(習作)剣に誓いと魂を込め(5)
◆9
強力な結界で囲まれている城に迷い込んだ得体の知れない人。
いや、本当に人かどうかも分からない。
もしかしたら人に化けて自分たちを貪り喰らおうとする魔物でないかという思いすら、アキラと出会った頃のユウメは抱いていた。
そんな相手と契約しなければならないと決まったときの彼女の絶望感は計り知れない。なかば真剣に、ここから逃げ出してしまおうかと悲壮な決意すらしていた。
ただでさえ正規の聖剣士に一番遠いのがユウメなのだ。それが言葉も通じない異邦人と契約を結ばなければいけないなど、あまりに理不尽な仕打ちだと泣きたい気持ちだった。
貧しい騎士の娘として父と二人暮らしのさなかに素質を見出され、憧れの聖剣士見習いとなったまでは良いものの、同期となった三人はみな貴族の令嬢。
一人だけ身分の低い彼女が三人の虐めに耐えられたのは、泣くほど喜んで送り出してくれた父親に聖剣士となった晴れ姿を見せるためと、今は独りぼっちでもいつかは素敵な契約相手が現れるという、ユウメに残された数少ない希望があったからだった。
それが無惨に打ち砕かれ、導師の命令で言葉も通じない相手と契約してしまった。
「我ら二つに身は分かつども、剣と魂は一つ」という聖剣士の神聖な誓いの言葉。幼い頃よりユウメの愛読してきた聖剣士の物語では、どれもが愛の告白とともにこの言葉を交わす、最もロマンチックなシーンなのだ。それが、意味も分からない相手に見よう見まねで言わせるという、詐術にも等しいやり方で契約したこともユウメには辛かった。
彼女を苦しませるという意味で、スオリたちの思いつきは完全に成功した。
――いや、成功したかのように思われた。
厭わしいと思っていた契約相手。
だが、玲はユウメを通じてしか周囲とコミュニケーションがとれないのだ。
それはつまり、どれほどユウメが嫌悪しようと、玲としては生きるため彼女を頼らざるを得ず、ユウメとしても貴重な契約相手である以上は無視もできないことを意味する。
いきおい日常生活におけるユウメの負担は増したのだが、この城で親しく話す相手のいない彼女の孤独を埋めるという点において、玲はこれ以上ない相手であった。
怯えと不満ではじめは自分から話しかけるのも躊躇われたが、それなりに打ち解けてくると玲との会話を楽しんでいる自分にユウメは気付く。日常でも訓練でも余裕のない彼女だが、チョコレートの件――神々の食べ物かと思った――のように、玲が不器用ながらも気配りしてくれていることは薄々感じていた。
ここで優しくされることから無縁であった彼女にとってそれは嬉しい誤算であり、玲の想像する以上に少女の心に彼の占める割合は日に日に膨れあがっていったのである。
――掘りは浅いけど綺麗な瞳をしているし、少し年上と思っていた年齢が九歳差もあったのは驚いたけど、自分の父親より年上と契約することもあり得たのだから許容範囲内だし……。
いつの間にか彼の存在について、何かと理由をつけて肯定する自分にユウメは赤面せざるを得ない。
気がかりがあるすれば、玲が自分の世界へ帰りたがっていること。
自分も遠い故郷に体調を崩した父親を残しているため、玲の気持ちが痛いほど分かる分、いつか訪れるかもしれないという別れの予感に身が竦むのだった。
◆10
「剣の魂の役割は、ただ剣を強化するだけじゃないんだよ。使い手のもう一つの目を務めたり、相手の出方を予測したりと、見えない支援に忙しいのさ」
二人でチョコレート一枚というささやかな夕食後、イルバーを招いての座学が始まる。
(――なるほど、補佐役なのか)
ドライバーとナビゲーターの関係だなと玲は一人納得する。
「初めて試合に出たのなら、アキラ殿も目を回さないでいるのが精一杯だったんじゃないかな? 本当は剣士だけではなく相方も一緒に鍛錬していくことで、徐々にあの状態や使い手の癖に慣れていくものなんだから」
たしかに初見であの動きに反応できるとすれば、よほどの天才か戦闘機乗りのような訓練を積んだ者だけのような気がする。
「あの、イルバー導師はどれくらいでトライン導師の剣技に慣れたんですか」
おずおずと手を挙げてユウメが尋ねた。
「そうだなぁ、剣に酔わなくなったのはトラインと契約して一年後くらいかな。ああ見えてトラインは荒っぽい戦いをするからね。ついていくのは大変だったよ」
「わ、わたし、そんなこと考えもせず剣を振っていました。ごめんなさいアキラさん……」
申し訳なさそうに身を縮めるユウメ。だが、イルバーはそれを制止する。
「ユウメが謝る必要はないよ。相方に遠慮して剣を振っていたら魔物とは戦えない。少し厳しい言い方だけど、剣の魂は使い手の能力を全て出し切るためにいるといっても過言じゃないんだ」
(彼の言うとおりだと思う。ユウメはこれからも思い切り剣を振ってくれよ)
(でも、それでアキラさんが苦しむと思うと、なんだか申し訳ないような気がして……)
(遠慮したら負けてしまうんだぞ? だから俺のことは気にするな。それより、今日の試合で飛んできた赤い光は聖剣技か? どれくらい種類があるんだ)
ユウメが玲の疑問を伝えるとイルバーが顎に手をやり、考えこみながら口を開く。
「聖剣技は剣の魂ごとに違うと言えるくらい無数にあるよ。僕の聖剣技は他人の悪意に反応する炎だし、スオリの右手剣は剣気を飛ばして攻撃することができる。戦いに関すること以外にも、遙か遠い場所を剣に映す技もあれば、使い手ごと空を飛べる剣もいる。アキラ殿にどんな能力が秘められてるかはまだ分からないね」
(なら、どうやれば聖剣技はできるようになるんだ? まさか、これも何年も修行が必要なのか)
「あの、わたしは剣と同調が完全でないと聖剣技は出ないとだけ教わりましたが、具体的にはどうすればいいんですか」
彼女にとっても切実な問題なのだろう、思い詰めた表情でユウメが尋ねる。
「基本的にはユウメの言う通りだけど、それが難しいんだよね。心のありようって人それぞれだろう? 恋人と友人、未熟な相手を支える親子のような関係、本当に千差万別さ。だから聖剣技も全員が異なるし発動の条件も絶対の正解がない、だからこそ奥が深い。むしろ見習いのうちから聖剣技を発動できるスオリを褒めるべきなんだろうね」
僕が教えられるのはここまでだと告げ部屋を出て行くイルバー。
残された二人は、お互いにかける言葉を探して気まずい沈黙が漂う。
やがて、意を決したユウメがアキラに語りかけた。
(同調、つまりアキラさんとわたしの共通しそうな部分ですけど、ひとつ心当たりがあります)
(へえ、どんなところ?)
(アキラさんは『元の世界へ』帰りたい、そうですよね?)
元の世界と言うときに少し胸が苦しくなったが、堪えてユウメは続ける。
(――わたしは『父の領地へ』いつか帰れたらと思っているんです)
(お父さん? 領地を持っているということは貴族なのかい?)
(いえ、私の父は騎士です。辺境の魔物が多いところなので、領民を守る戦いづくめで体を壊してしまいましたが。騎士として多忙なのに、早くに亡くなった母の分も男手一つで育ててくれた自慢の父です。何をやってもドジばかりのわたしに聖剣士の素質があると分かったとき、泣くほど喜んでくれて……。だからわたし聖剣士になれたら、その姿を一目見せたいと願っているんです。――わたし、お父さんの剣で頑張ってるよ、お父さんの代わりに魔物からみんなを助けるよって)
いつもの気弱な雰囲気はそこになく、真剣に語るユウメを見て玲は微笑ましく感じる。年の離れた妹がいればこんな感じなのだろうかと思いながら。
(俺たちが契約したときの『お願い』というのは、もしてかして……?)
(はい、わたしがもし聖剣士になれたら一緒に父の領地まで旅してもらいたくて。私の契約者としてぜひ紹介したいんです)
言葉にならない彼女の郷愁の念が玲の心にも伝わり、同じ境遇として胸が締め付けられる。家族が心配なのは自分も変わらない、むしろ帰る手だてが見つからない彼の方が厳しい立場だろう。
その想いは共鳴しあい、ユウメの手中にある剣を少しずつ輝きを増していく。
(俺の世界へ帰る方法が分からない以上はもちろん付き合うとも。けど、もし俺が日本に帰る方法を見つけたら、そのとはどうするんだ? 新しい契約相手を探すのか?)
(普通ならそうなります。聖剣士も剣の魂も貴重ですから、いくらフィーン帝国が強大でも遊ばせておく余裕はありませんし。でも)
(でも?)
ずっとこの世界に、私の側に居てもらうことはできないのですかと言いたかった。だが、それは我が儘であり、彼の全てが日本にあることを知っているため、ユウメとしてはその先をどうしても言えなかった。もしその願いを口にして彼が拒絶することにより、決定的に心がすれ違ってしまうことを恐れて。
(でも……わたしが正規の聖剣士になれると決まったわけでもありませんから)
結局、想いを隠し気弱なことを話すユウメ。
(故郷のお父さんに聖剣士になったことを報告するんだろう? 大丈夫、ユウメならなれるさ)
(はい、アキラさんもきっと元の世界に帰れる日が来ます。それに気付いてますか? わたしたちの剣がこれまでにないくらい強く光っているって)
◆11
午後の修練場では、昨日とよく似た光景が繰り広げられていた。
違いがあるとすれば、ユウメの相手がリリナであること、そしてユウメが彼女を圧倒していることだった。
「ハアッ!」
気合いとともに鋭く振られたユウメの長剣がリリナの細剣を強打した。
その衝撃にたまらずリリナは体勢を崩してしまう。
「なんなの、その威力! 同じ聖剣なのに!」
頑強なことでは世に並ぶものない聖剣がへし折られそうになっている。通常、聖剣どうしはいくら撃ち合わせても傷くことがないはずなのに。
ユウメは昨日の教訓を生かし、勝利を焦って大振りするような真似はせず、さらにリリナを揺さぶるべくラッシュをかける。
(いきますよ、アキラさん!)
(相手は及び腰だ。立ち直る前にたたみ掛けて勝負を決めよう)
(はい!)
昨日とは比較にならない鋭さで振られる剣。
必死にそれを受けるリリナだが、その白い輝きが迫るたびに冷や汗が止まらず、後退する足をもつれさせ転倒してしまう。
なにせ聖剣は岩を切り裂く威力なのだ。ユウメが一日でどのような訓練をしたか分からないが、自分の防御を上回る剣の勢い、そして一度でも受け損なえば即死もあり得る恐怖にリリナは屈し、たまらず降参する。
「勝者、ユウメ!」
トラインの裁定が下り、玲とユウメのあいだで歓喜の声が爆発した。
「しかし一日で別人のようだな。何があった?」
一日の訓練が終わり、リリナとアルダに完勝、スオリと引き分けたユウメにトラインが感心したように話しかける。
「ありがとうございます。この剣、聖剣技が使えるようになった途端すごく軽くなりまして……」
夕日に剣をかざし、嬉しそうに言葉を返すユウメ。
「アキラ殿の能力は軽量化か? それにしてはやけに光るようだったが……。まあいい、間合いの広い長剣を速く振れるのは、それだけで大きな武器だ。お前と長剣、それにアキラ殿の相性が良かったのだろうな」
「はい。本当にありがたいです」
「この分だと明後日の昇格試験は全員が良い勝負となりそうだな。試験に備えて明日は休みとするから、充分に体を休めておくように」
「はい!」
(トライン導師に褒められるなんて久しぶり……!)
無意識なのか、幸せいっぱいの呟きが玲にも届き苦笑する。
(それは良かったな。とりあえず今日はメシを食い逃さないように早く行こうか)
(はい!)
◆12
(そういえば昇格試験ってどんなことするんだ?)
(見習い同士が戦って順位を決めるものです。今年は見習いの数が極端に少ないので、一対一の総当たり戦か四人同時の乱戦かもしれないですね……。導師たちや非番の聖剣士たちがたくさん見に来るそうですよ)
(さっきの試合みたいなものか。でも序列が低くたって、とりあえず聖剣士にはなれるんだろ? あまり無茶しなくてもいいんじゃないか)
(いえ、新人は序列の順に任地を希望できるんです! わたしとスオリは同じ東地区の出身なので、できればスオリより上の序列になって東地区に配属されたくて……)
逆に言えば、序列が下になれば望まない地区の担当に編入されるということか。そう理解すると、彼女の父親の話を思い出す。すぐに父親に会えるかどうかが明後日で決まると思うと、彼女としても気合いが入るというものだろう。
(――あの、アキラさんは先に食堂に向かっていただけますか?)
(いいけど、どうかした?)
(じつは、今日の訓練で汗をかいたので、着替えてから行きたくて……)
もじもじと頬を紅潮させる少女を見て、小さくてもレディなんだなと玲は感心する。
ユウメとしては、最近意識するようになった玲に悪印象を与えたくなくて必死なのだが、玲としてはまさか九歳も年下の娘が自分に淡い恋心を抱いていると夢にも思っていないので、その努力は空回り気味である。
(じゃあ先に行って料理を確保しておくよ)
(はい、わたしも急いで向かいますから)
石のように堅いパンとハム、そして色鮮やかな果実を二人分取り分けしばらく待っていると、おずおずと部屋へ入ってきたユウメ。手を挙げて場所を知らせようと彼女を見て、玲の動きが止まる。
これまで見慣れてきた訓練用のジャケットにズボンと異なり、白いブラウスに灰地に緑のストライプが入ったチュニック、えんじ色のスカートという女の子らしい格好で帯剣もしていない。
もともと彼女の外見は高校生くらいにも見えるのだ。着飾ってはにかむユウメと向かい合わせて食事を摂りはじめると、玲としては落ち着かない気分になってくる。
(今日が最後の訓練だからお祝いか? それらしいことは言ってなかったけど)
視線を感じたのかユウメは口にしていた木のカップを置くと、どうかしたかと言わんばかりに小首をかしげて微笑んだ。一瞬こんな表情もできるんだなと意外に思うが、よくよく考えればこれが彼女本来の仕種なのだと気付く。これまでの陰鬱な態度は、他の見習いたちから虐めを受け孤立していたからなのだ。約一年間、一人で堪えてきたはずの彼女がこうして笑えるようになったことは、パートナーである玲にも嬉しく感じられた。だが、その微笑みに浮かぶ瞳は、彼女の想いも雄弁に語っており、これまでその兆候に気付かない振りをしてきた玲としても動揺せざるを得ない。大卒の新社会人が中学一年生に胸の高鳴りを感じるのは犯罪だと、心中で念仏のように唱える玲。
もうすぐ彼女は試験を終え故郷に戻り、自分はいつか日本に帰る。そうなれば新しい剣の魂が彼女のパートナーとなるだけのことだ。いま情にほだされて彼女の気持ちに向き合うのは、後々に禍根を残すだけと玲は自分に言い聞かせる。そんな彼の胸中も知らず、テーブルに置かれたナイフで果実を切り分け玲に差し出すユウメ。
彼女を見ていると食事の味も分からなくなりそうだったので周囲を見渡すと、リリナとアルダたちは離れた場所に四人で静かに食事を摂っていた。
(――四人? もうすぐ夕食時刻が終わりそうなのにスオリがいない?)
訝しげには思ったものの、その理由に思い当たらない玲はユウメから受け取った果実を食べはじめる。
目の前では期待に満ちた表情でユウメが玲を見ていた。おそらく全部食べてもらいたいか、美味しいと言ってもらいたいのだろう。それくらいならやってもバチはあたるまい、そう結論づけると満腹の胃に果実を押し込むのだった。
◆13
いったん自室に戻った後、明日の過ごし方を相談しようとユウメの部屋の前に立つ玲。
ノックを数回繰り返し、一向に返事がないことに不審を抱く。
「ユウメ? はいるよ?」
言葉が通じないのは分かっているが、自分の声だと分かれば怯えさせることはないだろうと判断してのことだった。
ゆっくりと扉を押し開け、玲が中を覗きこむ。
部屋ではユウメが床に呆然と座り込んでいた。
その手からは血が流れ、さきほどまで純白だったブラウスにも赤い染みを作っている。
その光景と、彼女の傍らに散らばる物に気付いて玲は息を呑んだ。
それは彼女の剣『だった』もの。
剣は柄から剣身が断ち斬られ、その剣身も欠片になるまでバラバラにされている。
一目見ただけで、もう剣として用を為さないのは分かった。
玲は彼女に駆け寄り、壊れた人形のように動かないユウメの手から、紅に染まった剣の欠片を取り上げる。
「ユウメ、大丈夫か! ユウメ!」
それまで無反応だったユウメが目の前の玲を認識すると同時に、彼女は口を押さえ声を押し殺して嗚咽しだした。双眸から大粒の涙がこぼれ肩を震わせる様を見て、日本の法律がなんだとユウメを抱き寄せると、彼女は抵抗せず、玲の胸に顔を押しつけて号泣し始めた。
――彼女の体には少々大きすぎる剣だった。
だが、少女の誇りである父親の剣だからこそ、それを支えに虐めにも耐え、昇格試験の日までこれたのではないか。
この大人しくも忍耐強い子が、ここまで泣かねばならない仕打ちを受ける理由があったというのか。
どれくらい抱き留めていたのか、泣き疲れ胸のなかで寝てしまったユウメをベッドに移すと、玲は傷を応急処置し、砕けた剣身と柄を持って自室へ戻る。
剣の魂である玲にだけは分かったのだ。たとえ刃が失われようと、この剣がまだ完全に死んではいないことを。
玲のイメージ通りにできれば……再び剣は生き返る。
問題は明日一日でそれができるかどうか。
――許さない、絶対に……この報いは必ず受けさせてみせる!
どれだけ困難であろうと、かならずユウメを父に会わせるのだ。
そう決意すると、玲はすでにもう一つの自分と感じる剣に意識を注ぎ始める。
そして、玲の長い一日が始まった。