茜色の蜃気楼
ワールド・リバーサルばかり書いていると正直息が詰まります。その息抜き作品
1
窓際に飾られた不恰好なハエ取り草が、何も知らなかった虫を静かに捕らえていた。
小さな六畳一間と隣り合わせに申し訳程度のお座敷があるだけの学校の部室に、二人の影だけがポツリとそこにあった。
高校の文芸部らしいその部屋で、一人は片手に何故か定規を、もう一人は両手で本を開きながら向かい合わせに座っており、その時低めな声が一瞬だけ部屋に響いた。
「――それでさ」
話を纏めるような物言いで切り出したのは、学校指定の制服に身を包みながら身振り手振りでリアクションを取っている男子生徒だ。
髪の色は茶色で短髪。体格は細身だが、とは言えそれとなく筋肉の有無を感じさせる程度には鍛えてある、そんな平均的な身長を持つ一般的な少年だった。
「結局アイツ、まともに関係も作らないまま当たって砕けたんだよ」
自分の友人のことをアイツと呼び語っていた少年は、誰から見てもその当人を小馬鹿にした態度で言い募る。手に持った定規をぺしぺしと掌に打ちつけながら机の下で足を組んでいた。
「……告白?」
そんな少年の言葉に、極めて素っ気無い態度でもう一人の声が答えた。
別段そこまで高くもなく低くもない、抑揚の無いその喋り方は女子生徒のものだが、初対面ならばあまり良い印象は与えないだろう。
年の程は少年と同じで、学年も同じ。つまり先輩後輩などではない。
こちらも学校指定の制服に身を包み、よく手入れが行き届いている長い黒髪を静かに垂らしながら、メガネをかけて本を読んでいる。
「そう。本当に馬鹿だよなぁ。元々そこまで仲が良かったわけじゃないのに、いきなりコクってさ。もしそんなことされたら、いくら俺だって面食らって思わず拒否るよ」
「まぁ……そうでしょうね」
定規を持ったまま腕を組んで、神妙な顔付きで友人を評価する少年の言葉に、
少女もまた素直に同意した。
しかし、次の瞬間。
「……でも、何となく素敵だと思わない?」
「え……」
その唐突な一言に少年は思わず間抜けな声を漏らした。
相変わらず目線は本に向けられていて、そんな少女の真意を汲み取ることは、少年には難しかった。
少年の沈黙に少女が静かに答える。
「だって、今まで気にも留めてなかった人から、実は好感を持たれてるとか、ちょっと嬉しいじゃない」
「……まぁ、そうだろうけど」
今度は少年の方が素直に同意をする番だった。
「……………………」
「……………………」
そして、続く言葉は何故か無く、少女は再び本に集中し出した。
唐突な沈黙が場に流れ、突然の気まずい雰囲気に少年は成す統べなく押し流される。
心の中では、今どうしたら良いか、どうするべきなのかで一杯だった。
しかし、そんな気分を抱いているのは実は少年ただ一人だけだった。
少女からしたら、さして問題のある事ではなく、元々本を読んでいたというのもあり、喋ることが無いのならば口を閉じるだけで十分だった。
「「……………………」」
少年は落ち着かない気持ちを誤魔化すように沈黙の中で視線を巡らす。
足を組みなおしたり、席を立ってみたりもした。
けれど最後には、仕方が無いので少年もカバンから文庫本を取り出して、少女のそれと同じく集中することに決め込んだ。
「……ねぇ、ちょっと」
「……ん、うぅん……?」
安らぎに満ちたまどろみの中で、少年は目を覚ました。
自身の肩を揺らされて、ぼーっとした意識のまま半目になる。
果たして自分は何をしていたんだろうか?
直前までの記憶を辿るようにして、半覚醒の頭を無理やり回す。
そして、直後はっと目が覚める。
と、同時に。
「ちょっと……汚いんだけど……」
右隣からほんの少しの嫌悪を漏らしながら少女が言った。
「…………あ、あ、あうわぁぁ!?」
しかし、少年はそんな少女を驚かす勢いで、眼を見開き少女の顔を凝視して変な叫びを上げる。瞬間的にイスが横に倒れそうになった。
「な、な、なんなん!?」
「……それはこっちのセリフなんだけど」
けれど、少女はいたって冷静で、飛び起きるなり挙動不審な態度を取る少年に呆れた口調で言い返す。
「あ……っていうか今何時!? というか俺、いつから寝てたんだ!?」
本を読んでいる間に睡魔に襲われて、いつの間にか眠ってしまっていたのは理解できる。
だが、いつからなのかまでは全く覚えておらず、少年の意識はひどく混乱していた。
そこに、
「……ヨダレ」
「……へ?」
「……ヨダレ汚い」
脈絡の無い一言が舞い込んできて、一瞬少女が何を言ったのか理解できなかったが、次の瞬間にはそれに気が付いた。
「あ……」
少女が指を差しながら少年の目の前に目線を配るので、少年もそれに合わせて目線を移す。
すると、そこには当然テーブルがあり、その上には一冊の文庫本が開いたままで放置されていた。
「寝るのは勝手だけど、少しはそこら辺気を付けたらどうなの」
「……ごめんなさい」
うっかりと寝ながらヨダレを垂らしてしまった文庫本を手にとって、少年はしょぼくれながらそれをカバンに仕舞う。
「あと、口にも付いてる」
ついでのように少女は言った。少年はそこではっとなり、急いで服の袖を使って、こびり付いたヨダレを拭き取った。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして」
微妙に気恥ずかしい気持ちになりながら、少年はお礼を済ませ、少女もそれに常套句で答える。
「「……………………」」
そして、再びさっきと同じ沈黙が二人の間に流れた。
少年は緊張と焦りを見に覚えて目を逸らし。
少女はこれといって何も考えてなどいなかった。
数秒後、
「あ……そうだ! ……それで、今は何時なの!?」
沈黙を破る為に少年は考えた結果、さっきの質問を口にする。
とっさの切り替えしとは言え、事実今が何時なのかは知りたかった。自分のケータイを見れば済むという発想は少年の頭には無かった。
それに対し少女は「そうだった」とでも言いたそうな顔をしてから、
「もうとっくに七時よ。私、そろそろ帰らなくちゃいけないから、後のことよろしく」
抑揚の無い平坦な喋りで淡々と告げて、そそくさと部室を出ようとする。
それに少年は見る見るうちに血相を変えて、
「……え、えっちょっと! 待って、すぐ俺も準備するから!」
慌ててイスから立ち上がり、持ち物を全てカバンに詰め込んで帰り仕度を済ませ始めた。
それに少女はクスリと笑う。少年からその表情を伺う暇などは無かった。
もうすぐ夏至を迎える月の夜は明るかった。
何をするでもなく漫然と過ごした文芸部室を後にして、二人で学校の外に出ると、
そこはすでにむさ苦しく生暖かい空気で満ちていた。
「最悪だな」
「そうね」
田んぼばかりが広がる農道で、二人して特に意味の無い悪態を吐いた。
こんな季節でもなければすでに辺りは暗くなっていて当然なのだが、今は夕日がそこそこ沈んだところで、東の空が紺色に染まりつつある程度には持ちこたえている。
二人の帰りは自転車だ。校門を出て、途中までの道はいつも一緒に帰っている。
しかし、二人は今まで自転車に乗って帰ったことが無い。
毎日のようにこうして二人隣で自転車を押して歩いては、時々思いついた話題などでゆっくり帰るのだ。
しかし、今日だけは最初から決まっていた話題で少年は少女に話しかけ始めた。
「そういえばさ」
少年は気取られないよう、あえて平坦に言葉を発した。
「……ん?」
しかし、少女はそれを意識すること無く普通に返す。
少年は一瞬だけ躊躇い、迷うような素振りを見せた。
けれど、その直後やはり平坦に言葉を発した。
「もうすぐ夏至祭だよな」
「そうね」
しかし、そんな少年の気持ちなど露知らず、少女はぶっきらぼうにそう返す。
夏至祭とは二人が住んでいる町の、言わばかなり早めの夏祭りだ。
本当は正式な名称があるのだが、毎年夏至の日に執り行われるこの行事に町の人間は揃って夏至祭と言うので、二人もそれに便乗している。
少年は密かに少女を祭りに誘うつもりだった。
しかし。
「でも、その日は無理ね」
「……え」
突然の拒否に、少年の頭は白く焼きついた。
少年は、実はこの次に続く言葉を何度も何度も心の中で復唱してきていた。
だから、本当はこの次にはこう言うつもりだった。
「俺と……祭り行けないん……ですか……?」
正確には、祭り行かない? のはずだった。
少女はそんな見るからに分かりやすい少年を、しかし淡々と無視をした。
「ごめんなさい。その日はちょっと忙しいから。また今度」
少女の家は土産物屋をやっていた。忙しいとはそういう意味であり、少年もその言葉を聞いて瞬時に察した。
だが、それでも動揺を隠すことなど出来るわけはなく。
少年は顔も心も真っ白になりながら、けれど、
「……お、おう分かった。悪いな。えーと、じゃあ俺は適当にアイツでも誘うわ! お前も頑張れよ!」
例のアイツの名を出して、最大限の虚勢で全てを無かったことにしようとした。
その後の帰り道は、お互い何も喋る事無く家路についた。
少年は少女のことが好きだった。
2
一週間後の六月二十一日、夏至の日。
少年の住むこの町は、そこまで広いとは言い難く、町の中心である市街地で行われる祭りの活気も、今この場では遠くにしか感じることができなかった。
町の中心からほんの少しだけ聞こえてくるお囃子と夕日を背景に、少年はただひたすらに石段を登っていた。
「どうしてかな……」
取りとめも無く少年はそう呟いた。
商業地を過ぎれば住宅街か畑に田んぼしかないこの町で、ゆういつ神聖さを感じられる場所に今は着ていた。
「別に意味があるわけじゃ無いんだけど……」
少年は石段を登りきり、疲れた足を休めるようにしてその場で動かず立ち尽くした。
目の前に見えるのは神社だった。
さして大きくも無いが小さくも無い、しかし人が集まるかといえば答えは否だ。
そんな小さな丘の上にある、少し寂れた風な境内に少年はいた。
夕方のそよ風が少年の身体をさわさわと扇ぐ。木々の間をその風が更に通り抜けて何処かへと去っていく。
ふと後ろを振り向き登ってきた石段の方を仰ぎ見ると、そこは町全体を一望できる特等席だった。
麓では今まさに担ぎ出されて市街地に躍り出る、この町一番の神社の神輿が確認できた。
少年はどこか黄昏た気分に浸って目を閉じた。
その時。
「いてっ……!?」
突然後頭部に衝撃が走った。
と、同時にカーンという小気味良好い音が木霊した。
一体何があったんだ!?
そう思い、少し混乱した頭で後ろを振り向く。
するとそこには……。
「こんなめでたい祭りの日に参拝客とは珍しいなぁ? あぁ?」
見るからに胡散臭そうな風貌の青年が立っていた。
「……なんだ、大和か……」
それ対し少年はぶっきら棒に返事をする。
「なんだとはなんだ、お前さんよ?」
少年が大和と呼ぶその青年は、どこか落ち着いた雰囲気で特徴が無いが、しっかりとした力強さのある声に、身長は少年よりも五センチは高く、少年よりも更に少し男らしい体格をしている細身だった。
髪型は長めで、服装はシンプルなスラックスとTシャツに、もう六月だというのにネックウォーマーを頭にかぶっていた。
そして、その手には一本のホウキが握られている。
近くには不自然に落ちている一本の空き缶。
少年はその空き缶をじっと見つめながら、再び大和に向き直り、口を開いた。
「別に、お前こそこんなめでたい祭りの日にご苦労なこった」
少年は売られた喧嘩を買うようにそう言い返した。
「はっ、大きなお世話なんだよ。俺はここの息子なんだ。継ぐのが道理ってもんだろ?」
「今時古すぎるだろその考え方……」
少年は呆れるようにその言葉を口にした。
だが、大和はいたって真面目に言っていた。
「いや、お前は分かっちゃいないね。お前がそう思うのはお前がそういう立場に全く縛られない端から自由な人間だからだ」
いきなりの迫るような態度に少年は無意識に姿勢を正した。
「な、なんだよいきなり……知ったふうな口――」
「聞くなってか?」
図星だった。
「分かるんだよ。少なくともお前が俺みたいな人間の立場を分かっていないことは十分分かる。そして、そんな言葉が出るのはお前がそういうのに全く縛られてないからだ。違うか?」
「………………」
言われるたびに益々言い返す言葉が思いつかず、少年はあえなく無言になった。
そんな姿を大和はしばらく見やって、その後溜息を一つ吐いてから口を開いた。
「……まぁ、全く縛られてないとまでは流石に言いすぎだったな。謝るよ」
そう言って大和は少年の元に近づいてきた。
しかし、少年はまだまだ自分の感情をコントロールできるほど大人ではなかった。
「別に謝る必要もないだろ……」
その言葉に大和は歩く足を止める。
また一つ溜息をついて諭すような、諦めるような口調で言葉を発した。
「いや、謝らせてくれよ。非があると思ったなら、それは時と場合によっては謝るべきだ。そして、今が俺にとってはその時さ」
「……ある意味自分勝手だな」
小さく吐き捨てるように少年は言った。
それに大和は、
「あぁそうだ、自分勝手に謝るんだ。そうすればいざという時に非難されずにすむかもしれん」
「…………お前ってほんと性格悪いよな」
大和はニヤリと笑った。
夕方のそよ風が先ほどよりも更に強く吹いていた。
一人は片手にホウキを。
一人は片手に傷心を一つ。
寂れた神社の片隅で、二人の声が静かに響く。
「で、お前は結局何をしに来たんだ?」
「うぐ……」
神社に小さく併設されている休憩所から缶ビールを取ってきた大和は、それを片手に言った。
二人は賽銭箱に腰掛けて、つまみ代わりに大和の持ってきた小豆バーを食べていた。
そして、その一番聞かれたくなかった一言に、少年は一瞬だけ口をつぐんだ後、開き直るように言い捨てた。
「……別に、祭りに誘ったら断られただけですけど何か?」
足をぶらぶらとさせながら、内心の動揺をひた隠す。
大和はその言葉を聞いただけで、少年が一体誰を誘ったのかが目に見えて分かっていた。
だからこそ、いつも通りの調子で大和は返した。
「あぁ……またあの文芸少女か」
「悪いかよ?」
動揺のままに少年は八つ当たる。気持ちを悟られることが何より恥ずかしかった。
そして、そんな少年の幼い反応に、大和は思わず苦笑する。
「別に。ただ、つくづくお前も変なヤツだと思ってな」
「お前に言われたくは無かったよ……」
心の底から少年はそう思った。
そのセリフに大和はくつくつと笑う。小豆バーを一口齧って、缶ビールも一口つける。やはり奇妙な組み合わせだ。
一息ついた後、大和はあらためて少年に問いただす
「だってそうだろ? 傍から見てお前ら、とてもかみ合ってる様には見えんぞ。実際どうなんだ、あの子はお前にどういう反応を見せている?」
「お、大きなお世話だよ……」
最も追究されたくなかったその部分を前に、少年は目線を逸らして苦笑いを浮かべる。
そして更に大和の推察が続く。
「断られたんだったよな? それってつまり、お前との二人きりの時間よりも、家の土産物屋の手伝いを優先させたってことだよな?」
「わ、悪い……! 俺が悪かった、悪かったから……もうそれ以上は……!」
無遠慮な大和の推察に、少年の今まであえて無視してきた思考が呼び覚まされる。
「……分かってるんだよ。アイツが俺のことを絶対にそういう風には見ないってことぐらい……」
少年がそうして思考を言葉にしていく度に、ますます少年の意識は自らの思考で塗りつぶされる。
「「……………………」」
いつしか沈黙だけがその場に残った。
沈黙に気が張り詰めるのはいつも少年の方だったが、今回ばかりは大和の方が気まずく思えた。
だからせめて、
「そういえば……」
自分が撒いた種だと思い直し、ならば最低限気分を持ち直させてやろうと考え、大和はそれとなく切り出した。
「お前らっていつ出会ったんだ? 今まで聞いたことも無かったが……」
その言葉に少年の体がピクリと震えた。
夏至の日の夕方はまだまだ当分続きそうだった。
3
私の家は土産物屋だが、いつもはほとんど人が来ない。
この町は観光業が盛んであるわけではないし、人口もそこまで多くなく、更に交通の便があるわけでも無い為、大都市やもっと観光の盛んな地方都市への中間アクセス都市にすら成り得ないからだ。
だから、いつもは暇を持て余し、こんな休日には店の全てを母親に任せてどこか落ち着ける場所でのんびりとハードカバーでも開きながら一日を過ごす。
出来れば今日もそうであってほしかった。
「ねぇちょっとー! そこにあるなんかデッカイ箱取ってー!」
母親が店の表から大きな声を張り上げていた。
あまりにも抽象的過ぎて一体何を指しているんだろうか……。
私は店の裏にある在庫の棚から、そのデッカイ箱と思われる一段とデッカイそれを手にとって、母親に向って確認を取る。
「デッカイ箱ってこれー?」
「そうそう、それー!」
すぐさま返事が返ってくる。
私は急いでそれを母親の元へ届け、再び裏の整理に明け暮れる。
――はぁ……だから祭りは嫌いなんだよ。
心の中でそんな溜息を吐く。
こんなことは早く終わらせて、さっさと抜け出しどこかへ行こう。
そう密かに考えて、そこでふとあの人のことを思い出した。
『俺と……祭り行けないん……ですか……?』
一週間前の悲しげなセリフが脳裏を過ぎる。
確かに、こんな面倒な店の手伝いさえ無ければ、祭りに行ってやらんでもなかったと思う。
でも、それでも何となく嫌だった。
きっと、あの人のことだから祭りの気分に乗じてあれやこれやと言い寄ってくるのだ。
別にそれが嫌というわけではなかったが、むしろ嬉しいとも思う時も時々あったけれど、やっぱり私には分からなかった。
恋愛感情というものがよく分からないのだ。
それが一体何なのか、どういう気分で、どういう感情で、仮に私があの人のことをどう思ったらそれは好きなのか。
あの人は今まで私に向ってはっきりと言ってはこなかったが、多分私のことが好きだ。
じゃなかったらあそこまで一緒に私といたがる理由にならない。
自分の感情はよく分からずとも、他人の反応からその感情を推測することは簡単だった。
見たところ他の女友達とかもいないらしいし、なんだかんだで友人よりも私を優先したりもする。
けど、それ以前に私達はそこまでかみ合っているようにも思えなかった。
私は別に気にならないのだが、肝心のあの人がいつも私といる時に気まずそうな顔をする。
私の考えること、話すこと、全てとは言わないが色々なところでかみ合ってはいなかった。
つまりはそこの距離感が問題なのだ。
私は好きというのがいまいちよく分からないし、あの人も私との関係で少し緊張しているところがあるし。
だから私はこう思った。
「……このままでも良いでしょ、このままで……」
静かにそう口にしてみた。
なんだかんだとありつつも、私もあの人の傍は気に入っているのだから。
私は何かにつけて変わるのが嫌いだった。
それはこれに関しても同じ事で、多分我がままなのだろうけど、続けられる限り私は変わらずにいたかった。
「ねぇー、ちょっとこっち手伝ってー!」
と、その時表の方から母親から声がかかり、私は直前までの思考を奥に追いやって店の手伝いへと戻ることにした。
もう少しで仕事からも解放されそうな時間だった。
4
まだまだかなり明るかったが、時刻的にはすでに六時を回ろうとしている丘の上の神社の風は、若干の肌寒さを伴って二人の男の肌を撫でた。
「やっぱ気になる……!?」
先ほどまでとは打って変わった少年のテンションの差に、大和は引き気味に訂正する。
「いや……やっぱ気にならない」
「まぁそう言うなって! とりあえず話だけでも聞いてけよ!」
「いや、本当にいいから……何となくだから、ね?」
気分を持ち直させてやろうという大和のお節介は、全くの予想外の方向に帆が向いた。
少年は腰を下ろしていた賽銭箱から跳び下りて、ふと昔を振り返るように、事実振り返りながらポツリと言葉を紡ぎ始めた。
「俺があの子に出会ったのは……そうだな、俺が高校に入りたてで、まだ仮入部を繰り返してた五月の頃かな。何が良いか中々決まらなくて、結局最後に回してきた文芸部に入ったんだ」
「ほう、それで?」
あまり興味は無かったが、ここで話の腰を折るのも面倒だと判断した大和は、さも先が気になるような口調で少年を促す。
「最初は別にどうでもよかったんだ。あの頃はまだ部員がちゃんと定員を満たしてたし、他にも気の合う仲間はいたんだよ。最初の半年は大体そんな感じかな。そりゃ、あの子とも話す機会は色々あったけど、大和も話したことあるように、あんまり自分から喋らないタイプだろ?」
「ああそうだな、俺には合わない最悪のタイプだ」
大和はやはり面倒臭そうに適当に返す。
少年は、あはは、と乾いた笑いだけを残して続きを話し始めた。
「でも、十月の文化祭を終えた辺りかな。当時の三年生が引退した所為で部員はいっきに定員割れ。文芸部は、本当はあの先輩方のカリスマで繋ぎとめられてたってことが良く分かったよ。その後は、いつの間にか人がいなくなっていて。年明けぐらいだな、俺と仲がよかったアイツも、突然進学目指すからって言って退部した」
少年の声は記憶を遡るごとにどんどんと哀愁漂うものになっていく。
それを傍目でぼんやりと見ながら、大和は結論を口にする。
「それで、晴れて文芸部はめでたくお前とその文芸少女の二人だけになったってわけか……」
「あはは……めでたくは無いけどね。このままだと俺が卒業する頃には廃部確定だし……」
その皮肉めいた大和の言い方に、少年は自嘲気味にそう付け加えた。
「文芸が廃れていく世の中、か。世知辛いねぇ」
大和はどこか遠くを見るように頭の後ろで手を組んで、真上にある夕焼け空をただただ眺めた。
少年は興奮を落ち着かせ、また元の賽銭箱の上に腰を下ろすと、再び続きを話しだす。
「で、その二人きりの文芸部で俺は、そりゃあもう色々と面食らった」
「と、言うと?」
大和の疑問に少年は少し言いよどむ素振りを見せてから。
「……喋らないんだよ、本当に何も」
「まぁ、そうだろうねぇ」
やはり、という反応で大和は何度も頷く。
「だから、最初の頃は本当にどうしたら良いかの試行錯誤で頭が一杯で。色々話しかけてみたり、話題作ってみたり、とにかく色々とやったんだ」
「でも、結果が今のこれというわけか……」
「うぐ……」
少年は心にグサリと杭を打たれて沈み込む。
大和に悪気は一切無かった。
「で、でも最近はかなりマシになってきてるんだ。前と比べたらずっと自分を出してくれてると思うし、時々会話が弾む時もあるにはある……」
無理やりにでも気張って、少年は必至に今を肯定しようとした、がすぐにまたエンジンが切れる。
少年は完全に黙り込み、大和もまたどうするべきかで黙り込む。
けれど、これ以上ネガティブな状態で会話をされたら、更にどんよりとした気分になるのは確実であった為、大和は溜息を一吐いてから言葉を発する。
「……だがまぁ、別に今のままでも良いんじゃないか?」
「……………………」
少年は何も言わずに黙っている。
大和は気にせず先を喋り続ける。
「お前のことを何とも思っていないのに、いつまでもあんな廃部確定の部にいると思うか? 確かにあの文芸少女はお前事態に興味は無いんだろうが、それでもお前と一緒に居続けるのは何故だ? 多分きっと、お前のその好意もその子には筒抜けだ。それが分かっていてその子はお前と一緒にいるんだぜ? だとしたら何をクヨクヨする? あぁ?」
半分は取ってつけたような気に聞いたセリフ。
もう半分は確信を持って言える自信からのセリフ。
だが、それだけでも少年には十分すぎる励ましだった。
少年は初心を思い出していた。
「……あぁ、そうだな。そうだったよ……そうだったっけかな」
「気が済んだか?」
やれやれと言ったふうに大人ぶった態度で大和は聞いた。
それに少年はこう答えた。
「俺はいつの間にかあの子のことが好きだった。最初は訳が分からなくて、意味が分からなくて、でも、それでも俺は話すことを止めなかった。だんだんとあの子の話が聞けるようになっていくのが嬉しかった。だんだんとあの子のことが分かっていく気がしたのが嬉しかった。趣味の話も好き嫌いの話も日常の話も政治の話も哲学の話も、嫌な事も楽しかった事も少しずつ話せるようになっていって、それが気付くと日常になっていて、いつの間にか好きだって思うこと事態も日常の中に溶け込んでいった……」
そこまでを言い終えると、少年はまた賽銭箱から下りて立ち上がった。
すでにかなり下まで夕日が沈んできていた。
「で、結局お前の結論は何なんだ?」
大和が締めるように問う。
少年は振り向く事無く前を見て、
「いつまでだって好きでいるさ! 俺はしつこく一途だからな――!」
その少年の叫びは丘中に木霊して、心なしかまるで風が少年の心情に答えるようにいっそう強く吹き荒れた。
その時。
「あれ、こんなところにいたの?」
唐突に後ろから声が掛かった。
その声を耳に捉えて、瞬間的に少年は固まった。
「アイツ誘って祭り行くとか言ってたから、てっきりいないかと」
その声は、別段そこまで高くもなく低くもない、抑揚の無い喋りで初対面ならばあまり良い印象は与えないだろう女性の声。
少年は錆び付いたネジのような動きでゆっくりと身体を反転させる。
そして、神社の横側で少年たちからは少し離れた場所では、よく手入れの行き届いた長い黒髪にメガネをかけた少女の姿が佇んでいた。
少年は目線を完全に少女に合わせて一瞬硬直した後、すぐさま大和の方をチラリと見やった。
見た目にはほとんど出ていないが、確かに薄っすらとニヤついているのが見て取れた。
しかし、すぐさま目線を少女に戻すと、
「……あ、えっと……お前こそなんでここに? というかどこから入ってきたんだ?」
若干カタコトになりながらもとりあえず言いたいことを少年は伝え、それに対して大和が答えた。
「この神社には裏手にも、細いが一応道がある。道といってもほとんど獣道を大きくしただけのような代物だがな」
「私の家からだとわざわざ正面から入るよりここを登ったほうが近いの」
大和の説明に少女が補足を重ねる。
「へ、へぇ……そうなんだ、ははは……」
もはやそうとしか言いようが無く、少年は冷や汗を垂らしながらチラリと大和を睨む。
しかし、そこで少年は重要なことに気がついた。
「あ、そういえば忙しいって言ってたけど、大丈夫なの? あと、何でまたこんな辺鄙で寂れた神社なんかに?」
その言葉に大和が「はぁ!?」と言いかけるが、そこに少女の声が重なったことで大和も口をつぐんだ。
「えぇ、なんかもう嫌になっちゃったから、抜けてきちゃった。ここに来たのは、単純にいつも本を持ち込んではここで読んでるから、今日もそのつもり。祭囃子をBGMに読書というのもまた格別だよ」
そう言うと、少女はバッグから本を取り出してそれを少年に見せてくる。
少年はその本の表紙を見ながら内心気が気でなかった。
もしかしたらさっきの自分の宣言が聞かれていたかもしれないのだから。
だが、少年はそこで思い切って聞いてみることにした。
どうしてそんな行動に出たのかは定かでないが。
「あ、あのさ……」
当たり障り無い声のトーンでさり気なくを意識。
「さっき、俺が何か言ってたの……聞こえてた?」
言ってからの後悔がひどかったのを覚えている。
しかし少女は。
「ん、なに? 何か言ってたの?」
「え、いや何でもない! 大したことじゃないから、はは……!」
そこまでを聞いて、少年は慌てて誤魔化した。
その態度に疑問符を浮かべる少女だったが、それもすぐどうでもよくなったらしく、すぐに定位置と思われる神社の廊下に座り込んで本を開こうとし出した。
ところで、少年はひらめいた。
「あ、そうだ! あのさ……!」
急いで少女の元に駆け寄り、少年は声をかけた。
その声に少女が顔を上げる。
横の方では大和がニヤついた表情のまま顎を撫でていた。
「どうせ暇になったんならさ、これから……祭りにでも行こう!」
少年は、この後の返答の心配よりも、言い切ったこと事態の気持ちよさや、かつてない達成感に満ち溢れていた。
しかし、そんな少年とは裏腹に、実に冷静な声で、
「……何となくそう言ってくるような気はしたよ。いいよ、でもお金持ってきてないから君が全部奢りだけど?」
「そんなの全然構わないですはい!」
少年は首を縦に振りながら即答した。
そして、少女は開きかけた本を閉じてからバッグに仕舞い、立ち上がる。
大和が横から茶々を入れてきた。
「おやおやお二人さん、お祭りデートというわけですかぁ。全く羨ましく微笑ましく何よりで御座います」
少年は顔を少し赤くして俯き気味になる。
しかし少女はと言うと、
「やめてください大和さん。私、そういうの本当に興味無いんで」
真顔で、明らかに本心なのだろうことがありありと分かる言い方であっさりと切り捨てた。
少年は深く心に傷を負った。
それに大和の哀れみの視線が向けられる。
だが、最低限気を取り直して少年は、
「あ、えーと……じゃあ俺たちちょっと行ってくるから、じゃあな。小豆バー旨かったよ……」
と、大和に謎のお礼を言ってから、少女と共に神社の表参道の石段を目指していく。
それにひらひらと手を振りながら大和は二人を見送って、ぬるくなったビールに一口つける。
夕方の空はいっこうに沈む気配を見せずに彼方の地平線の少し上を浮かび続けていた。
5
沈み行く夕日を背景に、辺り一面どこまでも広がる田んぼがキラキラと輝いていた。
まだ稲が本格的に育ってきてはおらず、水ばかりが目立つこの季節に、これからの稲の成長を祈ったのが起源とされるこの町の祭りがあった。
その中で、そんな祭りに出向く為、二人の男女が静かに並んで農道を歩いていた。
歳の程は全く同じ、同じ高校に通う同じ文芸部員の二人だった。
一人は茶色の短髪に細身の少年。
もう一人は長い黒髪を静かに垂らし、メガネをかけた無口な少女。
二人は特別何かを話すことも無ければ、手を繋ぐことも一切無い。
ただ隣を並んで歩くだけで、それ以上のことは何も無い。
その時、ふと少年が少女に話しかけた。
「なぁ……」
消え入るような声だった。
「うん?」
それに少女はぶっきら棒に返事をする。
「お前にとって、俺ってなんだ?」
意味があっても意味など無い一言だった。
「なにそれ?」
当然のように少女はよく分からないといった様子で聞き返す。
その反応に少年は少しの間黙り込む。
そして、
「一緒にいてどう思う?」
脈絡の無い一言だった。
それに対して少女は一言、
「…………いるから、いるんじゃない?」
ただそうとだけぶっきら棒に返事をする。
少年はまた少しの間黙り込み、
「それで、全部無問題?」
また脈絡の無いことを問いかける。
だから少女も、
「無問題」
ただそうとだけぶっきら棒に返事をする。
温度差によって大気の密度が異なり、光の屈折によって遠方の風景などが伸びたり、反転した虚像が現れることを蜃気楼と言うならば、少年の目には一体何が映っているのだろうか。
そして少女もまた、今見えているはずの本物を一体どのように捉えているのだろうか。
どこまで行っても変わらない、変わる時にはきっと全てが消えている。
そんな茜色に染まる二人の蜃気楼な物語。
(終わり)
どもども亜麻猫です。
今回ワールド・リバーサル(以後WR)の息抜きとしてこの短編を書かせていただいたわけなのですが、私としては本来不慣れな恋愛ものとなっております。
だからこんな感じの出来栄えになってしまいました(笑)
個人的には大好きなんですけどね! こういう関係って!
報われる恋というものが上手く書けません、よく分かりません(笑)
いつか報われるほうの恋愛ものも書いてみたいなって。
コンセプトはアレですね、わたくし亜麻猫の恋愛経験の総まとめといったところでしょうか……。
まぁ色々と脚色やフィクションだらけなのですがね。
三人の登場人物たちも、私の恋愛に関係する人たちがそれぞれ三分の一ずつ入っていると言っていいです。
多種多様です。中には一部恋愛と関係ない人の特徴も入っていたり(笑)
ともかくこれで私は満足です。これからも頑張ってWRを書いていきますのでそっちの方もよろしくお願いします。
そして最後に、この物語をここまで読んでくださったあなたに、最大級の感謝と恋が成就いたしますように。
ありがとうございました。