静寂と火種
〈オルド=ラグラン〉中枢部、半球状の司令室。
壁一面を覆う立体投影モニターが淡く青光を放ち、その揺らめきが天井や床を染めている。
外周に並ぶオペレーターたちは黙々と端末を操作し、指先のタッチ音と機械の低い駆動音だけが室内を満たしていた。
中央の長テーブルには、蒼、カイ、ミレイ、そしてユーラが並んで腰を下ろしている。
戦闘の余韻が、冷えた空気のように四人の間に漂っていた。
「第Ⅱ部隊、今回の戦闘報告を」
机の向かいに座る記録官が、抑揚のない声で促す。
ユーラは軽く息を整え、簡潔に告げた。
「現地で通常模倣者四体を排除後、統率者級と思われる捕食済みの個体が出現。熱系の能力を有しており断熱結界を展開されましたが、撃破。現場は制圧済みです」
「了解しました。詳細は後日、戦闘記録としてまとめます」
記録官は端末を閉じ、表情を変えぬまま席を立った。
誰も追加の言葉を発することなく、四人も立ち上がる。
司令室の扉が閉じられると、外の廊下は一転して静まり返った。白い壁に靴音が淡く反響する。
――報告を終えた一行は、帰還用輸送艇で第Ⅱ部隊の拠点へ向かった。
窓の外には、岩肌の間を抜ける無人通路が延びている。機体のわずかな振動と、低いエンジン音だけが耳に残った。
拠点は本部からそう遠くない岩盤層の奥に築かれた多層施設だ。外からは存在すら分からない。
長い防護通路が続く。壁面では赤い警告灯が周期的に点滅し、低い駆動音がこだまする。
やがて通路を抜けると、白を基調とした明るい居住区が現れた。間接照明が柔らかく灯り、戦場とは無縁の静けさが広がっている。
「ここが第Ⅱ部隊の拠点〈セカンド・ノード〉よ」
先を歩くユーラが振り返る。
「カイとミレイはもう戻っていいわ。蒼は部屋を紹介するからついてきて」
歩きながら、蒼はふと口を開いた。
「……さっきのゼオさん、どういう人なんですか?」
ユーラはわずかに口元を緩める。
「ゼオ=リグナス。第Ⅱ部隊の隊長で、私の直属の上司。端的に言えば──“最強”よ。あの気楽そうな態度に騙されないこと」
「気楽そう……確かに」
蒼は苦笑しながら、ゼオの青い義眼を思い浮かべる。あの視線だけは、笑みの奥に冷えた光を宿しているようで、脳裏から離れなかった。
「ちなみに、どれくらい強いんですか?」
「そうね……あの人が“食われた”ら、人類側はほぼ確実に負けるわ」
「……え?」
「模倣者は、強い能力者を捕食するほど適合度が高まり、より自在に扱えるようになる。だから、対模倣者部隊は四部隊だけの少数精鋭。人数を増やせば、それだけ食われたときの損失も跳ね上がる」
「ゼオ隊長と、第Ⅰのヴァルト隊長。この二人は能力も熟達度も別格。……どちらかが食われたら終わりね」
廊下の突き当たり、窓の外に紫色の空が滲んでいた。
ユーラはそこで立ち止まり、蒼を振り返る。
「あ、そうだ。さっき隊長も軽く言ってたけど、二か月後に“宙規戦”があるわ。新人同士の三対三の模擬戦で、特殊フィールドを使う実戦形式。観客は各部隊の先輩や隊長だけ。あなたも出場することになる」
「俺も……ですか!?」
「もちろん。今年の第Ⅱは人手不足だから、あなたにも頑張ってもらうわ」
蒼は眉をひそめる。
「宙規戦って、戦ってる間に模倣者が来たりしたら……?」
「大丈夫。宙規戦の日はゼオ隊長が見回りに出るから安心しなさい」
やがてユーラは一室の前で足を止めた。
「ここがあなたの部屋。新人用の部屋はいくつかあるの。部隊によって入隊の経路は違うけど、うちの場合はスカウトが多いわね」
「そうなんですね」
「宙規戦の詳細は抽選会のあとで通達するわ。……じゃあ、おやすみ」
「はい」
中は簡素な作りだが、ベッドと作業机、収納棚が整然と置かれている。壁には個人用の情報端末パネルが埋め込まれていた。そこに明日の予定などいろいろ書いていた。
(……二か月後、か)
静けさの中で小さく呟き、深く息を吐く。まぶたが重くなっていった。
翌日、午前九時。
〈オルド=ラグラン〉本館、多目的ホール。
普段は会議や簡易訓練に使われる広い空間だが、この日は中央に長机が並び、その奥には各部隊の隊長席が設けられている。
壁際には部隊ごとの新人たちが整列し、低いざわめきが交差していた。
蒼は第Ⅱ部隊の列で、カイとミレイに挟まれて立つ。
「……あれが第Ⅰか」
カイが顎で向かいの三人を示す。短髪の青年、落ち着いた雰囲気の女性、そして小柄で明るい笑顔の少女。統率の取れた正統派チームという印象だ。
やや離れた位置には第Ⅲ部隊。
白髪の男が指を鳴らし、青銀の髪の女性が腕を組んで虚空を見つめている。黒髪の女性は冷たい視線で会場を観察していた。その張り詰めた空気は、第Ⅰや第Ⅱとは異質だった。
さらに奥には第Ⅳ部隊。
巨漢の男が仁王立ちし、その背後に二人の男が控えている。鋭い眼光を隠さず、場の空気をわずかに重くしていた。
やがて隊長たちが現れる。
第Ⅱのゼオ、第Ⅲのエリシア、第Ⅳのオルド。第Ⅰからは副隊長のセリスが出席している。
ゼオは柔らかな笑みを浮かべ、エリシアは静かに全員を見回す。オルドは無言で腕を組み、セリスは穏やかさの奥に鋭い光を宿していた。
ゼオが軽く片手を挙げると、ざわめきがすっと消える。
「さて──これより、宙規戦の組み合わせ抽選を行う!」
ゼオがくじ引き台の前に立ち、説明を始める。
「抽選は単純だ。部隊の代表が一名が前に出て、封筒を引く。封筒には試合番号と対戦相手が書かれている。引いた結果がそのままトーナメントの組み合わせになる。今年は去年優勝した第Ⅰが引くことになるな」
緊張が走る中、第Ⅰ部隊の小柄な少女ミナ・ロウが前に出た。
「はいはーい!こういうの、運だけは自信あります!」
セリスが笑って「頼むわよ」と送り出す。
封筒を引き、紙を開く。
「……第二試合、対戦相手は第Ⅲ部隊!」
ざわめきが広がる。白髪のノックスが口角を上げ、黒髪のタリアは無言でミナを見据えた。
残る結果は自動的に決まる。
「第二試合、第Ⅰ部隊対第Ⅲ部隊。そして第一試合、第Ⅱ部隊対第Ⅳ部隊だ」
「……第一試合、第Ⅳ部隊か」
カイの視線の先で、巨漢のバルドが不敵に笑い、背後の二人も口元を吊り上げた。
「いきなり火力特化チームとはね」
カイが肩をすくめ、ミレイは「面白そうじゃない」と笑った。
「というか抽選会って一回引くだけなんですね。」
蒼が苦笑する。
「まあ抽選会は新人同士の顔合わせの面が強いから」
ミレイが苦笑しながらも答える。
「試合は二か月後。詳細は後日通達する。それまで鍛錬を怠るな」
ゼオの声がホールに響く。
蒼は第Ⅳ部隊の三人を見やり、胸の奥で息をのんだ。
――初戦の相手は、圧倒的な火力を誇る連中。
二か月後の自分は、果たして彼らの前に立てるのか。熱と不安がせめぎ合い、胸を焦がした。
抽選会を終えた第Ⅱ部隊は輸送艇で拠点〈セカンド・ノード〉へ戻った。
岩盤層を抜けると、光沢ある金属壁と柔らかな間接照明に包まれた訓練区画が広がる。天井を漂うドローンが青白いホログラムを投影し、地形や障害物を瞬時に組み替えていく。床は特殊素材で、重力や摩擦係数を局所的に変化させられる。人工的な風切り音と低い駆動音が響く中、蒼はその光景に息をのんだ。
「おかえり。……で、どうだった?」
ユーラが片眉を上げる。
「くじの結果、第一試合で第Ⅳとだ」
カイが肩をすくめるように答えた。
「第Ⅳか……派手にぶつけてくる連中ね。中でも質量増加のバルド。あの巨体にさらに質量を上乗せされたら──新人でも名前を覚えるくらいには有名よ」
ユーラはわずかに口角を上げたが、その目は冗談を言っていなかった。
「他の二人は?」
「不明。そもそもこの時期新人の情報はあまり出回らないわ。知っている恐怖と、知らない不安──両方味わえる相手ね」
ミレイが静かに笑う。
不意に足音が近づき、ゼオが姿を現した。
「火力偏重は脅威だが、弱点も大きい。受けに回れば押し潰される──だから先に仕掛けろ」
ゼオは蒼に視線を向ける。
「蒼、君はひとまず僕のところに来い。この世界での戦い方を一から叩き込む」
「はい!」
「じゃあ、あとの二人は任せた」
「了解」ユーラが敬礼する。
「最初は私と模擬戦。手加減は期待しないこと」
「ええ……」カイが苦笑し、ミレイは口角を上げた。
蒼は訓練区画の中央に立ち、遠くで響く衝撃波の音に耳を澄ませた。
二か月後、あの巨漢バルド、そして未知の二人を前に、自分は立てるのか──。
静かなはずの空気が、なぜか少しだけ重く感じられた。
そしてその重みが、確かに蒼の胸を前へ押し出していた。
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