ダヴィナ霊園の最奥
リッドが就いている司祭という職業は、本来支援職であった。癒しの技を極め、不死系の魔物に特効を持ち、なおかつ前衛の守りに貢献することができる一般戦闘職である。単体で戦えるような職業ではなく、チームでの連携を前提としていた。
だがカロナス家は、このありふれた支援職を前衛/中衛融合型の戦闘職に改造した。その結果、前線で魔物と対峙しても一対一でやり合えるような職業に変貌した。司祭という職業をベースにしたのは、カロナス家が司祭の職業使用権を所有していたのである程度好き勝手できたこと、元々の耐性が優れていたこと、累計の使用者数が少なく職業自体に“癖”が少ないため改造が容易だったことなどが理由に挙げられるが、最も大きいのは、この改造職が持つに至った特異性だろう。
リッドは元々傭兵だった。異世界から召喚され、優れた前衛職への適性を生かしてダンジョンで暴れ回っていたところをカロナス家にスカウトされた。当初は傭兵契約だったが今では実績を認められてその傘下に正式に組み込まれている。最近まで既存の前衛職や中衛職を使っていたが、カロナス家の幹部連中はいずれも職業を改造して自分だけの職業というのを作り上げていた。リッドも自分だけの専用職を持つことを許されたということだった。
いざリッドが改造職を開発するというとき、最初は使い慣れた前衛職や中衛職をベースに研究を始めたが、どれもしっくりこなかった。そもそも前衛や中衛の職業適性がSのリッドにとって、どのような戦闘職を選んでもその性能を100%以上引き出せた。極端な話、どの職業を選んでもリッドは強かった。せっかく改造職を手に入れるからには、他の前衛職や中衛職が持たない特異性が欲しかった。司祭という職業がベースに選ばれたのはまさにそこだった。支援職の司祭がもたらす意外性を期待して開発を進めた結果、有用な戦闘職へと昇華された。他にも後衛職や支援職の改造を試みたが他はどれもいまいちな出来だった。結果として司祭が選ばれたに過ぎず、この職業自体に思い入れがあるわけではない。
ただ、今、リッドはこの職業を気に入っている。亜人型の魔物へ致命的な一撃を加えることができるという職業適性があるが、これはオマケだった。それがなくともこの職業で戦っていただろう。この職業で戦うようになってから一度も傷を負ったことがない。仮に英雄職に就くことが許されても、あまり気が進まないだろう。それくらいこの職業を気に入っていた。
「リッドさん」
地上に戻り、すぐにリッドが地下墓所内に戻ろうとしていると、ミレイが話しかけてきた。リッドと同じく、元傭兵で、カロナス家にスカウトされてきた女だ。赤い髪の槍兵で、恐らく正面からぶつかればリッドより強い。しかし魔物を殺す腕前は自分のほうが優れていると思っていたから、リッドはあまりそのことを気にしていなかった。
「なんだ」
「少し休憩されては」
「時間がない。地上の魔物を殲滅するのに時間がかかり過ぎた。おまけに地下4階でうろうろしていた連中の救出をしろときた」
リッドがにべもなく答え、再び階段に向かおうとしていると、ミレイが数人の男を連れて一緒に来ようとしている。
「お一人で行かれるつもりです? 私もお供しますよ」
「後続部隊に指示する人間がいなくなる」
「それはゴルさんがやってくれますよ。仕切るのは上手ですから」
「中がどうなっているのか分からない。死ぬかもしれない」
「猶更リッドさんに一人で行かせるわけにはいかないでしょう。有志の方々もいます。一緒に参りましょう」
リッドはちらりとミレイの背後に立つ男どもを見た。普段ダヴィナ霊園近くで清掃業務に励んでいる雑魚ども。未攻略ダンジョンに挑むだけの腕も勇気もないまま、攻略済みダンジョンでくすぶっている低能。どうしてこんなときに手を貸すつもりになったのか、リッドには疑問だった。まさかカネ目当てか? 割の良い仕事とは言えない。分かっているのだろうか。
リッドは小さく首を振る。
「――助けてくれと言われても助けられる状況じゃないかもしれない」
「そのときは仕方ありませんよ。では、行きましょうか」
有志の兵は三人。リッドとミレイを合わせて、計五人でダンジョンに潜ることになる。
しかしこの有志三名は、生きて地上に帰れないだろうな。リッドは淡々とそんなことを考えていた。地下4階までしか見ていないが、内部は魔物で溢れていた。更に深く潜れば、レベル3の魔物はもちろん、レベル4の魔物とも遭遇するかもしれない。
「ところで」
一行は階段を降り始めた。早くも魔物が物陰から飛び出してくるが、有志連中が張り切って駆除していく。リッドとミレイはその手際を観察しながら会話を始めた。
「リッドさんが就いている“司祭”は、亜人型の魔物に特効でしたよね」
「ああ」
「狙って開発したのですか」
「いや。偶然だ。あるいは開発担当者の要らぬお節介とでもいうべきか」
「なるほど。しかし、このダンジョンにはほとんど亜人型の魔物しか出現しないようです。うってつけですね」
「……どうかな」
リッドはそう応じた。ミレイは意外そうな視線を向けてくる。しかしそれは彼女の演技で、彼女は議論したがっているというのがリッドには分かった。
「――と、言いますと?」
「ここのダンジョンを管理していた人間の言い分を信じるなら、今のここの状況は異常過ぎる。作為的なものを感じる」
「私もです」
「出てくる魔物のほとんどが亜人型ということに意味があると考えるなら、幾分、納得のいく仮説が立てられる」
「たとえば?」
「今、お前が考えているようなことだ」
リッドはにべもなく言った。ミレイは苦笑し、闇の中から突進してきた魔物をもののついでのように槍で切り裂いた。
「今、私が考えていること。つまり、魔物を操っている誰かの存在について、ですね」
「十中八九、英雄職が絡んでいる。このダンジョンの奥に潜んでいるのか、それとも外部から高みの見物を決め込んでいるのかは分からないが」
「私たちの敵対勢力なんて掃いて捨てるほどいますが、表立って攻撃してくるとなると、限られますね」
「いざ戦争となれば双方に旨味はない。無駄に兵隊を失うだけだ。それがこうやって手を出してくるということは、よほどの馬鹿か、因縁があるのか」
「因縁ですか?」
「ここはログ公の御霊が眠っている。ログ公の子孫か、あるいはその宿敵か……。いずれにしろ何らかの理由で、カロナス家が使っている“ログの聖騎士”を放棄させたいと考える輩がいてもおかしくない」
「なるほど。そういう人たちなら、多少の損害は関係なしに勝負を仕掛けてきますか……。で、どうします?」
どうします、という言葉の軽さに、ミレイの性格が滲み出ている。この質問は、この状況をどうするのかという意味ではない。首謀者を見つけたらどうするかと聞いているのだろう。
「殺す」
リッドは淡々と答えた。
「どんな英雄職なのか確認さえできれば、もう生かしておく必要はない。どこの人間かはすぐに割れる」
「だといいのですが。魔物を使役する英雄職なんて聞いたことがありません」
「聞いたことがなくとも、英雄職はダンジョンと密接な関係を保ち続ける。英雄職に就いている人間が死ねばダンジョンのほうが反応する。その反応を見れば多くのことが分かる」
「確実なのは本人を尋問することだと思いますが」
「カロナス家に喧嘩を吹っ掛けるような狂人からまともな話を聞けると思っているのか」
「……ですね。失念してました」
一行は順調に階段を降りていった。途中、階段を塞ぐ岩のようなものもない。魔物が頻繁に出現し、襲ってきたが、せいぜい未攻略ダンジョンと同じようなものだった。普段から激烈な戦いを繰り広げているリッドとミレイからすれば日常の風景と言っても良いくらいだった。ただ、有志で乗り込んできた三名はかなり疲弊しているようだった。次から次へと魔物が襲ってくるので精神的に参っているらしい。
「穢れの濃度が増してきています」
ミレイが言う。リッドたちは地下五階に到達した。階段は更に下へと続いている。そのまま六階に向かおうかというとき、リッドは鼻先に風を感じた。
「……来るぞ」
リッドは一行に警告した。次の瞬間、岩壁から岩小鬼が出現する。岩の中を自在に行き来できる特殊な能力を持った魔物で、わりと小型だが戦闘力は高い。レベル3相当ということで有志連中が一瞬怯んだ。
岩小鬼が突撃して来る。だが一体だけならさほど脅威ではない。そしてリッドがわざわざ警告なんてするはずがない。
左右の岩壁から大量の岩小鬼が出現し襲いかかってきた。ミレイが短槍を振り回して瞬く間に二体を突き殺したが、有志連中は慌てて階段を駆け上がって距離を取ろうとした。結果的にミレイとリッドから離れることになってしまった。
「馬鹿な奴らだ」
「無事逃げられることを祈りましょう」
「最初からあんな連中を連れてこなければよかった」
「ダンジョン管理局の職員としては、戦力の調達に関心を持たなければならなくてですね……、最初から二人で挑んでいたら、後で色々言われちゃいます」
「それであいつらが死んでも構わないと」
「危険性は重ね重ね説明しました」
「自己責任ってわけか」
二人は襲ってくる魔物を冷静に処理した。一人だけだったら多少は苦戦したかもしれないが、二人で互いの隙を補いながら戦ったので苦労することはなかった。やがて仲間の死体が積み上がってくると、岩小鬼たちは怯み、岩の中へと潜り込んで撤退した。
「やはり知恵のある魔物は違うな。大抵の魔物は仲間の死なんて気にしないものだが」
「亜人型の魔物が多いのは、やはり、操るのに都合が良いからですかね?」
「だろうな」
二人は更に地下へと降りていく。地下六階。いよいよ穢れの濃度は増し、未攻略ダンジョンと同等の濃さと言って良かった。この状況を放置すれば未攻略ダンジョンに戻り、英雄職の力が奪われてしまうことは確実だった。
「懐かしいですね、この感じ」
ミレイは管理局に送り込まれてから、未攻略ダンジョンに長らく潜っていない。彼女ほどの実力者なら、ダンジョンでも大活躍できるだろう。なまじ人付き合いが上手だと厄介な仕事を回されてしまう。リッドのように無愛想ならそんな仕事を押し付けられなかっただろうに。
「ダンジョンで戦うのは好きか?」
リッドの質問にミレイは微笑む。
「いえ。大嫌いです。こちらの世界に召喚されてすぐ、死にかけましてね。トラウマです」
「その割には落ち着いているように見える」
「生き残る為には、とにかく、落ち着くこと。それが分かっていますから……。でもそれは、ダンジョンの中だろうと、人間社会の中だろうと、変わりありませんけどね」
二人は地下六階を通過し、いよいよ地下七階に足を踏み入れた。濃度にはもう慣れたが、地下七階は六階以上と比べてかなり狭くなっている。地下七階全体が、ダヴィナ戦役の主人公たるログ公を祀る施設となっているからで、ここから雰囲気が一変する。岩壁や石材が目立つ地下墓所がにわかに魔法鋼材に支えられた構造に変わる。不壊なる金属が、幾年もの歳月を経ても依然その光沢を守り、ミレイが掲げたランプの光を浴びて輝いている。天井は高くなり、なだらかなカーブを描いて中央に安置された墓石へと繋がっている。そこをうろつく魔物はリッドたちを見ると後退した。戦っても勝てないと周知されているようだ。
そして、リッドはログ公の墓石の近くの石段に座り込む人間を見つけた。周囲に鎧の巨人を侍らせている。紫色の道衣を着込み、裸足である。魔物を使役している人物に間違いなかったが、
「子供……?」
ミレイが呟いた。そこにいるのは少年だった。10歳かそこらだろう。少年はつまらなそうにリッドたちを見た。そしてぱっと笑みがはじける。
「ああ、やっと来てくれた! 退屈してたんだー……」
少年は無邪気にそう言った。リッドはその瞬間、全身に寒気を感じた。この感覚は、そう、こちらの世界に召喚されたばかりの頃、ベテラン冒険者に連れられて訪れた、ダンジョンの最奥――“主”に対峙したときの悪寒。
「――来るぞ!」
ログ公の墓石の背後から突然飛び出してきたのは巨人。腕が八本あり、身長は恐らく4Mを超す。赤黒い肌に一つしかない巨大な眼。涎を垂らしながら突撃して来る。
「レベル4相当の単眼の巨人……? でも肌の色がおかしい。亜種ですかね」
ミレイの分析。巨人の動きは鋭い。リッドは鎌を掲げて構えたが、巨人が跳躍し壁を蹴り拳で壁を叩き不規則に軌道を変えながら迫ってくるのを間近に見た。巨大なのに機敏だ。直撃したら一撃でやられる。そんな予感があった。
このキュクロプスにも注意が必要だったが、それ以上に不気味だったのは墓石近くに座り込む少年だった。リッドはミレイに告げる。
「巨人は俺が殺す。あのガキはミレイ、お前が仕留めろ」
「一人で大丈夫ですか?」
リッドは巨人の拳を鎌で受け止めた。亜人特効の力を秘めた鎌が直撃しても、巨人の拳は表面が少し破けただけで、出血さえしなかった。
しかしリッドは巧みに体勢を変え、巨人の力を受け流した。そのまま首を鎌で狙う。八本も腕があるだけあって、すぐにガードされる。
距離を取りつつ、リッドはミレイに指示する。
「倒せるかどうかは分からないが、引きつけることはできそうだ。あのガキが死んだ後、こいつにどんな変化が起こるか興味がある。躊躇するなよ」
「分かりました。子供を殺すなんて気は進みませんけどね」
ミレイは素早く駆ける。キュクロプスが少年を守る為に反応するかと思いきや、あっさりとミレイを見逃し、目の前のリッドにしっかりと狙いをつけている。ご主人様を守る気がないのか。それがリッドには意外だった。




