(習作)剣に誓いと魂を込め・後日談(上)
◇1
そこは森の奥深く、天をも衝かんとそびえる巨木たちの世界。
繁茂した枝によって月明かりも届かない大地に一条の光が閃き、直後にこの世ならざる叫びが闇を裂く。
(残りは右に三体、後ろに一体! 囲まれないよう移動して)
(はい! まず後ろの一体を狙います)
巨大な魔物が絶命したことを見届けると、全幅の信頼を寄せるパートナーの指示に従い、その場を急ぎ離れるユウメ。彼女は父ヒルマー卿が治める荘園に隣りにある、エオスタ男爵領で魔物討伐に奔走していた。
男爵とその手勢の騎士の時間稼ぎによって、近隣の村人たちはほとんど避難を終えているが、この世界で唯一魔物を倒すことのできる聖剣士が来ない限り、逃げ続けるにもいつか限界が訪れる。
だが、広大なフィーン帝国に常駐する聖剣士は最盛期でも千人しかいない。昨年などは唯一人しか新人が合格せず、辺境での聖剣士不足は深刻なものがあった。
ただ、エオスタ男爵にとって不幸中の幸いだったのが、隣接するルデモール伯ルダミラン荘に、昨年たった一人だけ聖剣士に叙任されたユウメが特別に里帰りしていたことである。男爵家から早馬で魔物襲来の急報を受けたユウメは、仲間の到着を待たずエオスタ男爵領へと駆けつけ、どこまでも続く大森林へ逃げ込んだ魔物を退治していた。
手元の剣が煌々と照らす木立の間を走ると、すぐに向こうからも彼女へと迫る魔物が姿を現わす。
筋骨隆々たる肢体は大の男の二倍以上。
四本の腕をもち、青黒い肌と雄山羊の頭をした――通称〈四ツ腕〉と呼ばれる――強大な魔物が、仲間を倒された怒りを露わに突進してくる。
一体でも男爵領を壊滅させるのに充分なほど強大な魔物へ、少女は単身立ち向かっていった。
凶悪な鈎爪を交互に振るいユウメを切り裂こうとする〈四ツ腕〉。
かすっただけでも人を肉塊に変えるには充分すぎる死の暴風をぎりぎりで躱し、さらに大きく踏み込み光の剣を一閃させる。剣は熱したナイフを蝋燭にあてるより容易く魔物の腕を切り裂き、黒い血を噴き上げながら二本の右腕が地に落ちた。
苦悶の声を挙げ更に怒りを募らせる〈四ツ腕〉は、残された左腕で彼女を捕らえようと手を伸ばすが、それより早く玲の指示を受けて、ユウメは右腕を失った魔物の死角へと飛び込んでいく。
「セアッ!」
〈四ツ腕〉の手が空を切るなか、ユウメは逆袈裟に切り上げて魔物を両断した。
こうなってはいかな魔物とはいえ、ひとたまりもない。魔物は声を挙げることもなく絶命し、断面から噴き出した血が下生えを黒々と染めていく。
(あとの三体はすぐ近くまで迫っているぞ。個別に相手する猶予はなさそうだし、ここは一旦退こう)
(でも〈四ツ腕〉は魔物の中でも貪欲で執念深いやつです。どうにかして、ここで仕留めておかないと!)
(気持ちは分かるが、ユウメ一人であれを三体同時に相手するのは無理だ。たった一撃を受けただけで死んでしまってもおかしくないんだぞ)
(れ、練習中の聖剣技なら一瞬で倒せます。ここで三体が散り散りになったら、どれだけ被害が広がることか……。アキラさん、やらせてください!)
ユウメの危険な提案に玲が反対する。
聖剣技は剣の魂ごとに異なるが、総じて強力な技が多い。
ただし、聖剣士たちの奥義といえる技であるため、契約を結んで日が浅い二人は失敗することも多く、このような緊迫した状況で試すのは初めてである。
(失敗すれば間違いなく八つ裂きだぞ? 駄目だ、エオスタ男爵領の騎士たちが負傷している状況でユウメまで殺されたら、領内全員の命が危機に晒される。心が繋がっているんだから、恐怖を隠そうとしても無駄だからな。今は退いて確実に勝てる機会を待つべきだ!)
(お願いですアキラさん! 魔物に殺される人が出るならば、それは人々の守護者である聖剣士が最初であるべきなんです!)
男爵領内の全ての命がユウメ一人にかかる重圧。そしてその相手が、並大抵の強さではない〈四ツ腕〉が九体。聖剣化し心が繋がっているいまは、ユウメが死への恐怖を抱いていることも玲には手に取るように分かる。だが、それ以上に聖剣士としての誇りと覚悟が玲に伝わると、彼も何も言えなくなる。ユウメの死はすなわち自分の死でもあるが、心が同調している以上、もはやユウメに何を言っても無駄だということが分かってしまうのである。
玲が根負けしたことを感じ取ったユウメは、剣のなかにいる自分の契約相手へ感謝する。
(ありがとうアキラさん!)
(やるからには失敗できないぞ。俺は技に集中するから、かけ声を頼む)
(任せてください。絶対に成功させます!)
そう応えると、ユウメはいままで玲に任せきりだった魔物の感知に意識を注ぐ。
玲がこれから放つ大技に集中したため剣の輝度が下がり、ただでさえ見通しの悪い視界が足下すら覚束なくなる。
だが、敵が固まって行動している今を逃せば、討ち漏らした魔物が領内を侵略するのは明らかなのだ。
東地区を巡回する聖剣士隊の一団がここへ到着するには、早くても三日はかかるだろう。それまでにどれほどの惨劇が生まれることか。
大それた望みかもしれないが、聖剣士となったからには自分の手の届く者全てを守りたい。小を殺して大を生かすようなことはしたくないというのがユウメの本心だった。
実際にはわずかな時間だが、じっと魔物を待つユウメにとって非常に長い時間が経過し、三体の〈四ツ腕〉が朧気ながら暗闇に浮かぶ。それと時を同じくしてユウメは三体の中心点めがけて突進する。
相手は少女が自棄になって突撃してきたと思ったのだろう。〈四ツ腕〉が耳障りな笑い声を挙げると、少女を迎え撃とうと一斉に拳を振り上げ――まさに振り下ろそうとするその瞬間。
(いまです!)
森の一角に光の螺旋が生まれ、魔物はその渦に巻き込まれる。
合図とともに、数百年を閲する大木より長く伸びた光の剣。その瞬間に合わせてユウメが高速で剣を振り、光が螺旋の軌跡を描きながら空へと舞い上がっていく。
三対一と圧倒的に有利な状況のため勝利を疑わなかった魔物たちは、その油断から回避することもできず切り刻まれていった。
「やった! 成功です!」
「――まだ気を抜くな!」
強力な聖剣技を使ったことにより、一時的に力を使い果たし実体化した玲が、勝利を確信するユウメに警告する。
さきほどの聖剣技によって切断されたのは魔物ばかりではない。
幹周り小屋ほどもありそうな巨木たちも聖剣に断ち切られ、ゆっくりとだが確実に傾いていく。やがて木々同士はぶつかり合い、ときに跳ね返りながら予測できない軌道で倒れてくる。
「早く、身を隠せそうな木の根本へ!」
玲が慌ててユウメを押し倒す。
いまや周囲は出来の悪いドミノのように倒壊が連鎖しており、巨木が地に叩きつけられるたびに衝撃が二人を震わせる。
仮に掠っただけでも即死は免れないところだが、幸い切株に寄り添って身を低くした二人に直撃することはなく、しばらくすると森は静寂を取り戻した。
枝葉によって天蓋を成していた木々が倒れたことにより、降り注ぐ星明かりが二人を照らしだす。
「いつもは大人しいくせに、剣を持つと人が変わりすぎだろ……」
日本語でぼやく玲。
「かなり帝国語を覚えたはずなのにニホン語で喋っているということは、わたしへの文句ですね?」
耳ざとく聞きつけたユウメが玲を軽く睨む。だが、その目は笑っており、怒っているわけではない事が分かる。
「そんなことない。ユウメにはいつも感謝」
「もう、嘘ばっかり」
わざとらしく拙いフィーン帝国語を話す玲に、ユウメはむくれたふりをしようとして堪えきれず笑い出してしまう。玲と聖剣の誓いを結んでから危険と隣り合わせではあるものの、幸せな日々を過ごしているユウメにとって、こんな日々がいつまでも続けばいいと思わずにいられない。〈四ッ腕〉を無事退治し緊張が解けた二人は、頭上の星空を見上げながらいつまでも笑っいあっていた。
◇2
「さすがはユウメ様、噂に違わぬ実力ですな。あの十体近い〈四ツ腕〉をお一人で倒すと言われたときは、どうなることかと心配しましたが」
ユウメから〈四ツ腕〉を討ちとった報告を聞き、ベッドに横たわるエオスタ男爵が感嘆の声をあげる。その左足には添え木とともに包帯が巻かれ、額から頬にかけては血の痕がいまだ残っており、魔物の襲来に男爵自らが身を挺して活躍したことが窺える。
「いえ、わたしだけの力ではありませんし、今回は運も味方してくれましたので……」
「それはご謙遜が過ぎるというもの。〈四ツ腕〉といえば、聖剣士が数人がかりでやっと一体倒すほど強大な魔物。それが九体も現れたと報告を受けたときは、正直に申し上げるとこの命については諦めておりました。せめて一人でも多く助けようと覚悟していたのに大した被害が出なかったのは、すべてユウメ様のおかげ。領地を代表し、心より感謝申し上げます」
そういって礼を述べるエオスタ男爵。
男爵の怪我は、近隣の村人たちを逃そうと配下の騎士たちとともに魔物と戦った際のものである。男爵たちの決死の足止めにより領民の避難は無事終えたものの、エオスタ本人は〈四ツ腕〉の一撃を受けて落馬してしまい、指揮を執ることもままならない身体となってしまった。仮に帝国東地区を巡回する聖剣士たちに救援を呼んだとしても、到着まで三、四日はかかる見込みであり、その間に被害がどれほど広がるかは見当もつかない。だが、男爵は幸運に見放されていなかった。隣接するルダミラン荘には、正規の聖剣士に叙任されてから初の休暇としてユウメが帰省していたのである。男爵領の危機を早馬で報されたユウメたちは、増援が来るのも待たず、その日のうちに男爵へ駆けつけたのだった。
自分の父より位階も年齢も上の人間に頭を下げられユウメは慌てる。
聖職の一種である聖剣士の階級は特殊で、ある意味では公爵よりも高い序列である。皇帝ですら聖剣士団を粗略に扱えないことから、男爵の態度は間違っていないのだが、つい昨日までと逆転してしまった地位に戸惑いを隠せない。
「とんでもありません、これが聖剣士たる者の務めです。それにわたしは正規の聖剣士になって半年程度の未熟者。幸運なことに最高の契約者に恵まれたため〈四ツ腕〉を退治できたに過ぎませんから」
そう言って手元にある無骨な剣の柄を見る。
(おだてても昨日みたいな無茶は二度とごめんだからな)
(お世辞ではなく本心から言ったつもりですけど……)
心が繋がっているため嘘ではないことが分かるはずなのに、と不満を覚えるユウメ。
「たしか異世界から訪れた剣の魂でしたか。言葉が通じない者同士で契約できたのは、まさしく運命ですな。ヒルマー卿もご令嬢が『光の剣士』とは鼻が高いでしょう」
ユウメの父とエオスタ男爵は隣同士ということもあり、それなりに親交もある間柄だった。ユウメ自身、エオスタ男爵領へは何度も訪れている。
「『光の剣士』ですか……、あまりに過ぎた二つ名で自分のこととは思えなくて」
故郷である東地区の辺境に赴任してしばらくの後、ユウメの剣は初代乙女聖剣士団長と同じという噂が広まり、その活躍ぶりと相まって『光の剣士』という二つ名がついてまわるようになっている。本人としては二つ名など畏れ多いし、見習い時代のつらい日々を考えると、これは新たな虐めではないかと勘ぐってしまう。もし称えられるとしたら、それは自分ではなく、契約者である玲のほうだろう常々考えていた。だが、それを玲に伝えると、自分は剣の中にいるだけで実際に戦っているユウメこそがすごいとのだと言い返される。お互いが手柄を自分のものと思わない点で、二人は似たもの同士といえた。
「いやはや、ずいぶんと謙虚ですな。二つ名つきで周囲に認められている聖剣士など、帝国広しといえど数人しかおりませんのに。――そうそう、謙虚で思い出しましたが、本当に謝礼は不要なのですか? 〈四ッ腕〉の退治といえば、金貨でなければ釣り合わないほどの魔物ですが」
「ええ、他の聖剣士が依頼を受けるときのこともあるので、団から剣を安売りするなと言われていますが、ルダミラン荘の近隣からは頂きにくくて……」
「いや、それは剣士団の言い分が正しい。領民を預かる身としてはありがたい申し出ですが、仕事に相応の対価を払わないというのは結局、世のあり方を歪めてしまうものです。貴重な聖剣士が命を賭して為した成果に相応しい額はお支払いいたしますよ」
こうまで男爵に言われてしまうと、近所へちょっとお手伝いに来た感覚のユウメは困惑してしまう。
(どうしましょうアキラさん?)
困り果てたユウメは、剣の中にいる玲に助言を求める。
(ここまで言われたら断るのも失礼だし、ありがたく受け取ったらどうだ? 帰りに領内で少し散財すれば、男爵の領民も助かるんだし)
(そういうものなのですか……)
自分には理解できない理屈だが、玲がそう言うのならとユウメも気を取り直す。
「――分かりました。男爵様がそうまで言われるのであれば」
「良かった。これでヒルマー卿にも顔が立ちます。では、ささやかですがお受け取りください」
そう言って小袋を差し出す男爵。
貧乏騎士の家庭で育ち、金貨など見たこともないユウメはその重さにたじろぐ。
「これでユウメ様の覚えがめでたくなれば安いものです。なにせ領民の命は金で買えないのですからな」
豪放磊落に笑う男爵に、剣の中で二人のやりとりを見守っていた玲も好感を抱いた。
この国の貴族についてユウメやその父ヒルマーから聞く限り、やはり平民のために命をかける領主は少ないと聞かされていたからである。聖剣士の素質は貴賤を問わず現れるので、貧しい出自の聖剣士たちにより、低い階級の者への保護制度はそれなりに整備されていたが、やはりそれにも限界もあった。貧富はともかくとして、身分制度については撤廃されて久しい日本で育った玲にとって、上に立つ者として責任を果たそうとする男爵の態度は素直に尊敬できた。
男爵の城を辞去し、商店が立ち並ぶ街の通りを歩くユウメに、男爵について感じたことを話すと彼女は嬉しそうに笑った。
(東地区辺境の領主はこういう気質の方ばかりですよ。未開の地に囲まれた厳しい土地柄なので、身分など気にせず助け合わないと生きていけないのです)
(なるほど、そういうものかもしれないな。――お、その店に並んでいるのは葡萄酒? ヒルマー卿へのお土産にはそれがいいと思うんだが)
(たしかに父は酒を嗜みますが、金貨を使うくらい葡萄酒を買うとなると相当な重さになりますよ)
(そう言われると辛いところだけど、他に値が張りそうなのはなさそうだしな……)
エオスタの街はさほど大きくないため、日用品や食料を売買する店がほとんどだった。金貨を使おうにも適当な物がないのは誤算だったと玲は反省する。
(服や靴は受注生産、馬は増やすと維持費がかかるとなれば仕方ない。俺が背負って運ぶから、良さそうな酒をいくつか選んでくれないか)
(分かりました。手荷物も玲さんと同じく剣に入れば楽なんですけどね……)
(その基準がよく分からないよな。それを言ったら、剣に人が収まる時点でいろいろ不思議だが。まあ、剣に出入りするたび裸にならない点だけでも感謝しないといけないし)
その光景を思い浮かべ、頬を赤らめるユウメ。
(あ、想像したな? まったく破廉恥だな)
(破廉恥なのはアキラさんです! 聖剣化しているときに、言っていいことと悪いことくらい弁えてください!)
(俺のせいじゃないだろう? やましい気持ちがあるから想像したんだろうに)
(開き直りましたか。なら、こちらにも考えがあります。……あそこの果物売りの方はずいぶんと綺麗ですね。ああいう方が契約相手のほうが男性としては良かったですよね)
(え、そ、そんなことは……。そういう言い方はずるいぞ!)
そんな他愛ないやりとりをしながら買い物をしていく二人。
言葉ではなんと言われようと、契約者から伝わる好意を感じることができたユウメは、幸せな気持ちで帰路についた。
◇3
ルダミラン荘はルデモール伯爵領内にある荘園の一つで、ユウメの父である騎士ヒルマーが常駐し治めている。付近にはエオスタ男爵領と同じく未開の森が延々と広がり、森から出現する魔物の被害が絶えない、いわば難治の地だった。
荘園内に広がる小麦畑を抜け、集落のはずれに建てられた小高い塔の門を開けると、ユウメは塔の主に帰還を告げる。
「お父様、ただいま帰りました!」
「――お帰りユウメ、そしてアキラ殿」
もはや冬の足音が聞こえる季節となり、暖炉の前で読書をしていたヒルマーが静かに微笑み二人を出迎える。
「ただいま帰りました、ヒルマー卿。お土産です」
不揃いの瓶に詰められた葡萄酒を渡し、ぎこちない言葉で挨拶する玲。ユウメの指導と半年の異世界暮らしにより、基礎的な会話であれば玲も可能になっている。とはいえ、あくまで基本のみであり、礼儀として一声かけた後は、すぐにユウメの剣へと引っ込んでしまうのだが。
「二人とも無事でなによりだ。腹は減っていないかね?」
「大丈夫ですお父様。エオスタ男爵が道中で食べるようにと、軽食を持たせてくれましたから」
「そうか。男爵領はどうだったか聞きたいところだが――お前達にお客様が見えているから少しここで待っていなさい」
「お客様? わたしにですか?」
心当たりがないユウメがしばらく待つと、ヒルマーに伴われて一組の男女が現れる。
「トライン導師にイルバー導師!? いつこちらへ?」
驚くユウメにトラインは苦笑する。
「ユウメはもはや見習いではないのだから、私たちを導師と呼ぶのはおかしいぞ。同じ聖剣士なのだ、私としては呼び捨てでも構わない」
「そ、それはさすがに……。ええと、では隊長。どのようなご用件でこちらへ?」
「それなんだけど、先にエオスタ男爵領のことを聞かせてくれないかい? ちょっと厄介な話なんで、判断する材料が少しでも欲しくてね」
そう言って浮かない表情のイルバーがため息をつく。
隣に立つトラインは普段通り謹厳そのものの表情だが、彼女と一年間過ごしたユウメには、どうやら彼女もどうやら悩んでいることが窺えた。
「立ち話もなんですから、まず座ってはいかがですかな? ユウメは何か暖かいものを用意しなさい」
年長者の提言に従いしばらく待つと、無骨なテーブルに五つのカップが並ぶ。
挨拶以外はほとんど剣に入っている玲なのだが、こうしたときユウメは玲の分の椅子やカップの用意を怠ったことはなく、ともすれば見落としがちな気配りに感心するのだった。
「エオスタ男爵のところはどうだった? 〈四ツ腕〉が出たとは聞いたが」
暖められた林檎酒で一息ついたトラインが男爵領での出来事を改めて尋ねる。
「ええと……、わたしが到着したとき、男爵様はすでに怪我をされていて〈四ツ腕〉相手に誰が指揮を執るかで苦慮されていました。そこでわたしが微力ながら退治することを申し出たのです」
「ふむ、急を要する事態だしな。あれは一体でも村々を壊滅させるのに充分すぎる奴だ。お前の剣なら増援を待たずとも一対一で倒せるだろうが」
「はい、危ないところでしたが、なんとか全滅させることがきました」
そこで聞き捨てならないことを聞いたという顔のイルバーが、ユウメの席へ身を乗り出す。
「ええと――全滅? ということは〈四ツ腕〉は何体いたんだい?」
「た、たしか九体です」
その答えに呆れるイルバー。その横でトラインも険しい顔をつくる。
「はあ? 九体の〈四ツ腕〉って……。あれは騎士でも長時間足止めできるような下級の魔物じゃないんだぞ。よくもまあ一人で倒せたもんだよ」
「イルバーの言うとおりだ。いかに我々の務めが危険と隣り合わせとはいえ、決して無茶をして良いということではない。増援が来るまで時間稼ぎをする選択肢もあったはずだぞ」
厳しい言葉を発するトライン。
「犠牲者を出さないことはもちろんのことだが、その中にはお前たちの命だって含まれている。ユウメははヒルマー卿に残されたたった一人の家族。そして、アキラ殿の家族にいたっては、ここで何かあっても家族へ安否を知らせる術がないのだぞ。周りを悲しませるようなことは慎むように」
トラインに反論しかけて俯くユウメ。自分はともかく、玲のことを言われると反論できない。
「まあトラインも導師じゃないと言った手前、説教はそこらへんにしておきなよ。君はともかく契約者の僕まで言ったこととやってることが違うと思われるのも嫌だし」
イルバーが宥めると、反省したトラインが済まなかったと頭を下げ、自分たちの用件を話し出す。
「……こちらの話については二つある。まず確認だが、ユウメは東地区の大商人であるストロムの名を聞いたことはあるな?」
「ええ、たしか黒馬商会の会頭ですね。その方がどうされましたか」
「本人直々の依頼で、私とユウメに会って話をしたいとのことだ」
ストロムは東地区各地に数多くの店舗を構え、取り扱わない品はないとも言われる黒馬商会を取り仕切る者である。ルダミラン荘やエオスタ男爵領にも、黒馬商会に関係する商人が多数出入りしており、東地区の経済を成り立たせるためになくてはならない存在と言える。ただ、最近は帝都の商圏へ進出しようと焦るあまり、阿漕な商売も目立つという噂もあった。
「大商人殿がわたしたちに何の用でしょうか? 正直に言って、魔物退治が商売に直接関係すると思えないのですが」
「それについてだが……まだ公にされていないが、どうやらストロムの一人娘が『素質』を開花したそうだ。その真偽を確かめるための調査官に、ぜひ私とユウメが立ち会ってほしいとストロムから指名されている。戻ってきたばかりですまないが、明日からヤスタリムへ向けて出発してほしい」
ヤスタリムは、ここルダミラン荘と帝都の中間に位置する東地区最大の街である。
「それは構いませんが、本当ならまた聖剣士見習いの誕生ですか。今年は本当に多いですね、もう百人近いのでは?」
「昨年の反動だな。帝国にとっては喜ばしいことだ」
人口七千万を超え広大な版図を誇るフィーン帝国であったが、乙女聖剣士団の数は常に千人程度だった。その理由については諸説あるが、聖剣士になれる者は昔から決まっており、死しても生まれ変わって再び聖剣士となるため、数は変わらないという学者の論文も出されている。だが聖剣士のほとんどは自分たちが特別に神から愛されていたり、過去の誰かの転生した命とは考えておらず、金髪や背が高いという特徴と同じように、たまたま聖剣士の素養を持って生まれたと考えていた。だが、本人たちにとってそんなことより、魔物と戦う以上は犠牲者が出ることは避けられず、仮に運良く生き延びても老化による引退がいずれやってくることは動かしがたい事実のため、新人の補充ができるかどうかは常に関心を払っていることの一つだった。
「大商人の一粒種でしたら、命を危険に晒してまでこの職に就かないことも思いますが……」
「聖剣士という箔をつけて有利な結婚をするためかもしれないな。だが、思惑がどうあれ魔物退治できる者は多いに越したことはない。自分から乙女聖剣士団の門戸を叩くという者を無下にはしないさ」
ユウメが指摘したように、皇族や裕福な者の一人娘は、素質があっても聖剣士とならない場合がある。地位も名誉も約束される生業とはいえ、常に死と隣り合わせの職である。たとえ本人が魔物と戦うことを望んでも、周囲や環境が許さないという事例は過去にもいくつか例があった。
だがフィーン帝国の領土は広く、それに比べて聖剣士たちの数はあまりに少ない。この世界で唯一魔物を倒せる能力者を遊ばせておくということは、それだけ犠牲者が増えるということである。素質を持ちつつ聖剣士とならない者は周囲の者たちから白眼視されることが多く、逆に領主たる貴族にとって娘が聖剣士の素質を持って生まれた場合は家格を上げる機会と歓迎された。
「トライン隊長が指名されるのは分かりますが、わたしが名指しで呼ばれるとは……」
「昨年唯一の合格者で、伝説の『光の剣』を持つ者だからねえ。ユウメから話を聞いてみたい者はたくさんいるじゃないかな。『光の剣士ユウメ、苦難の見習い時代と運命の出会い』なんて題にして、帝都の劇場で講演すれば観衆は満員だと思うよ」
イルバーの軽口にユウメの顔は青ざめた。
大勢に注目されながら演説する姿を想像しただけで彼女は足が竦みそうになる。昨日、エオスタ男爵と対等に会話したのも、ユウメからすれば恐れ多いことなのだ。
そんなイルバーの冗談を真に受けて動揺するユウメに玲が追い打ちをかける。
(劇場の大きさが分からないが、一人銅貨五枚としてもけっこうな稼ぎになりそうだな)
(む、む、無理です! そんな恥ずかしいこと絶対できません!)
〈四ツ腕〉たちと対峙したとき以上の動揺と怯えが伝わると、そんなに注目されるのが嫌なのかと玲は苦笑してしまう。
(冗談だって。俺もあの試験を思い返すのは恥ずかしいし)
昇格試験の最中に起きたことは、すでに何人もの聖剣士から追求されている。あれほど劇的な聖剣士の誓いは英雄譚にもそうそうないと、玲やユウメを冷やかす聖剣士は多い。
「も、もう一つの話とはなんでしょうか、トライン隊長」
急いで話を変えようとするユウメ。それを聞いたトラインは一転して言いにくそうに眉をしかめる。
「もう一つは、怪しげな話だが重大なことでな。――アキラ殿、貴殿の故郷へ帰る方法とも関連がありそうなのだ」
その言葉にユウメは息を呑んだ。