49話 仮面と疑問(キリト視点)
クリスが走り去ってしまった後の教室に沈黙が降りる。正直に言って居心地は悪い。普段文句を言いつつも面倒見がいいクリスがあそこまで取り乱す姿を見ることはなかったからなおさら。
「……本当にわかりません。クリスは何が嫌なのでしょう」
アクアクラスのヤーラカーナは途中から前のめりになっていた自覚はないのだろう。彼らにとって、否、それぞれのクラスの生徒にとって己の属性の始祖魔導師は神様のようなものだ。その立場に立てるとなれば諸手を挙げて立候補する人は多いだろう。
だからヤーラカーナが疑問に思うのは無理もないのだ。俺だって疑問だった。なぜ彼女はあそこまで動揺を見せたのか、なぜ学長はクリスに直接打診をかけたのか。
「なんだろうね。ハイドラさまに嫌な思い出があるとか?」
不謹慎だと言われることを承知で笑ってみせれば、予想していた反応は返ってこない。神妙な顔でヤーラカーナは「……嫌な思い出、そういえば」と呟いた。
「治癒院に治療を拒否されていたのと関係があるのでしょうか」
その言葉にゼータが眉を寄せながら立ち上がる。
「治癒院が治療を拒否……それは本当なのか?」
「クリスが言うには、ですけれど。……口は悪いですけれど、嘘をつくような子じゃありません。でも治癒院が拒否をする理由も分からなくて」
だから理由を一刻でも早く聞けないかとジュエルクラスを目指していたらしい。残念ながら今回ヤーラカーナは届かなかったが、どちらにしても帰省が中止となった今は叶わなかっただろう。
「ふむ。クリス嬢の身の上にそれこそ関わっているのかもしれないね」
「……だとしたら、ここで話を聞いたのは失敗だったかもしれないな。学園だと秘匿の仮面を外せないだろう」
確かに単純な話だった。始祖魔導師の選定にクリスが後ろ向きな理由に彼女の生い立ちが関わるなら、彼女が何か話せるわけがないのだ。話そうとしても話せなくて、さらにパニックを起こさせてしまった可能性はある。
「あちゃー、言われればゼータの言うとおりだ。でもそうすると話せそうな場所ってどこだ?教員室に逆戻りか、治癒室を陣取ればよかったかな」
「治癒室でハイドラさまの後継話をするなんて、聞く人によっては不謹慎だと思われても仕方ありませんわよ」
「……ごもっとも」
秘匿の仮面を外せる場所は限られている。教師たちの管轄にあるスペースが、寮の自室かそれくらいだ。でも俺やゼータは異性である以上クリスの部屋に入れるわけがないし……そんな風に考えていれば、ヤーラカーナ嬢が「こうなっては仕方ありませんわね」と厳しい顔をした。
「ウィンドクラスの女子寮に行きましょう。画面さえ話せばクリスももう少し事情を明かしてくれるのではなくて?」
「そうだね。じゃあ任せたよ、ヤーラカーナ」
「は?」
「え?」
「ん?」
「何言っていらっしゃるの。いくのは私だけでなくてあなたがた二人もですよ」
何無茶を言うのだろうかこのお嬢さまは。
「いやいやいや、女子寮に僕たちがいくのはまずいだろう」
いいぞゼータ、言ってやれ。
「あら?ならあなたはあの状態のクリスを放置するつもりで?言っておきますが私一人では高確率で嫌味を言ってケンカになりますよ」
「む……」
おいおい押されるなゼータ。
ヤーラカーナも何を自信満々に言うんだ。
「そうは言ってもだねヤーラカーナ嬢。俺やゼータは真正面から行ったところで寮母に門前払いを食らうだろうよ。まさかこっそり忍び込めって?」
「正面からは無理ですが、忍び込むなら協力してくれそうな方がいるじゃありませんの。ほら、先日の試験の」
「……ん〜〜……」
なるほど、彼女の意図は理解できた。過去の件を持ち出して、わざと俺の立場をシトロンの系譜だと匂わせれば確かに潜入の手引きくらいしてくれるだろう。それに否やはない。
だがそこまでする義理があるかと言うと……。
「…………キリト」
ゼータがこちらの腕を掴む。こいつも鈍いわけじゃない、俺が何と何を天秤にかけたのか察知したのだろう。だから逆に、俺の方から聞いてやることにした。
「ゼータ、ヤーラカーナ嬢はこう言ってるがお前はどう思うんだ?俺からしたらクリス嬢がどんな道を選ぶかは彼女の自由だし、そこに下手に横入りすべきじゃないと思う」
本音を言えば、だ。
俺としてはクリス嬢が水の始祖魔導師に選ばれるのは賛成だった。すでに彼女はゼータと親しくなっており、養父もまた始祖魔導師の一人だと言う。彼女が選ばれるのなら次代のシトロンに選ばれないとしてもゼータの王家内の地位が盤石化するだろう。
葛藤はありそうだった一方で、始祖魔導師の必要性についてはクリスも分かっているようだった。これ以上何も言わなければ、彼女なら始祖の道を選ぶだろうというのもあった。
「確かにどんな道を選ぶかは彼女の自由だろう」
「だよな。だからヤーラカーナ嬢の案は……」
「それでも、クリスが悩んでいるのなら話を聞きたいと僕は思う。上手い解決策があるかは分からないが」
あんぐりと口を開けてしまった後ろで「さすがゼータ!」と弾んだ声が聞こえてきた。おいおい、正気かよ。
「そうしましたら、今のうちに根回しは済ませておきましょう。私はメリュジアのところに行ってきますので、また後ほど!」
そういうとヤーラカーナはあっという間に部屋から出ていってしまった。相変わらずそうすべきと考えたら一直線のやつだ。
「おいゼータ、女子寮に忍び込むなんてもし見つかって家に話が行ったら……!」
「そこは見つからないように手を尽くすしかないだろう。それに」
「ん?」
「違和感があるんだ。……かつて僕が小耳に挟んでいた話と事情が違う」
ゼータの話す事情を聞くにつれて、俺の顔から血の気が引いていくのが感じられた。
「おい……それだと大分話が変わってこないか?」
「ああ。だからその理由について、彼女に意見を聞ければと思うのだが……」
悩むゼータの反応を見て、ようやく俺も腹が決まる。
「分かった。ならヤーラカーナ嬢の話に乗ろうじゃないか。俺も夜までに準備を済ませておく」
「準備……?ああ、よろしく頼む」




