女武芸者 九
ヨハネスは、あご髭をなでるふりをして、口元を手で隠した。
「しかし、思い知ったのではないか? 女のお主は、どう努力しても、ひとかどの剣士には成れんぞ」
と、低い声を出す。
「そして、例え一人前の強さを得たとして、二人三人と敵がいれば、これはもう敵わぬ。味方を増やし敵を減らす為の、あらゆる知恵や振る舞いが、闘いの行方を決める実相なのだ。個人の武勇にこだわり、それを疎かにすれば、お前の人生に決して良い影響を与えまいぞ」
「大成するかどうかは、問題ではありません。武術をやる事で、私は救われてきました。私はこの恩を返さねばなりません」
ザーラが酷い暴行を受けてから、まださほど日は経っていない。
その少女の断固とした眼差しと物言いに、ヨハネスは深く感じ入った。実のところ、狂喜したと言ってもよい。
だが簡単に、よしわかった、うちの子になれとも言えない。
「身体に染み付いたものというのは、そう簡単に変わらん。お主がアウクスブルクの流儀を捨てるのはお勧めしない。おれのやり方とは違うが、あの理合いも立派なものだ」
そういったヨハネスの念頭には、手持ち砲の術の事があった。ヨハネス自身は性に合わない武器であったが、男女の身体能力差を埋めるのに、あれほど適した武器はないように思われたからだ。
「そうですか……」
拒絶されたと感じたザーラは、気落ちした。
「だが、じつはせがれの道場には一人も門下生がおらぬでな。相方を務める者もおらず、技量を磨けておらぬ。もしお主が手伝ってくれるなら、こんなにありがたい事はない」
ヨハネスは立ち上がって、右手を差し出した。
その手を、ザーラが両の掌が包む。
更にその上から、ヨハネスの無骨な左手が重ねられた。
ザーラの眼に、涙が浮かんだ。
〇
一四四〇年三月某日。
ニュルンベルクの西方五十里のところにあるハイデルベルク城にて、ザーラ・フォン・レヒフェルトと、ハルスドルフ家の息・ヴォルフガングの試合が行われた。
結果は、勝負にもならず、一方的にザーラが試合用の刃引き長剣でヴォルガングを叩きのめした。
ヴォルフガングは、
「あんな女野蛮人を嫁にもらわずにすんで、せいせいした」
と、身内にこぼしたらしい。女野蛮人、というのは古代希臘神話に登場する伝説の民族である。女性のみで構成され、騎乗戦闘を得意としたそうだ。
オットー公は、
「まあ、ハルスドルフのせがれに期待もしていなかったが、それにしても……。嫁き遅れになる前に、なんとかせねば」
と、歯がみしたとの事。
一方、ハルスドルフ家の家長は、三人の使用人が失踪してから、戦々恐々としているらしい。
ザーラの腕を折り、ヴォルフガングとの試合をあきらめさせ、ハルスドルフ家への嫁入りを成功に導こうとする試みが、オットー公に露見しているのか、していないのか、いつそれを糾弾されるのか。
ついには、家長は心労のあまり倒れて、隠居してしまったそうだ。
それはさておき……。
日ごとに春めいてくるペグニッツ河をつたって、ザーラがパウルスの道場に通ってくるようになった。
またハンス・タルホッファーやホーホベルク家の使用人の若者が数人、訓練に通うようになったので、パウルスの生活もだいぶ忙しくなった。
だが、体力も技量もばらつきがある者たちを抱えて、パウルスは苦慮している。
まず体力ができていない若者数人は、重剣での柱打ちをさせればいい。
ハンスは兄弟弟子のようなものだし、教えるどころか試合を重ねて互いに学び合っているような状況だ。
問題はザーラで、体力は正直最低限だが、さりとてこれ以上の鍛錬をさせて劇的に伸びるとは思われない。
技術も「アウクスブルクの剣風をなるべく損ねないように」とヨハネスから指示されているので、どこまでいじっていいのかわからぬ。
「それが顔に出ちゃってるの。だから、ザーラちゃんもパウル君には遠慮しちゃってる感じね」
とは、様子を見に行ったゲルトルートの弁だ。
そう聞いて、
「む。仕方のないやつだ。おれが行って、すこし稽古をつけてやるか……」
となるヨハネス。
「やめておきなさいな。あそこはパウル君の道場なんだから、隠居が口をはさむのはお門違いよ」
と、ゲルトルートがたしなめる。
「ほんとにもう、剣術のことになると、大人の分別がなくなるんだから」
「ふうん……。お前さんが好きなのは、分別じみた老人なのか?」
ヨハネスが口角をつりあげて、意味深な視線をゲルトルートに送る。
「ううん……。まあ、違うかもしれない」
微かに頬を紅潮させて、ゲルトルートが苦笑いをしてみせた。
これで、ひと段落です!
しばらく、キングダムカムデリバランス2をやろうと思います。