20話 予想外の訪問者
名前から人の顔を思い出すのはそんなに得意ではない。
もっとも、秘匿の仮面をかぶっている今は顔の造形を覚えようがないのだけど。
ヤーラカーナ。
呼ばれた名前を何度か脳内で繰り返してからようやく、渡り廊下で出会った女学生を思い出す。
「ええ。知ってますけど……彼女が私に会いたいって?」
……何のために会いたいのか全く想像つかない。
私の困惑に寮母のサザンカは気づかなかったようで、「ええ、そうなの」と頷いた。
「今寮母室の前で待ってくれているから、来てもらってもいいかしら?」
「いいですけど……」
まあいいか、何でも。
イヤミを言われるのが本日累計三回目になるかもしれないが、そこまで来たら今日の日記に記してティターンに日記帳ごと投げつければいい。学園に入学させられたと思ったらこれなんだけど!?と。
頑張ればティターンに会えるかもしれない話を聞いた今の私は無敵だった。
サザンカの案内で寮母室の前へと迎えば、はたして彼女の言う通りそこにはヤーラカーナの姿があった。
「ヤーラカーナさん、クリスさんを連れてきましたよ」
「ありがとう、寮母さま。……クリスさん。今よろしいかしら?」
こちらを見据えてくる少女の顔は相変わらず仮面で隠されている。口元に笑みは浮かべているが、その感情まではつかめない。
「ええ、いいわよ。……長くなるかしら。だったら私の部屋で話す?」
こんな場所で立ち話は疲れるし、サザンカに悪い。
そう思って提案すればヤーラカーナの口元の笑みが薄れた。
「何故わざわざ部屋で?談話室で話せば良いではありませんの」
「あそこにいい印象がないのよね」
談話室に入った瞬間話が止まって、静まり返るくせに視線ばかりは突き刺さる。あれが好きな人はよほど目立つのが好きな人だろう。
「まず間違いなく聞き耳を立てられていいならいいけど」
「……クリスさんのお部屋でお願いしますわ」
そうなるわよね。
***
学園の部屋は基本的に一人一室を割り当てられている。
秘匿の仮面を外せる数少ない場所の一つだからだろう。
まだ寝泊まりするようになってひと月も経っていない室内は、ベッドに重ねられた寝巻きや机の上の本をのぞけば対して特徴もなかった。
「適当にかけてちょうだい。お茶でいいかしら?」
「え、ええ……淹れてくださるのかしら?」
「ちゃんとした淹れ方かはわからないけど、それでいいならね」
ティターンと暮らしていた時は他の人なんて家に来なかったけれど、家事を終えてひと段落する時にはお茶を淹れるのが日常だった。
二つのマグカップにティーパックを入れてから、私は宙に手をかざす。
「エグマリヌ・アクア、ルヴァイス・ファイア」
簡易呪文を唱えれば宙に水の塊が生まれ、それが一瞬で熱される。ちゃぽんと水音を立てて水の塊は二つのカップへと落ちた。
「はい。二、三分したら出してちょうだい」
差し出した温かなカップを、目を見開いたヤーラカーナは受け取る様子がない。
「ヤーラカーナ?」
「……どうしてですの?」
聞こえてきたかすかな疑問に、私は首を傾げることしかできなかった。
「何が?」
「っ……!ですから、ここまで見事に水魔法を扱えながら、どうしてアクアクラスの入学を拒否したのかと聞いておりますの!」
勢いよく立ち上がるヤーラカーナ。……今お茶を渡すのは危ないわね。私はそう判断して、近くのテーブルに二つのマグカップを置く。
その音にヤーラカーナもハッとしたようで、咳払いをしてから話を続ける。
「失礼ですが昼のメリュジアさんとの一件、聞いておりました」
「あー……それは悪かったわね。うるさくしちゃって」
食堂は学年もクラスも混在する場所だ。そこであれだけ騒いでいたらヤーラカーナの耳に入るのも当然だろう。
「それに対しては向こうが原因だというのも存じています。だからこそです」
「だからこそ?」
「ええ。……あなたほどの魔力があればアクアクラスでも花開くでしょう。それを蹴った上で、何故ウィンドクラスに在籍を続けるのでしょうか。それほどにアクアクラスに魅力を感じないと?」
ヤーラカーナはまっすぐと私を見つめていた。
彼女はきっと、アクアクラスが大好きなのだろう。あるいはアクアクラスが冠する始祖魔導師を、かもしれないけれど。
……どちらにしても羨ましい。
そして少し、憎たらしかった。
結果的にここが自室でよかったかもしれない。私は自分の中に生まれた衝動に任せて自らの仮面に手をかけて、外す。
広くなった視界で負けじとヤーラカーナを見据えた。
「私がアクアクラスを拒んだわけじゃないわ。私を拒んだのは治癒院よ」




