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(習作)剣に誓いと魂を込め・後日談(下)

◇4

「もう一つの依頼が、ヤスタリムからほど近い場所にあるクルカラン山の調査だ。……アキラ殿がこの世界に迷い込んだ原因は、霊力の高い場所同士が繋がってしまったせいと話したな? 古い伝承に詳しい聖剣士が言うには、クルカラン山もどうやら曰くのある場所らしい」

「問題はその土地の影響か、強力な魔物がいるそうでね。これまで何人もの旅商人が行方不明になり、討伐に向かった聖剣士も音信不通らしいんだよ」

 トラインの説明を補足するイルバー。そこへヒルマーが口を開く。

「クルカラン山といえば、たしかに神話の時代より伝わる聖地のひとつ。ですが、アキラ殿の故郷とそれがどのような関連があるのですかな」

「魔物に襲われ逃げ帰った旅商人が言うには、クルカラン山の奥に不思議な湖があって、その水面には、ときどきこの世ならざる風景が映るんだとか。そこへ入った者は二度と帰ってこないという話もあったから、もしかしたらアキラ殿の世界に繋がっているかもしれないと思ってね」

「旅商人の噂なんて……信じられません……」

 掠れ声で呟くユウメ。

 もしかしたら、いつか玲と別れなければいけないと思ってはいたが、まさかこれほど早く現実的になるとは予想だにしていなかったため、気持ちの整理が追いつかない。 

「もちろん嘘という可能性もあるし、その景色がアキラ殿の故郷とも限らない。だが、それがもし真実だとしたら? ……ただ、これは急ぐ話ではないので、二人でよく話し合って決めて欲しい」

 トラインが静かに告げると部屋は重い沈黙に包まれ、暖炉の薪が爆ぜる音がときおり響くだけとなる。

「話はこれで終わりですな? 明日出発とは急な話ですが、そういうことなら皆さんも早めに休まれるがよろしかろう」


 少し話したいことがある――剣の中の玲にそう言われたユウメは、塔の最上階へ赴いた。

 見張り台を兼ねたバルコニーに立つと、星明かりに照らされた大森林がどこまでも広がっているのが見える。

 言葉を探しあぐねている玲を感じて、ユウメはとりとめのない話を始めた。

「あちらはエオスタ男爵の城がある方角です。馬を小半時も走らせれば到着する距離なのに、目を凝らしても見えませんね」

 華奢な指で示された方角を見るが、玲の目にも人の営みが感じられるものは見つけられない。

「この部屋は小さい頃からわたしのお気に入りの場所でなんです。森しか見えないですし、ときには魔物の姿を発見することもありますけど、森の彼方に夢の国を空想して楽しんでいました」

 思念で会話することを恐れるように、声に出して言葉を紡ぐユウメ。

 昔話をしばらく続けていた彼女へ、やがて玲が決心して尋ねる。

(ユウメ、剣の魂を失った聖剣士はどうなるんだ?)

「……どちらかが死亡した場合は契約が無効となり、新しい相手を探すこととなります。ただ、聖剣士も剣の魂も滅多に見つかるものではないので、ひたすら次の契約相手が現れるのを待つことになるでしょうね」

 ささやかな抵抗として、心で言葉を返すのではなく口に出して答えるユウメ。

 見習い時代の自分がそうだったように、とユウメは思う。仮に剣の魂が見つかっても、相手が若くて健康だとは限らない。そういった意味でもユウメは幸運だったのだ。

「ニホンに帰ることを考えているんですね」

(ああ。家族や友人が心配しているだろうしな。……せっかく剣の魂を得たユウメには悪いと思ってる)

「いいんです。初代団長の剣の魂だって故郷に帰ったと言うじゃないですか。わたしもアキラさんを見送る覚悟はしていましたから」

 そう言って寂しげに笑うユウメに、玲はかける言葉が見あたらない。

「明日からはまた長旅になりますね。そろそろ休みましょうか」

(そうだな……。俺はもう少しここにいたいから、剣ごと置いていってくれ。出発までには返すから)

「分かりました。もう冬が近いんですから、風邪を引かないようにしてくださいね」

(分かってる。――おやすみ)

「おやすみなさい、アキラさん」

 そう言って鞘ごと壁に立てかけると、ユウメは足早に去っていく。

 その音が聞こえなくなるのを確認し、剣から出て実体化した玲はバルコニーに歩み寄り眼下を見下ろす。

「俺は、どうすれば――」

 星明かりが照らす森と、夜露ではない何かが濡らした手すりを彼はいつまでも見つめていた。

 

◇5

 フィーン帝国は中央の帝都を囲むように、東西南北へ行政区が広がっている。

 皇帝は帝都および各地区に存在する膨大な直轄地のほか、蜘蛛の巣状に広がる街道の全てを支配し、ほぼ絶対的な権限を握っている。

 その網目のなかで大小さまざまな貴族たちが領地を持ち、さらに貴族たちは騎士や政務官を雇って荘園を経営していた。

 東端に位置するルダミラン荘より、近衛騎士たちが巡回する街道を馬で行くこと約二十日。到着したヤスタリムの街は玲を驚かせるに充分な偉容を誇っていた。

 山脈の斜面に巡らされた石壁は巨人の階段のように連なり、遙か遠くからでも玲が住んでいた東北の田舎町など歯牙にもかけぬ規模であることが窺える。街道を行き交う旅人たちの数も数えきれず、帝都はこれよりも巨大というイルバーの言葉に玲は声も出ない。この世界の文明の進み具合からいって、東地区最大といっても大したことはないだろうと考えていた玲は、自分の不明を恥じ入るばかりである。

「隊長はストロム殿の屋敷がどこか知っているのですか?」 

 ようやく目的地が見えたことで気分が軽くなったユウメがトラインに尋ねる。

「いや、私は知らないがヤスタリムの住人に聞けば分かるだろうと思っている。なにせあの街で最大の商人なのだからな。誰も知らないということはなかろう」

「なんにせよ、早くゆっくり休みたいよ」

 慣れない手綱を取りながら玲がぼやく。

 同じ剣の魂でもイルバーはずっとトラインの剣に入ったままだ。横着しようと思えば玲もそうできたのだが、自分より遙か年下のユウメに苦労を押しつけるのが心苦しいということと、剣に入ってしまえばユウメとしか会話できないことを懸念した玲は自ら騎乗することを希望した。それに、女性陣の会話を聞いていれば、少しでもこの国の言葉を覚えるだろうと思ってのことである。その成果か、いまでは苦もなく会話が成立するようになっている。

「同感だな。わざわざ我々を指名して呼び寄せるくらいだ、最低限のもてなしくらいは期待できるさ」

「だといいけど。ユウメも疲れただろ?」

「え。あ、はい……」

 玲に話しかけられて狼狽えるユウメ。

 ルダミラン荘を出立してから彼女はこの調子であり、傍で馬を歩かせるトラインも気遣わしげに眉をひそめる。彼女から見る限り二人の間に何があったかは明白だった。ユウメは自分の気持ちを押し殺しているし、玲の方は故郷に帰ると言いつつ心の底ではまだ迷っているように見える。おそらくこの世界を去った後に独り残されるユウメを案じているのだろう。辛い見習い時代から一転、いまではこの国に知らぬ者ない聖剣士となった彼女。それが光の剣を失えば、どれほど噂話の種にされるかくらい想像するのは容易い。

 願わくば二人とも幸せになる道がないかと、色恋に疎いトラインですら祈るような気持ちになるのだった。


 門の前で待機していた使用人に案内され辿り着いたストロムの屋敷は、聖剣士の城を見慣れたユウメたちにとっても唖然とするものだった。

 広さこそ劣るものの、前庭から屋敷の入り口まで精緻な彫刻が等間隔で置かれ、枯れ葉舞う季節だというのに通路には泥一つ落ちていない。屋敷の門を叩き来訪を告げるとすぐさま目も眩むような金銀の細工の待合室へと通される。ひたすらに贅を尽くした屋敷に、貧乏が身に染みついたユウメは圧倒されてしまい、どこまでも身が沈むソファに座ることすら畏れ多く感じる。

「ようこそ、遠路はるばるお越しくださいましたな」

 朗々たる声が待合室に響き、全員が振り向くとワシ鼻に目つきの鋭い男が立っていた。およそ商人などより、手練れの戦士と言われたほうがよほど説得力がありそうな体格をしており、全身からにじみ出る精力はただ者でないと思わせるに充分な迫力がある。

「私がストロム、東地区でそれなりに商いをしております。おそらくアキラ様以外はご存じのことと自負しております」

 そう言って口の端をかすかに持ち上げ薄く笑うストロム。

「そしてこちらが娘のリュカ、親の欲目と笑われましょうが、なかなかの美人だと思いますぞ。剣を扱わせてもそこらの近衛騎士とひけをとらない腕前でしてな。そのせいもありここまで婚き遅れましたが、おかげで聖剣士になれるのですから、運命とは分からないものですな」

 口を挟ませることなく言葉を紡ぐ彼の背後に、抜けるような白い肌に深い紫の瞳をした女性が現れた。淡い金髪がゆるやかにウェーブしながら肩へと流れ、濃い赤銅色のドレスへと流れる様は物語の美姫そのもので、ユウメなどは呆けたように見つめている。玲と同年代に見えるが、この世界の住人が大人びた外見が多いことを考えると、おそらくはユウメよりやや年上くらいかと玲は推測する。

「聖剣士と剣の魂の皆様、お初にお目にかかります。ストロムの娘リュカと申します」

 微笑んで一礼する動作も優雅で荒事にはまったく向きそうにもないが、腰から下げた剣は使い込まれており、ストロムの言葉が嘘ではなさそうだと分かる。

「さて、皆さまお疲れのことでしょう。せめてもの心づくしに山海の珍味をご用意しております故、一休みされた後にぜひご賞味いただければと」

「では、我々は先にやるべきことを済ませてしまおう」

「そうですな。間違いないことだと思いますが、ぜひ心ゆくまでお調べください」

 三人の女性が別室へと移動するのに合わせて、玲とイルバーも個室へと案内される。通路にも貴賓室に劣らず絵画や彫刻が置かれているのを見て、イルバーは感嘆のため息をつき始める。

「いやはやすごいね、この屋敷は宝物庫そのものだよ」

 またイルバーの美術蒐集癖が出たのかと玲は聞き流していたが、それに続く呟きは気にかかった。

「これだけ財産に執着する人物なのに、一人娘は大事じゃないのかな……」


 しばらく後に案内された広間には様々な料理が並べられ、皿から立ち上る香りが、長らく保存食ばかりだった玲の食欲を刺激する。

「我々の商売も聖剣士の皆様のおかげで成り立っておりますからな。これはせめてもの感謝の気持ちですので、存分にお召し上がりください」

 和やかな雰囲気で始まった会食だが、やがて屋敷の主人であるストロムは、聖剣士の城での暮らしや訓練についてトラインやユウメを質問攻めにしはじめる。手持ち無沙汰となった玲とイルバーは料理や酒に向かっていたが、調査の結果、素質を間違いなく有すると判明したリュカが二人に話しかけてくる。

「イルバー様は剣の魂になられてどれくらいになるのですか」

「うーん、見習い期間を含めると、かれこれ七年くらいかな。お互い最初の契約相手のままずっと一緒だね」

「最初の契約相手?」

 イルバーの言葉を疑問に思った玲が口を挟む

「ああ、聖剣士は魔物と戦う以上、犠牲が出るのは避けられないからさ。相方を失った者は新しい契約相手を探すんだけど、幸か不幸か僕たちはずっとこのままきたんだよ」

「それは間違いなく良いことだろう?」

 仮にユウメが〈四ツ腕〉に殺されるところを想像し、玲は自分でも驚くほどに胸が悪くなった。そう考えれば、はたして相方の死を望む者がいるだろうか。

「うーん……。トラインは芸術に理解を示さないし、なんといっても愛想がないからね。とはいえ、金で買われた剣の魂や、望まない相手と無理矢理に組まされた聖剣士たちに比べれば、普通に付き合えるだけ恵まれているのかもしれないけど。でも、これがリュカのような美人が契約相手ならやる気が倍増するってものさ」

「ま、お上手ですこと。ただ今年は聖剣士見習いが多くて、剣の魂のなり手が不足しているそうですね。父も八方手を尽くしていますが、まだ私も契約していないんです」

 そういって玲に視線を向けるリュカ。

「私にもアキラ様のように異世界から素敵な方が現れてくれないかしら」

 現実離れした美女に嫣然と微笑まれ、いささか面映ゆい玲。

 彼女は二人を歓待しようと盛んに酒や料理を勧めてくるのだが、美味い料理を美女から勧められては悪い気はしない。客が何にも手をつけないというのも相手の面子を潰すかと思い杯を重ねるうち、長旅の疲労から急速に眠気が襲ってくる。

「すみません、そろそろ休みたいのですが」

「あら、これは気がつきませんで。それでは皆様をお部屋へご案内します」

 そういって差し出された手をとる玲。何か大事なことを忘れている気がするのだが、頭に霞みがかかったようで何も考えられない。

 彼女に手を引かれ、千鳥足で広い屋敷を歩いていく。

「どうやら帝国語を覚えたようですね――これでやりやすいというものです」

 そう呟いて扉を開けたリュカの声を、玲が理解するだけの気力は残されていなかった。


◇6

「本当に気は変わらないか? いくら見習いに認められたとはいえ、聖剣を持たない者が魔物のいる場所へ同行するなら命の保証はできないぞ」

「問題ありませんトライン導師。遅かれ早かれ私も魔物と戦うのですから、実戦の雰囲気を掴むのは早いほうがいいと思います。それに、霊山クルカランの手前には我が家の避暑地がありますから、ご案内できますし」

「リュカがそこまで言うなら止めないが。――ではストロム殿、世話になった。御令嬢に素晴らしい素質があることは団にも報告書を送っている。一日も早く聖剣士となるのを楽しみに過ごされよ」

「ありがとうございます。……リュカ、しっかりやれよ」

 ストロムと使用人たちに見送られヤスタリムを出発したユウメたち。

 今にも雪がちらつきそうな曇天の下、白い意気を吐きながら馬たちが荒野を走る。 

「随分とたくさんの荷物ですね。差し支えなければ、少しこちらで持ちましょうか?」

 ずっと無言で走り続けることに気疲れしたユウメが、先を行くリュカへおずおずと声をかけた。

 ユウメの言葉通り、リュカの馬――この一行の中で一際体格の良い駿馬――には二人分に近い食料や剣に弓などが載せられている。

「父が心配性なものですから断りきれなくて。でもわたしの馬にとって、これくらいの荷物は大した問題でありませんよ、ユウメ様」

 たしかにそうだとユウメが自分のお節介を恥じていると、今度は姿勢良く馬を乗りこなすトラインがリュカに尋ねる。

「クルカラン山まではどれくらいかかる?」

「そうですね、途中までは街道が使えるのでさほど苦にはなりません。馬車でゆっくり進んで四日ですので、馬では二日程度でしょうか」

「ならもう少し急いだ方がいいな。仮に魔物が成長しているなら、早めに倒さないと取り返しつかないことになるかもしれん」

 トラインの言葉を受けて、先導を務めるリュカが拍車をかけると、みるみる馬が速度をあげていく。その手綱さばきは堂に入っており、ストロムの言葉どおり深窓の御令嬢ではないことが窺えた。


「どこか奇妙だ」

 夕刻になり小川のほとりで野営の準備をしている途中、イルバーがトラインに耳打ちする。

「何が気に障るというんだ。昼間すれ違った近衛騎士たちのことか?」

 火を興しながらトライン聞き返す。

「うん……、あの騎士たちはクルカラン山の魔物なんて何も知らなかった。いくら聖地の一つが魔物に占拠されたからといって、帝国騎士にまで事情を伏せる理由とはなんだろう? むしろ積極的に知らせて協力を仰ぐべきなのに」

「騎士から情報が漏れて、大混乱になるのを恐れたのではないか?」

「それはないんじゃないか、クルカランで魔物に遭遇した商人たちがいるんだから。それに強力な魔物が現れたのに、僕たちだけで向かうなんてあり得ないよ。確実を期して、もう四、五人は追加されていないと」

「我々は斥候だからな。魔物の強さによっては二人で倒してしまっても問題ないが、とりあえず報告書に依頼しておいた増援が来るまでは、監視と情報収集が主な任務だろう。まさか怖じ気づいたのか?」

 トラインの言葉をイルバーは一笑に付す。

「これまで一緒にやってきた仲なんだ、僕の言いたいことくらい分かるだろうに。なんとなく違和感を感じるんだよ、この任務に」

 浮かない顔でイルバーが不満を漏らしていたころ、ユウメとリュカは少し離れた場所で馬の手入れをしていた。

「しかし、いまだに信じられません。いま噂で持ちきりのユウメ様と一緒に旅ができるなんて」

 頬を紅潮させ尊敬の眼差しを向けるリュカにユウメは戸惑う。

「単にわたしは運が良かっただけなので……。リュカさんのほうこそ、わたしなどより立派な聖剣士になれますよ」

 ユウメの言葉にリュカは首を振る。

「今年は聖剣士見習いが百人近いと聞いていますから、私より優れた人はたくさんいるはずです。……それよりユウメ様、不躾な願いですが、ほんの少しだけでいいので、伝説の光の剣とはどんなものか見せてもらえませんか」

 後輩となる者にここまで言われてはユウメも悪い気はしない。剣のなかの玲に一声かけると、柄だけの剣を正眼に構える。

「あぁ……」

 本来は剣の刃があるべき場所へ光が直立する。

 真昼の太陽のような眩さが辺りを照らし出すが、剣を直視するリュカの眼が灼けることはなく、むしろその輝きに惹きつけられてやまない。

「なんて素晴らしい……」

 ユウメが剣をしまい込んでからもしばらく惚けていたリュカが、感に堪えぬという風情で呟く。

「トライン隊長たちも準備が終わる頃ですから、そろそろ戻りましょう」

「分かりました。素晴らしいものを見せて頂き本当にありがとうごさいます、ユウメ様」

 

 昨日の贅を尽くした晩餐とうって変わり、干し肉に煮戻した乾燥豆という質素な夕食を済ませるとトラインが立ち上がった。

 街道付近の安全は巡回する騎士たちによって守られているとはいえ、目的地であるクルカラン山からそう離れた場所でないこともあり、魔物に備えて夜は交代で見張りを立てたほうが良いという提案である。

「最初がリュカ、次にユウメとアキラ殿、最後に私とイルバーだな。明日には魔物の待つ場所だ。何が起こるか分からない以上、警戒しすぎて悪いことはない」

 夜になると冷気は一段と強まり、大地には霜が降りている。先刻設営したテント内では、旅慣れたトラインとイルバーがスペースを確保すると、たちまち寝息が聞こえてくる。

 一方、玲はというとイルバーとユウメに挟まれながら横になったものの、眠れずに考え事をしていた。

 明日辿り着くクルカラン山はフィーン帝国にある聖地の一つ。

 トラインの話では、玲が迷い込んだ聖剣士の城と同様に、力ある土地は地球と繋がっている可能性があるという。仮に地球へ帰れると分かったとき、自分がどうすればいいのかと彼は葛藤する。この世界へ迷い込んだ頃は、一刻も早く日本へ帰りたいと願っていた。

何しろこれまでの人生の全てが、あちらの世界にあるのだから。だが、今では――。

 静かに隣へ目を向けると、すぐ間近で玲を見つめる視線に出くわす。

 目が合い驚く玲にユウメが剣の柄を二回叩く。二人で取り決めた符丁のひとつ、剣の中へ入ってほしいという意思表示だ。

(どうした? 突然)

(外で話し声が聞こえませんでしたか?)

(いや、考えごとをしていたから気づかなかったな。リュカの独り言じゃないのか?)

(男性の声のように聞こえたのですが……。気のせいでしょうか)

(気になるなら確認したほうがいいな。なんだか俺も眠れそうにないし)

(……わたしの勘違いならいいんですが)

 入り口の布を捲り上げ外に出ると、焚き火の横でリュカが水を飲んでいるところだった。

「どうしました? まだ交代には早いと思いますが」

「眠れないもので……そういえば、さきほど人の声が聞こえたようですけど、リュカさんは心当たりがありますか」

「いえ、私には風の音しか聞こえませんでしたけど……」

 不安そうに辺りを見回すリュカ。野営地は見晴らしが良いところだったが、少し離れたところには灌木が生い茂り、悪意ある何かが隠れていないとは言い切れない。

「気が高ぶっているせいで幻聴を聞いたのかもしれませんね。何もないようなのでまた寝ますけど、何かあったら気兼ねなく起こしてくださいね」

「はい。分かりました」


◇7

 寂しい山、というのが目的地の麓から山頂を望んでの、ユウメや玲の第一印象だった。遠望するかぎり緑はどこにもなく、黒っぽい巨石たちがひたすら山肌を覆っている。

「あそこは本当に聖地なのか?」

 あまりに殺風景な景色に玲が疑問の声を挙げる。

「あの山は少し特殊な歴史のある場所でね……。遙か昔、魔物が大量発生し帝国全土を巻き込んだ戦役があったけど、その際、最後の決戦地となったとされる場所なんだよ。神聖術と魔物たちの技がぶつかり合って空間が歪み、そのせいで草一本生えない場所になったのだとか」

 イルバーが玲の疑問に答える。

「中腹には水晶で覆われた洞窟があると聞いています。その最奥には深い湖があり、落ちたら二度と浮かび上がらないのだとか。また、その湖はこの世ならざる光景を映し出すとも聞いています」

 かつてトラインがルダミラン荘で語った情報をリュカも披露する。

 ただの噂であってほしい、異世界と繋がってなどいてほしくないと、ユウメは唇を噛む。

「まずはその洞窟を起点にして魔物のいそうな場所を探るか。馬は使えるのか?」

「いえ、古道が一本ありますが、馬で乗り入れるのは難しいと聞いています」

「ならばここからは歩きだな。先にリュカへ命令しておくが、もし私たちに何かあったら一人でも逃げ出して聖剣士団に急を報せてくれよ」

 その言葉に神妙な顔で頷くリュカ。ここからは人の命な簡単に吹き飛ぶ世界なのだ。


 馬から最低限の荷物を降ろすと、寒風吹きすさぶ山へ一行は歩を進める。

 古に整備された道があるとの言葉どおり、クルカラン山には人ひとりがようやく歩ける幅の石階段が設置されていた。だが、永い年月のためか、階段は風化によってひび割れ用をなさないところも多い。それでも階段の両脇に地割れが点在し、一歩間違えば地の底まで落ちていくことを考えれば、ありがたい話だった。

 石段を三分の一ほど登ったところで、初冬にも係わらずうっすらと額に汗をかいたユウメが顔を上げて立ち止まる。

(どうした?)

(いま何か気配がしたような……)

(魔物か? それならトラインたちに伝えた方がいいな)

(いえ、魔物とも違う雰囲気だったのですが……。もう分からなくなりました。この山の空気が普段と違いすぎるせいかもしれません)

 しばらく様子を窺ったが、襲撃してくる気配がないことを確認し歩き出す三人。

 やがて日が中天にさしかかる頃、ついに洞窟の入り口へと辿り着く。

「おかしいな。ここまで魔物らしい気配はどこにも感じられない」

 トラインが訝しげにリュカへ尋ねる。

「この中に潜んでいるということはないでしょうか?」

「いないと断言はできないが……。とりあえず入ってみるか」

 水晶で覆われているというのは比喩ではなく、その洞窟は壁から天井までが大小様々な結晶体に覆われていた。巡礼者たちが整備したのだろう、床には細かく砕けた水晶のかけらが敷き詰められ、足を踏み出すたびに小気味よい音を奏でる。

「きれい……」

 光の剣が照らし出す幻想的な光景にユウメはため息を漏らした。

 故郷であるルダミラン荘付近とヤスタリムの街、そして聖剣士の城以外を知らないユウメにとって、この洞窟に広がる光景は奇跡そのもののように感じる。たとえ過去にここで何が行われたかを知らなくても、特別な場所と感じるには充分すぎるほど胸を打つ眺めだった。

「かなり広いな。魔物の痕跡がないか奥まで確認しよう」

「分かりました」

 トラインとリュカがカンテラを灯すと、水晶はさらに淡い輝きを反射しだす。周囲には身の丈を超える水晶柱もあるため、その陰に魔物が潜んでいないとも限らない。目を奪われている場合ではないと自分に言い聞かせながら、ユウメたちは歩き出した。

 ところどころ曲がりくねってはいるものの、洞窟はほぼ一本道となっており、さほど迷うことなく地底湖まで辿り着く。

 そこは水晶だけでも充分に幻想的だった洞窟において、眼下に青く透き通った湖が広がる様はもはや神々しいの一言に尽きた。

「これが異世界まで繋がるという湖か。たしかに、吸い込まれそうな色合いだな」

 遙か下に広がる光景を見て、白い息を吐きながらトラインが呟く。

 湖に向かって洞窟の終わりが崖として突き出すような形となっており、いまは三方が青く輝く水面に囲まれている。天井には水晶の柱、足場の遙か下には静かに輝く湖と、およそ醜悪とは対極と言える光景なのに、どうしてここが魔物との決戦の地に選ばれたのかとユウメは哀しく思う。

 そのとき、湖底から明るい光が浮かび上がると、波紋ひとつない水面に風景らしきものが浮かび上がった。

 驚くユウメたちが見守るなか、ぼやけていた輪郭は次第に鮮明に写るようになり、ついには一つの景色を完全に再現する。剣のなかからそれを眺めていた玲は、それが何か分かると居ても立ってもいられず、実体化して絶壁の縁へと身を乗り出す。

「日本だ……」

 呆けたように呟く玲の言葉に驚いて水面を見直すユウメ。

 そこにはフィーン帝国では見たことのない建築様式の家が建ち並び、馬のいない金属製の馬車とでも表現すべきものが高速で走り回っている。

「あれが、アキラさんが住んでいたニホン……」

 水面に映るは帝国のいずことも似つかない町並み。道行く人々は素材すら推測できない不思議な服を着ており、フィーン帝国とはまるで異なる文化であることが窺える。

 食い入るように湖面を見つめる玲は、懐かしさのあまり目に涙すら浮かべており、その姿を見るほどにユウメの胸は押し潰されそうになる。ここで聖剣士になることは自分にとって夢だったが、それは逆に彼を苦しめているのではないかという思いが振り払えないのだ。

 自分にとって大切なのは、聖剣士としての地位か、それとも玲の幸せなのか。突きつけられた二者択一にユウメが苦しんでいるとき、トラインが後方、つまり入り口にあたる方向から響く足音を聞きつける。

「……おかしい、後方から何か集団が近づいてくる。ユウメ、リュカ、気をつけ――ぐっ!?」

 そこで言葉は途切れ、苦痛の呻きとともにトラインが膝をついた。

 その右肩からは細剣が貫通しており、みるみる足下の白砂を紅く染めていく。

「リュカ? 何をやって……、その剣は……聖剣!?」

 背後からトラインを刺したのはリュカ。その手には暗い洞窟内で仄かに輝きを放つ剣、すなわち聖剣が握られていた。


◇8

 剣を引き抜くと同時にトラインの間合いから飛び退ったリュカは、入り口の方向へ歩を進めユウメたちの退路を断つ。彼女がトラインを刺したこと、そして聖剣を持っていることに驚くユウメ。

「な、なぜこんなことを? それに聖剣はまだ持っていないと言っていたはず」

「おめでたいわね、わたくしの剣の魂が見つからないなどと本気で思っていたの? 父ほどの財力があれば、剣の魂を何人も用意することくらい造作もないこと。聖剣士とはいえ、所詮は剣を振るうしか能のない人たちですね。少し頭が働けば、自分たちが嵌められたことくらい気づくでしょうに」

「……なにが狙いだ」

 傷口を押さえながら呻くトライン。事態についていけず呆然としていた玲とユウメは慌ててトラインに駆け寄ろうとするが、それより早く実体化したイルバーが在り合わせの布で傷口を縛り上げる。

「あなたたち二人が指名された理由はすぐに分かるわ。わたしが命令されたのはそこの異世界人を生きたまま確保すること。負傷し退路を断たれた今、あなたたちは、もう袋の鼠も同然ね」

「……アキラ殿の能力が目的か。だが、命令されたとは?」 

「伝説と謳われた初代団長の剣と同じ能力、それを積極的に活かし英雄になろうという気概もない者にその剣は相応しくないわ。それは美しさと剣の腕、そして家柄を兼ね備えたあの方にこそ相応しい」

 そう言い放つリュカの背後から、武装した屈強な男たちか十数人ほど近づいてくる。

 その先頭に立つのは一人の女性。

「……もしかしてスオリ? スオリなの?」

 そこに居たのは、見習い期間中に陰湿な嫌がらせをしていたスオリ。

 だが、かつての美貌は形を潜め、彼女の眼は狂気に染まっている。あまりの変容ぶりは、見慣れていたはずのユウメですら一瞬見分けがつかなかったほど。スオリの爛々と輝く瞳は、ただひたすらユウメの隣に立つ玲へと注がれている。

「なぜ貴女がここに? 乙女聖剣士団から追放され領地に帰ったはずなのに」

「――ここクルカラン山やヤスタリムを支配する公爵は私の伯父よ。私の母や伯父に出入りする御用商のストロムに命令すれば、ここに誘導するくらいわけないこと」

「我々を呼び寄せた理由はなんだ? アキラ殿を狙ってだけのことではあるまい」

「復讐よ!」

 トラインの問いにスオリは突然怒声をあげる。

「私から聖剣士の能力を奪い、笑い者にしたお前たちに屈辱を晴らすことだけを考え生きてきた。楽に死ねるとは思わないことよ」

「つまりは逆恨みか。たとえここで我々を殺しても、後からやってくる聖剣士たちが真相を暴く。お前たちも逃げおおせられると思うなよ」

 抜き放った剣を杖代わりにしてスオリを睨み付けるトライン。

「それに勝る手柄を立てれば、誰も何も言えなくなるわ。例えば、二人の聖剣士が返り討ちに遭ったクルカラン山の魔物を私が光の剣で倒したとかね。もとより証拠なんて残すつもりもないのだし」

「ふん、全てはお前の書いた筋書きだったわけか。だが、聖剣士の能力を封印されたお前は、二度と剣の魂と契約できないだろうに」

「あの程度の封印を解くことなんて、新たに私が得た力でどうとでもなったわ。……あのとき私を見捨てたリリナとアルダもすぐに後を追わせてあげる。けれど、まず真っ先に殺すと決めていたのは貴女達二人よ。でも、その前に……」

 言葉を区切り、玲を見据えるスオリ。

「私のものになりなさいアキラ。少し考えれば、お互いが得する話だと分かるでしょう? 私には栄誉、貴方は途方もない贅沢と伯爵家の後ろ盾ができるのよ」


◇9

 これまでの会話からスオリが自分に執心していることは理解したが、その提案に対する答えは考えるまでもなかった。

「断る! 試験の時お前が簡単に仲間を見捨てたことを考えれば、信用なんてできるものか!」

 あのときスオリは、これまで一緒に戦ってきた剣の魂すら盾にして逃げたのだ。あの光景を見てもなお、彼女の言葉を信用するほど玲はお人好しではない。

 だが、スオリは玲の拒絶を無視して誘惑の言葉を重ねる。

「貴方ほど希有な剣の魂は私にこそ相応しい。そこの小娘とどれほどの仲になったかは知らないけれど、私と契約すればユウメなど比較にならない美女をいくらでも侍らせられるわ。……もし貴方が私と契約するというのなら、そこの二人を助けてあげてもいいのよ」

 その言葉に衝撃を受けるユウメ。

 聖剣士という職務に就いた以上、荒野で野垂れ死ぬことは覚悟してきたつもりだった。

 だが玲がスオリを選び、自分から離れていくことを想像すると、あれほど満ちていた務めへの情熱が急速に醒めていくのを感じてしまう。

 光の剣という絶対的な存在でなくとも良い、どれほど弱い能力だとしても、玲となら恐れることなく死地に飛び込めるのに。――そう思い至り、これまで意識しまいと努めていた想いに気付く。

 自分は玲と一緒でなければ戦えない、そして玲が他人の剣の魂となることも絶対に認められない。聖剣士に憧れていた自分は、いつしかそれが玲と二人でいるための方便にすり替わっていたのだった。

 一方で玲のほうもスオリの提案に嫌悪感を抱いていた。彼女が信用ならないだけでは理由にならない怒りが心を満たす。自分に価値があるかどうかは知ったことではない。だが、気だてがよく努力家の彼女が嘲笑されることに玲は我慢できなかった。

「お前のように心が腐ったやつと俺の契約者を比べるな! 俺はユウメ以外と契約する気はない!」

「……所詮は田舎娘とお似合いの男か。まあいいわ、簡単に契約しないのであれば、また別の楽しみがあるというもの。先に言っておくけど、命さえあれば剣の魂としては充分使えるのだから覚悟することね」

 そう言って嗜虐的な微笑みを浮かべたスオリがリュカとともに後方へ下がる。

「異世界人以外は殺しなさい。それもたっぷり苦しませてからね」

 その言葉に青ざめながら、剣の柄を握りしめるユウメ。

 トラインが手負いである以上、彼女一人しか戦える者はいない。

 玲と同調し、触れるもの全てを断ち切る聖剣を振りかざすと、今にも襲いかかろうとする傭兵たちを静かに見据える。

(さっきの言葉、嬉しかったです。……多勢に無勢ですけど、やれるだけやりましょう)

(そうだな。俺たちの力を見せてやるとしようか)


 近づいては不利と考えた傭兵たち数人が弓を構える。

 狭い洞窟の中、唸りをあげて飛来する複数の矢。

 だが、ユウメは剣の一振りで飛びかかる矢を切り払い、光の剣の威力はその全て霧散させる。その剣技に動揺する男たち。

「う、嘘だろう!?」

「怯むなっ、撃てっ! もっと数を増やせばいつかは当たる!」

 慌てて第二射の用意をするが、それより早くユウメが傭兵たちへと迫る。

 スオリに雇われた者たちは、腕も度胸もそれなり自信のある傭兵たちだった。だが、圧倒的な人数差に油断したところへ、狭い洞窟内だったことが災いし、間合いを詰めたユウメの剣が振るわれる度に、防ぐこともままならず切り伏せられていく。

 なにしろ相手は一合たりと打ち合うことすら不可能な武器なのだ。

 攻撃を受け止めようと反射的にかざした剣や盾ごと体を切られ、痛みに悶え苦しむ同僚の姿を見て傭兵たちは浮き足立つ。

「こ、こんな奴に勝てるわけねえよ! 命が惜しいから俺は抜ける!」

「俺もだ! やっぱり聖剣士に刃向かえば罰があたるんだ」

「おい、置いていかないでくれ!」

 歴戦の傭兵を次々と無力化していく少女を見て、後衛の男たちは我先にと逃げていく。中には踏みとどまり果敢に戦おうとする者もいたが、狭い洞窟内、そして乱れた隊列では思うように動くこともままならず、ユウメにたちまち蹴散らされる。

 トラインたちを背に、死を覚悟で戦うユウメが感じているのは、玲となら世界を敵にしても恐くないという高揚感だった。

 いまも玲が向かうべき敵をユウメに教え、ユウメは玲の期待以上の軌跡を描き剣を振るう。仮に乙女聖剣士団の団長がここにいたら感嘆のため息を漏らしただろう。『我ら二つに身は分かつども、剣と魂は一つ』という聖剣士の誓いを具現化した姿がそこにあった。

「逃げるな! お前達には前金で金貨を払っているんだぞ!」

 不甲斐ない男達に怒りを向けるリュカだが、戦いを放棄する者は後を絶たない。

「やはり下民は裏切る生き物なのね。最初からこうすれば良かったわ」

 そう言ったスオリは腰から下げた剣を引き抜く。

「呪いあれ。災いあれ。地に満ちる怨嗟の声よ、命を喰らいて糧となせ!」

 スオリの言葉とともに、剣から赤黒い瘴気が噴き出し、周囲へと広がっていく。

(嫌な感じだ。あの毒々しいやつには近づかないほうがいい)

「聖剣技? でも、どこか違う……」

「魔物の技だ。スオリめ、魔物に魂を売り渡したのか……」

 出血により顔を真っ青にしたトラインが、喘ぐように言葉を絞り出す。

 逃げだそうとした男たちが血の色をした瘴気に触れた途端、洞窟に更なる絶叫が加わる。

「と、溶ける! 金は返すから助けてくれ! あ、ああああぁぁ!」

 大量の血を吐き苦しみ悶え、ついには人としての形を失っていく傭兵たち。

 その中にはリュカも含まれており、皮膚を爛らせ白煙を上げながら溶けていく。

「ど、どうして私まで……いやああああぁぁーっ!」 

(味方を皆殺しに……もう正気を失っているのか)

「言ったはずよ、素晴らしい力をは得たと! この魔剣こそ私の新たな伴侶。これに光の聖剣が揃えば、私は聖魔を超克する最初で最後の英雄として永遠に称えられるのよ!」 

「……その剣はお前に力を授けるものじゃなく、お前の魂をも喰らう存在だぞ。今ならまだ間に合うかもしれない。早く剣を捨てるんだ!」

 心を痛めるトラインの呼びかけに、赤黒い霧のなかでスオリが激昂する。

「うるさい! あのときお前だって私を見捨てたくせに! 私から何もかも奪ったお前達からは、それ以上に大切なもの奪ってやる! 全てを失い、苦しみながら死ねばいい!」

 もはや理性のかけらも残っていない凶相で呪いの言葉を吐き続けるスオリ。

「みんな死ねばいいのに! 全ての聖剣士も父様も母様も、私を嘲笑う全ての人間が、この世界からイナクナレバイイノニ」

 血を吐くような叫び。

 その言葉の終わりにスオリの声が変調し、朧気に見えるスオリの体が変化していく。

 呆気にとられるユウメとトライン。

 美しかった顔は醜く歪み、ほっそりとした体はみるみる巨大化していく。

「す、スオリ――?」

(下がれユウメ!)

 事態についていけないユウメだったが、玲の声に反射的に飛びすさる。

 やがて瘴気の残滓が消えた後に居たのは、かつて人だった頃のスオリの倍近い大きさの魔物。

 〈四ッ腕〉よりは小柄なものの、ねじくれた角を生やし黒い大剣を携える姿からは、それと比較にならない存在感を感じる。

「スオリ、そこまでして聖剣士になりたかったのにどうして……」

 魔物に変化しても剣を持っている彼女に、ユウメは同情を禁じ得ない。

 先ほどの言葉が真実なら、彼女は見習いを破門されると同時に、貴族である両親からも勘当されたのだろう。

 いっそ聖剣士を目指さなければ幸せになれたかもしれないのに、それでも剣を捨てきれないでいる姿は、あのとき玲と出会わなかったもう一人のユウメ。

 なまじスオリの面影が残るだけに生理的嫌悪感を感じさせる幽鬼は、ユウメを見定めると大剣を振りかざして襲いかかる。

 殺人的な暴風をどうにか回避し、反撃とばかりに剣を振るうが易々と受け止められる。

 傭兵たちであれば剣ごと幽鬼を両断するところだが、黒い剣は予想外の抵抗を見せ、切断するまでには至らない。力比べで勝ち目がないと悟っているユウメは、攻め方を変えてフェイントを織り交ぜた連続技に切り替えた。

 だが幽鬼はその全てを見切ると、逆にユウメを攻め立てていく。いつの間にか切りつけた黒剣も再生しており、たちまち攻守が入れ替わる。

(再生する剣とは厄介だな……)

 猛り狂う幽鬼は意外なことに力任せに剣を振るうだけではなく、ユウメ同様フェイントや連続技を繰り出してくる。元々の膂力に圧倒的な差があるうえ、技も剣速もユウメと同じかそれ以上とあって、ユウメ一人では手に余る難敵だった。

 攻めあぐねる少女に向かって、幽鬼は間断なく斬りつける。一度は水晶柱を盾に身を潜めたが、幽鬼の大剣を叩きつけられた柱は鈍い音を立てて粉々に砕け飛ぶ。

(剣で受けるな! 腕を折られるぞ!)

(下がり続けてもいずれ行き止まりですよ! このままではトライン隊長たちも巻き込んでしまいます!)

(だが相手の間合いでは勝ち目がない。……洞窟が崩落する心配もあるが、聖剣技しかないかもしれないな)

 〈四ツ腕〉のときは運良く倒木に巻き込まれずに済んだが、今回はどうなるか分からない。刺突では急所を外す可能性がある以上、洞窟ごと幽鬼を両断するしか確実に仕留める方法はないかに思える。

 二人が思念を交わし合う間にも幽鬼は剣を振るい、洞窟を破壊しながらユウメに迫ってくる。

(もう後がないぞ!)

(どのみち最後の一撃ですね。相打ちでも倒してみせます!)

(バカ、みんなで生き残るんだよ)

(……はい!)

 左足を前に出し、剣を右上段に振りかぶると気を高めるユウメ。

 全ては次の一撃で決まる。

 ただひたすら剣に集中することで、時間が引き延ばされたかのように感じる二人。あれだけ激しかったスオリの動きも徐々に緩慢になっていく。

 その瞬間は二人のどちらが合図をするでもなかった。

 幽鬼が剣を横薙ぎに振り、さらに返す剣を毛髪一本の差で避けると、二人の剣はクルカラン山ごとかつてスオリだったものを袈裟懸けに切り裂く。

「やったか!?」

 肩から腰にかけて切断された幽鬼が剣を取り落と同時に、力を使い果たした玲が実体化する。

「ドウシテ、ユウメバカリ……!」

 魔物とはいえ致命傷に違いない一撃を受けてなお、執念でユウメへと這いずっていく幽鬼。もはやその死は時間の問題であるにも係わらず、その執念は見る者を慄然とさせる。

「オマエモ……オマエモ……」

 トラインが深手を負いユウメも力を使い果たした今、もはや為す術は無い。

 ――無いかに思われた。

 トラインたちを背に立ち尽くすユウメに、ぎこちない帝国語が耳朶を打つ。 

「ユウメ、次の契約相手が良い奴だといいな」

 そこには傭兵の一人が落とした剣を構えてる玲の姿。

 ユウメへと一声かけて微笑むと、止める間もなく幽鬼へと走り出していく。

 もちろん唯の剣である以上、幽鬼にとどめを刺すには至らない。

 だが、捨て身で剣ごと体当たりした衝撃により、バランス崩した二人はもつれ合いながら湖へと落ちていく。

「アキラさん!」

 我慢できずにユウメが叫ぶ。

 その光景を見て、これまで言うまいと堪えていた言葉をどうしても止めおけない。

「行かないでください! ここで、わたしだけの剣の魂でいてください! わたし、アキラさんのことが――!」

 だが、無情にも玲は手の届かないところへ落ちていく。

 伝えるのに遅すぎた言葉に涙が止まらない。

 玲がいない世界で聖剣士を続けることになんの意味があるだろうか。

「なっ、ユウメ!」

 そう決心すると、驚くトラインにも構わず底も見えない湖へと身を躍らせる。

 あまりの水の冷たさに心臓が止まりそうな衝撃を受けるが、必死に歯を食いしばり玲の姿を探す。

 先に落ちた二人がどこまでも沈んでいくのを見つけ、必死に水をかくユウメ。

 早くもその指先は痺れはじめ、全身が硬直するのも時間の問題と言えた。

 沈みゆく玲は意識がないのか湖底へと沈み続ける。

 届きそうで届かないもどかしさに焦燥感を抱きながら、ふと思いついて剣の柄を差し伸ばす。

 ――せめて、玲さんだけでも剣のなかに――。

 次の瞬間、ぴくりと動いた玲の手が柄に触れ――洞窟に爆発が生じた。


◇10

「あれが俺の故郷、日本の辺境にあるちっぽけな田舎町さ」

 日本では誰一人話す者などいないはずの、フィーン帝国語が夕焼けに染まる雑木林に響く。

「ルダミラン荘と似て、緑が多いところですね。わたしは好きですよ」

「……なあ、本当に良かったのか? あのとき俺はユウメより故郷を――」

「いいえ。故郷に帰るだけなら、命を賭してスオリに向かう必要はなかったじゃないですか。それに何より、わたしがアキラさんと一緒にいたいんです。……たとえ、ご迷惑でも」

 そう言いつつ不安そうに見上げる少女。

 その答えに言葉はなく、夕日によって長く伸びた影が一つに重なる。


 『我ら二つに身は分かつども、剣と魂は一つ』という誓いの言葉が、遙か遠い世界にはあるという。

 世界を超えてその契りを交わした二人は、手を繋ぎ長い道を歩き始めた。



 (習作)剣に誓いと魂を込め・後日談 終

  


これで、この習作も終わりです。

後日談を蛇足に感じる方もおられるでしょうが、それでもここまで読んで頂けたことに心から感謝申し上げます。

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