不完全な情報
ツバキは走っていた。墓が立ち並ぶダヴィナ霊園を懸命に駆け、いかつい岩の巨人が迫り来るのを近くに見ながら逃げていた。綺麗に整えられた地上の墓や通路を破壊しながら巨人は人々を追う。何人かは不意を突かれて巨人の拳に潰されて絶命していた。また、岩の巨人の他にも小さな魔物が出現し、冒険者たちを足止めし、岩の巨人が獲物を捕捉できるようにアシストしていた。
ツバキは必死に逃げた。近くにいたはずのゴルや、ミレイ、リッドなどの面々はいつの間にかどこかに行っていた。さすが歴戦のカロナス家の人間といったところか。
ツバキ自身は戦う力を持っていなかった。やろうと思えば戦えるがレベル3相手となると、単独でどうにかできる能力を持っていない。レベル3を単独で撃破できる人間というのは限られる。未攻略ダンジョンにどっぷり浸かっているような一流の探索者ならば物ともしないだろうが、それだって相手の魔物の特徴を完璧に把握した上での話。魔物の特徴が分からない状態では、どんな強者も不意を突かれてやられる可能性はある。
今、地上に這い出てきたのは鎧の巨人と呼ばれる魔物で、特徴は把握している。ただしこの魔物の厄介なところは、出現したダンジョンによってその特性を変化させる点だ。既知の魔物ではあるものの、そのダンジョン独自の特性を獲得し、細かい点で思わぬ異同があるかもしれない。
ツバキは滉を戦わせる上で、絶対に譲れない点があった。魔物の情報を完全に把握すること。それができないなら滉を戦わせるべきではない。なぜなら、滉の防御は属性耐性に完全に依存しており、魔物の攻撃属性を見誤るということが滉の死に直結するからだ。
滉をダンジョンに潜らせると決断したツバキにとって、情報の欠如はそのまま敗北を意味し、今、ツバキは情報の不備をひしひしと感じていた。事前にあらゆる書物を漁り、魔物の研究論文にもあらかた目を通した。そうまでして蒐集した魔物の厖大なデータを頭に叩き込んでいたにも関わらず、攻略済みダンジョンにレベル3の鎧の巨人が出現するという可能性を考慮せず、こうして危機を招いている。なんと間抜けな話だ。
「滉さんに慣れて貰うとか、カネを稼ぐとか、そういうこと以前の問題だ……。私には覚悟が足りなかった」
ツバキは立ち止まった。そしてツバキをつけ狙う一体の巨人を睨みつける。
「情報を収集する……。情報の完備は後方支援たる私の最低限の責務……」
ツバキの現在の職業は中衛の狩人。滉が今就いている職業と同じだ。身軽で、いざというとき即応で戦闘ができるという点で便利である。うまく立ち回れば巨人の攻撃を躱しつつ、相手の攻撃を分析できるだろう。
立ち止まったツバキに一切の躊躇もなく巨人が突っ込んでくる。その剛腕をツバキは躱し、つんのめった巨人の腰のあたりを蹴飛ばす。懐から解析用のカメラを取り出し、解析を開始する。
「解析完了まで20秒……、ある程度近付いた状態で解析完了まで粘る必要がある……、けど」
巨人が起き上がりざま突進してくる。ツバキは難なく避けたが、その巨体の岩の端に足先がかすった。かすっただけなのにツバキの華奢な躰は跳ね上がり、体勢が崩れた。足首から先が千切れ飛んだかのような衝撃があり、ツバキは苦悶の表情を浮かべた。
巨人は体勢を崩したツバキを見て冷静に迫ってくる。腕を伸ばして捕まえてくると見せかけ、地面を拳で叩いて土埃を起こす。ツバキは一瞬怯み、猛然と迫る巨人の挙動に反応するのが遅れた。
「しまっ――」
避けようとしたが間に合わない。ツバキは眼前に迫る巨人の掌を見た。容赦なく自分を潰さんとするその巨肢。躰が硬直し、防御の姿勢を取ることさえできなかった。
「七体目」
目の前で幻影のようにゆらめく光。今の今までツバキを追って殺意を剥き出しにしていた岩の巨人の躰が突如として四散した。
「……っ!?」
驚くツバキの目の前に赤い髪の女槍士が降り立つ。鎧を剥がされた岩の巨人はまだ生きていて、必死に逃げようとしているが、その女槍士――ミレイが冷静に短槍を突き出す。
正確に心臓部を貫き、巨人は断末魔を残すこともなく、静かに死んだ。ミレイは槍を引き抜くと、軽く穂先を振り、付着した青い血液を飛ばした。
茫然とするツバキに対し、ミレイが冷たい眼差しを向ける。
「驚きました。今、戦おうとしましたね」
ミレイが言う。ツバキは小さく頷いた。
「あ、ありがとうございます……、助かりました」
「魔物コレクターか何かですか。その解析装置……」
ツバキは自分が持っているカメラを見下ろした。慌てて付属モニターを覗き込むと、解析が完了していた。20秒も粘れていたのか怪しかったが、ほっと胸を撫で下ろした。
「……いえ。私は転職屋です。戦闘する上で、どうしても魔物の確かな情報が欲しかったので」
「転職屋……、道理で戦い慣れしていないわけですね。とにかく避難してください。地上の魔物は私が撃滅します」
「地下墓所に入り、“主”を倒すのはその後ということですか」
「そうなります。これ以上国民を死なせるわけにはいきませんから」
ミレイは淡々と述べた。ツバキは、彼女なら話を聞いてくれるかもしれないと感じた。少なくともあの傲岸不遜なゴルと比べれば落ち着いて話ができる。
「あの、ダンジョン内に私の仲間がいて……。何とか救出したいのですが」
「今は無理です。地下墓所に戦力を割くと、地上での混乱の収拾がつかない。足場を固めないことにはダンジョンの奥地に向かうことはできません」
「……分かりました、ではせめて、私だけでも」
「転職屋のあなたに何ができるというのですか」
「遠隔転職……、私には秘策があるんです」
「遠隔の転職……? 魔物の特徴を調べていたことといい、あなたは変わっていますね」
ミレイは淡々と周囲を見渡した。
「……遠隔転職の有効範囲は?」
「開けた場所ならかなり距離があっても可能なのですが、地下墓所、それも岩で塞がれているとなると、せめて仲間の真上の位置に陣取りたいですね」
「なるほど。では、ダヴィナ霊園の中心位置にある階段にて待機してもらいましょう。脱出できなかった他の冒険者の方々も一緒にそこに集めます。私があなたがたに魔物が近づけないように周辺の敵を掃討します」
「いいのですか……?」
「どうせ魔物は人間に寄ってきます。寄ってきたところを倒すようにすれば効率はいいでしょう。それに、リッドさんも魔物退治を頑張ってくれているようですし」
墓を破壊し、縦横無尽に駆ける魔物ども。そしてそんな魔物を追いかけ、その鎌で首を刈り取る男がいた。リッドと呼ばれるその覆面の男は人間とは思えない速度で移動していた。地を蹴るたびに地面が抉れ土塊が周囲に雨のように降り注ぐ。魔物のほとんどが亜人型とあって、首を狙うのが最も簡単だと分かってはいても、彼の攻撃はどこか狂気に満ちていて、戦いぶりを眺めていると味方のはずなのにぞっとしてしまう。
「彼はリッド……、カロナス家の精鋭の一人です」
「精鋭……」
「英雄職に就けるのはごく限られた人間だけです。当然、配下の人間の中で最も優れた人間がその候補に挙がりますが、リッドもその内の一人です。英雄職の誰かが戦死するようなことがあれば、彼が次の英雄職の遣い手ということになりますね」
そう言われると納得の強さだった。リッドは魔物を次々と殺していく。先ほどまで小奇麗で静謐な印象があったダヴィナ霊園は、瞬く間に血まみれになっていく。“穢れ”が充満しつつあるこの場所で、リッドが地面を蹴り凄まじい速度で敵を狩る音だけが聞こえてくる。
ツバキはミレイの指示通り、ダヴィナ霊園の中心位置まで移動した。既に他の冒険者たちが集まっており、大体20人くらいの方陣を組んでいた。これだけ冒険者が集まれば大抵の魔物は難なく排除できるだろう。
近くにはミレイもいる。安全は確保できた。今も鎧の巨人や他の魔物が階段から上がってきて襲ってくる。まだ油断ならないが、地下墓所内の環境と比べれば何ということはないだろう。
「滉さん、聞こえますか!」
ツバキの呼びかけに滉は応える。
《ヴェロンさんがピンチなんだ! 俺に何かできることはないか!》
滉の必死の声に、ツバキはこんなときなのに嬉しくなった。
滉をウェンスローで買ったとき、一番の懸念は滉が戦闘に適した性格をしているかどうか、という点だった。職業適性の多寡だけでは絶対に計れない戦闘適性。どんなに優れた能力を持っていても戦闘を忌避するばかりだとダンジョン探索は難しい。
滉は、こんな極限の状態ではあるけれども、仲間を進んで助けようとしている。職業適性が低くても関係ない、彼はダンジョン内で戦い抜く資質を持っている。ツバキは滉の叫び声を聞いて、そう確信したのだった。
「滉さん、私を信じてくれますか?」
《え?》
「滉さんが敵の魔物と対等以上に戦う方法が一つだけあるんです。それを今、試したい」
《――それでヴェロンさんを救えるのなら、やってみたい。ツバキさん、よろしく頼む》
「分かりました!」
ツバキは転職の準備に入った。周りの冒険者たちが興味本位で寄ってくる。ツバキは意識を集中させた。滉が感じている視覚、聴覚を同調させ手に入れる。滉が見ている光景をツバキも共有する。
確かにヴェロンが鎧の巨人に追い詰められているところだった。ツバキはレンタルで手に入れていた幾つかの職業を使用するときが来たことを喜ばしく思った。いずれの職業も、前時代的性能ということで格安で貸し出されていたものだ。
すなわち今の時代は幅広い属性耐性を持たせることに力を傾注している。特定の職業を長く使っていく為には、あらゆる属性への耐性がなければ、相手に出来る魔物が限られてしまう。だから、現代の戦闘職はありとあらゆる属性に対し、最低でも数割は威力をカットできるようにデザインされている。相性の悪い魔物相手でも、一撃で死ぬことがないように配慮されているのだ。
それに対し、まだ職業開発が今ほど激化していない時代、研究者の主な関心は特定の属性に対する完全耐性を実現すること、これにあった。単属性の概念が広まり出した時期、人々はあらゆる属性攻撃を無効化する無敵の職業の創造を夢想していて、その第一歩として、特定の一つの属性を完全無効化する一点特化職業の開発に躍起になっていた。
それらの研究は、たとえば斬撃は微塵も通さないが他の攻撃にめっぽう弱い、といった、およそ実用的とは言えないような偏った性能の職業を数多く生み出した。それらの職業が活躍した時代はほとんど存在しない。つまりこの段階では、職業が持つ属性防御は魔物相手に全く通用しなかった。一つの職業に幅広い耐性を持たせて初めて、人類は魔物の攻撃から自分たちを守ることに成功したわけだ。
ツバキは今、その役立たずの職業の使用料を払い、滉を無敵の冒険者に仕立て上げるつもりだった。魔物の攻撃属性に合わせ、完全耐性を持つ職業に転職、相手の攻撃を無効化し続ける。そうすれば理論上負けることはありえない。
だが言うのは簡単でも、実際に魔物と対峙する人間には恐怖が付き纏う。もし間違った職業を選択してしまったら、耐性ゼロの状態で魔物の攻撃を喰らうことになる。まして滉は職業適性がゼロに近く、戦闘職が使用者に与える防御力も皆無に等しい。
滉が真に戦うべきは目の前の魔物ではなく己の心に救う恐怖心……。ツバキにはそれが最初から分かっていた。だからずっと不安だった。滉がダンジョンで生き抜くだけの活躍ができるかどうか。
今、滉は自ら魔物に立ち向かおうとしている。この局面を乗り越えたら、きっと彼は強くなれる。ツバキはそう信じていた。




