訓練③
砂埃を巻き上げて、カイが地面を蹴った。
その瞬間――摩擦が消えた。
足裏に伝わる抵抗がなくなり、滑走するような速度で彼が迫る。
(はやっ――!)
蒼の反応が一歩遅れる。足を踏み込もうとした途端、摩擦が奪われ、支えを失った身体が傾いだ。
視界が揺れ、軸が乱れる。
そこへ――カイの剣が振り下ろされる。
「……っ!」
蒼は反射的に重心を押さえ、必死に芯を立てた。
リオに叩き込まれた感覚――「重心を先に送れ」。
その言葉を思い出し、揺れる体勢を無理やり立て直す。
同時に――ほんの一瞬、重力を“軽く”する。
ふわりと体が浮き、剣の軌道をかすめる。
風切り音が耳を裂いた。刃は髪の先をさらっただけで通り過ぎる。
「――蒼、お前……本当に成長したんだな」
カイが目を丸くし、思わず呟いた。
「まあね」
蒼は口角を上げて返したが、背中には冷や汗が流れていた。
(……やばかった。ほんっとギリギリだった……!)
剣を握り直し、深く息を吸う。
重心を少し前へ傾け――踏み込む。
――キィン!
蒼が踏み込んだ瞬間――刃と刃がぶつかり合う。
カイは押されながらもなんとか流す。
だがカイの脳裏には疑問が渦巻いていた。
(……おかしい。さっきまでは効いていたはずだ。摩擦を奪った場所に踏み込めば、体勢は崩れる。少し距離があったときは効きが薄かったかもしれん。だが――今の至近距離なら、絶対に作用しているはずだ!)
にもかかわらず、蒼は平然と足を運び、力強く剣を振るってきた。
(まさかこいつ…)
「お前、ずっと浮いてるな!」
カイが叫ぶ。
「もうバレちゃったか」
蒼は内心で短く息を吐いた。
(……さっきの“タネ”がばれてないうちに決められなかったのは痛い。でも――ここまでは想定通りだ)
カイと模擬戦をすると聞いたときから、蒼は戦い方を考えていた。
摩擦を操られるのなら、要は――地面に依存しなければいい。
だから選んだのはカイにバレない程度に「浮く」こと。
最初はわざと摩擦を奪われて体勢を崩し、油断を誘った。
だがそれでも攻撃が成功しなかったのは誤算だった。
重力制御に手一杯で、剣にまで十分な“重み”を乗せられなかったのだ。
(……できないことは切り捨てろ。今は“できること”を確実にするんだ)
カイに秘密を隠す必要はもうない。
ならば――接地のために神経を削る必要もない。
重力を調整し、「地面に触れない程度」で安定させるだけでいい。
「……ふー」
小さく息を吐く。
体が楽になるのをはっきりと感じた。
ギリギリで浮力を調整するのは、握力計を一定値で押し続けるようなものだった。
いくら必要な力が大きくなくても、“同じ出力を保つ”という行為は神経を容赦なく削っていく。
だが今は違う。意識を細部まで割かなくても、重力の浮き沈みを「感覚」として掴めるようになってきていた。
(……おそらく今なら――剣にも重さを乗せられる)
蒼は剣を握り直す。
肩から腕へ、そして刃の先端へ。
まるでそこに鉛を流し込むように、重力を“乗せていく”イメージ。
カイが再び迫る。
速度は先ほどよりもさらに鋭い。摩擦を自在に切り替え、砂を固め、滑らせ――間合いを一瞬で詰めてきた。
蒼は踏み込みに合わせて重力を叩き込む。
――ガァンッ!
衝撃が走り、交差した刃が悲鳴を上げる。
「……重っ!」
カイの腕に圧がのしかかり、思わず呻き声が漏れた。
蒼は全身の力を込め、さらに刃を押し下げる。
(いける……! 今度こそ――!)
確かな手応えがあった。
剣にここまでの“重さ”を宿せたのは初めてだった。観測で掴んだ力を、具現化できた。
蒼の胸に熱い喜びが走る。
「うおおおッ!」
雄叫びとともに剣を押し切ろうとした、その刹那――。
――スッ。
抵抗が、消えた。
「……え?」
重みを伝えていたはずの手応えが、一瞬で霧散する。
蒼の剣は虚空を滑り、力のかかり所を失って勢い余る。
次の瞬間、蒼は理解する。
「……やられた」
キンッ!
蒼の刃が空を切った直後、カイの剣が逆に喉元を制した。
訓練用の光刃が、寸止めで輝きを放つ。
「……っ!」
蒼の瞳が見開かれる。
剣にかけた“重さ”ごと、摩擦を消されていたのだ。
押し込む力は確かにあった。だが、摩擦がなければ、剣と剣はすべり合うだけ。
重さも圧も、すべて“空回り”に変わる。
「惜しかったな。……俺の勝ちだ」
カイは肩で息をしながらも、満足そうに笑った。
蒼は唇を噛みしめた。
手応えを掴んだ矢先に奪われた悔しさが胸が胸を焼いた。
光刃が蒼の喉元で止まった瞬間、訓練場の空気が解けた。
緊張の糸が切れたかのように、張りつめていた空気が一気に弛緩する。
「……残念だったな、蒼」
すぐ背後から声が飛んだ。リオだ。
漆黒の髪を後ろで束ねた彼は、壁際から戦いを見届けていた。
口元に薄い笑みを浮かべつつも、その眼差しは真剣だった。
「重力を剣にのせたのは悪くなかった。むしろ“よくやった”と言っていい。
……だが、摩擦を消されたら、どんな重さも空回りする。今のが戦場なら、お前は首を落とされてた」
リオの声は冷たくも温かい。兄のような響きが胸に残る。
蒼は荒い息を整え、喉の奥でかすれた声を押し出した。
「……悔しいです」
カイが剣を下ろし、大きく笑った。
「いやぁ、俺も楽しかったぜ。お前、本当に成長してるな。最初に会った時はただオドオドしてるだけだったのに、今じゃ正面から“重さ”をぶつけてくるんだからよ」
その言葉に、蒼の胸が熱くなる。
――初めて出会った時。
ユーラの背後に隠れながら、ただ戦場を“見る”ことしかできなかったあの日。
カイが地面を操り、摩擦を消したり与えたりしながら模倣者を転ばせていた姿を思い出す。
あの時、自分は何もできず、ただ圧倒されていた。
(それが今は……少しは戦えるようになってる)
胸の奥に悔しさと同じくらい、確かな誇りが芽生える。
そこへ、壁際からユーラの穏やかな声が届いた。
「じゃあ蒼、次はミレイとだね」
「え、今からですか!?」
蒼は思わず声を上げた。
「宙規戦でも、戦場でも連戦は当たり前だ」
リオが淡々と告げる。その口調には甘えを許さない鋭さがあった。
隣でミレイが一歩前に出る。
青髪を揺らし、凛とした瞳で蒼を見据える。
「無理しなくてもいいと思うけど……。私は大丈夫だけど。立てる?」
その声には優しさがあったが、同時に隠せない闘志の色が混じっていた。
蒼は剣を握り直し、ふっと息を吐いた。
「……いけます。まだ終われません」
カイがにやりと笑って口を挟む。
「やるじゃねぇか」
「ちなみにミレイは本当に強くなったわよ」
ユーラが少し微笑みながら言う。
蒼の胸に冷たい汗がにじむ。
リオが模擬剣を構える二人の間に立ち、視線で合図を送る。
「それじゃあ、始めるぞ」
その瞬間、ミレイが地を蹴った。
反発の法則を乗せた加速は、矢のように蒼へ迫る。
空気が震え、空間そのものが弾かれるような衝撃が走った。
その瞬間、蒼の視界が揺らいだ。
ミレイが床を踏み込んだ足裏から、目に見えぬ“張力”が広がる。
反発――物体同士の接触や圧力があって初めて生じる反動。
今のミレイは、床という“接触物体”を媒介に、踏み込む力を即座に反転させていたのだ。
(……速い!)
蒼は慌てて前へ踏み出そうとする。
しかし次の瞬間、足裏がふっと浮いた。
床そのものが弾み、踏み込みの推進力が逆に押し返されたのだ。
「――っ!」
重心が崩れ、体が大きく傾ぐ。
そこへ、ミレイの剣が閃いた。
”キンッ!”
訓練用ブレードが火花を散らし、蒼の剣が受け止める。
だが次の瞬間――
”ドンッ!”
受け止めたはずの衝撃が二倍になって返ってくる。
反発が増幅され、剣と剣の接触面から、さらに強い“反動”が生まれたのだ。
蒼の体は強い衝撃を受けそのまま石畳に叩きつけられる。
「ぐっ……!」
肺の奥から空気が押し出され、視界が白く瞬く。
首元に、ひんやりとした光刃が突き付けられる。
見上げると、ミレイが静かに剣を構えていた。
「……ここまでね」
その声音は冷静で、だが誇らしげでもあった。
蒼は歯を食いしばり、地面に手をついて立ち上がろうとした。
「……まじかよ……完敗、か」
リオが歩み寄り、短く告げる。
「そうだな。今回は完全にミレイの勝ちだ」
カイは肩をすくめ、笑った。
「だろ? 言ったろ、相当仕上がってきてるって」
ユーラも静かに口を開いた。
「蒼、今のは“空間”を弾ませたんじゃない。床や剣といった接触物に反発を適用して強化したのよ。あなたの踏み込みも、剣の受けも――そこを狙われたの」
「……接触物……」
蒼は呆然と呟く。
本来なら均衡するはずの力が、ミレイの能力によって上乗せされる。
床に踏み込めば跳ね返され、剣を合わせれば弾かれる。
ただそれだけのシンプルな理屈。
だが、それを自在に繰り出せる域に達したことが――彼女の成長を雄弁に物語っていた。
(……そうか……俺だけじゃない。みんなも、成長してる)
悔しさが胸にせり上がる。
この一週間、自分こそが一番伸びていると信じていた。
だが違った。仲間たちも同じ速度で、あるいはそれ以上に――前へ進んでいる。
「……参りました」
蒼は息を吐き、苦笑めいた顔で剣を下ろした。
ミレイは少し驚いたように瞬き、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「ありがとう。あなたとやれてよかったわ」
その笑顔は戦場の緊張を和らげ、蒼の胸に温かな熱を残した。
リオが二人の間に割って入り、きっぱりと言う。
「よし、今日の模擬戦はここまでだ。……宙規戦まで、実戦形式を重ねていく。ただし基礎も忘れるな。生き残るには両方が必要だ」
模擬剣を肩に担いだまま、リオは静かに歩み寄った。
床に手をつき、荒く息を吐く蒼を見下ろし、短く言う。
「……今までので分かったろ。蒼、お前が簡単に倒されるのは、ただの実力差じゃない。自分の“身の周り”を空けすぎてるんだ」
蒼は顔を上げる。
「身の周り……?」
リオは指先で、自分の体を囲むように円を描いた。
「能力の基本は“自分の事象を上書きする”ことだ。フェーズ2だと物体に力を作用させるが、そいつも距離が近いほど適用が強い。……だから逆に言えば、自分の体に能力をまとっていれば、簡単には他人の法則を押し込まれない」
淡々とした声が、胸に突き刺さる。
「最低限、自分の体全体は自分の力で固めろ。ここだけは、誰にも触らせるな。それができなきゃ――今みたいに遠隔から一撃で終わる」
蒼の心臓が一瞬早く跳ねた。
確かに――今の自分は攻撃にばかり意識を割き、足元も身体も相手の能力に支配されていた。
その隙を突かれ、床を操られ、剣を弾かれた。
リオはさらに言葉を重ねる。
「防御は特別な力じゃない。フェーズ1の延長だ。自分を包むように常に力を流し続ける。……ただし当然、負担はでかい。熟練度の差で上書きされることはあるし、持続するだけで体も頭も削られる」
「やってみます」
蒼は頷く。
額から汗が滴り、視界がかすむ。
観測を使い続けると、まるで脳の“帯域”そのものを削られるようだ。
立ち上がろうとした足が一瞬ふらつき、荒く息を吐く。
「……はぁ、はぁ……俺、まだ……」
リオはそれを制するように掌を見せ、口元だけで笑った。
「分かってる。消耗が大きいのは当然だ。能力を身にまとうってのは、頭の中で旋律を絶えず奏で続けるようなもんだからな。止めれば途切れるし、強く鳴らしすぎれば耳が潰れる。……だから最初は息が切れるほどきつい。……でも、それでいい」
彼は腰の模擬剣を軽く叩き、蒼に向き直る。
「明日からの課題は一つだ。自分の体全体を常に重力で覆え。立ってる時も、歩いてる時も、飯を食う時も。寝る前の呼吸さえもだ」
蒼は目を見開いた。
「常に……?」
「そうだ。最初は息苦しくて倒れそうになるだろうな。だが――それが最低限だ。宙規戦に立つってのは、そういうことだ」
リオの声は穏やかだが、その奥にある硬質な芯が、戦場の現実を突きつけていた。
蒼は拳を握り、かすれた声で答えた。
「……やります」
呼吸はまだ乱れていた。視界も揺れている。
けれど胸の奥では、確かに何かが形を成し始めていた。
――自分を覆う。
それが、生き残るための第一歩。
蒼は額の汗を拭い、小さく頷いた。
「……次は、絶対に」
その言葉を胸に沈め、誓いだけを心に刻む。
(負けっぱなしじゃ終われない。宙規戦で証明してみせる)
夕刻の光が訓練場を赤く染める中、蒼の瞳は確かに燃えていた。
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