32話 ‘あのお人’(キリト視点)
話の流れで席を立ち、トイレに行くと称して会計をすませるキリトは後ろから追ってくる足音に気づいていた。
「あっ、……キリト。昼代は僕も出すといっただろう」
相変わらず生真面目なやつ。内心で舌を出して肩をすくめた。
「そんなやりとりクリス嬢の前でしたら遠慮されるだろ。口では色々いうけど悪い子じゃなさそうだし」
「まあ、それはそうだが……」
奢りと口では言われたがいざその場面になったら財布を出すであろうことは想像に難くなかった。だったら今のうちに払っておいて後でしれっと返したほうがいい。クリスの身の上も明らかになった以上、キリトゥスとしてはどれだけ恩を打っても損はないと考えていた。
そのまま席に戻ってもよかったのだが、ゼータの眉間のシワが深い。王宮ではしょっちゅうこんな顔を見せていたが、学園で──クリスに出会ってからはだいぶ取れていたシワだ。
「どうしたのか?ゼータ」
「……キリト、少しいいか?」
あごが店の入り口を指し示す。その仕草に短く頷きを返して、二人で店の外へと出ることとなった。
「ゼータ。ティターンなんて名前聞き覚えあったか?」
「いいや。初耳だよ、始祖魔導師がもう一人存在していたなんて。ゼータもか?」
切り出された質問に返せば、ゼータの視線があさっての方を向く。
「……そうだな。家庭教師や両親もそれらしい話をしていたことはなかった。ただ、思い返せばお祖父さまが」
「国王陛下が?」
「……始祖魔導師たちの集いが年に一度あるだろう。その帰りに一度だけ、こぼしていた話がある。
九年ほど前の話だ。ハイドラさまがいなくなり間もない時期で、治癒院の管理について議題が紛糾したとかで、帰還が遅かった。帰ってきたお祖父さまにご挨拶をしにいった時に言っていたんだ」
────まだエーテルが安定しているのはせめてもの幸いか。あるいは、不幸かもしれんな。あのお人が動くことがないのだから。
「あのお人……か。誰のことなのか聞いたのかい?」
「聞こうとする前に使用人たちが寝所の支度ができたと呼びにきて、それきりだ」
「ふむ……国王陛下ならもう一人の始祖魔導師とやらをご存知でも何らおかしくない。何故世間一般に浸透していないのかは疑問だが」
「ああ。だから……お祖父さまにお伺いをしたいと思ってるんだ。つなぎを頼めないか?キリト」
思わず二度見をしてゼヴォウタルタをみる。
「正気か!?」
「もちろん。十年彼女と一緒にいたというティターン殿ともう一人の始祖が同一人物だというなら、彼の仕事に心当たりがあるかもしれない」
なぜ彼が自分に頼んでいるかは理解できる。
緊急時、王族の付き人兼護衛であるキリトゥスだけは王家に連絡を取ることが許されている。うまくいけば情報収集だってできるだろう。
それだけじゃなかった。キリトはもう一つ学園内に切り札を持っている。王宮内に即座に向かうためのとっておきの抜け道のあり方。
……だが。
「考え直せ、ゼータ。お前がそれをやる理由がどこにあるんだ。クリス嬢は自分の力でジュエルクラスにあがることを決めたんだぞ」
「分かっているが……」
「分かっちゃいない。……くそっ、」
敬語を使おうとするとうまく舌が回らない。こんな時の会話くらい許してくれてもいいだろう。秘匿の仮面の在り方が分かりにくい。
「……まともな説明もできないし、お説教は寮に戻ってからだ。でもな、これだけは言っておく。クリス嬢がお前に求めてることなんてせいぜい『友だちとして』できる範囲のことだろうよ」
「でも、」
「でももダガーもない。……俺たちが下手に動いた結果、彼女の養父の事情を第三者が知ったとしたらどうなる?」
もう一人の始祖魔導師。その養女。
クリスタルは学びの基盤のみを担い、アクアマリンは絶え、エメラルドは利益によって結び離れ、ガーネットは己が道を突き進む。それが政治への始祖たちの在り方だ。
そこにもう一つのカードが投げ込まれたら貴族連中にとってはていのいい神輿としてこの上ないし……それがすでに地に近づいているとなれば、何としても排除にかかるだろう。
俺よりも余程貴族連中の裏を知るゼヴォウタルタも顔色を変えて俯いた。
「悪いけど俺が使える伝達手段は緊急時に使うことが想定されている。お前自身の身に問題が発生しそうな時、国を転覆させるような行いが学園内で渦巻いている時、あるいはそれらに類すること。それと同じ感覚で、何も起きてないのに学友の養父が始祖魔導師で、その人について知りたいんだ。なんていうのは通らない」
「……うん、そうだな。無理を言った」
申し訳なさそうに視線を落として口だけで笑うゼータを見ると胸は痛む。だからその場を切り替えるために冗談めかして笑みを浮かべた。
「あるいは、だ?」
「うん?」
「もっと正攻法で頑張ればどうだ?お前がジュエルクラス入りして正々堂々と帰って、そこで国王陛下にお目通りを願うとか」
「……キリト。僕の魔法関連の成績を知って言ってるならさすがに怒るぞ」
もちろん、この学園の誰よりも知っている自負はある。
「それ以外は優等生なんだから、そこさえ伸ばせば楽勝だろ?……なんてな。お前の友だちが頑張ってるんだから、それくらいはお前も同じ目線で頑張ってやれってこと」
「キリト……うん、そうだな。ありがとう」
「はいはい、どういたしましてっと」
お人好しの主人の笑みに笑みを返しながら考える。
──それにしても、本当に危険だ。あの少女は。
能力や血筋だけでない。制限がなかったからと元の気風があるとはいえ、教諭たちの前でゼータがあそこまでためらいなく仮面を外すなんて。
もしもこの先ゼータの正体を知り、利用するようなことがあれば……。
「要注意対象……ってところだな」
「ん?何か言ったか?」
「いいや、何にも。ほら、そろそろ戻ろうぜ。あまり帰るのが遅いとお嬢さん方に文句を言われちまう」
まっすぐで人を疑うことを知らない主人の肩を叩いて、俺はひらりと座席への道を辿った。




