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38話 ハイドラ=アクアマリン

 ハイドラについて尋ねたその時の私は不自然ではなかっただろうか。いや、ティターンと私の関係性を知っているのだからそちら繋がりだと思ってくれたらよいのだけど。


「ハイドラ様か。私は亡くなられた当時まだ治癒院の下っ端だったからな。直接お話をする機会は少なかったが」

 それでも構わないなら、と前置きをしてシャムは話し出す。


「立派な方だったよ。西に落石で大怪我をしたものがいると知れば高速の呪文を唱えて駆け出して、東に大病を患ったものがいると聞けば転移魔法で向かって。いつでも治療に駆け回っていた」

「ふうん……すごい人だったのね」

 魔法だけでなく人柄も優れていたのだろうか。……ますますそんな人を殺したという母がどれだけ罪深いことをしたのかと胃の腑が重くなる。


「ただ」


 続く言葉に顔をあげる。シャムの目は窓へと向けられていて、その向こうの何を見ているかはわからなかった。

「患者の前で穏やかに口元をあげてはいたが、どこか作ったような笑みだった。私たちの前や話をしていない時はいつも難しそうにここにシワを作っていたよ」

 眉間を指さしたシャムの顔は寂しそうに見えた。


「責任感のある人だった。使命感もあった。多くの人を癒したいと思っているのと同時に、そうしないといけない立場だということに追い詰められていたようにも今なら思う」

「…………よく見ていたのね」

「所詮は私の主観だ。そんな話を誰かから、まして本人から聞いたこともない。でもいつだって彼女は焦っているように見えたよ」


 女性だったのか。

 それすら私は知らないのだと改めて思い知らされる。歴史の教科書を開いても、そこに載っていたのは名前だけで写真や肖像画はなかったから。論文のうち、複写が終わった紙束たちが一つの冊子になって机へぱさりと落ちた。


「あるいは、彼女のその様子を見ていたからかも知れないな。治癒院に長く留まりたくないと思ったのは」


 留まりたくない。早く帰りたい。そう思う衝動は私も心当たりがあった。学院に来てすぐはずっと思っていた。


 ──他ならぬお前自身が、やりたいことを見つけるために。

「……シャムにとって、今の仕事は『やりたくないこと』なの?」


 私の言葉にシャムの瞳孔が小さくなる。また余計なことを言ってしまったかもしれない。


「その、悪くいうつもりはないの。ただどうしてなんだろうって……ごめんなさい」

 俯いていれば頭の上に気配がよぎる。撫でるかどうか悩んだ末にその手は引っ込められたようだった。


「……謝罪の必要はない。いいや、やりたいことだったさ。怪我や病気で苦しんでいる顔が、治癒を終えるとほころぶんだ。やり甲斐はある」

「……そっか」


 ぱたんと音を立てて最後の紙束が机へと落ちた。複写が完了したのだ。


「さあ、それを持って戻りなさい。……その尾けまわされている式についても。問題が発生しそうになったらすぐに相談するように」

「問題なんて……」

 発生するわけがないと言いかけて止める。自分の中で抱え込むなと言ってくれているのが伝わったから。


「考えておくわ。複写、ありがとうございます」


 もうすぐ昼休憩も終わるだろう。次の授業に向かわないと。

 ぺこりとお辞儀をして治癒室を後にした。



 ***



 放課後、いつもの貸し教室に足を運べば、まだ皆は揃っていなかった。授業が長引いているのかもしれない。椅子に座り、昼に借りた論文を読みながら皆を待つことにした。


「う、文字がごちゃごちゃと……」


 読み物が得意なわけでもないので、内容を確認するのも一苦労だ。大気中のエーテルバランス解消について、その論文には記されていた。曰く、生体活動によって生じるエネルギーを魔力と掛け合わせることで大量の属性エーテルを生み出す力。体内循環と体外集約をより拡大化する方法だった。

 今知りたいのはそっちじゃなくて魔力感応に対する情報だ。


「エスメラルダ・ウィンド」


 簡略化させた呪文を唱えれば特定のキーワードだけが浮かびあがる。すぐに紙束をめくり、浮いた文字が現れていたはずのページを探し出した。


「ええと、なになに……?『エーテルバランスの偏りによる自己魔力感知力の低下』……」


 それらしい単語を見つけて読み進める。

 ──世界も人体も適正なエーテルバランスがある。光属に分類される地・火属性と闇属に分類される風・水属性。

 通常拮抗する状態で魔力は成り立っているが、その中で一部のエーテルが極端に減少、あるいは増加することで異常が発生することがある。世界の場合は特定のエーテルが減ることによる災害、身体の場合は心臓や末端神経の麻痺や自己魔力感知力の低下、魔力爆発などの症状として現れることもある。


「エーテルバランスの欠け……」

 もしかしたらこれこそがゼータの症状の原因かも知れない。魔力を感じることができないからこそ自身の魔力を扱えないならば。そのページに折り目をつけて、少し前から読み返しはじめる。何か少しでもヒントがあるかも知れない。


「……それにしても、人間もだけど世界のエーテルバランス、ね」

 文字を指でなぞってつぶやけば何か全く別の閃きが浮かびそうで。


「すまない、遅くなった!」

「ツートピア先生ってばずいぶん意地悪な課題を出してきてさぁ」

「クリス、今日は一体何をやりますの?」


 けれどもそれは、近づく足音によって遮られる。

 扉の先で顔を覗かせた三人に近づくため、私は紙束を手に立ち上がった。

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