統率者との邂逅
――ユーラ=ユリウスは、統率者級模倣者との一対一の戦いに臨んでいた。
断熱結界の発動とともに、世界が歪んだ。
風が止まり、音が消え、空気の温度差さえ感じ取れない。まるで外界とのあらゆる接続を断ち切られたかのような、密閉された空間。
「……能力、範囲型か。それとも……」
ユーラ=ユリウスは双刃槍を構えたまま、周囲の重力流を探る。
だが、感覚は遮られている。重力の乱れが“反響しない”。エネルギーが拡散せず、空間そのものに閉じ込められているようだった。
敵――統率者級模倣者は、ゆっくりと歩を進める。
かつて誰かのものだった防衛スーツの上からは、異様な赤光が滲んでいた。
その姿は人間に酷似しているが、あまりに無機的で、冷酷な“目的性”が感じられる。
「お前たちの戦いは、あまりにも……粗雑だ」
声は静かだったが、言葉の端に乗せられた冷笑が、空間全体を揺らしたような錯覚をもたらした。
――ゴゥッ。
ユーラの背後で、空気が一瞬うねった。
反応は即座だった。
彼女は振り向きもせず、重力ベクトルを制御して空間の一点に圧縮力を集中させる。
――ズンッ!
無音の中で、床がへこむような低振動。
見えない“加圧”の一撃が、統率者の虚を突く……はずだった。
「無駄だ」
統率者は立ったまま動かない。その皮膚に、傷ひとつついていなかった。
「力を入れることと、力が伝わることは、同義ではない。
お前の法則には、“出口”がある。ならば、封じるだけだ」
――断熱結界。
それは熱、運動、エネルギーといったあらゆる“流れ”を遮断する特殊な空間。
その中で発生した力は、原則として“外へ逃げない”。
ユーラの慣性操作すら、結界の内部では“制限される”のだ。
(攻撃が外に出せない……こっちの動きは“封じ込め”られてる)
ユーラの額に汗が滲んだ。
能力者の力は、物理法則を基盤に持つがゆえに制御域に限界がある。
能力とは、あくまで“観測した法則の一部を手繰るもの”。
局所的な制御や瞬間的な発揮には優れているが、空間そのものを歪めるような“絶対的干渉”には届かない。
だがこの統率者は――
(空間そのものの“性質”を塗り替えてる……?)
その感覚は、能力者としての矜持すら危うくするものだった。
統率者は再び一歩前に出る。
その足取りはゆっくりだが、あまりにも確信に満ちている。
「まずは、君から――解析させてもらう」
断熱結界の外。ユーラの不在を埋めるように、カイとミレイの二人は背中合わせに陣形をとっていた。
目前に立つのは、残る2体の模倣者。
その動きは既に分析済み……のはずだった。だが違う。どちらも先ほどの個体より明らかに速い。
「……進化してる?」
ミレイが息を呑む。模倣者は戦闘中にも観測を繰り返し、学習する。今目の前にいるのは“初手で倒せた相手”ではなかった。
「くるぞ、左!」
カイの警告と同時に、模倣者の1体が地を蹴った。
その動きは四肢の駆動というより、重力を逆算した“最短移動”。反射的にミレイが反発球を射出するが――
「……!? かわした――っ!」
模倣者は射出軌道を読んでいた。紙一重で球を回避し、そのまま迫る。
だが、そこへ――
ザリッ――!
カイが足元の摩擦係数を変化させ、模倣者の足元を強制的に“極滑”状態に。
バランスを崩した模倣者の膝が地に沈む。わずかにできた隙に、ミレイが声を張った。
「間合い、取るわ!」
手のひらから展開した三連反発球を連射。
爆風と反動で一気に距離を取ると、ミレイが息を荒くして言った。
「力は……通る。でも、読み合いが難しい……!」
それに応えるように、もう一体の模倣者がカイに向かって踏み込んでくる。
今度は一直線の突進ではない。上下左右を使ったフェイント混じりの高速接近だ。
「……ッ、間に合え!」
カイは咄嗟に自らの足元を“極摩擦”に設定し、地を強く蹴った。
その反動を利用して模倣者の腕を弾くように体を回転、逆に横から突き飛ばす。
ドガッ!
質量と加速の一撃。模倣者が壁へ激突する。
――だが、倒れない。
模倣者は起き上がると、カイの眼前で口を開いた。
言葉ではない。模倣の範囲で発声しただけの、空っぽの「音」。
それでも、そこには“敵意”があった。
「っち……こいつら、本気で殺りに来てるな」
その瞬間、ミレイが叫んだ。
「カイ、蒼――!! 後ろ、避けてッ!!」
声と同時に、三人の背後から新たな影が跳躍していた。
瓦礫の死角から突如飛び出してきた、最後の模倣者。
カイとミレイの死角を完璧に突き、最短軌道で“戦闘に加わっていないはず”の少年へと飛びかかる。
「――蒼っ!!」
時間が歪んだ。
蒼の目の前で、模倣者の動きが急に“鈍る”。
それは、どこか“見えない抵抗”のような――
「……動きが……引っ張られてる?」
模倣者の関節が、まるで粘着するように引き戻されていく。
まるで周囲の空間そのものが“観測に抗って”いるような……不可解な逆流。
直後、カイが飛び込んでくる。
模倣者の動きが止まったその一瞬を見逃さず、強化摩擦の拳を叩き込む。
ガンッ!!
肉が弾け、骨が軋む。
ミレイも即座に反発球を展開し、追撃する。
「蒼、下がって!」
「でも、今……!」
そのとき、ミレイが蒼の手を握る。
「大丈夫。あれは……きっと、あなたの“兆し”よ」
――結界の中。
空気は静止し、熱は消え、色彩が鈍っていく。
ユーラは双刃槍を構えたまま、じっと統率者の動きを注視していた。
(……この空間。熱伝導が完全に遮断されてる。風も起きない。外界からのエネルギー流入もゼロ。まるで宇宙空間に近い……)
統率者は一歩、また一歩と間合いを詰めてくる。
動きはゆっくりだが、その足取りには確かな“質量”がある。
重いのではない。“エネルギーが逃げない”ため、加速がそのまま蓄積されていくのだ。
「お前たちの戦いは、観測と制限に縛られている……
私は“再構築”した。法則など、食えばいい」
次の瞬間――
ガンッ!!
統率者が地を蹴った。
ただの踏み込み一つで、爆発にも似た衝撃波。地面が抉れ、瓦礫が吹き飛ぶ。
(……この空間じゃ、慣性の蓄積も封じられる……!)
ユーラは即座に判断する。
自らの能力【慣性固定】は、運動量を保つことで連続攻撃や反動制御を成立させるが、
“熱とエネルギーの逃げ場がない”断熱空間では、その挙動に誤差が出る。
「でも……それは、逆に利用できる」
彼女は槍を握り直し、小さく呟いた。
「――慣性解放」
足元から床を滑らせ、あえて無摩擦に近づける。
すると、統率者が踏み込んだ瞬間の慣性が暴走し、彼の挙動が一瞬“泳いだ”。
(ここだ――!)
ユーラは回転しながら槍を振る。
だが直撃の直前、統率者の腕が上がり、その槍を硬質な皮膚で受け止める。
ガキィン!
火花も熱も出ない。ただ衝撃だけが拡がった。
「通らない……!」
「お前の力では、空間ごと、飲まれる」
統率者が再び距離を詰め、拳を振り上げる。
ユーラはそれをギリギリで受け流し、後退。
(熱がない、風もない。つまり、この結界内では“運動の演出”が起きない……)
彼女の思考は冷静だった。
普通の戦士なら恐慌している。だが彼女は“計算”していた。
「なら……重力を、極限まで、点に集約すれば……」
次の瞬間、槍の一点が歪むように黒く沈み込む。
“局所的重力特化”――それは外界とのエネルギー交流が絶たれたこの空間で唯一“自己完結”できる加速源。
ユーラは一歩踏み込み、重心を極限まで沈める。
槍に込められた“慣性”が、空間そのものを歪ませるほどに圧縮されていく。
「喰らいなさい、慣性跳躍――!」
刹那、空間を裂くような重音とともに、双刃槍が閃光のごとく射出された。
ドォン――!!
槍は空気を砕きながら、直線的な弾道で統率者の肩を掠める。
掠っただけで、装甲のような皮膚が裂け、黒い血が飛び散った。
同時に、統率者の身体がよろめく。
その一瞬。
“断熱結界”の境界が、わずかに揺れた。
蒼は思わず顔を上げた。頬に、わずかな風が当たったのだ。
「……今、空気が……?」
本来、結界内は完全に熱と気流を遮断された閉鎖空間。
外気が流れ込むなど、あり得ない。
だが、ユーラの攻撃が生んだ衝撃波と重力のひずみが、結界の均衡を狂わせた。
結界の内と外が、一瞬だけ繋がりかけたのだ。
蒼の脳裏に、見えない何かの“輪郭”がよぎった。
言葉にはできない。だが確かに、「何か」がそこにあると感じた――
「……これが、法則?」
彼のつぶやきが、誰にも聞こえない声で、夜に溶けた。
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