に、土埃と共に飛び出してきた影があった。それはまさしくリッドとミレイで、全身埃まみれだった。そんな二人を追って亜人型の魔物が大量に階段から這い出てくる。滉は驚きのあまり後ずさった。
トルタはにやりと笑った。
「おやまあ。準備運動にうってつけだね。まずはこいつらの相手をしよう、いいね!」
トルタが先陣を切って、魔物の群れに突撃した。十人の増援は見事な手際で魔物たちを蹴散らし、逃げ惑うしかなかった他の冒険者たちとの差を見せつけた。
滉も一体くらいは相手したいところだったが、魔物の数が多く、一対一に持ち込めそうになかったので後退するしかなかった。ツバキも後退するすることに賛成し、二人で固まって行動した。
魔物を撃滅するのに10分もかからなかった。魔物の死骸が散乱し、あたりは墓場というより屠殺場の様相を呈した。
逃げ出してきたリッドとミレイはぼろぼろだった。そんな二人の様子にトルタは驚いているようだった。
「おやまあ……、ウェンスロー支部で最強の兵隊であるミレイがそこまで追い込まれるとはね」
ミレイは短槍を地面に立て、それに寄りかかるようにして立っていた。赤髪の色彩がまだらになっている……、自身の血が降りかかり赤黒く変色しているのか。
「お久しぶりです、練兵長。まだまだご健在ですね」
「全盛期とは較べるべくもないけれどもね。若さだけが取り柄の半端者よりはまだまだやれるつもりだよ」
「流石です。……練兵長、地下七階に人を発見しました。魔物を使役する英雄職です。レベル4のキュクロプスと一緒にいました」
ミレイの言葉に、ゴルをはじめ、多くの人間が驚きの眼を見開いた。しかしトルタは冷静沈着だった。
「会ったのかい、キャスの調伏師に? 倒したのかい?」
「いえ。二人だけではとても……。練兵長、その英雄職を知っているのですか」
「まあね。しかしこれだけの規模の騒動を起こすとなると、準備に相当時間をかけただろうね。少なく見積もっても二年はかかっているはずだよ」
「二年……」
「それだけ周到な準備を重ね、満を持してここを襲撃した。手強い相手さ。我々だけで対応するのは難しいかもね」
トルタの言葉にゴルが食ってかかる。
「おいまさか! 突入しないなんて言わないな!? 死力を尽くして戦ってみせろ!」
「冗談じゃない。そもそも常駐部隊の目的は攻略済みダンジョンの管理であって、未攻略ダンジョンの攻略ではない。ここは既に未攻略ダンジョン同等の危険度と言って良い」
「しかし!」
「危険なダンジョンに戦力を投入するとなれば、相応の準備が必要。10人だけで挑んでも返り討ちに遭うのが関の山だね。しかも相手には英雄職がついている。もしこの場に味方の英雄職がいれば、話が別だけれど」
ゴルはその後もああだこうだと抗議を続けた。しかしトルタはのらりくらりとそれをかわし続けた。
滉はツバキと共にそんな二人のやり取りを見ていた。
「ツバキさん、このままだと、ここって未攻略状態に戻るんじゃないか」
「かもしれませんね……。滅多にないことですが……」
「俺にできることはないのかな……。このまま座視しているしかないのか」
「……滉さん。個人ではどうしようもないことだと、私は思います。滉さんの職業適性が高いとか低いとか、そういうことは関係なく」
「やっぱりそうか……」
「私たちはたまたまここに居合わせただけで、ダンジョンの異変とはほぼ無関係です。そんなに気にすることはないですよ」
それはそうかもしれないが、このままだと間接的に人が死ぬと聞いている。どうにかしたほうが良いに決まっているだろう。
ゴルとトルタの会話が一段落ついたようだった。老婆は肩を竦める。
「ま、やれるだけやってみるかね。地下一階から順に制圧していこう。焦っても仕方ない」
「急いでくれ!」
「焦ったら人が死ぬ。これだけの手練れを一人育成するのに、いったいどれだけのカネと労力と時間がかかったか。あんたお得意の金勘定で算出してみるといい」
「金勘定をした結果、急いでくれと言っているんだ! カロナス家が没落する! ダンジョン管理は貴様らの仕事だろう! 責任は取ってくれるんだろうな!」
「もちろん何らかの形で補償は行われるだろうね……、でもまあ、あまり期待しないほうがいいかもねえ」
「何だと!?」
「キャスの調伏師……、そいつが出張ってきたということは。カロナス家にもやましい点があるんじゃないのかい?」
トルタの意味深な発言にゴルは明らかに動揺した。それをリッドとミレイが熱心に観察しているのを、滉は不思議に思った。
「やましいことだと? そんなこと……」
「まあ、いい。いずれ分かることだ。今は戦いのときだね」
トルタを含めた10人の常駐部隊は階段を下っていった。いずれも相当な手練れなのだろう。滉はそれを見送った。
冒険者の多くはもうすぐここが未攻略状態に戻ると知って避難を始めていた。魔物の死骸を持ち帰って、後で報酬金を貰おうとしている者もいた。特にレベル3の魔物の死骸は人気だった。避難者の中にはユユもいて、彼女は人一倍多くの魔物の死骸を持ち帰ろうと奮闘していた。
ヴェロンはと言うと、地上に戻ってから無言だった。戦いの場でないと極端に寡黙になるらしい。彼は避難しようとはしなかった。
「ヴェロンさん、また潜ろうとしてないよな」
滉が訊ねると、ヴェロンはかぶりを振った。
「――英雄職と戦ってみたいとは思うが。道中が億劫だな」
そして彼はその辺をぶらぶらと歩き始めた。その動きが、こっそり階段を下っていこうとしているようにしか見えず、滉はハラハラしてしまった。




