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第一話

 いつだって僕は困ったときには空を見上げるのだ。どうして、と自分に問うてみるも理由なんて分からない。けれど、僕は困ったときに空を見上げる。青空であろうと、曇天であろうと、どんな空模様であろうと僕にとって空というのは救いなのだろう。


「ご主人様、この者たちを如何様に処分いたしましょう?」


 困った状況の中心で、一人の女性が主人の気分を伺うように尋ねてくる。

 アインリッシュ・ヘルベルト。夕闇色の瞳に、深い紅の髪。右の目には魔法陣が描かれており、それによって自ら力を封印している。そして、それを黒の眼帯で隠している、という設定。

 その筈だったのだ。今さら再び思考を繰り返す必要もないだろう、頭に湧いた疑問や思考を廃棄する。


「ご命令とあらば、跡形もなく片付けることも可能でありますが…」


 その声は端正で、理知的で、聴きやすい美しい声だった。普通の、一般的な男性ならば声に惹かれ、その美貌に惹かれ、膝を折るのもかくやという程かもしれない。昔から、僕は客観的判断というのが苦手だったので、どれだけそれが正確は分からないけれど。

 美しい声を聞いて、冷たい地面に横たわる醜悪な者たちが怯えを見せる。


 アインリッシュが立っている場所は、その声に不釣り合いで、その美貌に不釣り合いであるということは、僕は絶対的に信じるところである。


「そうだなあ。まあ、骨の一つか二つくらいは折ってやってもいいんじゃないか」


 小さくそういうと、ヒッ、という息を飲む音が聞こえた。別に本気でそう思っていたわけでもないけれど、折ってしまってもいい気もする。

 さてはて、それにしても見たくもない醜悪な光景というのは、生きている間には何度も目にしなくてはならないのだろう。ああ、嫌になる。


 面白い劇を見た帰り道に路地裏で何か物音がしたと思ったら男が複数人、浮浪者が集まって何かをしていたのが見えた。ろくでもないことには関わらないのが吉とは知っているので、足早に逃げようと思ったのだが見えてしまったのだ。


 見えてしまったのならば、仕方がないというものだろう。


 浮浪者の集まりの真ん中に、不釣り合いな綺麗な服を着た少女が地面にねじ伏せられ、よってたかられている姿を見てしまったのだ。


「あ…あっ…お、おねがい、お願いしますぅ…そんな怪我したら、はたらけねえ…はたらけねえんです…」

「あ、あっしも…」

「おれも…どうか…どうか…おねがぃしますよぅ…」


 手をすり合わせて、頭を地面に擦り付けながら言うその者たちの姿に、もはや誇りなど微塵も見られなかった。醜悪な光景だと、憐れみを持つことなく、憐憫の情を抱くことなく僕は思う。


 これも、ある種の最適化された有様なのだろう。浮浪者としてこの街の路地に生きる彼らの処世術とでもいうべきもの。


「があっ!」


 近くにいた男の顎を蹴り上げる。


「もういい…これ以上、無様な姿を僕に見せるな…これをやるから…さっさと消えろ」


 ポケットから硬貨を取り出し、あたりに放る。チャリンチャリン、と軽い金属音があたりに響き、浮浪者がそれを我先にと飛びつく光景が路地に差し込む街灯の光でうっすらと見える。


「あと5秒で消えろ…さもなくば…骨ではなく、貴様らの腕を--」


 最後まで言い終えるまでなく、浮浪者たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。剣に手を掛け威圧したのが効いたのだろうか。


「アインリッシュ」

「なんでしょうか、グラディス様」

「そこに倒れてる少女を家に持って帰る」

「かしこまりました」


 アインリッシュが持っていた大きなカバンを受け取る。

 そして、彼女は地面に転がって身動きをとることない少女を抱き上げ、両手で持ち上げた。


「生きているのか、その娘は?」


 浮浪者たちも、さすがに死者を陵辱するようなことはないだろうと思うので、生きてはいると思うのだが、あまりに微動だにしないので確かめる。


「脈はあります」

「そうか…で、」


 その後に続く言葉を僕は飲み込む。そんなこと、僕の知ったことではない。どうでもいいことではないか。

 アインリッシュは首を傾けてこちらを見つめる。その夕闇の瞳の向こうで、いったい何を思っているのか僕は知りたい。君にとって、この僕という存在は何なのか、と。


「さて、帰るぞ。せっかくの劇が興ざめだ。帰ったら、美味しいチェリーパイでも作ってくれないか?」

「かしこまりました」

「明日から狩りに出発するってのに、災難な前日だ」


 そうして、僕は再び空を見上げる。

 今は冬だという。ならば、空にはオリオン座が登っているはずだけれど、そこには僕の見たことのない星図が広がっている。それでも、やはり星空というのは美しいものだ。


「なあアインリッシュ」

「なんでありましょう」

「オリオン座というのを知っているか?」


 少しの沈黙の後に、アインリッシュは口を開く。


「申し訳ありません。わたくしは存じ上げません」

「そうか…さて、帰ろうか。我が家へと」


 僕たちは帰る。

 この世界の、我が家へと。


 家に帰れば家族が待っているということもない。幼い頃に母を亡くし、父は仕事で忙しく、僕を世話してくれたのは年の離れた姉だった。その姉も、僕が大学生になったと同時に結婚をして家を出た。父は単身赴任で家にはおらず、僕は大学生のときから一人暮らしを始めた。


 さてはて、なんで僕は今さらそんなことを考えているのか…。

 この世界へとやってきて、もう一年が経つというのに。


 整備された道へと戻り、街灯が照らす街中は警備兵が百メートル間隔で配備されていて、とても安全だ。しかし、それは街の中央通りの話であってさっきのような中央通りを離れた小道の、その路地裏ともなれば話は別である。


 先ほどのように、浮浪者が溜まっていることなんて珍しくもない。彼らの多くは、恐らくギャンブルで失敗した馬鹿者たちだろう。


 このリバルッツ没落都市は、名前の通りリバルッツ州の序列として下位の都市である。第1番目の都市は、悪名高き大カジノで大変に評判がある。そのカジノで全てを失ったものがが流れ着く町。それゆえ、この都市は俗に没落都市と呼ばれる。蔑称として認識しても構わないのだろうが、この町を収める貴族、ラングルス候はその名前を気に入り、数年前に改称してしまったのだ。事実に基づく名称に変更することに、特に異議もないだろうと。


 ラングルス候が弱者救済の政策をとっていることもなく、この町に流れついた一文無したちは、町の治安と美観を損ねている。没落したものたちを引き取ることで、多額の手当てをもらっていることから、町の中央通りに住むものたちも特に何かをいうこともなく、世は全て上手く回っているのだ。


 没落都市にとって市民とは、街の中央などの住人たちのこと。彼ら「市民」を守るために、通りには警備兵が安全を守っている。


 中央通りを歩くこと二十分くらいだろうか、我が家へとようやくたどり着いた。それは、周りの建物と同じくらいに大きい。周りには、貴族が別荘が立ち並ぶ。


 別荘とは言っても、この町に何かあるわけでもない。近くに、ゲルバンドウ渓谷という美しい渓谷があり、そこを気に入っているもの好きな貴族が数名ほど、別荘をこの町に用立てているというだけの話だ。


 そして、僕は数ヶ月前に、この貴族からこの館を使用する許可を得たのであった。


 門を警護する軽装の警備兵がこちらに気づいた。


「やあ、マッシュ、ごくろうさま。ちょっと帰りに荷物を拾ってきたのだけど、構わないだろうか」

「はっ! グラディス様の命令は、我が主人からの命令と同等でありますゆえ、問題ないと思われます!」


 ビシッ、という効果音が似合うくらいに、素早くマッシュは敬礼をしてそういった。

 若々しい顔つきをしている。そう、彼はまだ今年20になったばかりなのだから当然だ。


「アインリッシュ様、私がその子をお持ちいたしましょう」

「…ご主人様」

「マッシュに任せるとしよう。ずっと持たせて悪かった、疲れたろう」

「任せてください! これでも俺、けっこう鍛えてるんですよ!」


 そういい、彼はアインリッシュに近づくと、小さな娘を持ち上げた。


「かっ、軽いですね」


 そうか、そんなに軽かったのか。


「もしかしたら、私が持っているこの鞄の方が重いかもしれませんね」


 ははっ、と軽い笑いが起きる。


「さて、では中に入りましょう。リール、任せたぞ」


 マッシュはもう一人の警備兵にいった。そして、僕たちは館の中へと向かう。

 門を抜けて少し歩いた先にある館の門。横についているベルを鳴らして女中を呼ぶ。

 どたどたと歩く音が聞こえ、すぐにドアが開いた。ドアを開けたのは、あどけない表情を浮かべたそばかすが目立つ少女だった。


「マーズか」


 マッシュが彼女の顔を見て行った。

 そう、その子の名前は確かマーズといったはずだ。最近になってこの館で働くようになったはずだった。


「はっ、はい。あっ! お帰りなさしませご主人様」


 ぺこりと頭を下げその頭の運動に追従するように金色のツインテールが波を打つ。


「あーと、マーズ。その娘を頼んだ」


 僕はそう言って、二階の自室へと向かう。部屋でゆっくりして、アインリッシュが作るチェリーパイを食べながらブランデーをやるんだ。


「あの、グラディス様!」

「なんだいマーズ」

「この娘はいったい?」


 そう尋ねるのも無理はないだろう。その問に答えようかどうか思案していると、マーズの教育係たるセリナがその頭をはたいた。


「馬鹿者! 余計なことは聞かないの。申し訳ありません、グラディス様」


 うやうやしく頭をさげるセリナは、二十代半ばで明るい緑色の髪をしている。髪の毛の色というのは、その者がどの属性に対して適しているかを表す指標となる。この場合は、風の属性に対して適応していると考えられる…まあ、これも設定だった。設定だったはずなのだが、こうしてリアルとなってしまっている。


「いいさ。じゃあ、明日にでもその娘から話でも聞こうと思うから、後は頼んだよ」


 そうして、僕はアインリッシュを伴って二階へと繋がる階段を登っていく。この屋敷の、本来の主人はあまりこの屋敷を利用することはなく、この屋敷には空き部屋がたくさんある。

 その一つを、あの少女に割り当ててもいいし、新しくメイドとして雇ってもいいだろうか、などと考えてみるも、全てはあの少女から話を聞いてからにしないといけない。


 二階に登り、突き当りを右に向かって三つ目の部屋。それが、僕が使っている部屋だ。他の部屋とほとんど同じで、館の主人が使っている部屋と比べると、まあ質素ではあるが、不満はまるでない。


 部屋に入り整えられたベッドへと飛び込む。


「ご主人様…」


 咎めるような声でアインリッシュ…アイリがそういう。


「アイリ、誰もいないのだから構わないだろう?」

「だからといって、そうはしたない行動を取られるのは、認められません」


 左目が鋭くこの身を射抜く。きっと、眼帯で隠された右目もこちらを見ているのだろう。魔法陣によって封じられている魔力を解放できるのは、僕の許可が必要である。その力を解放したら、僕は一撃で死ぬだろう。


 もっとも、解放せず、このままの状態で彼女と戦っても僕はきっと死ぬだろう。そもそも、戦闘などする気も起きない。


 僕は心の何処かで思っているのだ。この娘になら殺されてもいいかな、と。それは、僕がこの世界で死んだなら、元の世界へと帰れるかもしれないという淡い期待を抱いているのと、同時に、このアインリッシュ・ヒルベルトという存在を…


「ご主人様、わたくしはチェリーパイを作ってまいりますので、失礼いたします」


 そして、彼女は僕がさっきまで持っていた大きなカバンを手に持って、部屋から出て行った。

 魔法障壁で守られ、さらに鋼鉄でつくられたそのカバンは、かなり重たい。大人の男が一人分くらいあるだろうか。

 それを持てるのも、STRパラメータのお陰というものなのだろう。職業を盗賊やネクロマンサーとかにしなくてよかったな、と思う。


「まったく…なかなかどうして…俺の人生も面白いじゃないか…」


 そんなつぶやきが口から零れおちた。ほぼ無意識で零れ落ちた自分のつぶやきに、思わず苦笑する。

 ベッドの上でごろごろしながら、アイリのつくるチェリーパイと、ブランデーを楽しみに待つとしよう。せっかくの楽しい劇の余韻が台無しになってしまったのが悔やまれるなあ、ほんと。

 まとまらない思考を繰り返しながら、僕は、僕のアインリッシュ・ヒルベルトが来るのを静かに待ち続ける。

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