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56話 暖かな手と私の選択

 光の刺激にまぶたが開く。


「まぶしいぃ……。養父(とう)さん、あと五分だけ……」


 薄ぼんやりと見えた世界は光にあふれている。でもまだ眠っていたい私は、シーツを引き寄せてむりやり視界を暗くしようとした。


「まったく。ねぼすけ娘め」


 柔らかく額に触れる手がある。手のひらは私を起こそうとするのではなく、その温もりでより深く、眠りに誘おうとしてくる。ぼんやりと見上げた顔は懐かしく愛しい養父の顔で。


養父(とう)さん……。…………ティターン……」

「寝坊助なだけでなくお転婆とは恐れ入る。まさか放り込んだ学園を抜け出して大冒険まではたしてしまうのだから」


 聞こえてきた声を頭で処理しようとするが、よく動かない。どうして私、ここに眠っているんだっけ。どうしてティターンはこうして……。


 どうしてティターンが、ここにいるのだろう。


「…………っっ!!!」

「おっと」


 布団を跳ね上げて飛び起きれば、慌てて両手を上げたティターンが小さく声を上げる。そうだ、なぜ彼はここにいる。私は彼の仕事のせいで学園に入れられて。

 ティターンを見て、背後の風景を見て気がつく。ここは学園の治癒室ではない。まして寮室でも二人で過ごしたあの家でも。


「ティターン……ここは?」

「何だ。お前たちはここを目指してたんじゃないのか?」


 揶揄うような言い草、間違いなくティターンだ。

 あらためて室内を見渡す。毛の長い絨毯が敷かれ、シャンデリアが上に輝く。調度品の良し悪しはわからないが、きっとどれも良いものなのだろうと装飾の多さで感じられた。


「王宮、なの?」

「そうだ。ここまで連れてきてくれたお友だちたちに感謝するといい。お前をおぶったまま顔を真っ青にさせてな、クリスを助けてくれと男連中が衛士に言っている様は見ものだったぞ」


 おまけに仮面も取らないまま!一歩間違えれば侵入者と勘違いされて槍で貫かれても文句は言えなかったなと笑いながらティターンは話す。


「皆は……大丈夫なの?」

「概ねな。まあ、全身軽度の火傷と熱中症でふらついているどこぞのゼヴォウタルタ様みたいな奴もいたが。……ああ、そんな顔をするな。ちゃんと治療済みだ。お前が俺の治療を信じられないというなら別だがな」

「そんなこと言わないわよ」


 私に治癒術を教えてくれた人が癒してくれたのなら安心だ。それにティターンは始祖魔導師の一人でもある。

 ────そうだ、始祖魔導師なのだ、ティターンは。ずっと仕事で家を空けないとと言っていたけれど、王宮で仕事をしているのも納得がいく。そしてその理由は。彼の娘は。


 言いたいことは色々とあって、とめどない言葉が浮かんでは掴むこともできずに消えていく。歪な沈黙の中、ティターンは静かに私の方を見ていた。何を話すのかゆっくりと待ってくれていた昔のように。


「…………私ね、学園で友だちができたの」


 もっと先に告げる文句はあっただろう。もっと先に訴えるべきこともあっただろう。でも口から出てきたのはそんな言葉だった。


「誠実だったり、怒りっぽかったり、笑顔の裏で何考えてるか分からなかったりするけど、一緒にいると楽しくて、明日は何を話そうかって思える人たち」


 ティターンと一緒にいる安心感とは違う。比べるようなものでもない。

 彼に伸ばした手を握りしめられる。指先に熱が伝わる。


「そうか……。お前が学園で楽しく過ごせているようで何よりだ」

「楽しいかは分からないわ。最初はクラスで爪弾きにされたし、今でも何を話したらいいか分からない人もいるし。……でもそうね、友だちと一緒にいるのは心地いいの。この時間を大事にしたい」


 あの魔物を倒したとはいえ、水の始祖魔導師はいずれ必要になるだろう。でも、その為に彼らと引き離されるのは嫌だと今ならはっきり言えた。


「ああ。お前がそう思うのなら俺はお前の養父(ちち)として、それを尊重しよう」


 その言葉に目尻が熱くなる。強く目を瞑った。


「私、ティターンの養女(むすめ)でいて、いいの?」

「当たり前だろう。あの日手を差し出したその日からお前は俺の娘だ」


 心臓にへばりついていた氷の一部がほろほろとほどけていく。力強い言葉を、手のひらの熱を感じるだけでこうも簡単に涙腺は緩む。

 俯いて歯を噛み締める私の頭に、握っていない方のティターンの手が乗せられる。彼はどこまで知っているのか、あるいは知らないのかなんて関係ない。一片のためらいもないその言葉だけが、今私だけに与えられた真実だった。


「……俺もここで急務で片付けなければいけない仕事は終わったが、どうする?」

 尋ねられた声に顔をあげる。輪郭がはっきりしていないが、ティターンが含んだように笑ったように見えた。


「今なら事後処理をうまく済ませて、お前と過ごしていたあの家に一緒に帰ることも出来るだろう。……お前はどうしたい?」


 その言葉に返す言葉は決まっていた。


「言ったでしょう?友だちが出来たの。私はまだあそこで皆と一緒に過ごしたい。……だから養父さんは、もうちょっとくらい仕事を頑張りなさいな」

「手厳しいな」


 肩を揺らして笑う男の顔は憂いないものだった。

 家に対する郷愁も愛着もある。でも離れていてもティターンの愛を疑う必要などないのだ。

 いつかの未来であの家に舞い戻る可能性はある。でもそれは今でなくともよい。そう胸を張って言えるのは彼からの愛と、友だちとの出会いのおかげだ。


「なら、養娘に叱られる前に仕事に戻るとしよう。お前の友だちはこの部屋を出て右手側の、二つ先の応接間で待っている。落ち着いたら顔を見せてやれ」

「……うん」


 秘匿の仮面を剥がした姿を見せたことがあるとは言え、今の泣き腫らした寝癖まみれの姿で会えるかと言われれば話が別だ。素直に頷けば「いい子だ」と返される。部屋のドアノブに手を触れたまま、ティターンが振り返らずに口を開く。


「……お前たちがここに来た後にあの部屋を見聞した」


 その声は普段のティターンからは想像もできないほどに起伏のない響きだった。感情を押さえつけているように。


「あそこの記録を公開すれば、先代の水始祖が行なっていた狼藉も、それを止めようとした咎魔女の真実も詳らかになるだろう。お前が望むなら……」

「いいわよ、そんなの」


 それ以上ティターンに続きを言わせたくなくて言葉を遮る。


「別に世間が何と言おうと構わないわ。それに水の始祖魔導師の悪評が広まったら、誰も次代を継がなくなって私にその鉢が回ってきちゃうかもしれないじゃない」


「……そうだな」


 一度だけ肩を震わせてティターンが部屋を出ていく。彼が大切に思っていたもう一人の娘。その罪を明らかにすればきっと彼は傷つくだろう。

 きっと母さんは許してくれるだろう。もし許さないというならば、だったら私くらいには真実を告げていけと文句を言うだけだ。


「咎魔女の真実は、娘の私が知っていれば十分よ」


 さて、彼らに会うための支度をしよう。私は勢いをつけてベッドから飛び降りた。

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