秋空の通り雨
それはまるで、
秋空の通り雨のように。
心の空は晴れたまま、
雨という名の涙を流す。
こんな日の神様は、
いったい何を考えているのだろうか。
気が付いて、一番最初に目に入ったのは、命の温かさが感じられない、無機質な真っ白の天井だった。
ここは何処だろうか。
ゆっくりと、身体の感覚を確かめながら横をみる。
小さな窓があったので、私はベッドを降りて、外を見てみる事にした。
少しふらつくが、ちゃんと歩けるようだ。
窓まで着くと、ベッドの上より少し肌寒い気がした。身につけている、青と白の縞模様の服が、余程薄いのだろう。
一度自分の身体を抱き締めてから、ガラスの部分に、壁に寄りかかりながら右手をやる。
ピンと張りつめた、命の通わない冷たさに、何故か懐かしさを感じた。
外に目をやると、どこか不思議な感覚になった。
空は青く晴れているのに、強い雨が降っている。
何かが、頭の奥をかすめた気がした。
何だっけ?
そうだ。
あれは幼い頃にした、母との会話。
「ねぇお母さん。なんでお空は、晴れたり曇ったり、雨が降ったりするの?」
保育園の帰り。雨上がりの道を、母と手を繋ぎながら私は尋ねた。
すると母は、
「それはね、お空は神様の気持ちだからなの」
と言って笑った。
「気持ち?」
幼い私は、母に負けないくらいの笑顔で聞き返した。
「そう、気持ち。だから、神様の機嫌が良い日は晴れになるし、機嫌が悪い日は雨になったりするの」
そう言って、母は私を抱っこしてくれた。
母の胸元で甘える私。
今はもう、
遠い記憶…………。
でも、空が神様の気持ちなら、今の神様は、いったい何を思っているのだろう。
晴れているのに、雨が降っている。
機嫌は良いのか悪いのか。
冷たい風が部屋に入ってきた。身体を震わせながら振り返って見ると、ドアの所に、スーパーのビニール袋を持った母が立っていた。
窓際にいる私を見た母は、少しだけ恥ずかしそうに、笑った。
あの時と同じ笑顔で、
静かに笑った。
私がベッドに入り直すと、母は何も言わずに、横にあったイスに腰掛けた。
二人の間に流れる沈黙が、少しだけ重い。
「気が付いて、本当に良かったわ」
母がビニール袋からリンゴを取り出しながら言う。
「ねぇ、ここは何処?なんで私はここにいるの?」
私は、少しだけ声を大きくして言った。
母は一度下を向き、口をキュッと結んでから話しはじめた。
「…………ここは病院。覚えてないの?貴方は三日前に……」
そこまで言って、母はまたうつ向いてしまった。
……病院?
――――あぁ、そうだ。私は三日前、自殺しようと橋から飛び降りて、
それで…………。
「……大丈夫。思い出したよ、母さん」
私は、今は出来る精一杯の笑顔を母に見せた。
「そう……。ねぇ、貴方なんで自殺しようとしたの?何が不満なの?」
母は不安そうな顔をする。
「さぁ、なんでだろ?なんか疲れちゃったんだと思うよ。世の中の色々な事に」
それきり、また沈黙。
さっきよりもずっと重い。
「……神様は、今どんな気持ちかな?」
幼い頃を思い出し、私は言った。
「…………なに?」
顔を上げた母は、目に涙を浮かべている。
私は少し、声の調子を上げて言った。
「ほら、昔さぁ。空は神様の気持ちだって言ってたじゃん。晴れたら機嫌が良くて、雨だと機嫌が悪い。だったら、今日みたいに晴れてるのに雨の日って、神様は何を考えてるのかなぁと思って」
母は少し唇を噛んで、その後に微笑みながら言った。
「……あぁ、懐かしいね。保育園の頃だっけ?」
それから窓の方を見て、
「こんな天気の日はね、神様が私達に優しい日なの。私達が生きている中で溜め込んだ、怒りとか、疲れとかを、涙で神様が癒してくれるのよ。悲しい涙じゃなくて、癒しの涙で」
母は私の方を見て、もう一度笑った。
私は母の顔を見た。
秋空の通り雨を背に、そっと笑顔でいる。
「…………私、もう自殺なんかしないよ」
自然と口から出た言葉。
その後は、ずっと母と抱き合っていた。
母は、涙を流している。
悲しみの涙ではない、癒しの涙を。
それはまるで、
秋空の通り雨のように。
心の空は晴れたまま、
雨という名の涙を流す。
でもその涙は暖かく、私を芯から癒してくれた。
ギュッと包んでくれた。
母の涙と神様の涙。
もう、
「疲れた」
なんて言えないよね。
雨はもう上がり、窓の水滴が輝いている。
よし、生きてみようか。
皆様お元気でしょうか。久々に投稿しました、来々です。今回は死について小難しく書いてみました。今はこんな世の中ですから、疲れたとか、そんな簡単な理由で死のうとする人が、結構いると思います。だけれど、そんな世の中に疲れちゃった人の事を、凄く大事に思っている人もいると思うんです。中々伝わりづらいテーマとは思いますが、どうにか理解して頂ければ幸いです。では次回こそご期待下さい。来々でした。