観測者の目覚め
──少女の案内で、荒野にそびえる昇降機を降りた蒼は、重力の歪むような複雑な建造物の入り口に立っていた。
空は薄紅色に染まり、吹きつける風が頬を冷たく撫でる。彼の足元では、かすかに砂塵が巻き上がっている。
少女は一歩前に出て、振り返りもせずに言った。
「……ついてきて」
巨大な扉が無音で開き、二人は静かにその中へと入っていった。
重厚な構造の内部は、外の荒涼とした世界とは対照的に、金属と透明な結晶が組み合わされた無機質な美しさを湛えていた。建物の奥へと進むと、小さな談話室のような空間にたどり着く。
「ここで休んで。少し話をしましょう」
促されるまま、蒼は椅子に腰を下ろした。
少女は向かいの席に座り、静かに自己紹介を始める。
「私はユーラ。この砦の一員よ」
その口調は冷静でありながら、どこか安心感を帯びていた。
蒼は一瞬言葉を選び、震えるような声で名乗った。
「……綾瀬蒼。もともと研究機関で、重力波の実験をしていた。そこで……事故が起きたんだ。気がついたら、ここにいた」
ユーラは蒼を観察するように目を細め、少しだけ視線を伏せた。
「事故……。あれは、やはり偶然だったのね」
「……“あれ”って、何のことだ?」
「この都市には、いくつもの宇宙から来た情報が集まっているわ。観測技術で検知できる“時空のゆがみ”――その一つが、あなたが落ちてきた痕跡だったの」
蒼は言葉を失った。だが同時に、心の中でずっとくすぶっていた疑問が浮かび上がる。
「……俺は、本当に生きてるのか? あの事故で、死んだはずじゃ……」
「ええ。確かに、あなたは“生きてる”。それが今、ここでの現実。そして……たぶん、あれはただの事故ではなかった。あなたの中で、何かが目を覚ましたのよ」
蒼の胸に、得体の知れない感覚が広がる。
「目を覚ました……?」
「ええ。あなたは、まだ気づいていないだけ。けれどこの世界では、あなたのような存在は特別なの」
彼女の瞳が、どこか遠くを見るように静かに揺れる。
「ここは〈オルド=ラグラン〉。私たちは、さまざまな惑星から集まった“フェーズ能力者”で構成された組織よ。模倣者――この世界を侵す存在から、人類を守るために戦っている」
「……フェーズ能力者?」
「能力者とは、“物理法則”を観測し、それを空間に適用できる者のこと。段階として、まず最初の『フェーズ1』でその力が芽生え、次に『フェーズ2(覚醒)』で自在に操れるようになる。あなたは、いまその始まりにいるの」
そう言って、ユーラはそっと右手を掲げた。瞬間、空間に淡い紋様のような揺らぎが走り、まるで空気が一瞬だけ重くなる。
「さっきあなたが使った力。あれは“観測能力”と呼ばれるものよ」
「……観測?」
「ええ。観測とは――自分が理解した“物理法則”を、この世界に『そうあるべき』と認識させること。つまり……この現実を、自分の理で上書きする行為」
蒼は息を呑んだ。その説明は、まるで“神”の力のように聞こえた。
「けれど、それは祝福でも万能でもないわ。能力者たちは皆、固有の法則にしか適応できない。観測によって他の法則を扱える場合もあるけど……ほとんどは向き不向きがあるし、制御も難しい」
ユーラの声には、淡い哀しみが滲んでいた。
「それに、模倣者は観測能力を持つ者を狙う。力を奪い、喰らい、再現する。だから……あなたのような能力をもってこの世界に来た人は、特に危険」
蒼の胸に、言いようのない不安が広がる。
だが、それと同時に――背筋を走るような高揚感もあった。
「けれど、あなたのような能力者は、戦力としても非常に希少で、貴重なの。
それにあなたはさっき重力の能力を使っていたけれど、たぶんそれは……」
彼女が何かを言いかけたそのとき――
――都市全体に、鋭く切り裂くような警報が響いた。
『緊急通達――北区境界線にて、模倣者の反応を探知。戦闘班は即時展開せよ』
蒼は肩をびくりと震わせた。
ユーラは立ち上がり、蒼を静かに見つめる。
「歓迎の言葉は、また今度ね。……あなたも来る?」
蒼は目を見開いた。恐怖は、まだそこにある。混乱も消えていない。
けれど、それ以上に――
この世界で、自分が“何者なのか”を知りたいという思いが、胸を突き動かしていた。
「……行く。俺が“ここにいる意味”を確かめるために」
ユーラは、ほんのわずかに唇を緩め、言った。
「安心して。私がいる限り、あなたを危険にはさせないわ」
そして彼らは、未知なる戦場へと向かった――。
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