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訓練①

 訓練区画の中央。

 蒼は、青い義眼を光らせる男と向き合っていた。

 ゼオ=リグナス――第Ⅱ部隊隊長にして、対模倣者部隊の頂点に立つ男。

 その笑みは穏やかでも、瞳は氷刃のように鋭く、射抜くような冷気を帯びている。


「まずは――お前が“死なない身体”を作る」


 その低い声が、鋼のように空気を引き締めた。蒼の背筋が自然と伸びる。

 ゼオは区画端の制御パネルに片手を置く。滑るような指の動きで入力された指令が、訓練区画全体を唸らせた。

 次の瞬間、足裏の感覚が変わる。

 重力が、横へと傾ぐ。

 蒼は反射的に壁へ手をつくが、すぐに後方へ、さらに前方へと、重力のベクトルが容赦なく切り替わった。


「……な、なにこれっ……!」


「ここは重力ベクトル変動ゾーンだ。まずは一周、どうにかしてに走り切れ」


 有無を言わせぬ声色だった。

 蒼は駆け出す。だが踏み出した足が浮き、次の瞬間には肩を押し潰すような圧力が落ちる。

 膝を打ち、肩をぶつけ、障害ブロックを避ける余裕もない。

 重力は上下左右にねじれ、足が絡まり、体が横へ弾かれた。

 息は荒れ、視界の端が白く霞む。

 何度も転び、体勢を崩しながらも、蒼は歯を食いしばって進み続ける。

 一周を終える頃には、肺は焼け、額の汗が視界を曇らせていた。


「……っは、はぁ……っ、もう……限界……」


「お疲れ様。でも――まだまだこれからだ」


 ゼオは淡々と訓練用の剣を差し出す。

 刃は鈍く、致命傷を避ける衝撃変換素材だが、重量は確かに腕を沈ませた。


「それで俺を斬ってみろ」


「え……でも」


「あぁ、俺の能力はまだ言ってなかったな。……まあいい。やればわかる」


 蒼は息を整え、踏み込みと同時に全力で斬りかかる。

 丸腰の男に向け、全身の力を込めた――


 ――ドンッ!

 倍の衝撃が腕から肩、背骨へと逆流し、肺の空気が押し出される。

 仰向けに倒れかけた体を、どうにか踏ん張って立て直した。


「……な、なんだ今の……」


「作用反作用の第2段階〈セカンドフェーズ〉だ。加えられた力をそのまま返すだけじゃない。増幅し、向きも変えられる」


 痛む背と腕を通して、その意味を骨の髄まで理解する。これが――最強。


「そんなのずるいじゃないですか……」


「ずるいは強いの別名だ。覚えとけ」


 頭の中で、自分の一撃の軌跡、衝突の角度、返ってきた反力のベクトルが組み替わる。納得と、どうしようもない悔しさが同時に喉を塞いだ。


「僕の能力を超える法則をぶつけられたら、この防御は抜ける。……いつかそうなってみせろ」


 最後は光学迷彩ドローンを相手にした反応テストだった。

 視界にも感覚にも映らない影が、天井から、床から、気配なく迫る。

 観測で探るが、わずかな遅れで肩や背を叩かれる。


「能力以前に、体と頭を“生き残り仕様”に変えろ。……明日からはリオをつける」


「リオ?」


「まあ悪い奴じゃない。心配すんな」


 ゼオは中央を指差す。


「目標は三つ。重力負荷ランを転ばず一周、ドローンの被弾率三〇%未満、もう一つは明日言う。それを二週間以内に達成しろ。――できなきゃ、その先はない」


 蒼は汗に濡れた頬を拭い、深く息を吸った。

 無理だ――と心が呟く。

 だが、それ以上に、胸の奥で熱が灯る。

 この目標を越えたとき、自分はようやく戦場に立てる。そう確信できた。




 翌朝。

 訓練区画の扉を開けた瞬間、昨日とは違う重みが空気に混じっていた。

 中央に立つのは、漆黒の髪を後ろで束ねた青年。

 均整の取れた体躯はしなやかで、片足をわずかに引いた立ち姿は、大地に深く根を張る大樹のように揺らぎがない。

 彼の周囲だけ、重さの“質”が違って感じられた。


「お前が蒼か」


 低めの声が、静かな水面に石を落としたように空間へ広がる。


「リオ・フェルナーだ。今日からは俺が面倒見てやる」


 ゼオが横から短く告げる。


「リオは重心操作の使い手だ。君の三つ目の目標は――二週間以内に、こいつから一撃を奪え」


「二週間あれば、形にはしてやるよ」


 リオは口の端を上げて笑った。


「ただし、手加減はしない。俺の役割は甘やかす役じゃなくて、お前を潰さず限界まで持ってく係だ」


「……重心操作って、どういう能力なんですか」


「見せた方が早い」


 リオが床を一度、軽く踏む。

 ――ふわり。体が浮いたように見えた次の瞬間、風を裂くような鋭さで前へ滑り込む。

 足音は一度も鳴らない。重力も慣性も、ただ彼の意志に従っているかのようだった。


「重心を好きに動かせる。前に倒れるより先に、前に行ける。避けるより先に、もう横にいる。……これができれば生存率は跳ね上がる」


 その穏やかな声の奥に、確かな鋼の芯があった。

 訓練は立ち姿勢から始まった。

 足裏にかかる圧を意識し、左右前後へわずかに重心を移動させる。


「いいか、動く前にまず“重心”を送れ。体はあとから勝手についてくる」


 だが蒼は、ほんの数センチの移動すらままならない。

 肩に力が入りすぎ、動くたびに上半身がぶれてしまう。


「止まりすぎだ。戦闘中に静止は死だと思え」


 リオは半歩で軸を切り替え、蒼の視界の死角へ消える。


「今の俺なら、お前の背中に十回は斬り込めたな」


 次は模擬剣を持った状態。

 踏み込みながら一瞬で軸を反転し、相手の背へ回り込む――これを繰り返す。

 蒼は何度もバランスを崩し、そのたびにリオが片手で肩を支えた。


「力むな。重心は“置く”んじゃない、“落とす”んだ。でなきゃ床に嫌われるぞ」


 短い冗談に、少しだけ肩の力が抜ける。

 繰り返すうちに膝の裏が熱を帯び、足首がじわじわと重くなる。

 だが――ほんのわずかに、足裏と床との“間”が縮まった気がした。


「今日はここまでだ。……倒れたまま寝るなよ」


 リオが模擬剣を肩にかけ、淡く笑う。


「明日からは足場を不安定にする。倒れる前に掴めるようにならなきゃ、二週間なんて夢のまた夢だ」


 蒼は無言で頷いた。

 昨日のゼオとは違う。だが、この男もまた本気で自分を鍛えにきている。

 その目の奥にある、確信めいた静けさが、そう物語っていた。




 二日目。

 扉を開けた瞬間、昨日よりも空気がざらついていた。

 リオが制御卓に立ち、足元の設定を切り替える。

 床のプレートが低く唸り、微細な振動が足裏に伝わった。

 バランスが、ほんの一歩で崩れる。


「現実の戦場は揺れてる。足場は崩れ、重力は均一じゃない。……安定して立てると思うな」


 そう言うと、リオは床を蹴って滑るように間合いを詰めた。

 模擬刃が肩に触れる。


「ほら、腰が浮いてる。そんな高さの重心じゃ、一瞬で尻もちだぞ」


「……っ」


「恥ずかしがるな。尻もちなんざ、何百回もついて強くなるもんだ」


 蒼は唇を噛み、再び構えた。

 だが振動のせいで、最初の一歩から足首がぐらつく。

 踏み込みの途中で軸がぶれ、模擬剣の先が床を叩く乾いた音が響いた。

 何度も同じ失敗を繰り返す。

 足裏が床を捕まえきれず、力が逃げる。

 それでも蒼は立ち上がり続けた。


「……もう一回」


 吐く息は熱く、視界がわずかに狭まっていく。

 リオの言葉が頭をかすめる――重心を先に運び、体はあとからついてこさせる。

 訓練が終わる頃には、ふくらはぎが鉛のように重くなっていた。

 リオは蒼の肩を軽く叩く。


「よし、初日よりはマシだ。明日は、もっと動くぞ。……覚悟しとけ」




 三日目。

 蒼は区画の中央で静かに目を閉じた。

 昨日までの感覚を脳裏で反芻する。

 足裏の圧。腰の位置。呼吸のリズム。


「お、今日はやる気の顔してんじゃねぇか」


 リオが軽く笑い、床設定を切り替える。

 振動の中、蒼は意識を足裏に沈めた。

 そして――観測を広げる。

 リオの足が床を押し沈める、わずかな変化。

 重心が揺らぐ、その一瞬前の静止。

 像のように浮かぶ「傾きの予兆」。

 踏み込みと同時に、蒼は右へ滑る。

 模擬刃の先が、空を切る。

 リオの刃を受け流しながら、彼がにやりと笑った。


「悪くねぇ。……今のは読んだな?」


「はい。でも……偶然かもしれません」


「偶然でいい。繰り返せば必然になる。それが成長ってやつだ」


 その言葉は、胸の奥で静かに火を灯した。

 まだ目標には遠い。

 けれど――確かに、昨日よりは前に進んでいる。




 ――それからの日々は、容赦がなかった。

 朝はまだ薄暗い時間に起床。

 外周ランニング――だが、ただの走りではない。

 重力場が刻々と傾きを変え、坂道にも横風にも似た圧力が足を襲う。

 油断すれば、重力が横から殴りかかってきて膝をつく。


 午前はリオの重心移動訓練。

 模擬剣を握ったまま、数百回の踏み込みと回避を繰り返す。

 右足で踏み込み、左足で軸を切る。

 腰の高さを変えずに死角へ回り込む――単純で、だが狂おしいほど難しい動作。

 汗が瞳に入り、視界が滲む。

 それでも動きを止めれば、リオの刃が肩を叩く。


「止まるな! 動くんじゃない、“運べ”だ! ……ほら、重心先だって何回言わせんだ」


 午後はゼオによる反応訓練。

 四方から飛来する衝撃弾と無音ドローン。

 迷彩のせいで姿は見えない。

 観測を広げすぎれば情報が溢れ、逆に遅れる。

 絞れば死角からの一撃が刺さる。

 何度も被弾し、肩や脇腹が鈍く痛んだ。

 夜は基礎体力強化。

 腕立て、懸垂、体幹――限界まで追い込み、筋肉が悲鳴を上げる。

 床には滴る汗が小さな水たまりを作る。

 そのまま布団に倒れ込み、気がつけばアラームが鳴っていた。




二週間後

 その朝、蒼の足取りは重かった。

 筋肉痛が完全に消える日は一度もなかったし、昨夜の体幹トレーニングの余韻がまだ腹筋に残っている。

 だが、その重さは“鈍さ”ではなく、むしろ芯の詰まった鉛のような安定感を伴っていた。

 足裏にかかる重心が、以前よりもはっきりと感じられる。

 まだ薄暗い訓練区画に、重い足音が響く。

 蒼はランコースのスタートラインに立ち、深く息を吸った。

 目標はただ一つ――一度も転ばず、一周を走り切る。

 だが、この二週間でそれが叶った日は一度もない。

 転倒、衝突、壁への激突……そのたびに膝をつき、ゼロからやり直した。


 床下の重力ベクトル制御装置が唸りを上げる。

 カウントダウンが終わると同時に、横からの重圧が襲った。

 右へ傾く重力を押し返し、次の瞬間には前方からの押し潰すような圧力――。

 足裏がずるりと滑り、脛がきしむ。

 歯を食いしばって立て直す。

 リオの声が脳裏で響いた。

 重心を先に運べ。体はあとからだ。


 半周を越える。

 呼吸は熱を帯び、額から滴る汗が視界に滲む。

 左からの横押しをかわし、床の反発を利用して斜め前へ跳ぶ。

 何度も繰り返した動き――だが今日は妙に冴えている。

 観測が、重力の傾きの予兆をわずかに掴み始めていた。


 ゴールは目前。

 最後の直線で、重力が急激に前傾へと傾いた。

 足がもつれ、上体が前に投げ出される。


 ――今日もまた、倒れるのか。

 胸の奥が冷たく沈む。


 だが、その奥に熱が滲んだ。

 諦めてたまるか。


 踏み出した足裏から、世界の重みがゆっくりと流れを変える。

 自分の重心が、指先一つぶんだけ後ろへ引き戻される感覚。

 リオに何度も叩き込まれた軸移動の“感覚”と、蒼の観測がわずかに操った重力が、ぴたりと重なった。

 足が地を捉える。

 そのまま体勢を立て直し、全力で駆け抜け――倒れ込むようにゴールラインを踏んだ。


 背中に冷たい床の感触。

 肺は燃えるように痛み、全身の筋肉が痙攣している。

 だが、初めて――一度も転ばずに走り切った。

 喉の奥から、かすれた笑いが漏れた。

 やっと……ここまで来た。


 倒れ込んだまま、荒く息を吐く。

 胸が上下し、耳の奥で心臓の鼓動が轟いている。


 そのとき――


「……ようやく、ゴールらしいゴールだな」


 低い声が背後から落ちてきた。


 驚いて振り返ると、入り口の影からリオが歩み出てきた。

 いつもの飄々とした笑みはなく、ただ静かな眼差しでこちらを見ている。


「見てたんですか……?」


「初日からな。転んであざだらけになってた時も、壁にぶつかって鼻血出してた時も」


 そう言って、リオは手を差し出した。

 蒼がその手を握ると、ぐっと力強く引き上げられる。


「今のは……偶然じゃねぇ。二週間かけて掴んだもんだ。胸張っていい」


 そう言って、片手で水筒を放る。

 その言葉に、蒼の喉が詰まった。

 褒められ慣れていない心が、不器用に震える。

 ただ短く、「……ありがとうございます」とだけ返し、水を一気にあおった。


 リオは鼻で笑い、顎をしゃくった。


「じゃあ次は剣だ。……鉛みてぇな足で、どこまで振れるか試してやる。けど、その前に少し休憩した方がいいな」


「いや、大丈夫です。……なんというか、今日はやけに冴えてる気がするんで」


 蒼は肩で息をしながらも、口元にわずかな笑みを浮かべた。

 午前メニューの締めくくりは、リオとの模擬戦。

 区画中央に立つリオは、薄く笑みを浮かべながらも、その足は岩のように揺るぎなかった。


「そうか……じゃあ蒼、二週間前とは別人になったか、見せてもらおうか」


 互いに訓練用の剣を構える。

 蒼は最初の一歩を焦らない。呼吸を整え、観測の感覚をゆっくり広げる。

 リオの足裏の沈み――膝の緩み――腰のわずかな捻れ。

 その一つひとつが、これから来る動きの“予告”だ。

 リオが踏み込む。

 以前なら反射的に後退していた場面。だが今は、足裏で地面を押し、斜め後ろへ“滑る”ように退く。

 動き出しの一瞬だけ重心を先行させる。そうすれば体は自然にその軌道に沿って流れる。

 刃が空を切り、頬をかすめる風だけが残った。


「ほう……今のは悪くないな」


 リオが片眉を上げる。

 その声を聞きながらも、蒼は動きを止めない。

 呼吸は浅く、しかし一定に保ち、視線は相手の中心に。

 リオが再び構えを変える。

 次は踏み込みと同時に刃を横に振る――フェイントを混ぜた速攻だ。

 観測を絞る。腰の捻りが深くなった瞬間、蒼は逆方向に軸を切り、足首を柔らかく回す。

 刃が脇腹を掠める寸前で半歩前に踏み込み、リオの横へ回り込んだ。

 ほんのわずか、剣の切っ先がリオの腕に触れる。


「……今のは、確かに当たったな」


 リオの笑みが広がる。


「二週間で、ここまで間合い管理ができるとは思わなかった。重心の先行……ちゃんと体に染み込んでるじゃないか」


 蒼の心臓が早鐘のように鳴っていた。

 この二週間、重力ランでの転倒防止、回避訓練での被弾率削減――何度も膝をつき、何度も壁に叩きつけられた。

 それでも立ち上がり続けた成果が、今、確かな手応えとして掌に残っている。

 リオが剣を肩に担ぎ、軽く顎をしゃくる。


「だが、まだ“勝てる”わけじゃない。今日はこの後ゼオの反応テストだろ? ……あいつは容赦しないぞ」


 息を整えながら、蒼は小さく頷いた。

 足裏が床を掴む感覚は、二週間前とはまるで違う。

 だが、この成長が本物かどうかは――これからゼオが試す。そう思うと、胸の奥で静かに火が灯った。


 リオとの模擬戦を終えたあと、軽く昼食を済ませる。

 体の芯にまだ熱が残ったまま、少し早めに訓練室へ向かった。


 区画の扉を開けると、照明がわずかに落ち、空気はひんやりと張り詰めていた。

 床の奥から、低い駆動音が足裏を伝ってくる。


 視線を向ければ、制御卓の前にゼオが立っていた。

 青い義眼が、無言のまま蒼を測るように光っている。


「もう来たのか。……少し早いけど、始めようか」

 淡々とした声が、静かな室内に落ちた。


「準備はいいな、蒼」


「え……はい」


 天井のレールが動き、三機の光学迷彩ドローンが静かに降下する。

 起動音はほとんどない。空気の揺らぎだけが、そこに“敵”がいることを告げていた。


 初日に挑んだときは、わずか三秒で肩と背中を撃たれた相手だ。

 あのときの被弾率は八十%。今日は三〇%未満が目標――いや、越えるべき壁だ。


「開始」


 その声と同時に、視界が動いた。

 一機が左から、もう一機が天井から、最後の一機は足元から――三方向同時。


 初日の蒼なら、全方位を追おうとして混乱していただろう。

 だが今は、呼吸を吐き切り、観測を“絞る”。

 必要なのは、接触の一秒前だけに集中すること。


 左の空気が沈む。半歩だけ重心を右へ――肩をかすめる風。

 直後、背後から無音の圧。床の反発を利用して斜め前に滑り、背中を守る。

 天井からの一撃は、腰を軸に回転して空を切らせた。


――が、すぐ右脇腹に焼けるような衝撃。

「っ……!」

 体がわずかによろめく。

 だが、足裏の感覚を切らさない。すぐに重心を戻し、視線を切らさず次の一手へ移る。

 被弾は痛みと同時に、残りの機体位置を確定させる“合図”にもなる。


 三機が一度散開し、別方向から再突入してくる。

 その軌道の複雑さは、初日とは比べ物にならない。

 蒼は全身の関節をバネのように使い、重心の切り替えを最小限の動きで行う。


 左腕にもう一撃。

 痛みが走るが、意識を削がれない。

 視界の端で残り二機の動線を“観測”し、呼吸のリズムに動きを合わせる。

 剣を振ることはしない。

 今の蒼にとって、頼れるのは刃ではなく、鍛え上げた自分の身体と重心移動の感覚だけだ。

 守るべきは、何よりもその身体――生き残るための唯一の“盾”だ。


 一分、二分――集中の糸が張り詰めていく。

 汗が目に入り、視界がわずかに滲む。

 呼吸のタイミングが乱れれば、それが隙になる。

 だが二週間の走り込みと回避訓練が、体の奥底に“耐える呼吸”を植え付けていた。


 最後の突撃。

 真正面と斜め左後ろ、二機が同時に突っ込んでくる。

 迷う暇はない。右足を軸にして重心を前方へ送り、正面をかわす勢いのまま回転――後方からの一撃も紙一重で外した。


「終了」


 静寂が落ちる。

 全身が汗に濡れ、息は荒い。

 脇腹と左腕が鈍く痛むが、立っている。

 ゼオが制御卓を操作し、ドローンが天井に戻っていく。


「被弾率……二八%。よくやった。合格だ」


 短いその言葉に、蒼の胸の奥で緊張がほどけていく。二週間分の努力を肯定された証のように響いた。

 完全ではなかった。だが、二週間前なら一度の被弾で思考が崩れ、動きが止まっていたはずだ。

 今は――痛みを抱えたままでも、最後まで戦えた。

 喉の奥で熱いものが広がる。

 初日の無様さを思い出し、自然と唇が引き締まる。


「だが忘れるな。三〇%を切っただけじゃ、戦場じゃ生き残れん」


 ゼオの声は淡々としていた。


「これからは、二〇%、一〇%……限りなくゼロに近づけろ。それが本物の“生存率”だ」


 その青い義眼は、確かに笑っていた。

 けれどその奥には、戦場の冷たい現実を知る者だけが持つ、深い深度があった。


「……明日は外に出るぞ」


「外……?」


「街だ。戦いを意識するのは戦場だけじゃない。歩き方一つで、敵に隙を見せるかどうかが変わる。カフェでコーヒーを飲むときだってな。まあ気分転換だよ。今までよく頑張ったな」


 冗談めかした言葉に、蒼は思わず笑ってしまった。

 だが心の奥では、ゼオの“次の試練”が始まる予感が静かに鳴っていた。




 夜。

 訓練区画を出て、割り当てられた居住室に戻った蒼は、ベッドに身を沈めた。

 全身の筋肉がじんじんと脈打つ。

 指先を握るだけで、今日まで積み重ねた重みが掌に残っている気がした。

 目を閉じれば、重力ベクトルが乱れた床の感覚や、ドローンの軌跡が脳裏に焼き付く。

 二週間前は、ただ翻弄されるだけだった。

 今は――わずかだが、自分の意思で動きを選べる。

 それが嬉しかった。

 だが同時に、ゼオの言葉が耳に残っている。


『三〇%を切っただけじゃ、戦場じゃ生き残れん』


 数字が現実の重みを持つ。

 たった一撃、それが命を奪う世界で、自分はまだ三十%も“死んでいる”のだ。

 天井を見つめ、深く息を吐く。

 明日は街へ出る。

 これまで外の世界をあまり知らなかった蒼にとってとてもうれしい誘いであった


 今の自分はもう、最初の頃のように逃げ腰ではない。

 未知が怖い。けれど、それ以上に踏み込みたくなっている。

 自分がどこまで行けるのか――その先を、見てみたかった。

 まぶたが重くなる。

 訓練区画の鉄と汗の匂い、重力に押し潰される感覚、リオの笑みとゼオの義眼――すべてが胸の奥で静かに燃えていた。

 意識が沈む直前、手のひらの感触だけが、最後まで鮮やかに残っていた。

 剣の重み。

 その先にあった、ゼオの揺るがぬ存在感。

 ――負けっぱなしじゃ、終われない。

 眠りの底で、そんな言葉がゆっくりと形になった。


これからも2,3日に1話のペースで進められたらいいなと思ってます。

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