軽口
久し振りに昔の夢を見てしまった。
早川俊が引退した頃は毎晩のように見ていた夢。
「僕の顔に何かついてる?」
昼休みの屋上。めちゃめちゃ晴れているもののこの県特有の強風が吹き荒れておりわざわざここでお昼を食べるつわ者はあまりいない。
人の多いところが好きではない私はお昼休みはほぼここにいる。
早川俊のサラサラの髪の毛に強風が直撃してせっかくの美しい髪型が四方八方に吹き乱れハゲ散らかっていた。
ハゲ散らかっているのにも関わらず、顔の良さがそれをカバーしているものの天然なんたがただのおバカなんだか分からない発言をしてきた。
「すごい風だね。与謝野晶子の乱れ髪ってこんな感じの時に使うのかな?」
「…ねぇ。与謝野晶子の乱れ髪ちゃんと読んだ事ある?」
「無い!」
「乱れ髪はね、激しい恋の歌なんだけど」
「え?」
「え?」
「えーーーーー!!!」
私と見合わせた目をパチクリしたかと思えば途端に顔を真っ赤にするところとか本当に可愛い。
ああ…。人生の最推しがこんな目の前にいる幸せ誰かに自慢したい。
けど、誰にも言いたくない。
自分の中でしまっておきたい。
そんな矛盾と戦いながら、何事も無い顔でスマホをいじってみる。
あの頃。
どんなに手を伸ばしても届かなかった早川俊が今こうして私の目の前にいる奇跡。
『君は世界で一番幸せな人間だよ。だって、僕に出会えたんだから』
これは、昔大ヒットしたドラマの主役の名台詞だ。その主役を演じていたのがこの早川俊だった。
そんな名台詞が頭をよぎる。
一見チャラくて軽くて女の子の扱いに慣れているそんな主役だったけど、それは心の奥底の闇の部分を隠すためで。
本気で人を好きになった事は無い。
だが、いつもネガディブで自分に全く自信の無いヒロインにとって、この言葉がどれほど響いただろうか。
画面越しだったけど、私にも刺さった。
「どうして引退したんだろ…」
心の声が漏れてしまっていた。
気付いた時にはもう遅い。
早川俊がじっと私を見ている。
「あ…え、あっと何でもない、ただの独り言!気にしないで!」
早川俊が芸能人だったこと、私が大ファンだった事、絶対に知られたくない。
ちょうどいい感じにメールの着信音が鳴った。
「お、久々のエキストラ募集だー」
このエキストラと言う文字を見るだけで心が躍る。
エキストラはめちゃめちゃ楽しい。
ほぼ待ち時間で終わってしまう時もあるが、どんなに長い待ち時間で疲れ切ったとしても、テレビで見る俳優さん達の素顔を見れるとそんな疲れ一瞬で吹き飛ぶ。
与えられた演技を真剣にやり切るのも楽しい。
「まだエキストラやってるの?」
早川俊がメガネのツルに手を当ててこっちを見た。
あれ?早川俊にエキストラやってる事言ってたっけ?
「う、うん、私がエキストラやってる事話したっけ?」
「うん、前に聞いたけど」
「そっか」
何でもかんでもペラペラ話してしまう性分だから、気づかないうちに話してしまったんだろう。
「そのエキストラ決まったら教えて」
「え?何で?」
「絶対見るから」
ぐっ…。ずるい、こんなキラキラな笑顔で言われたら目離せなくなるじゃん。
推しに探して貰える人生…。素晴らし過ぎる…。