壁を築く者
滉、ヴェロン、ユユの三人はダンジョン内を移動し続けていた。ヴェロンの指摘通り、時間が経つにつれて魔物の出現頻度が高まっていた。まだ地下4階を彷徨い始めて一時間も経っていないのに、体感でそれが分かってしまうということは、数時間後にはどうなっているのか……。想像したくなかった。
ヴェロンの案内で爆破予定の岩がある階段を目指す。戦闘はほとんどヴェロンが請け負ってくれたが、たまにユユが敵を倒した。例の魔法弓とやらを披露してくれたが、ユユの両手に光に煌めく弓が出現し、そこに様々な色彩の矢が装填、普通の弓矢のように射るのではなく、まるで軽機関銃を撃ち放つかのように構えて弾を連射した。つまり魔法弓とは魔法の弾丸を撃ち放つ銃のようなもので、火薬を用いることがないので複雑な機構を備える必要がなく、結果的に弓矢のようなシンプルな形状に酷似しているらしかった。弓の部分は弾の発射方向を定めるときに用いるガイドのようなもので、実際にはなくても弾は発射できるらしい。
それを見ていて滉が思ったのは、魔法弓を使って戦うユユは“弓術家”という感じには見えないということだった。弓を抱えて弾をばらまく彼女は“弓”を操っているというより破壊と暴力の震源地とでも表現したほうが正確だった。
三人は戦闘で負傷することも道を見失うこともなく、ダンジョン内を進んでいった。出現する魔物はレベル2以下ばかりで脅威を感じない。このまま無事に脱出できるだろうか……。
やがて階段に辿り着いた。地下三階に至る上り階段を覗き込むと、巨大な岩盤が完全に階段を塞いでいた。滉が岩肌に触れると、意外と温かく感じた。ダンジョン内が冷え込んでいるのでそう感じたのかもしれない。
「おい。朝妻、いつ爆破が始まるか分からない。死にたいのか」
「ああ、分かってる」
滉は岩盤から離れた。ツバキからの連絡はないが、そろそろ爆破が始まるはずだ。
この岩盤の向こう側にツバキたちはいるのだろうか……。魔物が襲ってこないか警戒しながらそのときを待った。
三人が壁に張り付いて待機していると、滉の指輪から突然声がした。随分切羽詰まっているようだった。
《滉さん! 滉さん! 聞こえますか》
「ああ、ツバキさん。こっちは階段前に到着したよ。いつでも爆破してくれて構わない」
《爆薬のセットが完了しました。一分後に爆破が開始されます。ただ、一発で開通できるかどうか分からないので、爆破の後もこちらの合図があるまで階段に近付かないでください》
「了解、了解」
《それと、開通と同時にそちらへ何人か兵士が送り込まれることになっています。一応こちらで状況説明は済ませておきましたが、滉さんたちも質問を受けるかもしれません。そうなったら答えてあげてくださいね》
「兵士……。分かった」
ツバキの声が聞こえなくなった。隣で話を聞いていたユユが首を傾げている。
「兵士ぃ? まさかヘナチョコどものことじゃないだろうし」
ヘナチョコとは、普段このダンジョンに詰めている冒険者たちのことだろうか。ユユはヴェロンのほうを向く。
「ダンジョン管理局から委託を受けた冒険者たちかな……。でもそれにしては早過ぎる感じだし。ヴェロンはどう思う?」
「さあな。誰だっていいだろう。オレたちには関係ないことだ」
「もう……。ねえ、滉は? 滉はどう思う?」
どうして自分に聞くんだ……。何も分からないに決まっているのに。そう滉は思いつつ、
「兵士がもう乗り込んでくるってことは、急いでこの状況をコントロールしたい人たちってことじゃないか」
「うーん、そうなると……、ここの管理責任者か、あるいはカロナス家の人間か……、って感じかな」
「カロナス家? どっかで聞いたな……」
「ダヴィナ霊園を攻略した連中のことだよ~。ここが未攻略状態になったら困るから、必死になって戦力を差し向けてくるだろうね」
ユユが面白そうに言う。緊張感の欠片もない彼女はさておき、滉自身もいよいよ脱出できるのだと油断していた。間もなく爆破が行われる。早くそのときがこないかと身構えていたのだが。
ふとヴェロンが訝しげな表情をしていることに気付いた。滉はどうしたのかと尋ねようとしたが、そのとき凄まじい爆音が鳴り響いた。
地響き。天井から土塊が落ちてくる。滉はしゃがみ込み、地面が歪み壁が剥がれ落ちるのを恐怖と共に観察していた。
震動は思ったより長く続いた。爆破によるものだと分かっていたからいいものの、いきなりこんな衝撃が襲ってきたら恐怖で心臓が縮み上がっていたことだろう。
震動が治まり、滉は立ち上がった。ヴェロンがよろよろと進み出る。
「岩盤は砕けたか……?」
土埃がたちこめる中、ヴェロンが階段のほうを覗き込んだ。そして首を傾げる。
「何か動いているな。影が――」
次の瞬間、土埃の中から何かが飛び出してきた。それは巨人だった。岩の装甲を帯びた巨人――ヴェロンに飛びかかりその巨大な拳を振り回す。岩壁を抉り、土煙を伴いながらヴェロンに迫る。
ヴェロンは超人的な反応で剣を構え、その拳を受け止めた。だが衝撃を殺し切れずに後方に吹っ飛び、壁に叩きつけられた。ヴェロンは口を切り、血の混じった唾を吐き捨てた。
滉は慌てて退散した。ユユは「おひょー」などと叫びながら楽しそうに後退する。ヴェロンに対峙するのは岩の巨人だった。丸みを帯びた岩が連結してそのまま人型になったような魔物。ヴェロンはクククと笑っていた。
「なるほど……、何か妙だと思っていたが……。階段を塞いでいた岩というのは、この魔物だったというわけか」
「え?」
「こんな巨大な岩をどこから持ってきたのか疑問だったが、岩自体が魔物で、自在に動くことができるのなら、多大な労力をかけて岩を運ぶ必要もない。迅速に階段を塞ぐことができる」
「こんな魔物がいるのかよ……」
滉は唖然としていた。ユユは唇を尖らせる。
「いやいや。こんな魔物知らないよ。未確認の魔物か、あるいは、人工生物とか」
「人工生物……!? それも魔物なのか」
「魔物じゃなくて、人工の魔法生物ね。魔物とは違って“穢れ”を生まないし、人間のいうことを聞くのよ」
そんなのがいるのか。滉はヴェロンが追い詰められているのを見て焦った。ここで彼がやられたら、あの魔物に対抗できない。
「でもおかしいなー。人工生物なんて、良くてレベル2の魔物相当の強さのはず。ヴェロンなら一撃で倒せるはずなんだけど」
「じゃあ、魔物なんじゃないか」
「だったら大変だね。アハハ」
何がおかしいのか。滉は苛立ちつつも、ツバキに意見を求めた。そうこうしている間にも岩の巨人の猛攻をヴェロンが必死に凌いでいる。拳が剣に防がれるたび、火花が散り、暗闇に包まれた洞窟をささやかに照らす。ヴェロンの実力は未知数だが、優れた職業適性を持ち、強力な職業の力を借りているというのに、あの巨人相手には劣勢である。
しかしツバキはなかなか答えなかった。滉は指輪に何度も呼びかけたが何も聞こえてこない。
しばらくしてからツバキの激しい息遣いが指輪越しに聞こえてきた。ユユが興味ありげに指輪を見る。
「おわっ、なんかエローい」
「どうしたんだツバキさん」
《申し訳ない……っです……! ち、地上に魔物が突然……! 爆破と同時に》
「なに?」
《階段を塞いでいた岩が魔物でっ……! 爆破と同時に他の階段からも一斉にっ……! はぁはぁ……、 今、走って逃げてます……》
「ダンジョン内にも岩の魔物が現れて、今ヴェロンさんが戦ってる」
《これは鎧の巨人と呼ばれる魔物の亜種でっ……! 生息するダンジョンの環境によって纏う鎧の種類を変える、レベル3の亜人型ですっ》
「鎧の巨人……、ね」
《弱点は鎧の種類によって変わりますがっ……、この場合……、ひぃひぃ……、水属性への耐性が皆無なので、効果的なはずですっ……》
「わ、分かった。ツバキさん、自分が助かることを優先してくれ。あんたに怪我されると俺も困ってしまう」
《分かりましたっ……! ただ、急いで地上には逃げないほうがいいかと……! 地上にも魔物が溢れかえってますっ!》
指輪から声が聞こえなくなった。ユユは魔法弓を構え、ヴェロンと戦っている魔物に何発か魔法の矢を撃ちこんでいたが、全く効果がなさそうだった。
「うーむ、水属性の矢なんだけど、ほとんど効いてない。威力不足かぁ」
「ユユさん、もうちょっとマジメに戦えないのか」
「おっ。心外だな。おねえさんはいつでも真剣だよ」
ユユは滉に指を突きつけて抗議した。それからはぁと嘆息する。
「ああいう防御に特化した魔物は苦手なんだよ~。もっとこう、後ろのほうでコソコソ悪さする感じの魔物のほうが得意なの」
「ああ、そう……」
二人が話している間にもヴェロンと鎧の巨人は死闘を繰り広げていた。ヴェロンの剣が岩の鎧を砕き、破片を撒き散らす。それに鎧の巨人は怯んだか、一歩後退した。その隙を見逃さなかったヴェロンが心臓あたりに剣を突き立て、渾身の力で打擲を繰り返した。刀身がしなり、火花が散り、岩の破片がぱらぱらと舞う。
鎧の巨人が拳を振り回して反撃を試みるも、ヴェロンの動きは俊敏かつ的確で、掠ることさえない。自分の間合いを掴めば、ヴェロンのスピードに巨人は追いつけないようだった。
「さすがヴェロン。勝てそうじゃん、あれ、レベル3でしょ? 単独でレベル3を倒すのって、結構難しいんだよね。チームで倒すのが普通だし」
「そうなのか」
「そうそう。もっと言えばさ、前衛ってどちらかと言えば敵の攻撃を引きつけるのが主な役割なわけ。火力に特化した後衛職あたりがあの巨人を倒せればベストなんだけど……、あるいは支援職の支援があれば全然違うのに。相手は防御に秀でた魔物だから相性最悪のはずだけど、ヴェロン強いねー」
しかしヴェロンは戦いながら楽しそうだった。戦闘に餓えている人間なのだろう。強敵との戦闘こそ、彼が求めていたものなのだろう。楽しそうな彼を見ているのもいいが、やはりここは魔物の増援が来るまえにあの強敵を仕留めておくべきだろう。
岩の巨人が動くたびに土埃が立つ。滉は目を庇いながら、階段のほうに近付いた。
「ちょいちょい、滉、近付いたら危ないよ。きみ、弱いんでしょ?」
「弱いけど、何か手伝えないかと思って」
「ヴェロンに任せておけばいいじゃん。それにあいつの邪魔すると殴られるよ、あの剣の柄で」
「生きるか死ぬかの状況だぞ。分かってるのか」
「それって私に言ってるの。それともヴェロン?」
「両方へのメッセージだよ」
ヴェロンが渾身の力で岩の巨人の拳を弾き、大きく開いた胸部に剣を叩きつける。体重を乗せたその一撃で、皹の入っていた装甲がぱっくりと割れ、鎧の奥の青白い巨人の肌が見えた。そこから青い血が溢れ出る。巨人が呻き声を発した。
「乙女みてえな柔肌だなお前。もっと見せてみろよ。切り刻んでやるから!」
ヴェロンが高笑いを上げながら巨人を圧倒し始める。装甲が剥げてしまえばもうヴェロンの敵ではなかった。巨人は必死に逃げ惑い、最後は背中の装甲まで剥がされて心臓に突きを喰らい倒れた。
ユユが飛び上がって歓声をあげる。
「いえーい! やった、本当ならこいつくらいの魔物を倒せば500くらい貰えるんだけどねー」
「でも、こんなのが何体も地上に出現したって、ツバキさんが言ってたぞ」
「管理局の金庫がすっからかんになっちゃうね。でもまさか無報酬ってわけでもないだろうし、楽しみ」
しかし滉はユユの嬉しそうな顔に「ん?」と声を出した。
「いや、倒したのはヴェロンさんだろ。どうしてあんたまでカネを貰うつもりなんだ」
「いやいや、私だって貢献したし。矢を当ててダメージ喰らわせたし」
「いやいやいや、全く効いてなかったじゃないか」
「いやいやいやいや、もしかしたらめちゃくちゃ痛かったかもよ? もう当人は死んじゃったから聞けないけど。死人に口なし」
「……まあ、その辺はヴェロンさんと話し合えばいいけど」
あの人カネに興味なさそうだからな……。ヴェロンは巨人の死体を足蹴にし、死んでいるかどうか確かめているようだった。顔に付着した血を手の甲で拭う。
「最後に逃げ始めたのが気に喰わないが、まあまあ楽しい相手だった。こんなのが地上に何体もいるのか? 早く地上に行こう」
ヴェロンは構わず階段を上がろうとする。滉とユユもそれに続こうとしたが、上り階段はまだ塞がっている状況だった。
ヴェロンが首を傾げる。
「ん……、まさか」
階段の奥で蠢く影。空間いっぱいに広がっている躰を器用に捩じり、ずるずると階段を降りてくる。
「……階段を塞いでいるのは一体だけじゃなく、何体も折り重なって封鎖していたのか。なるほどな……」
ヴェロンが剣を構える。しかし今の戦いで消耗したのか、少し足が震えていた。
「ヴェロンさん!」
「悪いな、朝妻。もうお前には構ってられん」
新たな岩の巨人が階段から飛び出してきた。その突撃をヴェロンがまともに受け止める。ユユが髪をかき上げ、うわー、と呻いている。
「こりゃ、マジでやばいかもね。ヴェロン死んじゃうかも。その次は滉で、最後に私が殺される感じかな」
そう言ってユユは滉の背後にささっと隠れた。滉はもどかしい。自分には何もできないのか? ヴェロンを助けることは、自分なんかにはできないというのか?




