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弓術家

 言わなくてもいいのに、ヴェロンはユユが全裸で眠りこけていたことを話してしまった。滉とヴェロンが服を着させてやったことも正直に打ち明けた。


 滉はユユが怒り狂い、訴えてやるとか言い出すのではないかと心配していたが、存外、彼女は平気そうだった。滉の肩に手を置き、



「ほうほう、滉とかいったよね、あなた。見たの?」


「は?」


「私の裸。暗闇とはいえ、あなた、狩人なんだよね? 視界くっきりでしょ」


「そうだけど。いや、そんなじろじろとは見てないよ」


「どうして!?」



 信じられない、と言わんばかりにユユが首を振った。



「なぜ!? 見てないってことは、つまり、触ってもないってことだよね?」


「そりゃそうだろう。さっきからあんた、何を言ってるんだ」



 滉はユユという女性のことが分からなかった。活発そうだが言動がおかしい。まだ酒に酔っているとでもいうのだろうか。


 ヴェロンが嘆息する。



「この女、羞恥心が皆無なんだ。人前なのに平気で服を脱ぐ。酒が入ると全裸になる。後日それを知って反省することもない」



 ユユが当然、といった顔で胸を張った。



「生まれたままの姿を晒して恥じることなんて一つもないわ。それとも、なに、あなたたちは赤ん坊の裸を見て猥褻物だー、なんて非難するわけ」


「そんなわけないだろう」


「じゃあ、私を非難することもできないでしょ。私はそういう世界で生まれ育ったんだから、仕方ないじゃない」



 ユユも異世界人なのだろう。それにしても向こうの文化をそのまま持ち込んで直す気がないというのは困ったものだ。


 滉は雑魚寝状態だったダヴィナ霊園近くの宿を思い出した。



「そんな無防備で、危なくないのか? つまり……、夜に襲われたりとか」


「んー? 心配してくれてるの? 大丈夫だよ、女子は女子で固まって寝るし、そういうのに興じたい場合は廃墟で落ち合うのが通例だし」


「廃墟って……、ああ、あの村の他の家屋のこと?」


「そうそう。ま、私はあんまりそういうのに興味ないけど。酒よ酒、酒さえあれば幸せなの。お金も大切だけどね」



 そう言った直後、ユユは頭を抱えた。二日酔いなのか、さっきから顔を顰めたり頭を押さえたりしている。それでも元気に会話しているので、根っこが本当に明るい人なのだろう。


 滉はそんな彼女を見ていて、緊張がほぐれるのを感じた。階段が塞がれていたのはショックだったが、案外どうにかなるかもしれない、ユユを見ているとそんな気になれた。超然としているヴェロンが傍にいてくれたのも大きい。彼がいなければ、ひたすら能天気なユユを見て、さすがに不安が増していく一方だっただろうから。



「二日酔いを治す魔法とかないのか?」


「あるだろうけど、使えたら使ってるよ。私が何度二日酔いに悩まされてきたか知ってるの?」


「いや、知らないけど。戦えるのか?」


「戦うのは野郎二人の仕事でしょ……。私、後衛だし、そもそも戦うの得意じゃないしー」


「そうなのか……。職業は?」


「弓術家。使うのは魔法弓だよ。だから手ぶらでも戦える」



 ひらひらと手を振ってみせたユユだったが、ヴェロンが口を挟む。



「朝妻、こいつを戦力に数えないほうがいい。的当ては得意だが、肝心の魔法弓の威力が実戦レベルじゃない」


「え?」


「本来、弓術家という職業は、魔法弓を遣うことを想定していない。魔法弓というのは魔法で作り出した弓矢で遠隔攻撃する技術だが、要は魔法攻撃だ。様々な属性の魔法攻撃が可能な一方、威力は抑え気味。魔法弓が本職ではない弓術家が使うとなると、更に威力は落ちる」


「どうして……」


「どうしてって、聞くの? 決まってるじゃない!」



 ユユがえっへんと胸を張る。



「魔法弓を専門に使う“星射手”とか“魔弓騎士”とか、購入するにしてもレンタルするにしても、カネが足りないからよ! 仮にカネがあっても貯金に回すけどね! あっはっはっは!」



 何がおかしいのかユユは高笑いしている。滉は首を傾げる。



「どうしても魔法弓を使わないと駄目なのか? 普通の弓矢じゃ駄目?」


「だって、カッコイイじゃない、魔法弓! わざわざ本職の人にやり方を教えてもらったのよ。カタチにするのに三年はかかったわ」



 ユユはどこか誇らしげだ。ヴェロンは呆れているようだった。



「非合理だ。転職すれば一瞬で基本的な撃ち方をマスターし、数日も練習すれば実戦で通用するレベルまでいくのに。こいつは撃ち方を学ぶだけで三年をかけ、そして未だに実戦レベルじゃないときている」



 ユユはヴェロンを睨みつけ、脛を蹴りつけようと足を振り上げたが、ヴェロンは機敏に避けた。勢い余ってユユはバランスを崩し、近くに立っていた滉の肩に縋りついた。そしてその体勢のまま、滉に寄りかかる。



「むかつく! ヴェロンがむかつくよ、滉! 私の代わりに殴り飛ばして!」


「いやいや。返り討ちに遭うよ」


「成功したらキスしてあげるから! 頬に熱いのを一つ!」



 縋りついてくるユユを引き剥がし、滉はヴェロンの隣を歩き始めた。ヴェロンは特に周囲を警戒している様子はないが、ときどき現れる魔物をいち早く発見し斬殺するその手際を見る限り、周辺の状況を常に把握し続けているらしい。



「ヴェロンさん、他の階段に向かうのが良いか、それとも比較的安全な場所を探すべきか」


「なんだ。ユユの相手はもういいのか」


「あの人と何を話しても不毛な気がする」


「慧眼だな。同意する」



 ヴェロンは何度も頷き、むすっとしているユユを一瞥すると薄く笑んだ。



「そうだな……、地上に戻るってのが無理なら、いっそのこと地下深く潜るというのはどうだ」


「は?」



 ヴェロンの言葉の意味が理解できずに滉は硬直した。



「それはつまり……、ここよりもっと地下に安全な場所が?」


「違う違うそうじゃない。親玉を征伐すれば、ダンジョンも正常な状態に戻るだろうってことだ」


「そんな。自殺行為だ」



 滉は改めてヴェロンが狂っていると思った。さっきまで常識的な発言をしていると思えば、突拍子もないことを何でもないことのように言う。


 滉はユユにヴェロンを止めてくれないかと期待を込めて目を向けたが、彼女は憤激していた。



「ちょっとちょっと! ヴェロン、ここの親玉倒すって? 勝手な真似しないでよ」



 ユユが抗弁してくれたので滉は安堵した。ユユまで乗り気だったらどうしようかと思っていたところだ。



「どうせ倒すんなら報奨金が引き上げられてからでしょーに! 今倒しても500しか貰えないよ?」



 カネの話か。ユユは結構カネにがめつい女のようだ。


 ヴェロンは肩を竦める。



「500で十分だろう」


「冗談! レベル3の魔物がその辺にぽこぽこ出現してるんだから、ここの主はレベル4、ひょっとしたらレベル5くらいになっちゃってるかもよ?」


「レベル5か。一度見てみたいと思っていたところだ。付き合ってくれるか」


「1000くらいちょーだい」


「持ち合わせがない」


「なら無理。無理です。命を張る理由がないでーす」



 ユユが茶化すように言う。ヴェロンは滉をじっと見つめた。



「朝妻、お前はどうする。オレと一緒に来るか?」


「は……? マジで下に降りる気かよ? 数時間ここで粘れば助けが来るんだろ? どうしてそんなこと……」


「まあ、無理のある提案だということは承知しているがな。しかしオレの考えだと、このままだと数時間ももたないぞ」


「……どうしてそう思うんだ?」


「さっきまで魔物の出現はさほど多くなかったが、時間が経つにつれてその頻度が増している。穢れの濃度が急速に上がっている証拠だ」


「それは……」


「それと、上り階段は岩で塞がっていたが、下り階段は開放されていた。地下四階より下の階層を、魔物連中は制圧するつもりらしい」


「制圧って……」


「本気でここを未攻略状態に戻すつもりだな。そうなるとレベル3以上の魔物がうようよ出現するようになるぞ。さすがにオレ一人では捌き切れなくなる」


「だけどな……、下に行くくらいなら、上に行く方法を見つけ出すほうが、よっぽど現実的だと思うけど」


「確かにそっちのほうが現実的かもな。しかし面白くない」


「あんた……、滅茶苦茶だ」



 ヴェロンは面白そうに笑った。



「知らなかったのか? とっくに言ったと思っていたけどな……。少なくともオレは自分のことをまっとうな人間だと言ったつもりはないが」


「……ああ、そうだろうな、まったく」



 ヴェロンの傍にいたほうが魔物との戦いは有利だ。ユユは戦力になるか分からないし、彼についていったほうがいいか? しかし彼は魔物の巣へと突入しようとしている。まさに死地への進撃ということになるだろう。死ぬ可能性が高いのはどちらだ。


 滉はツバキの意見を聞きたかった。指輪を翳すと、声が聞こえてくる。



《滉さん、たった今、逃げ延びた方々で意見がまとまって、準備が整いました》


「準備?」


《階段を塞いでいる岩盤を魔法と火薬を併用して砕きます。ただ、一か所分の火薬しかないので、今から指示するポイントに移動してください。ヴェロンさんやユユさんなら、内部の構造を理解しているので迷うことなく進めるはずです》


「分かった。……聞いてたか、ヴェロンさん。脱出できるってよ」



 ヴェロンは舌打ちした。



「余計な真似を……。絶望的な状況をもっと楽しみたかったのに」


「おいおい」


「まあ、今日がその日ではなかったということだろう。大人しく脱出といくか」



 ヴェロンはそう言いながら、闇から這い出てきた亜人型の魔物を斬った。首を失ったその肉体を蹴飛ばしながら、



「しかし亜人型の魔物ばかりだな……、なかなか新鮮な気分だ」


「亜人型って珍しいのか?」



 滉はヴェロンが大人しく脱出するつもりになってくれたことに安堵しつつ、質問した。



「ダンジョンによって出現する魔物の型の傾向が違うんだよ。ダヴィナ霊園は霊体系や不定形の魔物が多い。だからオレのような剣遣いは結構苦労していたもんだが」


「ふうん……、亜人型が多いってことは、つまりどういうことなんだ」


「知らん。だが普通に“穢れ”が原因で魔物が自然発生しているのなら、この状況は解せない」


「誰かが魔物をダンジョン内に供給しているってことかな」


「誰かがって、誰がだ。言っておくが人間が魔物を生み出すことはできないぞ」


「じゃあ……、魔王的な」


「魔王……? いったい何を言っているんだ」



 こちらの世界には魔物を統率するような存在はいないのか。別に不思議じゃないが。魔物たちは誰かの命令でダンジョンを荒らしているのではなく、あくまで自らの生命を保持する為に活動しているのだろう。



「でも、ここの穢れが急激に増えているのは、人間の仕業の可能性が高いんだよな?」


「オレはそう見ている」


「でも、単に穢れが増えているというだけでは説明できないような、亜人型の魔物が多く出現している……。そしてその魔物を産み出しているのは人間ではない」


「ああ」


「つまり……、ダヴィナ霊園を未攻略状態に戻そうとしている“何者”かは、単に穢れを増やしているわけじゃなく、他に何か妙なことをやらかしているってことか……?」


「そういうことになるな。はっきり言って、見当もつかないが。謎だ」



 こちらの世界に来て長いヴェロンに分からないのなら、滉に分かるはずもなかった。どうして初陣がこんな特殊なダンジョンなのだろう。もっと平和なときに来たかった。そうすれば自分の戦い方も理解できて、多少は戦力になれただろうに。今はただ、ヴェロンに助けを求める弱者でしかない。


 ユユが欠伸をしながら滉に呼びかける。



「で、岩盤をぶっ壊すポイントってどこ? あんまり墓所の端とかだと、移動するのに時間がかかるよ」



 ツバキが指輪越しに場所を指定する。ここからそう遠くない場所らしかった。



「よし、じゃあ行くか」



 ヴェロンを先頭に三人は地下墓所を進み始める。滉の気持ちは落ち着いていたが、まだ危機が去っていないことはもちろん理解していたし、このまま易々と脱出できると思うのは楽観的すぎるなと感じていた。


 階段を岩で塞いだのが誰なのかは分からないが、既にその所業で冒険者たちを何人も死に至らしめている。その圧倒的な悪意が、滉には気分が悪かった。




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