(習作)剣に誓いと魂を込め(2)
◆2
顔に突然の衝撃。
それに続く冷気に体が反応し、意識が急速に醒めていく。
「デューラキーグチトゥッカ?」
声のした方へ顔を向けると、そこには金髪をベリーショートにした女性が玲を見下ろしていた。自分の上半身がずぶぬれになっていたので、気付けに水をかけられたらしいと玲にも想像がつく。
辺りを見渡すと、そこは四畳半もないような石組みの殺風景な部屋だった。およそ調度品といえるものは部屋の片隅の小さな壺と壁に設けられた燭台のみ。その輝きに目を細めながら女性を見やると、彼女の纏う雰囲気からは静かな威圧感が感じられた。
自分が寝ころんだままだと気付いた玲は慌てて起きあがろうとして――次の瞬間、手足に走るあまりの痛みに再び倒れ込んでしまう。何事かと見れば、彼の両手両足はそれぞれ荒縄で縛り上げられ、完全に自由を奪われていた。
「いつっ……。あの、ここはどこですか? できれば手足が縛られているのを解いてほしいんですが」
「ソルイエヴァダクナコードゥバ? フィーンテックナコードゥバディファナッサ」
「――すみませんが、何を言っているのかまったく分かりません。暴れたりはしないので、せめて足だけでも解放してもらえませんか」
女性の顔を見据えながら、玲は自分の足縄を指さす。言葉はともかくボディランゲージが通じないことはないだろうと思ってのことだった。ようやく暗がりに慣れてきた目で見つめると、彼女は腰から剣を下げており、美しくも凛々しい容姿と軍服のような服装から、男装の騎士のような印象を受ける。異性にも同性にも人気のありそうな人だなと一瞬手足の痛みも忘れて心中で独りごちた。
「アルクマッドトゥベルケナルツメリア? コロイーゾトゥベルケナル……クイラ!」
玲の仕種を見ていた彼女だったが、しびれを切らしたかのように苛立たしげに首をふると、腰の剣を抜き切っ先を玲の喉元に突きつけた。次の瞬間、剣に青い炎が走り室内が青い光に染まる。
(!?)
映画の特殊効果のような光景に玲は声も出ない。鮮やかな炎の輝きはガスや油の燃える色とまったく異なり、魔法という言葉が脳裏をよぎる。
(なんだ、これ……。剣に仕掛けがあるようにも見えないし、まさか魔法みたいもの?)
「コルガッサィーグナキェックディア」
(これまでにまして冷たい口調だな……どうも最後通告のようだけど)
「――残念ながら、やっぱり何を求めているのか分かりません。敵意はないと分かってもらいたいのですが」
両手を広げ降参の意を示しながら、剣を突きつける女性に訴えかける。
しばらくの間、男女は睨み合い……、彼女が大きく剣を振りかぶった。
(斬られる!?)
だが玲の予想は外れ、一閃した剣は手足の戒めだけを切り払うと、鈴のような音を立てて鞘に収まった。
同時に部屋の光源は再びロウソクの灯火だけとなる。
「えっと、ありがとうございます……?」
なおも何か言いたげに逡巡する彼女だったが、結局何も言わずに部屋から出て行った。
鍵のかかる音を最後に部屋は静けさに包まれ、玲の息遣いだけが岩壁に反響する。
(山中でクマに襲われ、霧の中を迷い……気がつけば監禁とはね)
改めて部屋を見回すと窓は出入り口と言える物はさきほど女性が出て行ったドア一つのみ。無聊を慰める物もなく、唯一目につくのは部屋の片隅の小さな素焼きの壺のみ。蓋つきや微かに異臭がするところから推測するに、ウォッシュレットに慣れた身からはあまり考えたくないことだが、トイレ代わりとなるものなのだろう。
(親や知り合いは心配してるだろうな……。うちは貧乏なんだし、捜索願いなんか出して大事になってなきゃいいけど)
振り返れば山中からここまで緊張の連続だったのだ。数日ほど霧の中を彷徨い、いままた見知らぬ部屋に閉じこめられるとは何という不運かと思わずにいられない。
(さっきの言葉は少なくとも英語やドイツ語ではなさそうだったけど、ここは一体どこなんだ?)
不可思議な言葉や燃える剣について推測を重ねるが、いかんせん判断材料が少なすぎた。両親や取り上げられたであろう私物について思いを巡らすうち、ここ数日の寝不足も相まって、いつしか玲は深い眠りに落ちていった。
◆3
「隊長、何か分かりましたか」
「そうだな、少なくとも魔物やダーム国のスパイではないだろう。私に悪意を持ってれば、私の聖剣の炎に堪えかねただろうからな」
「ならば本当に迷い人ですかね? これらの所持品を見る限り市井の者には思えませんけど……」
イフレイドが机上に置かれた玲の私物を眺めやる。財布からは紙幣やポイントカードが取り出され、リュックに入っていた山菜や携行食とともに並べられていた。
「たしかに、これほど精巧な芸術品は王侯貴族でなければ所有していないだろうな。だが、貴族であれば供もつれず一人でいるというこがおかしい。そもそも、あの男の話す言葉はフィーン帝国周辺のいかな言語とも似ていない。じつに判断に困る存在だよ。イルバー、実際に見たお前はどう思う」
それまでトラインの横で紙幣を熱心に眺めていた男が彼女に顔を向ける。
「そういや彼の服や靴も初めて見るものだったな。格好や所持品だけを見れば異国の貴族か裕福な商人でも通じそうだけど、このナタといい山の植物を採集しているところといい農民と大差ない部分もあるし。なんというか、実にちぐはぐな印象を受けるね。――しかし、これは実にすばらしい絵画だ。それをこんな乱暴に折りたたんでシワにするのは芸術に対する冒涜だよ」
千円札を取り上げてイルバーが憤る。彼は先ほどから様々な角度から眺めては感嘆の声を上げていた。
「これだけの数の芸術品だ。彼にとってそれは大した価値がないのかもしれないな」
「――これが無価値だなんてあり得ないだろう! いったいどうやれば、これほど細い線を寸分の狂いもなく引けるのか……。彼と交渉して、なんとか一枚だけでも譲って貰えないかな」
心底物欲しそうな顔のイルバーを見てトラインが笑う。
「あの言葉を覚えて交渉してみればいいじゃないか。……交渉で思い出したが、こちらに明確な敵意がなさそうなら食事を与えなければな。イフレイド、あとでユウメを呼んでくれ。わたしがユウメと一緒に食事を持っていく」
「ユウメも……ということは、本気で彼をユウメのパートナーするつもりなんですか? こう言ってはなんですけど、彼女は訓練をこなすだけでも精一杯です。そこへ得体の知れない男をパートナーにしろというのは酷すぎるかと」
「ユウメがだいぶ思い詰めているのは分かっている。だが、あの問題は最終的に自分で解決するしかないんだ。……少なくとも導師の我々は助言までしかできない。もしあの男と契約することで自信を得ることができる可能性があるなら、その機会を与えるべきだと思う」
「その契約の言葉も通じないんですよ……」
「イフレイドは神聖術が得意だろ? 相手の言葉を翻訳するような術は知らないのかい」
今度は五千円札を見つめつつイルバーが尋ねる。
「結界や治癒はできますけど、人の心に作用するような神聖術はほとんどないですね。それこそユウメが聖剣化できたなら、彼と魂同士で意思疎通できるかもしれませんが」
「ここ剣士団領で未契約の剣士はユウメだけだ。昇格試験も近いことだし、荷が重かろうが頑張ってもらいたいものだな」
◆4
ドアをノックする音で玲は目が覚めた。
石畳のうえに長時間寝たため体が悲鳴をあげていたが、思考はだいぶ働くようになっている。
今度は何をされるのかと警戒するなか、部屋に入ってきたのは先ほど青く燃える剣を突きつけてきた軍服の女性と――もう一人は上下とも焦げ茶色のシャツとズボンを身につけた気弱そうな顔立ちの少女だった。
「ファールグフォッツラ? トゥアフェレグイーア」
ショートカットの女が話す相変わらず理解できない言葉とともに、少女がトレイを玲の足下に置く。
トレイには小さなパンが一つと水の入った木のカップ、そして火を通したイモらしきもの陳列していた。
これは食べろということだろうかと二人の様子を窺っていると、軍服のほうが少女に何事か指示をだす。
(親子……には見えないな。先輩後輩もしくは上司と部下の関係か?)
様子を見ていると、少女はだいぶ戸惑っていたようだが再度何かを言われると、怯えながらもトレイに近づきパンを小さくちぎり、何事かと見守る玲の前でゆっくり口に入れる。
(ああ、毒がないことを教えてくれているのか)
玲の予想通り、少女は残った水やイモも少しずつ食べると、仕事は終わったとばかり近づいたとき倍の早さで玲から離れていった。その怖がられようには苦笑せざるを得ない。だが、せっかく毒がないことを証明してくれたのだと思い直すと、少女に向かって頭を下げ食事にとりかかった。
(ずいぶんと少ない食事だけど、出るだけマシと思うべきなのか)
二人に見つめられながらという落ち着かない食事を終えると、トレイはすぐさま下げられ、代わりに少女が抜き身の長剣を持ってくる。
(また剣で脅されるのか?)
玲が警戒している前で軍服の女性が片膝をつき、その肩に少女が剣を乗せると、二人は同じ言葉を唱和する。
『ワルレ、フュッツネミエワクツドゥマ、ケイントゥマシーアヒュティッタ』
まるで騎士の叙任式のようだと玲が思っていると、少女が悲しそうな眼で玲を見ているのに気づく。何かを諦めたようなその視線は、なぜか玲の心を重くした。
(なんでそんな顔するんだ? ……何か俺がしたっていうのか?)
二人の唱和が終わると、少女は玲の肩にゆっくりと剣を乗せようとする。
どうやら自分にも先ほどの儀式を求めているらしい、と玲が気付くまでさほど時間はかからなかった。
「ワルレ、フュッツネミエワクツドゥマ、ケイントゥマシーアヒュティッタ」
「……ワルレ、ヒッツネミワクドマ、あー、ケイントマシアフテッタ?」
相手は女性とはいえ剣を持った二人組、下手に刺激する必要もないだろうと玲片膝をついてそれらしく言葉を真似するが、目の前の少女はますます表情を暗くしている。言葉がどこか違っていたのだろう、脇に立つ軍服の女性が発声練習の手本を示す英語教師のようにゆっくりと繰り返す。
(英語の点数は悪かったんだよな……)
玲としてはこの儀式をさっさと終わらせようと思っていたのだが、剣を持つ少女を見てその思いを変えた。思い詰めたような表情には涙が浮かんでいる。彼女にとって、この儀式は何かとてつもなく重要な意味を持つのだと思い至る。この言葉がどんな意味を持つのか分からないが、少なくともいい加減な態度はやめようと決意すると、三度少女が唱えようとする文言に自分の言葉を重ねる。
『ワルレ、フュッツネミエワクツドゥマ、ケイントゥマシーアヒュティッタ!』
次の瞬間、部屋に閃光が奔り、そのあまりの眩さに玲は目を覆う。
やがて、恐る恐る目を開けた先で、軍服の女性が微笑みながら口を開く。
驚いたことに、その言葉は玲にこう聞こえた。
「聖剣化おめでとうユウメ。そして異国の言葉を話す人よ、ようこそ乙女聖剣士団領へ」
章管理確認のためいったん投稿してみますが、内容については後ほど手を入れます。
説明的な文章しかないので、もう少しまともな言い回しとかできないものか……。