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地を這うショッピング

 もう三日も何も食べていない。


 最後に胃の中に押し込んだのは飲食店の主人が憐れみからくれた冷めた料理だった。飲食店の残飯を漁っていたのが若い女だったということで不憫に思ったのだろう。もしこのときの食事がなければとっくに倒れていたかもしれない。まさに命拾いだった。


 雨が降りしきるウェンスローの街中を、ツバキはのそりのそりと歩いていた。防寒具を着込んでいる通行人と比べて、ツバキの恰好はあまりにお粗末だった。麻の服の上からボロボロの外套を羽織っているだけ。衣服が雨に濡れてぴったりと肌にくっついている。もうしばらく洗っていない黒髪はぼさぼさで、悪臭がする。擦り切れた靴からは親指が頭を出していた。


 ツバキにとって試練の日々が続いていた。明日こそ、明日こそと思い行動しているのだが、なかなかお目当ての“品”に出会えない。自分の試みは無謀だったのではないか、自分が歩む道の先には何もないのではないか、そんな思いが時折去来するが、退路は絶ってきた。自分に帰る場所はないのだと言い聞かせて、空腹や寒さと戦い続けていた。



「また来たのかい」



 ウェンスローの街並みの中でも一際豪奢で巨大な館があった。召喚施設であり、召喚体――異世界人と言い換えても良いが、こちらの世界に召喚されて間もない奴隷たちを収容している施設となっている。門番とはすっかり顔馴染みになっていた。



「買付けに来ました」


「知ってるよ。ほら、入りな」



 門番が門を開けてツバキを中に招き入れる。本来なら召喚体売買許可証(ライセンス)を提示しなければならないのだが、顔馴染みということでその手間が省けた。


 ツバキが館の中に足を踏み入れると、すぐに視線が刺さってきた。館の中を歩いている客、係員、両方から白い目で見られる。当然だ。この館を出入りする人間は“買う側”の人間である。当然カネに困っているような奴は“買う側”に回ることはできない。ツバキのようなみすぼらしい恰好の女が出歩くことなど普通はありえない。



「なんだあいつ……」


「檻から抜け出てきたのか?」


「いや、あの人、昨日も見たよ」



 そんな声が聞こえてくる。ツバキは自分が注目されることを予期していたので気にしなかった。エントランスに置いてある目録カタログを手に取る。


 ぱらぱらと捲った。毎日目録の中身は更新される。商品の入れ替えはそう多くはないので、目当ての商品が新たに入ったかどうかはすぐに分かる。


 ツバキは落胆した。ざっと見た限り、手頃な品は入っていないようだった。


 また明日来るしかないか……。しかしそうそうあるとは思えない。安価であることが絶対条件だが、それと同じくらい質も重要だ。ダンジョンに放り込んですぐ死なれてしまっては、カネをドブに棄てるようなものだ。それだけは避けたい。


 ツバキはエントランスの真ん中で立ち尽くしていた。何度も目録を見直すが、やはり自分が買えそうな商品がない。生活費を極限まで削り、何とか用意した金額は20000。しかし目録にあるのは平均3万程度。どんなに安くても1万はする。とてもじゃないが買えたものではない。


 やはり闇市に顔を出すしかないのだろうか? しかし前に闇市に出入りしたとき、運悪く召喚局の“手入れ”があり、一度拘束されている。あのときはみすぼらしい恰好だったこともあって、買付けに来ているとは思われず見逃してもらえたが、二度目はさすがにない。それに闇市で入手できる召喚体は不完全契約であることが多く、色々と問題が発生する危殆がある。博打に近い。


 駄目元で値段交渉するべきか……。じっと考え込んでいると、近くを通りかかった二人組の会話が耳に入った。



「やはり駄目だったな。所詮は“雑品”か」


「廃棄処分になるんだろ? 勿体ないな。買ってやれば良かったのに」


「冗談。慈善事業じゃないんだぜ。他のメンバーも危険に晒すかもしれんし。無能は要らんよ」



 最初スルーしかけたが、ぴんときたツバキは振り向いた。そしてその二人組に近付く。



「あのー……」


「ん、なんだお前」



 二人組の男はツバキの恰好を見て露骨に顔を顰めた。ツバキは気にせず、更に近づいてにこりと笑んだ。



「あの、“雑品”がどうのって……」



 男は怪訝そうな表情のまま、



「ああ、この館の地下に闇市の商品が大量に入ったらしい。闇市から押収した商品が召喚局を経由して送られてきたんだと。召喚局が大量の違法取引品を保護しようと思っても持て余すだけだから、見込みナシの商品をここに処分してもらうつもりなんだろうな」



 ツバキの目が輝く。



「処分……!」


「タダ同然の仕入れだって話だ。安く買えると思って見に行ったが、ありゃ駄目だ。無能揃い。あんなのダンジョンに投入したところでものの数分で骸だよ」



 二人組は館を出て行った。ツバキは辺りを見回し、係員を見つけるとつかつかと歩み寄った。



「“雑品”とやらを見せてもらいたいのですが……」



 すると係員は「あんたにはお似合いだな」と言わんばかりの含み笑いを見せ、



「こちらでございます」



 慇懃ではあったが全く敬意を払われている感じがしない。しかしもちろんツバキはそんなことを気にしなかった。地下への階段があり、冷たい空気がそこから流れ出ていた。ツバキは躊躇することなく階段を下っていった。一段降りるごとに冷気が強まっていく。足元から風が吹き抜ける。衛生状態がどうなのかは分からないが、少なくとも換気はしっかりしているようだ。


 人間の存在に気付いた光の妖精がランプの中で光を発する。ランプの中に封入された光の妖精たちは月給幾らかで働く。妖精は自らが神から授かった権能を発揮して人の営みを助けることになっているが、無給で働くことはなく、一定量の魔力の詰まった貨幣を対価に求める。人間と妖精の雇用関係は太古より続く由緒あるものであり、妖精の存在は貨幣経済の端緒ともされている。


 そんな光の妖精たちがランプの中から手を振ってツバキの気を引こうとしている。よほど暇なのだろう。半裸の小人のような姿をした彼らは、実際話してみるとなかなか邪悪だったり奔放だったりするので、まともに相手をしてはならない。少なくともツバキは子供の頃にそう習った。


 地下に降り立ったツバキは悪臭に顔を顰めた。地下の石造りの回廊には鉄製の扉が等間隔に設置され、覗き窓から中を見るとみすぼらしい恰好の奴隷たちが押し込められていた。



「あのー、ここは……」



 近くに立っていた係員に声をかけると、無言で紙を差し出してきた。どうやら目録らしい。ツバキはそれを受け取りそれを捲った。明かりが足りなかったが近くにぶら下がっていたランプの中の妖精が気を利かせて出力を上げ、明るくなった。


 そこには100名ほどの名前がずらりと載っていた。全て言語が違っていた。異世界人の故郷における表記に従っているのだろう。翻訳魔法のサービスによってあらゆる言語を理解できるようになっているツバキには、その名前の発音、名前に意味が込められている場合はその意味も、手に取るように分かった。


 名前に付記されているのはその者の値段だった。廃棄寸前とあって格安ではあったが、それでも大体20000前後はする。仕入れ価格がタダ同然でも、まともな商品に仕立てるには色々と経費がかかるのだろう。


 買える。不良品とはいえ、これで異世界人を買えるぞ。ツバキは昂奮して目録を捲っていった。しかし他に買付けに来ている連中が見向きもしないだけに、まともな商品は皆無と言って良かった。どれもこれも鑑定士からの評価が低い。鑑定士からの評価は、買付けする側の人間からすれば絶対的な基準であり、それと商品の値段を見比べて購入するか否かを決める。


 少しでもマシな商品を……。ツバキはそれだけを念じて目録を漁っていたのだが、ふと一つの商品に目が釘付けになった。


 名前は朝妻滉……。日本という国からやってきた、17歳の少年だという。


 彼の鑑定士からの評価は最悪だった。戦い向きの性格ではあるが、職業適性は驚異のFFFF。100万人に1人の“大ハズレ”というから凄まじい。職業適性FFFFなんて奴をダンジョンの中に放り込んだら一瞬で魔物の餌食となるだろう。


 こんな戦いの才能がない人間は、誰も欲しがらない。きっとこの少年を召喚した人間は、大ハズレを引いたことを嘆いただろう。よりにもよってカネにならない人間を召喚してしまったと。



「すみません、ナンバー33……、朝妻滉と話をしてみたいのですが」



 係員に声をかける。係員は目録を捲り、目を見開いた。



「――正気ですか」


「ええ。お願いします」


「冷やかしならお断りですよ」


「いえ。ほぼ買う気でいます。20000で足りますね?」


「20000どころか……」



 しかし係員はここで口を噤み、奥へとツバキをいざなった。奥には小奇麗な応接間のような部屋があったが、奴隷を縛りつける鎖が付属している大きな椅子がでんと置かれているのが印象的だった。



「こちらでお待ちください」



 係員がそう言って部屋を出て行く。ツバキは近くの椅子に腰掛けて時が過ぎるのを待った。


 どうせ安価な召喚体しか買えないのなら、一か八か、職業適性FFFFの“無能”に賭けるのも悪くないだろう。転職屋としての修練を積んだツバキだが、技能訓練場で学んだ一年間、様々な形で冒険者の能力を引き出す方策を考えていた。


 もしかすると当時にひねくり出したあの方法が通用するかもしれない……。ツバキは自分が編み出したこの方法が通用するか半信半疑だった。そもそもこの方法が使える召喚体自体が希少であるため、実験できなかった。



「お待たせしました」



 係員が朝妻滉を連れてきた。ツバキは思わず立ち上がった。扉の奥から現れた朝妻滉は中肉中背の若い男性だったが、右腕に酷い裂傷があった。ぞんざいに包帯が巻きつけられているだけで、まともな治療を受けているとは言い難い。息も絶え絶えで、今にも気絶しそうだった。



「治療師を」



 ツバキは即座に言った。



「この館には治療師が常駐しているはずですね。ここに呼んできてください」



 ツバキの言葉に係員が無表情のまま応じる。



「うちの治療師は高いですよ。500は戴かないと」


「構いません。それと彼、言葉は通じますか」


「いえ」


「ならば翻訳魔法の遣い手もここに。彼は私が買います。手続きを進めてください」


「商品の値段に加え、治療費、翻訳代、保険料、諸経費込で、20000はしますよ」


「20000しか持ってません。20000で足りるならそれでいいです」



 係員は微笑し、そのまま辞去した。朝妻滉はふらふらの状態だったので、椅子に付いている鎖が使われることはなかった。



「大丈夫ですか」



 ツバキが話しかけると、朝妻滉は顔を持ち上げて視線を向けてきた。言葉は通じない。しかしツバキが心配していることは分かったようで、笑みを返してきた。


 相当に傷が痛むだろうに、笑うのか。ツバキは自分が何もできないことをもどかしく思いつつ、治療師の到着を待った。


 先に来たのは翻訳魔法の遣い手のほうだった。黒のロングコートを着用し、衣嚢に手を突っ込んで肩をいからせる長身の男だった。そのわりに体格は貧弱で肌も病的なまでに青白い。神経質そうにこめかみを痙攣させている。



「なんだこの死にかけは……。こんな奴を翻訳しても無意味だろ」



 男は傲岸に言い放ったが、ツバキが正面に立ち睨みつけると怯んだ。



「……お前か。この死にかけを買った物好きは」


「どうでもいいことでしょう。お金は払いますから仕事をしてください」


「もう終わったよ。既に登録済みの言語だった。それじゃ」



 男は部屋に入ってから一分もしない内に去っていった。翻訳魔法の遣い手は対象者の脳内にある言語を解析、既知の言語と照合して精度の高い通訳を実現する。全く未知の言語であっても、ものの数分で翻訳が完了するらしいが、既存の“辞書”に載っている言語だった場合、数秒で作業が完了する。それで多額の翻訳料を持っていくのだから良い商売である。


 ツバキは頬を膨らませつつ振り返った。うなだれている朝妻滉に話しかける。



「滉さん……、私の言葉が分かりますか?」



 滉は顔を持ち上げた。そして僅かに頷く。ツバキはほっと胸を撫で下ろした。



「とりあえず良かった……。怪我はその腕だけですか。もうすぐ治療師が来ますからね」


「ここは……」



 滉は呟く。か細い声だったのでツバキは耳を寄せた。



「はい?」


「ここは……、どこなんだ……」


「ここは、異世界人を召喚する施設です。あなたの場合、ここで召喚されたわけではないようですが」


「異世界……、はは……」



 滉は力なく笑った。



「やっぱり夢じゃねえんだよな、これ……。くそっ……! ありえねえ……」


「私も異世界にルーツを持つ人間です」



 ツバキは言う。



「私だけではなくて、この世界の住民のほとんどが、そうです。召喚術によって異世界からやってきた人間です。ですから、あなただけではありません」


「だから、なんだよ……」


「私は今、あなたをカネで買いました」



 ツバキは淡々と言う。



「でも、あなたを奴隷として扱うつもりはない。同じ境遇の、仲間同士です。この世界で生き抜くために、どうか協力してください」


「協力って……。俺のことを、あんたが買ったんだろ。従うしかないんじゃないのか。それとも、俺が望んだら逃がしてくれるって?」


「それは……、困ります」



 滉は傷を押さえ、ふふふと笑った。



「いいよ。こっちの世界に飛ばされて来てから、酷い奴ばかりだった。あんただけだよ。俺のことを労わってくれるのは。俺のことを必要としてくれるのは……」



 滉ががくりと頭を落とし、前に倒れ込んだ。慌ててツバキが支えて椅子に座らせる。


 本当は寝かせたいのだが近くの長椅子は人が寝そべられるほど大きくはないし、床に寝かせるのもどうか。治療師はまだか、治療師は。ツバキは苛々しながら待った。



「お待たせ~」



 赤い衣を着た女の治療師が登場したのは滉が気絶してすぐのことだった。滉を見ると目を丸くする。



「あららぁ。私、知ってるよ。彼、職業適性FFFFなんだってね? ここに運ばれてきたとき、私が治療しようとしたら、どうせ廃棄処分だからイイって言われたんだよね」


「そうですか。話はいいですから治療をお願いします」


「はいはーい」



 治療師が手を滉の手を翳すと、淡い光が彼を包み込んだ。さすが施設が雇っている治療師だけあって、その治癒力は凄まじいものだった。みるみる滉の傷が消えていく。


 治療師は治療をしながらツバキのほうを見ていた。ツバキは首を傾げる。



「何か?」


「いやいや。どうして彼を買おうと思ったのかな~って思って。差し支えなければ」


「差し支えあるので遠慮してください」


「またまた~」



 治療師がしつこく尋ねてくるので、ツバキは嘆息して、仕方なく答えた。



「彼に可能性を感じたからです」


「適性FFFFの彼に?」


「FFFFだからこそ、です」



 ツバキの返答に治療師は納得いっていないようだったが、これ以上説明するつもりはなかった。実際、うまくいくかどうかは未知数だ。何らかの問題が発生する可能性もある。


 現状、これに優る策は思いつかなかった。職業適性FFFFの朝妻滉にしかできないであろう戦法――これにツバキの全財産を賭け、勝負する所存であった。





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